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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第3章 超女子プロ級投手
33/150

最終話 体は資本

 6月下旬。少し前まで非常に涼しく、時期不相応にも未だに冬服ブレザーを羽織っていた人がいるほど。また今年はかつてないまでの冷夏ともうわさされており、このままこの涼しさが続くかと思われていた。

 ところがある日……

 気温が一気に跳ね上がり、真夏とは言わないが急激に暑くなり始めた。

「うへぇ、みんな、よくこんな中で練習できるよね」

 転勤族で沖縄にいたこともある秋原。しかしそれほどいた期間も長くなかったこともあり、彼女もなかなかに耐えがたい様子。半袖シャツ、スカートという涼しそうな格好。また日陰にいるにも関わらず、その体には汗が浮かんでいる。

「ほんとうだ。やっぱ、頭脳労働が自分には合ってるや」

 少年野球・中学野球と経験のある高川だが、彼にもこの暑さは辛そうだ。

「冷たい飲みもの、準備しておこうかな? ウォータージャグの中、何も準備してないでしょ?」

「だな。俺も手伝うよ」

「そう? じゃあ、私が氷を準備するから、高川くんはロッカールームからスポーツドリンクを持って来て」

「OK.5本あれば足りるかな?」

「5本って事は、10リッターでしょ? 十分じゃない?」

「10リットルとなると、さすがに重いでしょう。私も手伝いますよ。あ、時に今朝、職員会議がありまして、学年末のクラス間移籍について、トレード対象の立候補制度が可決されたんですよ。詳しくはこれからルール決めしなければいけませんけどね」

「「へぇ~」」

 野球科の一同がシートバッティングをしているのを眺めつつ話し合う2人。そこに広川も加わって、雑談をしながらベンチ裏へと消えていく。

 今は投手陣がバッティング練習中。それも普段使わない筋肉を使い、体のバランスを保つため、いつもとは逆のバッターボックスに入っている。

「よし。いい感じぃ」

「はい、ラス1~」

 ようやく不慣れな左バッターボックスに慣れ始め、快音を響かせ始めた長曽我部。新本が投げた本気のストレート。それでも100キロ程度のラストボールを、長曽我部は真芯で捉えてセンターへ。

「よし、ヒットぉぉぉ」

「残念でした~」

 ヒットを確信した長曽我部だが、今日のセンターは練習がてら神城。快足を飛ばしてあっさり追いついてしまう。

「うわぁ。なんだあの守備範囲。ぶっちゃけ、神城って、ファーストよりセンターの方が上手いよなぁ。いや、あれだけキャッチングセンスの高いファーストは、内野はやりやすいんだろうけどさぁ」

「ははは。そうだな……」

 バッターボックスからの離れ際、キャッチャーをやっていた宮島を振り返って愚痴のひとつもこぼしてみる。しかし宮島の反応はあまりよくない。神城の守備云々ではなく、根本的に練習前のような元気がない。

「神主? どうした。元気ないぞ」

「気のせいだろ、気のせい」

 一転、しっかりした声を出して長曽我部の肩を叩こうとする宮島。ところがその手は長曽我部の肩をかすめ、急にバランスを崩す。

「お、おい」

 反射的にバットを捨てて宮島を抱える。

「だ、大丈夫、大丈夫。ちょっとふらついただけで……」

「どこが大丈夫だよ。顔色悪いぞ。新本、広川さんを」

「う、うん」

 キャッチャー防具を付けた宮島を、次に打席へ入る予定だった友田と共に抱える。その一方でマウンドを降りた新本は、女子ながら1年全投手最速と言われる快足を飛ばして1塁側ベンチへ。

「先生、先生、先生、先生、先生、せんせぇぇぇぇぇ」

「何かありましたか?」

 新本の甲高く遠くまで通る声を聞きつけ、やや速足で戻ってきた広川。

「宮島くんが倒れたぁぁぁぁぁ」

「な、なんだって!?」

 倒れてはいないのだが、新本が『転倒した』と言う意味合いで倒れたと言ってしまったため、究極に勘違いする広川。その場へ、宮島を背負った長曽我部が駆けこんでくる。

「広川さん。神主――宮島が」

 とにかく広川や新本と協力してベンチに寝転がせる。

「これは……熱中症でしょうか? 長曽我部くん。そこの団扇で彼を仰いでください。新本さん。おそらく男子ロッカールームにいる秋原さんと高川くんにこのことを伝えてください」

 額や体を触って判断した広川は、いままで見せた事のない緊迫した表情ですぐさま指示を出す。

「とにかく、服をゆるめましょう」

 まずは宮島の付けていたキャッチャー防具を全て外す。そして、ユニフォームのボタンを外して服をゆるめ始める。

「友田くん。このタオルを水で濡らして、彼の体を拭いてください」

「は、はい」

 自分のタオルを友田に渡して、彼にも指示を送る。

「か、かんちゃぁぁぁん」

「宮島っ」

 そこへ、新本から伝言を受けて飛び込んできた秋原と高川。

「広川先生。かんちゃんの状態は?」

「おそらくは熱中症です。宮島くん。吐き気は?」

「す、少しだけ……」

「なるほど。でしたら水分は取らせない方がよさそうですね。秋原さん。顔色も悪いようですし、彼の足を高く上げてください」

「はい」

 手元にあった適当なものを集めて、宮島の足下に置いて足を上げる。こうすることで血を頭の方へと回そうと言う判断である。

「それと……高川くん。救急車、お願いします」

「分かりました」

 高川はポケットから携帯電話を取り出すと、静かなベンチ裏に入って電話をし始める。

「ひ、広川さん。救急車はいいです。それに、だいぶ良くなりました」

「いけません。どうみても体調悪そうです」

 起きようとした宮島の肩を押し、ベンチへと寝転がせる。

「小中では、気合いが足りないとか、根性が無いとか、そういうことを言われてきたかもしれません。ですが、何も恥ずかしい事はありません。熱中症は根性論関係なく、体の正常な反応です。無理をしてはいけませんよ。それに、プロになりたいのなら、調子が悪い時は潔く休みなさい。その場の短期離脱を惜しんで長期離脱に繋がっては、それこそチームの迷惑ですよ」

「……はい」

「みなさんも分かりましたね」

 広川は、自然とベンチ前に集まっていた全員にも言い聞かせる。

「体調が悪い時は、すぐに休んで構いません。それと、必ず教師や事務員、マネージメント科生に伝える事。教師や事務員は、ちょっとした傷病には対応できるよう勉強していますし、マネージメント科生も、そうしたことは入学直後に習います。ですよね。秋原さん」

「はい。プロには及びませんけど、熱中症やちょっとした外傷くらいの対応なら」

「もう一度言います。調子が悪い時、休むのは何も恥ずかしくはありません。それと、水分補給を忘れないように」

「「「はい」」」

 一同そろっての返事。直後に近くから救急車のサイレンが聞こえ始める。

「え? も、もう?」

 長曽我部は驚いたような顔でその音が聞こえる方を向く。

「土佐野専マネージメント科の民間救急車です。ひとまず土佐野専病院に送ってもらいます。もしそこでも対応できなさそうなら、地元の病院に搬送してもらいます」

 それから約3分後。ライトポール右にある門から、赤色灯を回して救急車が入ってくる。そして1塁側ベンチ前に停車すると、後ろのドアが開け放たれる。

「お待たせしました」

 そこから飛び出してきたのは、看護師免許を保有するマネージメント科の女性教員・滝原(たきはら)

「見た感じ……広川さんの判断通り、熱中症だとは思いますが。とにかく、ウチに搬送しましょう。加賀田(かがた)先生が処置の準備していますので」

 そして病院では、マネージメント科の男性教員、医師免許を持つ加賀田が受け入れ態勢を整えているとの事。こうなればもうゆっくりしている必要性などない。

 同乗していた救急救命士や広川と共に、宮島をストレッチャーの上に乗せ、救急車の中へと押し込む。

「ははは……なんか、たかが熱中症で大事になっちゃいましたね」

「宮島くん。熱中症で死ぬ人もいます。甘く見てはいけません。大事に見えるのは、今までが軽視しすぎだっただけです。では、ここは野手キャプテンの神城くん。あとはお任せします」

「はい」

 神城の元気な返事を待たず、広川が言いたいことを言いきった時点で救急車のドアが閉じられる。そして即座にサイレンを鳴らし、車両を反転。空けたままのライトポール際の門から球場外へと飛び出していく。

「う~ん、本当に大丈夫なんじゃろうか?」

「加賀田先生、大学病院で医師をやってた有名な先生らしいから大丈夫だと思うよ?」

「なんでそんな人がここで先生やっとん? 大学病院の方が給料も待遇もええじゃろう」

「加賀田先生の息子さん。野球の試合で胸に打球を当てて、心肺停止で亡くなったんだって。だから、できる限り他の人にはそんな思いをさせたくないって、ここに来たって。それもこの学校ができる聞いて、志願したんだって言ってたなぁ」

 野球は事故の多いスポーツである。

 スポーツにありがちな熱中症を始め、クロスプレーにデッドボール。加賀田医師の息子の死因である、打球直撃による心肺停止。胸でなくても頭への打球直撃も危険だ。

 元プロや、元高校・大学球児の多い土佐野専の教員・事務員。そして彼らの共通点としてあるのは、野球が好きである事。何よりもその好きな野球で、誰かが死ぬところ、苦しむところを見たくないのは、彼ら彼女らの隠された共通の思いでもある。

 だからこそ1年生のマネージメント科生には、入学してすぐに救急の授業を行う。教員や事務員にも、簡単な処置の方法を学ぶことを義務付ける。そうして野球科生を事故や怪我から守っているのである。

「よし。それじゃあ、練習しようや。宮島も、自分のせいで練習が中止になったって知ったら、責任を感じるじゃろうけぇ」

「そうだな。良く言ったぜ、野手副隊長。みんな、水分補給を忘れるなよ。そして、疲れたら休むのも忘れるなよ。僕らの背中は、きっとマネージメント科が守ってくれるぜ」

「せ、背中は守らないけど、バックアップは任せて。とりあえず高川くん。スポーツドリンクの準備」

「野球科のみんなもそうじゃけど、マネージメント科生も気を付けにゃいけんよ? 結構、重労働なんじゃろ?」

 野球科生の体調管理に目が集まる中、それをサポートするマネージメント科生の体調管理にも目を向ける神城。

「うん。ありがとう。私たちは私たちで、しっかり体調管理するから、みんな、頑張ってね」



「そういうことじゃけぇ、宮島が運ばれた後も、普通に練習したんよ」

「そりゃあ、僕が倒れたくらいで練習を中止なんて、プロになろうってヤツにしてはダメだろうよ」

 そろそろ昼時。神城が昼食ついでに宮島のいる土佐野球専門学校附属病院へ。

 病院と言っても全3階の建物。最低限の処置は行える治療室はあるが、一般の病院と比べると心もとない。それでも一応、病院としての定義は満たしており、国からも病院として認可を受けているとのことだ。

「不謹慎じゃし、宮島には悪いけど、ちょうどえかったじゃろ」

「なんでだよ」

「みんな本格的な夏を前に、体調管理について考え直す機会を得たけぇのぉ」

「そりゃあそうか」

 自分が倒れたのが丁度いいと言われ、ちょっとくらい怒鳴ってやろうかとも思った宮島だが、そのように言われると、たしかに丁度よかったとも思えてしまう。

 神城はクーラーの効いた個人用病室で涼みつつ、宮島の手元にあったリモコンでテレビの電源を入れる。

「なんじゃろうなぁ。ワイドショーも、今まで散々『今年は冷夏です』って言ようたのに、急に暑い暑いって言い出したなぁ。各地でも熱中症での救急車の出動要請も多いみたいじゃし」

「そうですね。この暑さ。不測の事態だったのでしょう」

 病室のドアを開けると同時に、自然な流れで神城の話に入ってきたのは広川。

「宮島くん。加賀田先生によると、今日はここで一泊していきなさいとのことです。外出はしてもいいですが、食事の時だけだそうです」

「えぇぇ、入院ですか?」

「まぁ、そういうことです」

 それを聞いて不満そうな宮島。

「そんなことしたら高額請求されそうな気がするんですけど……」

「入学時に入ってもらった保険の申請書です。名前だけ書いて提出してください。これで全額カバーできます」

 入学金も学費も高いだけある土佐野専。医療費も実質ただである。もっともプレー中の事故など、学生生活に関した怪我・病気に限定されるようではあるが。

「じゃあ……これでお願いします」

「はい。代わりに提出しておきます」

 ペンで名前だけを書いて広川に手渡す。

「しかし今日は暑いのぉ。明日からもこの暑さが続くみたいじゃし、なんとかならんかのう?」

「最近、神城の広島弁が軟化してきた気がする」

「きっと、クラスメイトの影響を受けて、標準化してきたのでしょう」

 4月頃の長曽我部との会話を思い出し、しみじみ思う宮島・広川の両名。

「しかし、それもそうですね……では、ここでちょうどキャプテンと副キャプテンが揃っているわけですし、提案しましょう」

 1人、副キャプテン、もとい副隊長が不在だが、そんな彼の存在はないものとする。

「2月や3月。寒い時期です。なので、日本のプロ野球チームは、暖かい沖縄や南九州にてキャンプを張ります」

「そうですけど? それがどうかしたんですか?」

 体を起こした宮島は、広川の目を見て聞き返す。すると彼はいい案が浮かんだ学級院長みたいな顔で答えた。

「では、暑い時期は、涼しい地域でキャンプをしてはどうでしょう。例えば日本海側とか」

「要するに合宿じゃなぁ」

「そうとも言います」

 つまるところが、高知が暑くて練習にならないなら、涼しいところで練習すればいいじゃない。と言う事である。

「どうせなら海に行きましょう。臨海学校です」

「甲子園?」

「海と言ったらQVCじゃろぉ。甲子園って意外と海から遠いで」

「プロの試合との兼ね合いがありますからダメです」

 プロの試合が無ければOKとも言いたそうである。

「行くなら行くで、少し調べないとダメですが……距離的にあまり遠いのも厳しいですね。だとすると、山口北部・島根・鳥取・兵庫・京都、あとギリギリで福井でしょうか。それ以上は移動に時間がかかりすぎるでしょうから。どうでしょう」

「「行きましょう」」

「日程は未定ですが、月曜日から金曜日というところでしょう。土日は試合があるので帰ってこないといけませんし」

 2人の賛成により、広川もそっちの方向性で進めていく意思を見せる。その口調から言って、適当なことを言っているようには到底見えない。

 話も盛り上がりかけた頃だったが、ちょうどテレビのワイドショーが終了。別のワイドショーが始まり、1時になったことを知らせる。

「っと、これ以上はみんなと話しましょう。私たちだけでは決めかねる内容ですからね。特に予算の問題もありますし。では、そろそろ本業に戻るとします。神城くんはどうしますか?」

「もう少しだけここにいるけぇ、さき行っててください」

「分かりました。では、宮島くん。お大事に。今日は体をしっかり休めてください」

 広川は短く宮島に告げて、さっさと病室を後にする。宮島の状況をそれほど気にしても仕方ないし、他のメンバーはまだ練習中なのである。ひとまず彼に付き添うのはここまでといったところだろう。

 宮島は残った神城に視線を向ける。

「神城。別に練習に行っても構わないぞ」

 1人でも寂しくないようにと思ってここにいてくれているのだろう。本当に心優しい奴だ。と思いながらも、彼をずっとこの場にいさせるのも忍びない宮島は提案する。

「今日の1時半から見たいテレビやるけぇ、ここで見させてもらおうと思ったんじゃけど。クーラーもきいとるし」

「帰れ」

 心優しさなど微塵もなかった。



 その夜、ホームページの怪我人情報を見た鶴見や神部が病院に飛び込んでくるなど、ひと騒動あったが、翌日には問題なく復帰。さらにその直後、1年4組クラス会議にて、兵庫県での合宿が決定。

 復帰したばかりの宮島および野手キャプテンの神城は関心と同時に呆れ顔。

「ほんと、こういうことに関しては一丸になるのな」

「そうじゃなぁ。試合中にもっと一丸になったら、えかったのになぁ」

 そうすればもう少し早く勝利を挙げることができていたであろう。


 しかしいずれにせよ勝利を挙げることのできた1年4組。

 初勝利で勢いに乗った4組は、これまで伏せてきた力を発揮。


 先日 6月最終カード対1組戦

 1組 2 ― 3 4組  勝利投手:本崎(ほんざき) 敗戦投手:鶴見

 1組 0 ― 1 4組  勝利投手:友田 敗戦投手:大原(おおはら)


 同一カード2連勝。前カードの3組戦と含めて3連勝と、怒涛の勢いで上位クラスを追撃に入った。


《順位表》

 1位 1組 19勝7敗

 2位 2組 18勝8敗 ゲーム差2.0

 3位 3組 12勝14敗 ゲーム差6.0

 4位 4組 3勝23敗 ゲーム差9.0

                  (6月終了時)


第3話 投稿完了です

さて最終章の熱中症に対する処置方法ですが、

赤十字救急法救急員の教科書をチェックしながら書いたので、

あれで間違いはないはずです

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