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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第4章 真夏のマリンサイドバトル in 兵庫
40/150

第6話 新本VS三国

『7回の裏、白組の攻撃は、9番、指名打者、広川』

 既に紅組のファールグラウンドでは、立川がリリーフ準備中。9番の広川から始まるこの打順。しっかり抑えることができれば、逆転の夢に繋がるだろう。

 マウンド上の新本。宮島から出されたサインに頷いて一投。

「ストライーク」

『70㎞/h』

 甘いスローカーブを見送ってワンストライク。

「こんな遅い球、久し振りに見ましたね」

「やっぱり、プロにはいませんか?」

「プロだからこそいません。一部、例外はありますけどね」

 宮島への答えとして広川が言ったその例外も、日常的に投げられているものではない。新本は常にこの調子なのだから、打ちにくいことこの上ない。

『(広川さんは特に速い球に慣れている。だからここは徹底して遅いので……と思ったけど、これ、どう?)』

 宮島が意地悪そうにサインを出すと、彼女は嬉しそうに首を縦に振る。

 ロージンバックに手を軽くやり、小さく深呼吸してからセットポジションへ。そこから左足を軽く上げての第2球。

『(緩い。抜け球?)』

 ストレートにしては遅い。が、彼女のスローカーブやチェンジアップに比べれば速い。抜け球と思わしきそのボールを、広川は見逃さずにスイング。しかし、

「ストライク、ツー」

 バットは空を切った。

「宮島くん。今の球は?」

「1組、鶴見直伝のスライダーです。合宿前は制球に難があったので封印していたんですけど、そこそこ改善したんで、この打席から封印解除です」

 鶴見と昼食の席が一緒になった時、新本が教えてもらったスライダー。やはり本家のものと比べると見劣りするが、それでも実践で十分に使える球だ。

『(さて、それじゃ、これも見せようか。頼んだぜ、副部長)』

『(にゃっ)』

 3球目のサイン。頷いた新本はセットポジションから左足を軽く上げる。そして踏み出した位置は、なんと最初の足の位置。

『(え? 前に踏み出さない?)』

 ピッチャーの投球モーションはえてして、踏み出す位置は最初の位置より遥かホーム側。しかし彼女の踏み出したのは元の位置。その意図は、

『(さぁ、こい。ゴールはここだ)』

 宮島はミットを地面に付け、空を向かせる。

 右手とグローブを両方合わせてテイクバック。ややトルネード気味の投法になりながら、反動を生かして腕を振りあげる。天高く。

『(こ、これは――)』

 振り始めた広川が急いでバットを止める。

 高い高い放物線を描く彼女の投球。スローカーブやチェンジアップよりも遅いその球は、ホームベースややキャッチャー寄りでワンバウンドし、宮島が捕球。

「倉敷」

「あ、えっと、え~……ストライクバッターアウト」

 まさかそう来るとは思わなかった球審・倉敷は、宮島の声にハッとして悩んだ末にコール。

「超スローボール、ですか……」

「魔球フリースローです。暫定・バスケ部ですから」

 高い放物線を描かせ、ストライクゾーンの奥行きを利用してストライクを取る手法。ノーバウンドでミットまで投げてしまうと、ゾーンを越えてしまう可能性があるため、ゾーンをかするように、ホームベース奥でバウンドさせるのがコツである。

「因みに今の球速はどうでしたか?」

「球速、表示されずです」

 新本の武器がこの打席で2つも増える。ストレート・スローカーブ・チェンジアップに加え、スライダーに魔球フリースロー。魔球はランナーがいる場面では使えないが、十分に有効な球だ。

『1番、レフト、三国』

 ここで先頭に戻って三国。

「なんだか、すげぇ久しぶりだなぁ。新本と対戦するのは」

「中学以来?」

「中学以来」

「打撃練習とかは?」

 左バッターボックスに入る三国へ、宮島が問いかけると彼は首を横に振る。

「偶然かな? いままで新本相手に打ったことがない」

 おそらくは逃げていたのであろう。早期に野手転向をしたメンバーならまだしも、宮島は全投手相手に打撃練習の経験がある。これはもう意図的に逃げていると見ていいだろう。

『(新本。ここは逃げられねぇぞ)』

 よほど緊張しているのか、宮島のサインに遠目には分からないほどの頷き。

「ストライーク」

 それでも優れたコントロールは健在。インコース低めギリギリいっぱいの厳しいコースに、スライダーをしっかり決める。

「今のはスライダー?」

「メジャー直伝の」

「盛っただろ」

「盛ったよ。何か知らんけど、盛れよって叩かれたし」

 メジャー(注目投手・鶴見)直伝のスライダーである。

『(魔球でもいいけど、警戒しているだろうなぁ)』

 スライダーはネクストから判断しづらいが、超スローボールはネクストからでも投げたことが判断できる。警戒しているのなら力押しがいいだろうが、新本のストレートなどたかが知れている。

『(チェンジアップをアウトコース低め。どうだろ?)』

 異論を見せずに頷いた。

 2球目。アウトコース低めのチェンジアップにタイミングが合わず、泳ぎながらバックネットへのファールボール。

「宮島ぁ。どんどんストライク取ってくるなぁ、お前」

「今気付いた?」

 ピッチャー主導&ストライク先導リード。どんどんストライクを取って、ピッチャーを波に乗せようという魂胆。そして0―2のカウントを作り、そこから余裕あるボールカウントを有効に使って、三振を狙っていこうという考えだ。

 つまりこのカウントは宮島の狙い通り。

『(どうやって三振狙うかなぁ。新本なら遅いのに張らせといて、ストレートで見逃しだけど。内側にスローカーブを外そうか)』

 もし振ってくれればそれもOKだが、あくまでも遅い球を意識させるための配球だ。

「ボール」

「スイング」

 足元に沈むスローカーブに三国はハーフスイング。宮島はすぐさま3塁方向を指さし、ハーフスイング判定を要求。倉敷も指さしジャッジを託すも、白山の手は両サイドに開いて、ノースイングとのジャッジ。

『(今の惜しかったな。けど、これで多少なりとも変化球は意識してくれるはず。勝負してみようか)』

 インハイストレート。遅い変化球を散々見せているだけに、速い球を放ればあわてて振ってくれる。かもしれない。

 新本がモーションに入るなり中腰でミットを高めに構える。勝負を決めるべくウィニングショット。

『(ヤバい。入った)』

 釣り球で三振を狙うつもりが、少しストライクゾーンに入ってしまう。この甘い球を三国が逃すわけもなく、真芯で捉えて引っ叩く。打球は大川・横川の2人が反応できないほどの速さで一二塁間を破る。

『(くっそ。今日の三国は調子が良すぎるぞ)』

 神城以上に1番らしい打撃成績だ。そして、

『2番、ファースト、神城』

 ここでその実質的1番バッター・神城。

「神城選手兼任監督。この状況、エンドランの絶好の機会だな」

「そうじゃなぁ。ここでエンドランもありじゃのぉ」

 機先を制してエンドランの可能性を考慮していると言う事で、相手にエンドランをさせまいとする宮島。一方であえて自らエンドランの可能性を示唆することで、相手にエンドランはないと思わせようとする神城。お互いがお互いに策をめぐらしあい、腹を読みあう。

『(こう言っておけば、初球からエンドランはやりにくいだろうな。だったら最初はこれで)』

 セットポジションに入った新本。まずはプレートを外さず、1塁に素早い牽制。

「セーフ」

 牽制自体・クイック共に上手い新本。変化球中心のピッチングであり、球速も遅い彼女だが、そうした技術が盗塁を難しくしてしまう。

 初球。足を小さく上げた、1年生最速クイックから投球。

「ストライーク」

『(さすが名審判・倉敷。ここを取ってくれるのはありがたい)』

 アウトコースのボールから、ストライクゾーンいっぱいに入ってくるバックドアのスライダー。さすがの神城もここには手が出ない。

 神城は1回、バッターボックスを外して何やらサインを出す。

『(攪乱(ダミー)か? それともマジか?)』

 次を通せば追い込まれてしまう。だとすれば、エンドランを仕掛けるならばここらでやっておきたいところのはず。

『(ウエストしようか)』

 アウトコースに大きく外すボール球のサイン。こんな状況だからこそ、新本はそのサインに首を振らず。

「ボール」

 外側にはっきり外れるボール。神城は動かず。さらに1塁に偽投をしてみるも、三国はやや大きめのリードを取っているだけで動きは見せない。

『(動いてこないか?)』

 結果的に2失点に抑えてきているものの、今日の自分は神城相手に、後手後手に回っている印象がある宮島。やはり慎重になってしまう。

『(けど、どっかで勝負しなくちゃいけないし……行こうか)』

 どこで仕掛けてくるかは予測不能。ならば早いタイミングで追い込んでしまう。

 新本がセットポジションに入る。三国は徐々にリードを広げる。

『(来るか? 来ないか?)』

 まだ不自然な動きはない。

 新本の足が動く。

『(来た)』

 神城の死角に入っているが、スタートを切ったのがわずかに見えた。

『(やっぱり後手後手か)』

 空振りしたら刺す。その意識をしっかり持っておき、ミットをしっかり開いて構える。

「ファール」

 打球は三塁方向へのファールボール。

 いつもは野球経験ある事務員が務めているランナーコーチ。今日は代わりに控えピッチャーが入っているわけだが、控え投手の準備もあって一時的に3塁に入っているのは経営科・新橋。彼の足へと打球が直撃する。

「あっ」

 神城はヘルメットのつばに手をやって謝罪を表す。すると彼は大丈夫と言うように、手を上げて答える。

『(読まれた。けど、これで追い込んだ)』

 バットコントロールの優れる神城であれば、ツーストライクからのエンドランもまだ否定はできない。だが、かなりその可能性は低い。

『(さぁ、勝負だ。新本)』

 狙うは三振のみ。だがここからが非常に長い勝負となった。

「ファール」

 インコース低めへのチェンジアップ。これを明らかなハーフスイングでファールにしてしまう。さらにその次の球。

「ファール」

 外から入ってくるバックドアスライダーを3塁側へのファール。

『(ファールで逃げる気か)』

 神城の得意技であるカット打法。こうして際どい球をファールで逃げ続け、甘い球、もしくはフォアボールを待つ作戦。高校野球では禁止されているが、プロでは禁止されていない事から、プロ基準の土佐野専では禁止されていない打撃である。

『(新本の根負けが早いか、神城のミスが早いか)』

 飛び抜けた制球力を持つ新本だが、それでもコントロールミスがないわけではない。一方で優れたバットコントロールを持つ神城だが、それでも空振りがないわけではない。共に相手のミスを待ち狙う構え。ボールカウント的にやや新本優勢であるが、一度崩れれば一気に突き崩されることもありうるため、この程度の優勢は優勢にならない。

「ファール」

 1球ボールを挟み、2―2と平行カウントの中、続く球もファール。かなり長い勝負。普通のピッチャーであれば、コントロールミスから既に勝負は決まっているであろうから、それだけ新本の制球力が鋭いことを物語る。

「ボール」

 さらに2球のファールの挟んだのち、次の球はボール球。

『(ボールを投げこそすれ、甘く入る球は投げていない。お前の制球には惚れ惚れするけど)』

 宮島はミットを大きく開く。

『(もう、そのボール球すらも許されないぞ)』

 フルカウント。新本が投球モーションを起こすと、1塁ランナー三国もスタート。

「ファール」

『(ランエンドヒットか)』

 ボールならばフォアボールで、1塁ランナーは自動進塁。空振りなら三振ゲッツーにもなりうるが、神城にそれは無いと判断したのか。ランナーを動かしてきた。

『(次で12球目。神城もしつこいな。いい加減アウトになれっ)』

 ここまで変化球でストライクを取ってきた。きっと遅い球に目が慣れているはず。

『(インハイストレート。三振をもらう)』

『(うん。これで決める)』

 セットポジションの新本がクイックモーション始動。ランナーがスタートするが、そんなことなど気にしない。

『(これで、三振ゲッツ――っ)』

 足元にできた穴に足が引っかかった。体勢を崩した新本。そんな彼女の右腕から放たれたストレートは――

「うあっ」

 反射的に回避行動を取るも、神城の頭に直撃するデッドボール。

『101㎞/h』

 土佐野専投手陣の中では速くは無いものの、それでも100キロを超える硬球。緊急事態に球審・倉敷はすぐさまボールデッドを掛け、立川の投球練習に付き合っていた桜田、1塁側ベンチからは救急キットを持った秋原、3塁側ベンチから広川・マネ科の島原が飛び出す。

「いや、大丈夫じゃけぇ」

 少し頭を押さえて倒れ込んでいた神城だったが、すぐに起き上がってヘルメットを確認。

「新本も気にしなさんな。新本ならわざとじゃないじゃろうけぇ」

 コントロールのいい新本だが、猿も木から落ちると言う。わざわざツーストライクから自分の首を絞めることはしないだろうし、そもそも彼女に威嚇球はあっても、ビーンボールを投げる勇気はない。さらに言えば、新本―神城はピーナッツと戦国ゲームで繋がった親友。わざと当てたわけではないと神城は結論を下す。

「えっと、頭部だし……」

 プロならば一発退場も視野にいれるような出来事に、倉敷は他の審判も集めて、新本の処遇を審議しようとするが、

「言ったじゃろ。倉敷。わざとじゃないんじゃろうけぇ、続投でええよ。当てられた人が言うとんじゃけぇ、それでええじゃん」

「神城がそう言うなら」

 新本に危険球退場は宣告せず。デッドボール宣告をするにとどまる。

 スタートを切っていた三国はそのまま2塁へ。頭部デッドボールの神城は出塁し、1アウトで1・2塁のピンチ。

「ほら、神城も大丈夫って言ってるし、新本も気にすんな」

「う、うん」

 神城に謝るためにホーム付近まで来ていた新本。

 彼女の背中を叩いてマウンドへと送り出す。

『(新本は一度崩れると持ち直せないからな……)』

 新本がセットポジションに入ったのを確認して、倉敷はプレイ再開宣告。

『(ランナーは気にするな。ゲッツーに打ち取ってしまえばいいんだ。思い切って来い)』

 デッドボール直後だからこそ、彼女の制球力を信じてここへと放らせる。

『(インコースいっぱい。ストレート)』

 あわよくば詰まらせて内野ゴロゲッツー。見逃されたら見逃されたで、ワンストライクを儲ける。まさか頭部に当てた直後にここへ投げるとは思わないと見る。

「ストライーク」

『(行ける。新本はまだ行けるぞっ)』

 構えたところに来た。バッターの天川は虚を突かれたかのように、のけぞって見逃しワンストライク。

「ナイスボール」

 しっかり声をだして投げ返してやる。その瞬間に見えた表情は、少し動揺があろうが、まだ正気を保っているもよう。

『(アウトコースのチェンジアップ。容赦のないインコース攻めに腰が引けてるから、上手くいけば内野ゴロゲッツーに打ち取れる)』

 宮島の読みに乗ってくれた新本は、セットポジションに入るなり、ランナーに目もくれずクイックで投球。ストレートのように鋭い腕の振りから投げ出されたボールは、ストレートよりも30キロほど遅いチェンジアップ。コースは予定通りアウトコース低めいっぱい。

 天川は体勢を崩されながら、やや遅らせたタイミングで流し打ち。真芯で捉えた打球は一二塁間を襲う速い打球。

『(ヤバい)』

 このままだと抜ける。そう感じたが、紅組のセカンドは地味ながら名手の富山。その打球に飛びついて追いつくと、上体だけを起こし、右ひざを軸に反転。サイドスローで2塁へと送球。

「アウトっ」

 あの際どい打球から、俊足の神城を殺すファインプレー。さらに2塁カバーに入った原井は、1塁ベースカバーに入ろうとする新本へと送球。1塁ベース手前でボールを受けた新本は、バッターランナー天川と競争。ほぼ同時にベースを踏む。

「セーフ、セーフ」

 吉川の腕は両サイドに開いた。

『(げ、ゲッツー崩れかよ。やっちまったぁ)』

 可能なことならば避けたかったケースに持ち込まれた。

 2塁で神城を封殺して2アウト。なんとかそこまでこぎつけたものの、3塁に三国、1塁に天川を置いた大ピンチ。

『(まずいな……この状況)』

 宮島にはここが危機的な状況だと心当たりがあった。

『(因縁の対決なんだよな。ピッチャーと、ランナーで)』

 このピンチ。新本はなんとかランナーを気にしないよう、ロージンバックに手をやろうとするも、ふと意識してしまったその時、3塁の三国と目が合ってしまう。

 それによって湧き上がる過去の記憶。


 大阪北部エリア中学野球大会決勝。

 エース新本を要する野球部は、何度も全国の地を踏んでいる強豪と衝突。0―0の投手戦となっていた試合は、一向に動かずに延長8回の表。

 ついに試合が動く様子を見せていた。

 ここまで1人で投げ抜いて来た新本は既に疲労困憊。この回の先頭であるエース・三国を歩かせたあげく、バントやエラーを絡ませて1アウト1・3塁。

「ふぅ」

 軽く気持ちを落ち着かせる目的でロージンを手の上に乗せ、センター側を向いて目を閉じ深呼吸。

 ダブルプレーを取ってしまえば無失点。

 次のイニングで自分が打てば全国。

 夢の舞台はもう目の前。

 様々な思いが脳裏に飛び込んできて、それ以外の情報が彼女の頭に入る隙を与えなかった。ピンチであることによる緊張感も、彼女を苦しませていた疲労感も、そして――

「――と、新本っ」

「あっ」

 チームメイトの声も。あわてて振り向いたその時には、スタートを切っていた3塁ランナー・三国がホームへ滑り込んでいた。


 そこで入ったその1点。そのわずか1点。それで自分がその手につかみかけた全国を離した。

 抑え込もうにも、その記憶が止まらない。むしろ抑えようとするほど湧き上がってくる。

「倉敷、タイム頼む」

「タイム」

 推測から彼女の心理状態は理解している宮島。要するに三国が『サヨナラホームスチール』と話を盛っていた『決勝ホームスチール』の正の思い出。それは同時に、対戦相手であった新本に深い傷を残した負の思い出でもあったのだ。

「新本」

 顔を見せないように、そしてランナーを見ないように俯く新本。宮島には今、彼女がどんな顔をしているかは分からない。だが、表情に出やすい彼女の事だ。かなり動揺しているに違いないと確信する。

「新本。お前の中学時代」

 それを彼が言った瞬間に新本の心臓が跳ね上がる。わざわざ彼女の踏み込まれたくない領域に踏み込んできたのだ。それこそイップスやトラウマと言った次元の話に。

「三国の『決勝』ホームスチールで散ったんだってな」

 間違ってサヨナラと言わないように、決勝はしっかり発音。

「だけどな、そんなこと気にすんな。お前には僕がついてんだ。埼玉県のナンバー2がな」

 ナンバー1でないのは惜しいが、埼玉ナンバー1は現・2組正捕手の西園寺。強肩強打の捕手と比べれば、見劣りするのは仕方ない。

 その程度で彼女の心をクリーンにできるとは思っていない。焼け石に水かもしれない。けど、もしこの程度の水で、焼け石の温度を1度でも、いや0.1度でも落とせたなら、それは彼にとって大きな意味を持つ。

「いくぞ、新本。お前だけじゃない。僕らで、お前の過去の因縁を断ち切るぞ」

 結局、一度も目を合わせる事の無かった新本。彼女の背中を思いっきり叩いて、自分の定位置へと戻っていく。

『(泣いてないだけ上々だ。新本。お前ならいける。僕は信じてるぞ)』

「倉敷、OK」

「はい。プレイ」

 球審に合図をすると、プレイ再開。4番の鳥居がボックスに入り、試合が再開する。

『(まずは外に外そう。今日の鳥居は、真ん中~内側は打ってくる)』

 緊張の面持ちの新本はセットポジションに入るなり、3塁ランナーを一瞥。

「新本っ。思いっきり来い」

 ミットを全力で叩き、ランナーから意識を外させる。

 それでも緊張した彼女の心は乱れ続ける。

「ボール」

 ストレートが地面に叩きつけられる。普通のキャッチャーであれば後逸していたであろう投球も、宮島は簡単に捕球。

『(案ずるな。お前のストレートなんか、旧・長曽我部のノーコンストレートに比べれば可愛いもんだ)』

 慣れとは怖いものである。

『(天川はっと)』

 そして1塁に向けて偽投。

『(あいつも結構、ここ最近の走塁意識は高いんだよなぁ。なんでか知らんけど)』

 バトルアクションもののアニメで、主人公の走っている姿がかっこよかったと言う理由なのだが、もちろん宮島がそれを知る由もない。

『(しゃあねぇなぁ。やってみるか)』

 宮島は続くサインを送る。アウトコース低めへのストレート。

 ここまでのストレート押しは今日の彼女には合わないはず。だが正常な判断能力を失いつつある彼女は、完全に宮島の言いなり状態。投球モーションへ。

『(さぁ、こい、新本)』

 新本の一投。またも大きく外側へと外れる球。それでも宮島なら捕れなくもないであろうボール。それを宮島が弾いた。

『(よし、弾いた)』

 1塁ランナー・天川がスタート。

 だが、神城は宮島の動きに違和感を覚える。

『(まずい。これは宮島の罠かもしれん)』

 意外と彼の処理がもたつく。少し遅れてボールを拾い上げた宮島は、指が上手くひっかからなかったのか、2塁へと緩めの送球。これでは2塁ランナーは刺せない。

『(悪いなぁ、新本。中学以来、2つ目っ)』

 このタイミングならディレードスチールが決まると判断した三国もスタート。

『(きた、ホームスチール)』

 ところがここで宮島の策が発動する。

『(前園。お前ならできる)』

 ここまでしこたま前園の守備に助けられてきた。普段の速い2塁送球なら分からないが、この緩い送球ならやってくれると判断してホームベースカバーへ。

「行くぜっ、宮島っ」

『(よっしゃ。ナイス、前園。予想通り)』

 2塁送球をベアハンドでカット。さらに間髪入れず、ホームにめがけてランニングスロー。

「うそっ」

 まさかそんなことをやってくるとは思わなかった三国が、急いでホームへと突っ込むが、準備万端で本陣を守る鉄壁・宮島を崩せはしない。捕球した宮島は左足で三国のホーム突入をブロック。すかさず叩きつけるように大げさなタッチ。

 ホームベース手前わずか10数センチ。宮島のブロックに阻まれ、三国の足はホームベースへと届いていなかった。

「アウトっ」

 その好プレーに球審・倉敷も大きく腕を振り降ろしながらのアウトコール。

 本塁憤死。

「なんか、凄いのを見た気がするなぁ」

 アウトコールの後でつぶやく倉敷。

「わざと?」

「もちろん。あの程度、僕なら暴投にならねぇって。今のは偽装パスボール」

 さすがにストライクゾーンの球をパスボールする気はなかったが、3塁ランナーを置くと制球の乱れる新本。ボールに外れる可能性は高いと見た。そこでわざとボールを落として1塁ランナーを釣り出した。だけならそれで1塁ランナーを殺す策かと思われそうなため、あえて1塁ランナーはアウトにしない。ギリギリセーフのタイミングで2塁に投げ、ここぞとばかりに突っ込んできた3塁ランナーを、名手・前園との連携で殺す。

 ホーム―2塁間の長さから言って、天川がワンミスで2塁を狙ったのは不思議ではない。つまりここは三国の無謀走塁が原因だ。普段の彼ならこのようなミスはしないが、彼に植え付けられた新本に対する成功体験が、この場でのスタートを後押ししてしまったのだ。

 この場を乗り切った新本は、電池の切れたロボットのように一時停止したのち、喜びもせずに固まった表情でマウンドを降りる。

「ナイスピッチ。新本。無失点だ」

 それをちょうど本一塁間のライン上で出迎える宮島。ミットを突き出してハイタッチの構え。そこへ状況を理解していない顔で、呆然としながら、むしろ軽く触れたという方が近いハイタッチ。

「だから言っただろ、新本。お前には埼玉ナンバー2の名捕手が付いていると。お前の過去の因縁を断ち切ると」

 彼女の背中を叩きながら、並んでベンチへと戻る2人。その道中で新本はふとバックスクリーンを振り返り、7回の裏に刻まれた『0』を確認。

「おっしゃぁぁ。ナイスだったぜ、2人とも」

 その2人の間へと割って入る前園。右腕を宮島の首元に回し、左腕を新本の首元へと回す。

「その言葉、3倍くらいに増幅して前園に返してやるよ」

「だったら4倍」

「じゃあ5倍」

「あぁ、もういいや。しつこい」

 3倍の4倍の5倍。つまり最初の60倍にして返してやった宮島は、右手で「勝った」とガッツポーズ。

「な、新本。僕ら(・・)で抑えるって言ったろ?」

 話の流れからしてその僕らとは宮島・新本のことのように思えるが、彼の言いたかった本当の僕ら。それは大川、横川、三満、前園ら内野陣、そこに加えて佐々木、寺本、大野ら外野陣。彼女の前だけではなく、後ろにもみんながついているのだ。

「お……」

「お?」

 ようやく口を開いた新本に、前園がつい聞き返す。すると、

「抑えたぁぁぁぁぁぁぁ」

 急に両腕を突き上げ、飛んで跳ねての大騒ぎ。自らベンチに飛び込み、秋原や本崎らとハイタッチをかわし、さらにベンチ内を右に左に走り回る。

「なんだ、あれ?」

「う~ん。しいて言うなら……」

「しいて言うなら?」

「過去の因縁からの解放かな?」

「わっかんね」

「別に知らなくてもいいって。あいつだけの問題だし」

 プロローグを知らないだけに、エピローグだけ語られても意味不明。前園はもう考えるのが面倒くさいと、思考放棄してベンチ内へと入っていく。

「かんちゃん、お疲れ様」

「どうも」

 マスクとヘルメットを秋原に預け、代わりにスポーツドリンクと冷えたタオルを受け取る。

「それにしてもかんちゃん、本当に上手いよね。イップスと言うか、PTSDと言うか、それに近かった新本さんを復活させるなんて」

「イップスやらPTなんちゃらと言うよりは、トラウマってとこだったけどな」

「そ、そうだね。うん」

 PTSD=トラウマなのは黙っておく。

「でもこれで大丈夫かなぁ? 3塁ランナー恐怖症」

「あれ? 気付いてた?」

「うちには優秀な情報処理分析官がいますから」

「分かってるなら教えてくれればいいものを……」

 秋原が指さす先はバックネット裏の放送室。

 たしかに彼なら過去の試合から新本が崩れた状況を解析。共通因数である『3塁ランナー』を導き出すのは十分に可能であろう。

「イップスの回復には、成功体験の蓄積が重要って言うけど、案外あっさりだったね」

「新本って変に神経使うけど、変に単純だからなぁ」

「そう言えば以前だけど、長曽我部くんのイップスも直してたよね。イップス治療の名医?」

 秋原に言われて昔を思い出す。あれは入学してすぐの頃。いまいち制球の定まらない長曽我部に対し、練習にしっかり付き合って克服まで導いたのだ。

「いや、みんな簡単にイップス、イップス言うけど、あの時のあいつはただのノーコン。練習不足」

「そうなの?」

「そう。間違いない」

 特にあの長曽我部にイップスは似合わない。彼の悩みの大半は、『練習不足』『根性不足』『気合不足』と、スポコンマンガの代名詞を並べておけば解決するだろう。

「新本がラッキーセブンを抑え込んだ。そう、天の加護は我らにあり。今こそ我らが力を見せる時なり」

 監督としてみんなに気合いを入れようとする立川。しかし彼のあまりにも痛い話の内容に、みんなどう反応をしたものかと戸惑う。

「立川。それ、みんなついて行けないからやめようぜ。よっしゃ、じゃあキャプテンが気合いいれっぜ。新本に続け。逆転するぞ」

「「「おぉぉぉぉぉ」」」

 宮島にはつき従う一同。バッターボックスに向かって歩いていた大野も、右腕を突き上げて答える。

「くっ、さすが隊長。拙者ごときでは敵わぬか……」

 バットを刀のように腰で持ち、片膝をついて項垂れる立川。なお、周りのメンバーはそれを無視する方向性で意見を一致させた。

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