第2話 千里の道も一歩から
まずは明日からの練習に備えて感覚を取り戻すのがやること。いきなりブルペンに入ったり、実戦練習のような本格的な練習は行ったりせずに、キャッチボールや軽めの守備練習、もしくはティーバッティング程度で済ませるつもりで練習を始める。
今は肩慣らしのキャッチボールを済ませ、適当な守備位置についての守備練習。さすがに全員は来ていないものの10人以上はいる。
「こうしてみると、みんな上手いよなぁ」
宮島もミットとは別に買った新しいグローブを手にファーストの位置でノックを受ける。
「ほぅじゃなぁ。なんぼアマチュア言うても、みんなプロ目指そうって言うとるような連中じゃけぇ。おそらくは9割方中学以前はクリーンアップ打っとるか、エースだったかってレベルじゃろうな」
「……ちょっとあっち向いて」
宮島は話しかけてきたクラスメイトに3塁側を見るように指示すると、背を向けた彼の背中にローマ字で書いてあるネームを読んだ。
「えっと……KA、MI、SHI、RO、あ、そうだ。神城だったな」
「覚えてなかったんか。失礼じゃのぉ」
「『かみしろ』だったか『しんじょう』だったか自信が無かったんだよ。そういうお前は僕の名前を知ってんのか?」
「知らん」
「知らんのかい」
失礼と言うほどだから知っているのだろうと推測する宮島。もっともその宮島の期待は裏切られたようで。
「まぁまぁ、あんたも知らんかったんじゃけぇ、お互い様じゃろぉ。で、名前なんて言うん?」
「宮島健一。右投げ右打ち。守備位置はキャッチャー」
「そうなんかぁ。因みに俺の名前は神城淳一。右投げ左打ちのファースト」
「見ればなんとなく分かる」
神城の付けた右投げ用のファーストミットに視線を落とす。ファーストであることは分かるものの、宮島のファーストの印象が覆された感が否めない。ファーストと言えばプロでは打撃偏重のポジションであり、特にスラッガータイプが多い。ところが神城の体格は身長170程度、体重もそれほどではないように思える。辛うじて彼より大きい程度の体型の宮島も人の事は言えないが、この学校の野球科生で男子としては非常に小柄。むしろ1番を打ちそうなリーディングヒッターを思わせる。
宮島の不自然な視線に神城が首をかしげていると、宮島はごまかしながら彼の顔へと視線を戻した。
「それにしても、しゃべり方からして岡山出身?」
「じゃけぇ、言うたら広島弁じゃろぉ。なにをどう考えたら岡山になるんな。俺は広島県出身」
「広島って言ったら長曽我部もじゃなかった? もしかして知り合い?」
「知らん」
「そっか。偶然か」
「そもそもここの学校。来てる生徒数が多い都道府県のトップ4が、大阪、福岡、広島の西日本で人口が多い所と地元の高知じゃろ? 別に出身が被っても不思議じゃなかろう」
なんでそんな事を? と聞き返そうとしたが、よくよく考えれば入学前にもらったパンフレットに、去年の1年生の出身都道府県が書かれていた気がしないでもない。
「……目線がおかしいのぉ。なんか質問があるん?」
「あぁ、えっと……」
ちょっとした偏見も混ざるため言いにくい。少し歯切れは悪かったが、思い切って言ってみる。
「神城ってファーストっぽくないよな」
「右利きってこと?」
「それと体格」
「それは否定せん。中学時代は1番ファーストじゃったし、相当珍しかろう。自慢は選球眼と、非公式じゃけど50メートル5.5の足。それとファール打ち。さすがにどんな球でも当てられるってほどじゃないけど。まぁまぁ皆まで言うな。ファーストっぽくないのは自覚しとるけぇ」
「皆まで言うなって何も言ってないけど? それはそうとファール打ちって、野球規則上バント判定食らわなかったっけ?」
「高校野球ではなぁ」
宮島もそうだが神城が以前いたのは中学野球。今いるのも高校野球ではない。
試合においてはファール打ちに関する規則も、臨時代走もなく、キャッチャーへのタックルも推奨はしないが禁止はしていない。また守備のタイム回数に関しても無制限(ただしあまりに多い・長い場合は注意もあり)となっている。
「お~い、そこの2人。話してないでノック始めるぞぉぉ」
ノッカーのクラスメイトに言われて練習に意識を戻す2人。
「じゃ、おしゃべりはまた今度かな?」
「また今度って練習後でいいじゃろうと思うけどなぁ」
まずは神城がファーストの守備に着き、宮島はその後ろで順番待ち。
「行くぞ。サード」
ノッカーがサード正面にゴロを転がす。本職ではないが一時的にサードを守る長曽我部は、ボールを受けるとツーステップで1塁へと送球。ところがまだ硬式球に慣れ切っていないためか、ボールがノーバウンドで届かず中途半端なバウンドでそれも大きく逸れる。
「いよっと」
それを神城は朝飯前とばかりに簡単に、それも1塁ベースからは足を離さずに捌く。
ファーストの経験こそあまりないものの、宮島自身もさきほどの捕球のレベルが高い事は分かる。寸前でバウンドする俗にショートバウンドと呼ばれるものより、ボールがバウンドして上がってくるまでの間のハーフバウンドと呼ばれるポイントの方が処理は難しいのだ。
「うめぇなぁ」
「任しんさい。自慢じゃないけど守備は得意じゃけぇ。えっへん」
「えっへん。ってあからさまな自慢じゃないか」
時折ボケをかますような抜けていることはあるが、野球の腕は確か。その後も硬式に不慣れな連中が投げる悪送球を大暴投以外は全て捕球してしまう。
そしてサード・ショート・セカンド・ファーストの順で内野を2周し、ゲッツーを想定した3週目の内野ノックに入った時だった。
ノッカーがショートの選手に放った打球は三遊間。回り込んで正面で捕球。その安定した体勢からセカンドへ送球。セカンドはファーストに転送。
「ナイスショート」
神城がそう答えてノッカーの近くにいたノック補助の学生にボールを返そうとすると突然の大声。
「オイこらぁぁ。そんなんじゃオールセーフじゃぁぁぁ。しっかせぇやぁぁ」
全員が身を震わせ、何事かと声のした1塁側ベンチへと目をやった。そこには自分たちの担任の広川が、白色の拡声器を手に立っていた。彼は驚いた目で拡声器の電源を落とし、背中に隠すとグラウンドに歩いて出てくる。
「すまん。ちょっと関西弁と拡声器使って言って見たくて。ハウリング凄いしやめとこ」
その広川の言葉にセカンドを守っていた大阪出身の選手はずっこけて見せたのだが、ショートの選手に「大丈夫?」と本気で心配されて少し照れていたり。
「そんなことより、さっきの守備じゃオールセーフだぞ。まだ憶えてないから名前が分からない件はすまん、と予め謝っていおいてそこの君」
広川は一番近くにいた宮島を指さした。
「僕ですか?」
「そう。そもそも野球の守備って何が目的なのか分かるか?」
「何が目的って点を取らせない事です」
「点を取らせないためにはどうすればいい?」
「どうすればって……」
「アウトにするんじゃろぉ。バッターとかランナーとか」
言葉の詰まった宮島に代わって神城が答える。
「そう。守備はアウトにすることが目的だ。それでだ……さっきの守備はランナーをアウトにできる守備だったかな?」
「「「無理です」」」
全員が声を合わせて答える。
「じゃあ、さっきボールを捌いたショートの子。なんで無理やり正面に回り込んだ?」
「それは、正面に回り込まないとエラーしやすくなったり、送球が上手くできなかったり」
「ごもっとも。それでエラーはしなかった。良い送球はできた。それでランナーはアウトにできたかな?」
「で、できなかった……と思います」
「だろうね。だからあそこで最善の選択は無理に正面に回り込むことじゃない」
広川はショートの守備位置まで駆けて行くと、ショートを守っていた男子をその場から退かせる。
「ちょっとグローブ借りていいかな」
「はい」
「ノッカー。ちょっと三遊間に打ってくれるかい?」
広川はグローブを借りるとそれを左手に付け、ノッカーに三遊間の打球を要求。
「それじゃあ、打ちます」
ノッカーは元プロにノックをする緊張から1球目を空振りしてしまったが、2球目をしっかりと三遊間へと打つ。
「だからこういう時は……」
ショートの男子と動きが違う。
「最短距離で打球に追いついて、無理せず片手逆シングルでもOK」
ボールを捕球した広川は足を滑らせながらも勢いを殺し、ほぼ上体の力だけを使って1塁へと送球。少し無理な送球のためショートバウンドになってしまうも、そこは名手・神城。あっさりと捕球。
「ナイスファースト。送球は悪くなったけど、さっきのはよほどランナーが俊足でもない限り余裕でアウトのタイミングだろうね」
彼はショートの子にグローブを返してホームに向かいながら説明する。
「本質を見失ったちゃダメだよ。守備の目的はエラーをしない事じゃなく、ヒットを防いでバッターやランナーをアウトにする事。無理に正面に回り込む必要も、両手で捕りに行く必要性もない。必要なら横で捕るのも片手もOKだよ。それと」
神城の方を向き、親指を立てるグッドサインを突き出す。
「さっきから見てたけどファースト、グッド。ファーストの守備が上手いと他の野手が安心して投げられるからいいね」
「ありがとうございます」
神城は丁寧に返事。
広川はノックをしていた男子の元へ行くと、バットを渡すように合図した。
「君たちは生徒で俺は監督。選手はプレーに集中して、ノッカーくらい監督をこき使っても構わないんだぞ。むしろガンガンこき使え。ほらほら、準備して君も守備に着く。それと君も」
「いえ、僕は野球科じゃなくてマネージメント科で」
「そっか。それじゃあ、引き続きノック補助を頼めるかな」
ノッカーは野球科の生徒から広川へとチェンジ。広川は受けとった硬式球を持った手をショートの方へと伸ばす。
「さっきの復習。無理に正面に回り込むなよ。はい、ショート」
広川の放った三遊間の打球は先ほどよりも厳しい。回り込めば捕れたであろうその打球に、最短距離で走って追いつこうと走る。ギリギリでグローブを出し逆シングルでの捕球を試みるが、打球はそのわずか下を通過しレフト前。
「あっ、す、すみません」
「OK,OK。回り込もうが、さっきみたいに後ろに逸らそうがシングルだシングル。レフトがもたもたしない限り2塁へは行かれない。同じシングルならエラーを恐れずアウトを取り行け」
「はい。もう一丁、お願いします」
「よし、もう一丁」
広川は三遊間にヤマを張っていると読んで、逆を突いての二遊間へ打球を放つ。読みを外されたショートは一瞬、逆へと動いたがすぐさま二遊間へ。必死で手を伸ばし打球をもぎ取ると、1回転して1塁へと送球。ストライク送球が神城のファーストミットに収まる。
「っしゃあ。ナイスショート。今だ、今の感じだ。素晴らしくよかったぞ。次、セカンド」
ノック補助の生徒から新しいボールをもらい打球を一二塁間へ。セカンドはボールを弾いてエラーしてしまうも、すぐに拾って1塁へと送球。
「よしよし。エラーしたにはエラーしたけど、その後の反応が良かったぞ。今の反応ならアウトにできるぞ」
「先生。もう一丁、お願いします」
「よ~し。そら」
再び打球は一二塁間。しかし今度は打球が強かったためにギリギリで追いつくも、グローブを弾いてしまう。
「反応がいいぞ。よく追いついた。追いついてしまえばアウトにできるのは近いぞ」
その後も大暴投をしてしまった選手に対して、
「よく捕った。だけどノーバウンドで難しそうならいっそ送球はワンバウンドで投げよう。大丈夫。ウチのファーストは名手みたいだからな」
さらに続けざまに真正面の打球をエラーしてしまった選手には、
「仕方ない、仕方ない。ミスは誰にでもある。それよりよく前に出て捕った。今のはバウンドを合わせてたらヒットだったぞ」
エラーしようがトンネルしようが『アウトにしようという意思』が感じ取れる限りは怒らず、プレーのいい点を無理やりにでも探して褒める広川。そんな彼の褒めて伸ばす指導につい選手陣もテンションが上がり、時間も忘れて練習に打ち込んでいた。もはや感覚を取り戻す程度の軽めの練習とは言えなかった。
午前であまりに熱が入ってしまい疲れたため、昼過ぎからは人の少なくなった食堂で雑談タイム。集まっているのは担任の広川および午前に練習していた宮島、神城、長宗我部など生徒数名、それに加えて昼食時から新規に合流したクラスメイト数名。審判養成科や野球経営科の生徒、そしてマネージメント科の生徒もいる。
「はわぁ~」
広川から帽子のつばにサインをもらい、奇声を発しながら惚れ惚れとしている長曽我部は蚊帳の外。
「そういえば広川先生、じゃなくて監督? 選手?」
「なんでもいいよ。ただ選手はもう引退したからそれ以外でね」
「じゃあ先生。先生って、やたらとキャラが変わりますよね?」
初めて会った時は少々ボケ好きで優しそうな高校教師。施設説明の時は極度のですます調。そして野球の練習中は熱血体育教師。
広川は照れたように後頭部を自分の手で撫でる。
「実は、まだどんな感じで生徒に接していいか分からなくてね。プロの監督とも違って、高校の先生とも違って。なにせ初めてだからね」
「だから妙に練習の時は優しかったんですね。もっと野球の監督っていろいろ怒ってくる印象があったんですけど。失敗したらグラウンド1周とか」
そう聞くと広川は小さく笑った。
「俺はこの学校が野球の技術を教えるだけの場であってはダメだと思う。プロは技術を極めて見せつけるだけじゃなく、見ている人に楽しさを伝える使命がある。俺は、この学校では技術と一緒に野球の楽しさを学ぶ場でもあってほしいと思うんだ。だから生徒が道を違えようとしている時以外は怒る気はないよ。怒られて嬉しい人なんていないし、俺自身も怒るのは嫌だからね。それとエラーなんかは悪いように思われるけど、あれは挑戦心の裏返し。極論、挑戦しなければミスはしないけど、それは悪い事だろ。挑戦した結果のミスならむしろ褒めてやりたいくらいさ」
「広川さん。マジで惚れる。ファンであってよかったぁぁぁぁ」
絶叫している阪神ファンの長曽我部には一瞬笑顔を向けるだけで放っておき、広川は少し難しそうな表情で宮島に語りかける。
「ところで1つ、聞きたいことがあるんだけど……」
「なんですか?」
「俺、こんなキャラで大丈夫?」
「……先生が大丈夫だと思うなら大丈夫なんじゃないんですか?」
宮島自身、そんな事聞かれても自信を持って答える事などできない。仮に彼が大丈夫だと言ったところで広川が自信を持てるか否かははなはだ疑問でもある。
「だったらよかった。全然、自信が無くて」
曖昧な答えでも自信を持てたらしい。
「僕なんかより他の先生に聞けばよかったんじゃないですか? 1年生はともかくとして、2年生の先生たちは就任2年目なんですし」
「一応、3月までに1年生――今の2年生の練習に加わって慣れてはおいたんだけど、いざ自分の受け持つ生徒の前に立つと緊張しちゃって分からないからね」
「広川さんでも緊張するんですね。甲子園の大歓声を前にプレーしていたのに」
ようやく元の世界に戻ってきた長曽我部が、宮島と広川の話に介入。その顔は宮島を舞台から引きずり降ろしてでも広川と話をしたいファンの顔である。
「甲子園とは別の緊張、かな。ただ人前でプレーするってだけなら十分に慣れてるけど、人前で話すのは昔からどうも苦手で」
「その割にはカメラの前とかヒーローインタビューでは軽快に話していた記憶が」
「あれは慣れちゃって。でも大勢と目を合わせてってなると、ねぇ……」
完全に話の相手が長曽我部に切り替わり、今度は宮島が蚊帳の外。そんな彼に話しかけたのは、隣で砂糖を大量に入れた激甘コーヒーを飲んでいた神城。
「完全にポジション強奪されたみたいじゃなぁ」
「あいつ阪神ファンだし、別に構わないけどさぁ……時に神城はどこファン?」
「言わずとも分かるじゃろ? と、言うと分かるじゃろ?」
「広島ファンね。ここって元広島の教師いたっけ?」
「おったと思う。詳しくは覚えとらんけど」
神城は額に指を当てて考えるポーズ。
「本当、この学校すげぇと思うよ。元プロ何人いるんだか」
「担任で8人。コーチで2人の計10人、じゃなかったかいなぁ? それに去年自由契約になって、まだ身の振り方を決めてない選手をコーチとして採用する。とか言ようた気がする。ちなみにネット情報」
「マジでか。まだ増えるのか」
「あくまでも噂じゃけぇ、そんな本気にしちゃいけんで?」
なお噂ではなく、学校側は本気で検討中であったりする。
入学式翌日。
第1週から学内リーグ戦が始まるとの事で、授業初日から野球科のメンバーは熱が入っていた。1年4組専用球場の1塁側ベンチに監督の広川が腰かけ、その前に集まった選手たちに授業の注意事項に関して説明していた。毎度のごとく、キャラの統一はできていない。
「と言うわけで練習するも休むも自由。ただし管理の都合上、練習を休む場合は教師陣の誰かにその旨を伝える事。この教師陣は俺でもいいし、極論他のクラスの教師でも可。ただ、名前を知っている分だけ担任の俺に言った方が手っ取り早いけど」
「「「はい」」」
「野球科以外に関しては普通に授業があるから、体調不良とか理由がある時以外休むなよ。ってのは野球科しかいないしいいか」
少し考えた広川は今度は試合の話をし始める。
「それと土日のリーグ戦だけど、原則、試合出場は実力次第。どれだけ練習を休んでいても上手ければ試合に出すし、どれだけ必死で練習をしていても下手なら試合に出さないかもしれない。プロは努力を評価する世界じゃなく、実力を評価する世界だからな」
「「「はい」」」
広川の話に区切りがはいるなり、大きめの声でバラバラの返事をする一同。
「さてと、それじゃあ解散」
「「「は、はい」」」
またも大きな返事。しかしその直後に全員に戸惑いが生じる。広川はそれ以降、まったく何も口にせず、ただただ黙りこくって正面を見ながら腕組みをし始めたのだ。そんな担任に対し、生徒たちは何をすればいいのか分からずにただ立ち尽くす。そうしていると生徒の1人が手を上げた。
「あの……先生」
「どうした?」
「いったい、何をすればいいんでしょう?」
すると広川は下を向きながら大きくため息。
「プロは個人業主。つまり上から指示されて動くわけじゃなく自分で動くんだ。練習するも休むも自由と言ったけど、どんな練習をするかも自由だ。もしも野球の技術的に教えてほしい事や、練習を手伝ってほしい時は教師陣に協力を仰げ。以上」
つまりは自分で考えろ。教師は選手の自由性に任せ、基本的にそれに対して口を挟んだりしない。口を挟むことがあってもそれは野球の技術に関する事であり、どのように練習すればいいか、何をすればいいかは選手の自由なのだ。
「えっと……練習始めに走って来よう、かな?」
宮島がわざとらしく、皆に確認を取るようにつぶやいて1番に走り出す。それに続いて「だったら自分も」と次々にランニングを始め、大名行列のようなものができる。
それからはまるで合コンで初めに仕切ってしまい、幹事のポジションとして二次会の手配や会計をすることになってしまったかのように、宮島が中心となってチームが練習を行っていった。
ランニングが終わると短距離ダッシュ十数本と下半身強化メインのメニュー。それからようやくキャッチボールに移ろうとし始める。練習が始まってボールを使うまで約1時間。下積みがやたらと長いのは、前日に練習しているとはいえ、本格的な練習は久しぶりのため。間違った判断ではない。
「ふ~ん。見る限りだと、あの子がチームの中心だなぁ。背番号は……27か。背番号27と言えば……宮島君。このクラス唯一のキャッチャーだな。と言うか、昨日いた子か」
チームを指揮する生徒の背番号をもとに名簿を確認。
「それにしてもチーム内のバランスが悪いと言えば悪い。なんとかしないとダメなんだけど」
広川はメンバー一覧を見ながらつぶやく。
1年4組野球科の生徒24人の内、投手が半分以上の14人。捕手は宮島ただ1人。内野が5人で外野が4人。投手の中に他のポジションができる選手も多く、バッティングの優れた投手も珍しくないため、純粋にチームが回らない事は無い。だがあくまでここは『プロ野球選手養成機関』である。投手は投手、野手は野手としっかり分けて扱う必要がある。投・野手二刀流なんてものは例外中の例外である。
こうなると何より試合が厳しい。学内リーグ戦は両チーム監督の了承があった場合を除き、原則としてDH制を採用しない。それはつまりピッチャーに打順が回る度に代打を出すか、そのまま打席に立たせるかを考える必要があるが、1年4組の野手は、8人が先発するとして控えはわずか2人。控えを全て代打で使うと仮定して代打の機会はわずか2回。しかし怪我や代走、守備固めで使うことを考慮すると、2回どころか1回もない可能性だってある。
「とは言っても、ピッチャーをやりたいって人を無理に野手にはできない。なんせ自由なんだからな」
かといえピッチャーを代打に出すことはすべきではない。あくまでピッチャーは投げるのが仕事であり、無理に打席に立たせて、デッドボールや自打球で負傷しようものなら目も当てられないからだ。
「さて、どうしたものか」
広川が週末の試合について悩んでいる一方で、これまた面倒事に巻き込まれている人が選手の中にもいた。
「神主ぃ。俺とキャッチボールしてくれ」
「いやいや、俺が」
「ここは僕だろ」
「うぅ……私が……」
唯一のキャッチャー宮島を14人の投手で奪い合いである。キャッチボールごときでそれほど相手を選ぶ必要もないには違いないが、ここでしっかりと交友関係を作っておけば、リードされる人間として得になりこそすれ損になることは絶対にない。
「いやぁ、とりあえず今日は輝義と……」
「なんだよ長曽我部」
「おいおい。正捕手独占かよ」
「ずるい~」
宮島本人の主張であるにも関わらず、見事に全員から非難轟轟である。
「宮島様。いえ、宮島陛下。お靴が汚れていらっしゃいますよ?」
あげくの果てにはあからさまなごますり野郎まで出現する。
最終的には強引に宮島と長曽我部がキャッチボールを始め、残ったメンバーがしぶしぶ他のクラスメイトたちと組んだ。
『(これは投球練習が大変そうだなぁ)』
早くもキャッチャー1人という負担を感じ始めた宮島。
なにせ1人で14人の投球を受ける事になるかもしれないのだ。体力的に大丈夫だとしても、ピッチャーは仮にもプロを目指そうという集団。まず腕がもたないだろう。
11時前にもなると守備練習班と投球練習班に分かれての練習である。
宮島のもとにピッチャーが集合する不安もあったが、守備練習のノッカーを監督・広川が務めるとあって、アピールにと投手のうち9人が守備練習へと移動し、投球練習班はわずか5人となった。その5人+宮島は練習用ブルペンに移り投球練習を開始した。
最初に投げるのは自称・エース候補の長曽我部輝義。肩慣らしの後、宮島がしゃがみこんでから投球練習を開始しようとした。
「あっ。やっぱり投球練習するんだ。じゃあちょっと目慣らしに審判していいかな?」
「マジで? ぜひやってくれると嬉しいかな。てか、授業は?」
「午前の部は終了。次は午後から」
宮島は、投球練習班を追いかけてきたのであろう審判養成科のクラスメイトに球審を頼みミットを構える。
「さぁ、輝義。ズバッと来い」
長宗我部はマウンドの感触を確かめながら振りかぶる。足を大きく上げ、やや長めに制止したのちに足を降ろし右腕を振る。
15、6歳、高校1年生相当にしては速いストレートがど真ん中に決まる。
「ストライーク」
「審判目線から見てどれくらい出たと思う?」
「130中盤、ってとこじゃないかな? 相当速いね」
「だな。身長もあるし、投げおろしてるからだろうな。何より驚きなのが、硬式球に慣れていないであろうこの時期にって事。慣れたら140越えそうだな」
球審の生徒と軽く感想をかわしつつ投球練習を続ける。それ以降も130を越えると思われる剛速球を投げ込む長曽我部。時折コントロールは乱れるとはいえ、ノーコンと言われるほどでもない。30球を投げて8割近くがストライクなのだから上々であろう。
「どうだった?」
「投球はよかったと思うよ。でも、もしかしたら足を止めてるのが長すぎてボークを取られるかもしれないね」
「練習後でいいからちょっと輝義に警告しておいてもらえる?」
「お安い御用だ。先に先生に確認を取った方がいいかもだけど。まだ勉強中で自信もないし」
選手と審判。プロ野球中継を見る限りでは水と油並に仲が悪い組み合わせにも思えるが、この学校では水と魚は言いすぎだが相性自体はいい。それは練習のパートナーとしての色が強いからでもある。
とりあえず投球練習の終わった長曽我部はひとまず先に午前の練習を切り上げてこれから早めの昼食との事。今日の昼は大盛りラーメンと鼻歌混じりにブルペンを出て行く。しかし投球練習自体は続く。次のピッチャーは、
「お、お願いします」
1年4組、唯一の野球科女子枠。新本ひかり。
『(入学試験の時に連続フォアボール出した挙句マウンド上で泣き出したピッチャー。ボール自体は速くない、だよな)』
2ヶ月近く前の曖昧な記憶を掘り起こしながらミットを構える。
長曽我部と違って新本はセットポジションからの投球。小さく足を上げて、すぐに前へと踏み込む。体を大きく1塁側に倒し、小さな体でできるだけ高い位置からリリース。
「ボ、ボール」
緊張のためか、山なりの投球はかなり高めに浮いてしまう。
「楽に楽に」
彼女に投げ返す宮島。むしろその返球の方が速い。
「何キロくらいだと思う?」
「100……出てない。かな。少年野球より速いくらいだよね」
審判の生徒に聞いてみると、ほぼ自分の考えと同じ回答を得られた。高校1年生相当の女子と考えれば遅いわけでもないが、男子と比べるとどうしても遅く見えてしまう。
「スピードも遅いし、メンタル的にも弱いし、使いづらそうだなぁ」
「ストライーク。むしろもっと遅ければかえって打ちづらそうなんだけどねぇ」
「ちょっと1球だけ試してみようか?」
「何を?」
主審の返しを聞いて閃いた宮島は、マウンド上の新本にボールを返しながら大声で告げた。
「次、変化球見せてくれるか。スローカーブ」
「は、はい」
少し焦りながらもセットポジションにはいる新本。
「スローカーブ?」
「そっ。それを使って入学試験はなんとか無失点。ノーアウト満塁をしのいだ」
「そう聞くと凄そうな球だよね」
「どうだろなぁ」
意味深な事をつぶやく宮島。入学試験でノーアウト満塁を抑えた。聞こえがいいようにも見えるが、その内容は真芯で捉えられたショート真正面のホームゲッツーと、あわや走者一掃のセンターフライである。
彼女はストレートの時と同じモーションから、要求されたスローカーブを投げる。まさしくハエが止まるような遅い球。
なかなかボールが来ない。
まだボールが来ない。
いつまで経ってもボールが来ない。
「ス、ストライーク」
バッター手元で3~4個分ほど曲がってアウトローへ。球速にして80キロ、それどころか70キロすらも出ていないのではないか。超スローカーブである。
「これはこれは使えそうじゃない? ミットの音も、『ズバッ』よりは『ポスッ』だし」
「正直、プロや甲子園クラスならかえって使えそうだな。でも、おそらく当分は1年生リーグでは使えないだろうなぁ。なんだかんだいってもついこの前まで中坊だったような奴らだし。スピードレンジで言えばかなり近いし。ま、2週間もすれば分からないけど」
「中坊って神主君もそうだけど」
「まぁ否定はしない。って、お前も僕を神主と呼ぶのか」
「球審に『お前』なんて言ったら、退場宣告しちゃうよ?」
「今更、球審風吹かすな。そもそもどこから退場宣告する気だよ」
審判の生徒と感想をかわしながらの初練習。宮島の初日はほぼ投球練習の相手だけに終わった。