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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第3章 超女子プロ級投手
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第6話 越える勝敗の壁

 シャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えるのはいつものこと。しかしいつもと違う点は勝ちを収めている事。

「勝った、勝った、勝った」

「いいな、みんな。俺も勝ちを味わいたいぜ。今日はずっとスタンドだったからなぁ」

 ウキウキで飛び跳ねている新本に対し、こちらは喜びながらも羨ましそうな長曽我部。その両名とは対極的に、宮島・神城・秋原の3人は「やっと勝てた」とひたすら冷静を装う。

「よ~し、明日も勝つ」

「よかったなぁ。明日、試合が無くて。あったら明日から大型連敗じゃったろうな。いつものことじゃけど」

 神城は新本の発言で、選手がヒーローインタービューで「明日も勝つ」と言った結果、次の試合から12連敗してしまったチームを思い出す。4組は今更12連敗したところで痛くもかゆくもないが、やはり勝てるものなら勝ちたい。

 そんなちょっとしたコントを押しのけ、秋原が前に出てくる。

「ねぇ、みんな。お昼どうする? 勝利祝いに宴会とかする?」

「お? たった1勝で宴会なんてして、ええんかい?」

 長曽我部のダジャレは無視することが、1年4組無言の了解サミットで決定。

「ファミレスとか、小料理屋とかそういうことか?」

「やっぱり学食でええじゃろぉ。学食の方が安いし、量も多いじゃろ?」

 安くて量があって美味しくて、管理栄養士がメニューを作っているだけに、栄養バランスも良好。定食から一品もの、デザートまで。メニューの数も十分。特別食べたいものが無い限り、学食ですませるのが得策だろう。

「いや、でも、どうせなら初勝利は――」

 この1勝はたかが1勝かもしれないが、何か月も才能を見切り、必死で努力し、全力で追い求めてきた1勝だ。記念に残る1勝にしたい。そうした思いを打ち明けようとした宮島だが、それを遮る者が現れた。

 出口付近のベンチに、制服を着た女子生徒が座っていたのだ。

「あれ? 神部じゃろ。どうしたんかな?」

「この通路は4組しか使わないはずだけど。神部さん、4組の誰かを待ってるのかなぁ?」

「いやぁ。どげな奴かは分からんが、あない可愛らしい女子を待たせるたぁ、ほんと、罪な男だねぇ」

「輝義。いったいお前に何が起きた?」

 なぜか中途半端に様々な方言が混ざっている。しかしロリコンが発狂しそうな新本レベルではないが、体格はさておき、顔は中学生くらいに見える神部。長曽我部的可愛いはあながち間違った表現でもなさそうである。

 いずれにせよ、自分たちには関係ないであろうと推測し、彼女の目の前を無言で通過する。するとその時だった。

「ヘイ、ミスターミヤジマ。ドゥユーハブタイム?」

 英語を習ったばかりの中学校1年生レベルに、日本的カタコト棒読みでの英語で話しかけてくる野太い声。

「たしか、三崎だっけ?」

 彼らの目の前に飛び出してきたのは、1年3組のリリーバー・三崎。

「Year,Year,Year. 今日はゲームした後だから無理だろうけどさ、いつかボール、受けてもらえないかって思ってさ」

「まぁ考えとく。時に質問なんだけど、いったい僕の噂って誰から聞いた?」

「クラスメイトからだけど、そいつは4組の新本って言ってたかな?」

「やっぱ貴様かぁぁぁぁぁ」

「ぐ、ぐるじぃぃぃぃ」

 そして彼女の首を締め上げる宮島。既に少し彼女のかかとは浮いており、今日の彼はやや本気だということを意味させている。

「よくまぁ、そんなペラペラペラペラ。その無駄な口を塞いだろうか? あぁん?」

「キスで?」

 宮島、即座に新本を解放し、長曽我部の顔面に右ストレート。こちらはやや本気ではなく、超本気である。

「うおぉぉぉ、鼻がいてぇぇぇ。鼻の骨にボーンってきたぁぁぁぁ」

「まぁ、ダジャレを言うとるうちは大丈夫じゃのぉ」

 顔面を押さえてしゃがみこむ長曽我部を、安心しつつ見ている神城。新本も呼吸を整え、秋原は気にすらせず。基本的に誰も心配していない。

「とにかく、頼みに関しては考えとくよ。なんだかんだ言っても4組の投手陣が普段から付きまとってくるからさ」

「そっかぁ。それじゃあ、期待して待っておくよ」

 新本がいらぬことを言いまわっていたせいで、最近はこうしたことがよくある。今までは投手だった小村が捕手転向したことで、彼の負担も一気に激減。他のクラスのメンバーと一緒に練習できる余裕もできたことも理由にある。

「ったく。どこぞの誰かがバカやったせいで僕の手間がなぁ」

「痛いいぃぃぃ。頭ぐりぐりしないでぇぇぇ」

 逃げたい新本ではあるが、そこは宮島が彼女の首根っこを掴んでおり、逃がそうとはしない。

「う~ん。でも、かんちゃん。プロに入っていろんなピッチャーと組むこともあるし、ここでいろんな人と組んでおくのもいい経験だと思うけど?」

「それは間違ってないな。プロはトレードやらFAやらも含めて、選手の出入りが激しいし」

「そ、そう。そう。いい経験だよ。いい経験」

「お、ま、え、が、言、う、なぁぁぁ」

「痛たたたた。ひ、ひぃぃぃ。ひ、非暴力、不服従ぅぅぅぅ」

 キジも鳴かずば撃たれまいに、再びの攻撃開始。

「新本。やっぱり男に誠意を見せるには『にゃ~ん』で、もっといい初経験を――」

「ふん」

 宮島、新本をすぐさま解放。鼻血が出たため、右の鼻の穴にティッシュを詰めていた長曽我部に対し、もう一度顔面ストレート。

 右の鼻の穴に続き、左の鼻の穴からも鼻血を出し始めた長曽我部。そしてやっぱり安心して見ている神城。こちらもやっぱり呼吸を整えている新本。秋原はため息を漏らしつつも教科書を取り出し『鼻血への対処法』を熟読。

「で、昼は結局どうするよ?」

「もう面倒だし学食でいいんじゃない? 長曽我部くん。鼻をつまんで下を向いておくこと。上を向くと、逆流して気持ち悪くなるよ」

 ついでに血の流れをゆるやかにするために冷やすといいのだが、あいにく氷はロッカールームに。そこまで取りに行くのは面倒だ。

「ひでぇな、神主。神に仕えるものが暴力なんて、神主の風上にもおけねぇ」

「僕、別に神主ではないし、神に仕えてないぞ。神様は信じない性質だし」

「私は野球の神様は信じてる~」

「さすがに長曽我部くんが悪い気が……」

「触らぬ神に祟りなしとも言うけぇ、ほっとくのが一番じゃったんじゃろうけどなぁ」

 基本的に長曽我部の味方は、誰1人としていないようである。

「それにしても、なんで神部さん。あんなところにいたんだろ?」

 球場を出た直後、秋原は後ろを振り返りながら独り言。その独り言を聞いていた神城が話に介入。

「う~ん。例えば、こんな推理はどうじゃろうかねぇ?」



 そして結局は学食である。

「いえぇぇい。初勝利おめでと~」

「わぁぁぁぁい」

「いやっほぉぉぉ」

「みんなお疲れ様ぁ」

 宮島の合図に喜びの声を上げる新本・神城と、そして賞賛の声を上げるのは秋原。

 机の上には勝利を祝うための料理――と言う名目で、いつもの定食が各々の前へと並んでいる。ただ、ジュースやデザートもしっかり準備。気持ち程度だがいつもより豪華である。

「ここまで長かったなぁ」

 丁度、1組・2組戦や、他学年の試合終了も重なったのだろう。いつも以上にごった返している食堂で、特に大きな声を上げただけあり、注目を集める。その中で宮島は、万年Bクラスであったがついに優勝を決められた、プロチームの球団社長の様な事を言い出す。

「かんちゃん。まだまだこれから。ここが新たなスタート地点だよ」

 そしてその球団社長秘書のような事を言い出すのは秋原。

「大丈夫。私の力投で今度も勝つから」

「でもピッチャー1人じゃ勝てんけぇのぉ。しっかり僕らも援護せんと」

 そしてチームのエースと、4番のような事を言う新本と神城。さて、1人足りないようにも思えるが、彼は病院である。理由は言うまでもない。

「あ、健一くん。今日、4組は初勝利だったんだってね。おめでとう」

 突然、彼の背後から話しかけてきたのは、宮島のよく知った人。

 約190センチと15歳らしからぬ高さの身長を誇る彼。

「あ、鶴見。ありがと。1組の試合はどうだった?」

 彼が1年1組のエース・鶴見誠一郎である。

「ダメだったよ。1点リードで迎えた最終回。村上くんに逆転サヨナラのスリーランを浴びちゃってね。打たれたのは僕ではないけど」

「そっか。ま、ドンマイ」

「嬉しそうだね」

「そりゃあ、上位陣が足を引っ張り合ってくれれば、3位浮上も目の前だからさ」

 お互いに笑い合う2人。エリートクラスと呼ばれていた1組と、落ちこぼれクラスと呼ばれていた4組の交遊。これは4月には想像できなかった事である。

「ところで、4組のみんなで楽しんでいるところいいんだけど、ここの席、いいかな? 他の所、あまり空いてなくて」

 6人席のここ。神城と秋原が片端に座り、神城の隣(机中央)に宮島、彼の正面で秋原の隣が新本。つまり神城・秋原サイドと反対側が2席空いている状況だ。

「おいおい、クラスメイトに友達いないのか?」

「そうじゃないよ。今日はベンチを外れていたからね。みんなと行動パターンが違うんだよ」

 ベンチを外れていたのに、無理やり行動パターンを合わせてきたあの筋肉野郎は例外である。

「別にいいよな?」

 さすがに宮島の独断では決められず、他の3人に確認を取る。

「別にええじゃろ。あとで長曽我部も来るかもしれんけど、それでも1席余るけぇのぉ」

「私もいいよ。断る理由もないし」

「後でスライダー教えて~」

「OKらしいぞ、鶴見。ついでにあとで新本に、スライダーを教えてやってくれや」

「健一くんに頼まれたら断れないなぁ」

 軽く会釈をしながら、宮島の隣に座ろうとする。が、気付いて新本の隣へ移動。食後の自然な流れでスライダーを教えるつもりらしい。

「あれ? スライダーならかんちゃんが投げられるんじゃない?」

「変化球って、要は回転の掛け方次第だから、いろんな投げ方があるんだよな。で、そのいろんな投げ方にも適正って言うのがある。僕のスライダーは、新本に合わなかったんだよ。しいて言えば、僕のスライダー、正しくは縦スラだし」

 さらに言えば同じ変化・回転でも、投げ方次第で名前が違う事もある。

 区分方法にはいくつもあるため、あくまでも一例だが、カーブとスライダーはほぼ同じ球で、違いは指を抜いて投げるか、指で切って投げるか。他にもスクリューとシンカー、シュートとツーシームもそれぞれほぼ同じ球である。

 もっと言ってしまうと、在阪球団に所属していた、『七色の変化球を投げると言われる某投手』は、本人曰く、実際に投げた球はストレートを含めて3種類とのこと。

 野球の変化球区分とはそれぞれ曖昧なものなのである。

「でも、これで4組も初勝利。その初勝利で波に乗り始めた4組と、次にぶつかるのは1組(ぼくら)なんだよね。勝てるかなぁ?」

「前の試合、4組相手に7回までノーヒットノーランしてたやつが何言ってやがる」

 宮島は鶴見にしっかり言い返してやる。

 その鶴見が7回までノーヒットノーランしていた試合。彼のノーヒットノーランが途切れた理由は、誰かがヒットを打ったわけでも、ノーヒットで得点したわけでもない。1組監督・大森が決めた投球数に達した。ただそれで交代しただけである。

「でもきっと、8、9回には打たれていたさ。あの時、まだ代打の神様の大野くんもいたからね。それに賢しい健一くんのことさ。3打席目には何か対策を立てるだろうし、偶然野手の正面を突いただけで、すごくいいバッティングをしていた。神城くんの4打席目なんて抑えられる気はしないよ」

 一見、憎たらしい余裕満載で上から目線の台詞なのだが、それでも嫌味を感じないのは、彼の明るくさわやかな性格。そして割と正直者なところも理由にあるのだろう。

「そっか。だったら、次の試合はKOしてやろう」

「だったら、ただやられるわけにはいかないね」

 敵と言うよりは好敵手。対立しながらも友好的な関係を持つ2人だ。

 試合をして腹が減った野球科3人と秋原、それに試合はしてないが腹の減った鶴見は、話もそこそこに昼食へとがっつき始める。

 今日の昼食は、秋原が低カロリーなヘルシー定食。彼女は普通なのだが、他4名は言うまでもない山盛り。一番少なそうな新本ですら、茶碗5杯分くらいのライス。最も多そうな鶴見は、新本の4~5割増しくらい。その光景は異様である。

「ん?」

「どうした? 鶴見」

 豚の生姜焼きをオカズに、大量のライスを口にかきこんでいた鶴見であったが、その動きが急に止まる。

「健一くん。後ろ」

「後ろ?」

 共に背を向けていた神城も振り返り、新本・秋原も顔を上げる。するとそこへあったのは、ついさっき見た、もといついさっきまで戦っていた顔。

「神部?」

 神部友美。彼女は軽くお辞儀すると、試合中に出していたものとは違う、女子らしいか細い声で彼へと問いかける。

「ここ、いいですか? 他が空いて無くて……」

 そうして空いた席を目で示す彼女。宮島がふとあたりを見回してみると、彼女の言うようなことはなく、場所を選ばなければ空いている状況。同じような理由で相席の鶴見は、自分との縁でここを選んだとして、彼女がここを選んだ理由はいまいち分からない。

「なるほど。曰く彼女は、男ばかりのところには入りにくかった。ゆえに新本さんや、えっと……失礼」

「秋原です」

「そう。秋原さんのいるここを選んだのではないだろうか」

 鶴見はあたりを見回してから冷静な分析。

「なんで、野球科の人って、野球科のメンバーだけは覚えてるのかな?」

「選手として覚えてるからじゃろぅ」

 神城の華麗な返し。つまるところが野球科は、他の野球科生を、守備位置、投打、成績等々、個人情報と言うよりは、野球のデータで覚えているのである。そちらの方がただ得意であると、それだけの話である。

「あの……いいですか?」

「え? でももしかしたらそこは、長曽――」

「ええじゃろぉ」

「いいと思う~」

「OK」

「皆がいいのなら、いいんじゃないかな?」

 1人が反論、3人が了承、1人が多数派に同意。

「待って。でも後で長曽我部くんが――」

「誰なん? それ」

「だ~れ?」

「明菜、何のことを言ってるんだ?」

 神城・新本・宮島の3にんによって、長曽我部はいないものとされた。非情にも思える判断だが、筋肉野郎と、可愛げのある女子の2人。どっちがいいかなど論ずるまでもない。

「……そ、そうだね。いいんじゃないかな?」

 唯一の砦も崩壊。神部に空いた席が受け渡される。もっともこの判断に反対する者など、長曽我部本人以外にはいないだろう。

 そうして席の埋まった中、腹の減った5人は食事を再開。新たに参入した神部も、少し肩身が狭そうに食べ始める。

『(う~ん、神部、ここに来たのはいいけど気まずそうだなぁ)』

 宮島はその様子を読み取る。なにせこの席の主要メンバーは、今日の勝利チームである1年4組。一方で彼女は敗戦投手。別に4組相手に7回までだが、ノーヒッターをやらかしたピッチャーもいるわけで、それほど気にするべきではないのであろうが、それは宮島視点ゆえの感想だ。

 彼女は自分の定食に口を付けながらも、どことなく横、宮島を気にする様子。

『(土佐野専に来るくらいだから大丈夫かと思うけど、もしかして神部って、男子女子を気にするタイプか?)』

 土佐野専の野球科女子は、元々男子世界で野球をやっていたメンバー。ゆえに男子の中にでも、野球の話題を武器に平然と突っ込んでいく人が多い。のだが、彼女のような例外もあるのかと感じてしまう。

『(席が僕の横じゃなくて、新本の横なら話は別だったんだろうけど……)』

「えっと、スライダーはこう握って、リリースの時に」

「こう?」

「えっと、人差し指をこっちの方に」

『(しゃあないもんなぁ)』

 食事中ではあるが、少し中断してスライダー講習中。そもそも神部が来ること自体も不測の出来事であったため、こうなるのもやむを得なしだ。

 そう考えていた宮島だが、空腹に敗北。そこを割り切り、口の中へとかきこむように食べ始める。

 その横で、勢いなくゆっくり食べていた神部。少し心配そうに横目で宮島を確認。小さく深呼吸をしてから、小さな声でつぶやいた。

「宮島さん。        」

 意を決したように言い切った。その一言を。張り詰めていた彼女の気持ちは、断ち切れて一気に軽くなる。それを聞いたはずの彼の答えは?

「え? なんだって?」

 聞き返してきた。一度切れたその気持ち。もう一度上げることはできず、気持ちが0地点を通り過ぎて落ち込んでいく。

「い、いえ……なんでもないです……」

 大きな声で言っていれば聞き取ってもらえたかもしれない。しかし、言い切る決意はあっても、大きな声で言う勇気はなかった。そんな自分のふがいなさに、悔しくて、自分のスカートの端を握りしめる。

「だったら別にいいけど、紛らわしいなぁ」

「すみません……」

 さらに止まることなく、坂を転がり落ちるどころか、飛行機から落下するがごとく、気持ちは降下中。

『(うぅぅぅ、絶対、絶対、嫌われちゃったぁぁ)』

 表情には出していないが、心の中の神部友美は大号泣。

 せっかくチャンスができたのに。せっかく言えたのに。

 そのチャンスを生かせなかった。

 ノーアウト満塁の大チャンス。そこでトリプルプレーに打ち取られるがごとく大失態。

 泣きそうになる彼女だが、そこでまさかの出来事が起きる。

「あぁ、悪かったな。で、神部、ボールを受けてほしいって話だけどな」

「へ?」

 急降下していた気持ちが急停止。

「え? 聞き間違えた?」

「き、聞き間違えてないですけど……聞こえたんですか?」

「聞こえたけど、なんで?」

 意外だった。トリプルプレーかと思いきや、実は打撃妨害が発生していました。と発覚したがごとく幸運。

 彼女はすぐそこまで泣きたい気持ちが来ているのを、強引に抑え込み、頭をリセットして彼に聞き返す。

「だ、だってさっき、『え? なんだって?』って」

 そのあっけらかんとしている神部の言葉に、

「「あぁぁ~」」

 理解したかのように、宮島だけではなく神城も反応。

「あれはじゃなぁ」


 少し前に戻る。

 意を決した神部の、宮島を挟んで反対側。

神城:「ん……あ……ん?」 神部「宮島さん。私のボール、受けてください」

宮島:「え? なんだって?」

 と、宮島は神城(・・)に聞き返す。

神城:「あぁ、ごめん。それがなぁ、歯になんか引っかかったんじゃけど……」

神部:「い、いえ……なんでもないです」

宮島:「だったら別にいいけど、紛らわしいな」

 と、宮島はこれも神城へと言う。

神城:「あ、うん。ごめん。あ、とれた」

神部:「すみません……」

 と、以上のようなやりとりが、宮島―神城間で取り交わされた。そして宮島の返事を全て自分へのものだと思ってた神部は、自分の告白が失敗したと判断した。

宮島:「あぁ、悪かったな。で、神部、ボールを受けてほしいって話だけどな」

神部:「へ?」

 その果てがこれに繋がるのである。


「と、全部僕への返事だったんよ。別に宮島は、神部と話しとったわけじゃないんで?」

「うん。神城がなんか言ってたように聞こえたからさ」

「じゃ、じゃあ全部聞こえて?」

「うん」

 しれっとした顔で肯定する宮島に、もう聞こえていないものだと思っていた神部は、自分の告白を思い出して恥ずかしくなり、顔がどんどん赤くなっていく。

「も、もしかして神部さん。試合が終わった時、4組側通路の出口で待ってたのって、かんちゃん――宮島君に受けてほしいっていうため?」

「は、はい。けど……さ、先を越されて、タイミングを逃して、言うに言えなくて……」

 俯き、スカートを握りしめ、段々と小さくなる声で返す神部。その直後に神城が右腕を突き上げた。

「名推理」

「すご~い。神城君、推理的中」

 それを神城は分かっていたようである。

「名探偵・神城の大冒険。近日公開」

「うわぁ、面白くなさそう」

 おそらくは字幕なしでは見ることができない映画であろう。一応は日本語であるため、理解できなくはないだろうが、彼のドギツイ広島弁での謎解きシーンなどは、意味が分からなくなる事必至である。

「さて、神城の大冒険なんて言う、B級どころかZ級の映画はさておきだ。僕が受けてどうするよ。コーチみたいなことはできないぞ。一応は僕のやったことで、長曽我部の変化球は、あいつの才能と努力の成せる技。新本のフォームを変えさせて上手く言ったのは、こいつの適応力って言う才能のせいだ。新本のフォームに至っては、ちょっと野球の知識があれば分かるくらいだし。僕の出来るのはその程度だ」

 宮島はこれを期に、自分の思っていることを一気にぶちまける。

 たしかに以前、秋原に高川のデータを見せてもらったこと、4組投手陣からの支持が厚いことで、自分の能力には自信が持てた。だが、他のクラスから「受けてくれ」と言われるほどの自信はない。いったい、鶴見も神部もそうだが、彼らは自分にいったい何を求めているのか。それが非常に気になったのだ。

「ううん。それでもいいんです。私はただ、宮島さんに、私のボールを受けてほしい。それだけで……」

 試合中の気迫はどうしたのか。まるで別人かのようにしぼんだ声。

「でもなぁ」

 言い返そうとした宮島。そこへ彼女へと援護射撃をする者が現れる。

「かんちゃん。少しいかな?」

「なに?」

「私は野球のプレーヤーじゃないから、本人たちの気持ちは分からないよ。ピッチャーとキャッチャーの関係も分からないよ。だから例えだけどね、『恋愛』って、理屈じゃなくて感情なんだよ。こういう人が好き。あぁ言う人が嫌い。みんな、そういう恋愛の理屈は出てくると思う。けど、いざそうした人が目の前に現れた時、本当に好きになるか、本当に嫌いになるかは別物だと思うよ」

「つまりどういうこと?」

「理屈なんていらないじゃん。恋愛と野球を結びつけるのは強引だけど、ただ神部さんはかんちゃんに『受けてほしい』って、理屈では分からないけど、感情でそう思った。それだけで理由は十分だよ。それに、少しえげつない話をすると――」

「そんな話はしなくてよろしい」

 しなくても分かったからだ。

 鶴見はノーヒットノーランをしていた試合にて、野手中、打撃が最弱であるはずの宮島。彼の3打席目を警戒していた。その訳は、2打席でのデータがあったこと。それだけではない。彼の投球データをキャッチャー・宮島が、バッター・宮島へと提供したからだ。つまり宮島相手に投げ込むことは、自分の手の内をさらす事。データを与える事。あの試合では宮島内部で完結していたからまだ影響は少なかったが、もしそのデータを4組全員で共有すれば。今後、鶴見は4組戦にて火だるまになる。その攻略法を求めて宮島を頼れば、仮に成長できてもデータを抜き取られる。そしてそれが4組で共有され……

 もしそれが神部にも適用されればどうなるか。彼女は3組・勝利の方程式の一角。投手・神部友美の息の根を4組戦限定だが止めることができ、ひいては3組・勝利の方程式を崩壊させることができる。

「やっぱり、だめですよね……ごめんなさい」

「いや、いい。受けてやるよ」

「ほ、本当ですか?」

「嘘は言わねぇよ」

 宮島は快く了承。だがその心の内は綺麗なものではない。

 これだけ彼を信用している神部。変化球を見せろと言われば変化球を見せるだろうし、クイックでと言えばクイックで投げるだろう。さながら、宮島の操り人形。その立場を生かして、一気に彼女を丸裸にする魂胆だ。

「さて、そうなると1つ、問題がある」

「問題?」

「新本と、どこからかこつ然と現れた長曽我部、それとそっちの机にいる大森、藤山、本崎、合わせて5人。この『自分のボールも受けろ』とばかりに、目を輝かせている投手陣(ばかども)をどうするか。それがなんとかなったら受けてやるよ」

「ありがとうございます。宮島さん」

 彼の手を勢いよく取り、嬉しそうに上下に振る神部。座っている位置が近く至近距離。ただでさえ可愛げのあるのに、さらに喜んでいる彼女を見て、照れることこの上なし。

「まぁ……そのうち。こいつらを振り切ってから」


難聴系主人公を期待した方

残念でした

宮島くん、結構耳がいいです


※見直していて間違えていた点を修正しました(4/26)

 栄養管理士⇒管理栄養士

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