第3話 弱小クラス
「さすがに慣れるまではきついなぁ」
「そうか?」
「そうか? って宮島はピッチャーを全員相手にしとるけん。他人の何倍も働いとるが」
宮島・長曽我部、それに加えて神城は木曜日の夜に宮島の部屋に集まり、近くの格安スーパーで入手したジュースを片手に飲み会。3人が目のやりどころに困って向けている先は、プロ野球の中継が映し出されたテレビである。
長曽我部はコップの中でオレンジジュースを回しながらため息を吐く。
「しかし何が悲しくて野郎3人で飲み会しなくちゃいけないんだ……」
「お前が言ったんだろうが。初先発決定記念の飲み会をするって」
実は今日の昼、今週末の学内リーグ初試合の先発予定が発表された。神城が3番ファーストで、宮島は7番キャッチャー。そして9番で先発投手は長曽我部。
「1番打ちたかったなぁ。中学時代から慣れとるけぇ」
「僕は、9番はピッチャーだから仕方ないとして8番がよかった。中学時代は4番だったけど、さすがにこの面子の中ではバッティング自信が無いんだって」
さらに別の理由で他の2人もため息を漏らす。
「俺は文句ねぇよ。開幕投手なんて名誉だし。そんなことよりなんで野郎ばっかりなんだよ」
「さっきからそれしか言ってないじゃん。そんなにハーレムが良ければ、共学化したばっかりの元女子校にでも進学しろよ」
「そう言う意味じゃないんだよ。誰か女子呼ぼうぜ」
「呼んで来そうな人って誰かおった?」
神城が問いかけると、宮島が最初に閃いた。
「新本とか?」
「あと秋原は……あまり話したことないな。俺、女子とは本当に接点ないし」
『(秋原? 秋原って誰だっけ?)』
宮島は野球科のメンバーは全員覚えているが、野球科以外と他クラスに関してはまったくと言っていいほど覚えていない。彼が知っている女子と言えば新本のみである。
「どうしてもって言うなら新本でも呼ぼうか? 僕が思うにあいつ結構人懐っこい性格してるし、呼んだらひょこひょこ付いてくると思うけど。個人的に女子を呼ぶのはハードル高いけど」
「やめた方がいいじゃろぉ。むしろ女子がおったらどっちものんびりできん」
「だとよ。長宗我部はそれでいいか?」
「くそぉぉ。むさ苦しい」
「「はい、はい」」
酔いどれオヤジをあしらうように適当な返事。神城は同時に「このジュース、アルコール入っとんじゃない?」と独り言のように言いながらジュースの成分表示を確認。当然アルコールは入っていない。
「おっ。外野の間抜けた」
「そうじゃなぁ。これはツーベで、ランナーも全員帰るじゃろぉ」
頭を抱えて騒いでいる長曽我部をよそに、2人はなんとなく野球中継をみつめる。
「あ、今の誤審じゃろぉ。足がしっかりはいっとるって」
「そうかぁ? ブロック決めて防いでたように見えるけど?」
野球と言う共通の趣味があると言え、さすがに野郎ばかりでは話も膨らまない。先のプレーが誤審か否かと、普段では特に興味もない事を過剰に踏み込んで議論をかわす。
「それよりよぉ、今週末の試合の事だけど」
「長曽我部、話の転換が急過ぎじゃろう。たしかに今日はそれで来たんじゃけど」
「あれだろ。いろいろ考えてたら空しくなって現実逃避し始めたんだろ」
宮島は空になったコップにジュースを注ぎながら答える。さらにその後、どうせならと神城のコップにも注ぐ。
「うるせぇ。俺はただ純粋に次の試合の事が――」
「はいはい。そうですね。それでどうしたよ?」
「この野郎……あのさぁ、サイン。決めてなかった気がした」
「サインねぇ。輝義。じゃあ僕が今から教えるからしっかり覚えろよ」
「任せろ」
ジュースを飲みながら手を前に出す宮島。その手は開かれている。
「パーはストレート」
「ふむ、パーがストレート」
続いて握り拳を作る。
「グーが直球」
「グーが直球っと」
そして二本指。
「チョキが速球」
「チョキが速球か」
しっかりと頭に入れる長曽我部の一方で、神城は2人に背を向けて笑いをこらえている。発言者の宮島は当然分かっているようで、長宗我部は何も疑問に思わず虚空に向かって暗唱を繰り返す。
それから1分ほど宮島は真顔で、神城は笑いをこらえたひきつった顔で、長宗我部はなお天井に目線を向けて暗唱を続けていたが、ふと長曽我部が気付く。
「――が直球で、チョキが速球で、ってあれ? ストレートと直球と速球って……一緒じゃね?」
「「気付くのが遅い」」
特に複雑な言い回しをせずストレートな言い方であったものの時計の長針は1周。遅いというレベルではない。
「なんだよ、お前。マジの話してるんだから、マジで答えろよ」
「とにかくお前はストレートしか投げられないんだから、ミットめがけて思いっきり投げてこい。以上」
「くくく。ストレート一本槍って野球漫画の典型的主人公みたいじゃなぁ。そのうち努力がどうこう、才能じゃないとか大演説するんじゃろうけぇ、ボイスレコーダー持ってってった方がええなぁ」
「やめろ。そんな小恥ずかしい事言わねぇし」
机を盛大に叩きながら大笑いの神城。さすがに長曽我部は恥ずかしかったのかやや視線を下向きに逸らす。
「まぁまぁ、このバカも間違いたくて間違ってたわけじゃないんだからほどほどにな」
「絶対殴る」
「いいのか。僕、4組唯一のキャッチャーだっぺ? 投球練習、付き合ってやらないっぺよ?」
「なんで妙な方言かは知らないけど、マジですみませんでした」
朗らかな雰囲気のペナントレース開幕2日前。
しかし希望と期待に満ち溢れたこの良い雰囲気も、数日も経たぬうちに打ち砕かれることとなるのであった。
土佐野球専門学校学内リーグ戦。通称ペナントレース。学年ごとに2つのリーグに分かれ、4クラスが4月から10月まで7か月で、54試合のリーグ戦を繰り広げる。1年生の入学から2週間が経ったある日の1年生リーグ順位表は以下の通り
1位 1組 4勝 0敗
2位 2組 3勝 1敗
2位 3組 1勝 3敗
4位 4組 0勝 4敗
4試合が終わって最下位。それも純粋な勝敗数だけでなくスコアも問題であった。
1試合目 対1組 16―0
2試合目 対1組 17―0
3試合目 対2組 12―0
4試合目 対2組 13―1
全試合が2桁得点差での敗北。それもうち3試合が無得点という事態である。そして2週間も経つと、ある情報が1年生の間で流れ始めた。それは去年の1年生リーグ、現・2年生たちの順位表である。
1位 1組 40勝 14敗
2位 2組 31勝 21敗 2分
3位 3組 26勝 27敗 1分
4位 4組 9勝 44敗 1分
これから導き出された噂は1つ。
1組は優等生クラス。一転して4組は落ちこぼれクラスなのではないかというものだった。
学校はその事を否定こそしないものの肯定もしていない。むしろその曖昧な対応が4組を見下すような意識に繋がりつつあり、4組であるというだけで直接的ではないが馬鹿にされたり、逆に1組はもてはやされたり。さらに完全に4組の空気が乱れ始め、チームの輪にも影響が出る。その不穏な空気はさらに4組を乱れさせ負のスパイラルに突入させ、次第に悪化していく。
入学後第3週、5試合に続き6試合目も大量得点差での敗北を喫し、これで6連敗。一方で優等生と噂される1組は6連勝中である。
「くそっ」
試合後、暗い雰囲気が漂うロッカールームに大きな金属音が響き渡る。誰かがロッカーを力いっぱいに蹴ったのである。
「なんで勝てないんだよ。ちくしょう」
彼を諌める者はいない。皆、同じ心境であるからだ。
リリーフ陣が弱い、決定力が無いなど、ただ詰めがギリギリで勝てないだけならまだ納得ができる。しかしこれまでの全試合、序盤から終盤にかけて攻めきれず守り切れていないのだ。マウンドに上がる投手がことごとく打ちこまれ、打席に立つバッターが次々に打ち取られる。
それは万年最下位球団が常勝球団に勝負を挑むようなものではない。
甲子園大会に出場する私立強豪校と、1回戦突破を目指す趣味程度の公立高校が勝負しているようなものだ。
同じレベルの中で微妙に違うのではなく根本的にレベルが違う。まだ1~3組から選抜した最弱メンバーとの試合ならば勝てる可能性もわずかにあろうが、本気の勝負であれば圧倒的な差を付けられる。
4組内でエース級と言われる長曽我部ですらクオリティスタート、つまり6回3失点以下すら果たすことができないのだ。エースですらそれなのに、他の投手陣に抑える事ができるわけがない。新本の場合、ランナーを背負った途端にフォアボールでピンチ拡大。タイムリーを浴びて大泣きがいつもの事。彼女を始めとしてリリーフ陣は完全崩壊状態。一方の守備も打ち取った当たりがなぜかヒットになることも珍しくない。
守備だけではない。攻撃でも問題点を抱えている。
打席数の少ない投手陣や代打専門を除いた選手で、出塁率4割を越える選手は約5割の神城のみ。打率は2割台中盤が最高で全体的には2割前後に落ち着く。宮島に至っては守備偏重のポジションとは言え、まがりなりにもレギュラーがここまでヒット数はわずか1。そのヒットもエンドランで大きく空いた一二塁間を偶然に打球が抜けたものである。
そうなると選手は皆、自分ではなく人に責任を押し付けたくなるものである。
「誰だよ。2回もチャンスを潰した奴」
「なんだと。もういっぺん言ってみろ」
「何度だって言ってやるよ。お前があそこでチャンスを生かしていれば2点は取れたんだよ」
「ふざけんな。お前は牽制死しやがって。あれでチャンスメイクできなかったんだろうが」
野手同士の間でも、そして点を取ってくれないと喚く投手と、抑えてくれないと文句を垂らす野手の間でも一触即発の空気が漂う。その中で宮島がとにかく仲裁に入る。
「まぁまぁ、落ち着けって。みんな悪いところがあるし、それなら各々不満は相殺でいいじゃないか」
しかしその仲裁はまずかった。怒りの矛先が変わったのだ。
「うるせぇ。それを言ったら宮島が一番の敗因だろうが。打率0割台が偉そうにしてんじゃねぇよ」
そこを突かれたら反論はできない。打てていないのは確かなのだ。
宮島は完全に野手陣から敵に回され、野手である以上、投手陣からも敵に回される可能性もあった。ところが一転、
「ふざけんなよヘタレ野手ども。宮島はなぁ、自分の練習時間を割いてまでボールを受けてくれて、試合では俺たち投手陣を必死でリードしてくれてんだよ」
「そうだ、そうだ。こいつを悪く言ったら、投手全員を敵に回すことになるぞ」
「宮島ぁ。俺たちはお前の味方だからな」
『(かばってくれるのは嬉しいけど、お前ら、僕が自分の練習時間を割いてるって自覚あったのかよ。自覚なしよりたち悪いな、オイ)』
喜んでいいのか、落胆したほうがいいのか。よく分からず宮島は心の内で疑問に思いながら口を閉じた。
宮島と言う野手でありながら、投手陣を統べるポジション。そこを巡って投手陣と野手陣の対立が過激さを増す。神城を含む少数は更衣室の端の方で傍観者ポジションになるにとどまっているが、それでも大多数は対立中である。
「結果、抑えられてねぇじゃねぇか」
「むしろこれでなんとか抑えてんだよ」
あと1分もすればケンカになりそうなヒートアップっぷり。2つの勢力が完全に分断され決裂しかけたその時、大きな声が響き渡った。
『そんな元気があるなら、試合で出せや。この敗者どもがぁぁぁぁぁぁ』
ただでさえ大きな声が拡声器でさらに大きくなり、全員の鼓膜を破らんとする。
ドアのところに仁王立ちしていたのは監督・広川。
「あーだこーだ野手、投手で文句言うな。野手は野手でピッチャーが抑えてくれないって言うなら、取られた以上に点を取れ。それが無理なら必死で守れ。ヒットを無理やりにでもアウトにしろ」
100点取られても101点取れば勝てるのがスポーツの世界。どれだけピッチャーが打たれようと、野手がすべての打球をアウトにできれば無失点で切り抜けられる。勝てない原因は101点取れない、そして打球を全てアウトにできない野手にもある。
「ピッチャーは野手が守ってくれないって言うなら、捕手しか信頼できないって言うなら27人全員を三振に取れ。捕手も信頼できないなら、27人全員をピッチャーフライに切って取れ。それで点は自力で取って1対0で勝て。なんのためにピッチャーを打席に立たせていると思ってんだ」
そして投手もまたしかり。投手に至っては打ち取り方次第、そして自分の打席結果次第では1人で勝つこともできる。それができないのはまた投手の問題。
広川の喝に意気消沈した野球科男子。
野球を知る者としてかなり強引な意見。だが反論しがたい意見でもあった。
「わ、悪かったよ……しっかり守ってやれなくて」
「こっちこそごめん。ピッチャーだって打席立つし、無得点なのは野手だけの責任じゃないよな」
クラス内の対立はいまだキャラの固まっていない広川の極論によって、青春ドラマにおける河原での殴り合い的エンドに似た終焉を迎え、なんとか和解。すぐにそのわだかまりが消える事はなかったが、思いのほか早く元に戻ることとなる。
「だいたい、お前らの敵は他クラスだろ。内部で敵作ってどうすんだよ。まったく」
そうして一時的にとはいえ問題を脱したかのようににも思えたが、4組の学校内における劣等感はまだまだ脱せなかった。なにせ勝てないのはチームではなく個人の責任であると意識が変わっただけで、勝てない事実は変わらないのだから。
7/17 修正です
第3試合,第4試合の対戦相手は3組ではなく2組です