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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第3章 超女子プロ級投手
29/150

第5話 主人公?補正

 クールダウンのため、室内練習場にて軽いキャッチボールをこなしていた宮島・新本の両名。それを暇そうに眺めるのは高川。

「そう言えば宮島ぁ」

「なんだ? 疑惑のマネージメント科生」

「疑惑ってなんだよ。そんなことはどうだっていいや」

 メガネを押し上げながら、反対側にいる新本に目をやる。

「あいつ、ストレートの投げ方変わったな」

「入学当初と比べてな。あの時は酷かったぞ。真上から振り下ろすなんて、肩に負担ががんがんかかるような投げ方だったし」

「いや、そうじゃなくてリリースポイント」

「リリースポイント?」

 新本からのボールを受け、投げ返しながら聞き返す。

「球持ちが良くなったとか?」

「そういうこと。見た限りだと、友田も入学当初に比べて、球持ちが良くなってたな」

「みんなすごく成長してるな。さすが野球専門学校」

 学校を持ち上げるような発言を宮島がすると、高川は軽く息を吐いてから横目で宮島を見る。

「どうだかな。お前のおかげかもよ」

「はい?」

「他のクラスの生徒はそこまででもない。けど、新本に友田。その2人は顕著に、それ以外はわずかにだけど球持ちがよくなってる。宮島。以前、お前のキャッチングセンスの話、秋原通じてやったろ?」

「うん」

 あれはひと月ほど前の事である。宮島はノーコン投手陣の相手を散々やっていたため、1年生の中でも屈指のキャッチングセンスを身に着けた。その結果、後ろにこぼさないと言う信頼感から、投手陣が低めに思い切って投げてくれる。という話を秋原経由で高川がしたのだ。

「リリースポイントを前にするって言うのは、リリースを遅らせると言う意味でもある。要は地面に叩きつけるように、な」

「まさか、それが僕のキャッチングのおかげだと?」

「だと推測する」

「そりゃあねぇな」

「なんで?」

「野球人としての勘。そんなにちょっとしたことで変わるかよ」

「そう言われたら何も言えないぜ」

 勘と言われてしまえば、論理的に返すのが不可能。となれば高川もそこまでだ。

「ただいずれにせよ、球持ちがいいって十分に武器だぜ? 宮島」

「球が速く見えるしな」

 リリースポイントが前と言う事は、それだけリリースポイント~ミートポイントの距離が小さくなることを意味する。仮に球速が同じでも、距離が近ければ速く見える。極端な話、ソフトボールの投球は110キロ前後でも、野球の体感速度にして160キロになるのと同じ理屈だ。

 もちろんソフトボールは野球と比べて数メートル、投手―ホーム間が違う。一方でリリースポイントはせいぜい数十センチの差。誤差の範囲のように思えるが、野球のバッティングとはコンマ数秒の世界での戦い。さらにコンマゼロ数秒の世界で凡打とヒットが分かれる世界。その中での数十センチは大きな値だ。

「よかったじゃねぇの。理由はなんにせよ、4組の強みだぜ」

「ほんと、高川はいろいろな情報を探ってくるな。お前の情報処理能力こそ4組の強みだよ」

 いっそのこと冷やしかえしてみるが、さわやかな笑顔を返してくるにとどまる。

 そうしていると、室内練習場前の廊下をあわただしく走る音。

「速報~速報~」

 この廊下に反響する高い声は秋原のもの。新本からのボールを受け取った宮島は、投げ返さずにドアの方を向いておく。すると、ちょうど部屋の中に彼女が飛び込んできた。

「どうした、明菜」

「追加点。4番の佐々木くんが、6―4―3のゲッツーの間に、3塁ランナーの寺本くんが生還して1点追加」

「お、マジか。やったな。後は塩原、立川のリレーで逃げ切れる。このままなら勝てるぞ」

 新本も反対側でガッツポーズ。1失点した分を取り返してくれたという喜びもあるのだろう。

「よし。新本。そろそろいいか?」

「うん。いいよ~」

 ちょうどいい頃合いだろう。キャッチボールも適当に切り上げる。

「高川。アイシング」

「あいよ。ロッカールームでな」

「新本さんは女子のロッカールームでね」

「は~い」

 いつもより少し短めなのは、初勝利の瞬間を目に焼き付けたいから。と言うのは言うまでもない。



『8回の裏、1年4組、守備の交代です。ピッチャー、新本に代わりまして、塩原。背番号17。キャッチャー、宮島に代わりまして、小村。背番号39。代走で出ました、寺本がセンター。センターの小崎がライト。以上のように代わります』

 8回の表の追加点は1点のみ。だがこの1点は1年3組に重くのしかかる。

 マウンド上の塩原。練習でしか組んだことのないキャッチャーの小村。彼からのサインに不安を覚えながらも頷き、投球モーションへ。振りかぶり、そして左足を上げた後、尻を後ろに突き出すように体を『く』の字に曲げる。そこから大きく後ろに引いた右腕を、マウンドに向けて振り下ろす。

 アンダースロー。地面スレスレから放たれたボールは、上投げとは違う、浮き上がるような軌道で高めに構えられたミットへ。

「ストライーク」

『115㎞/h』

 球速はせいぜい神部クラス。女子では速い部類で、同期の男子に比べれば遅い部類。それでも彼が通用しているのは、アンダースローと言う特殊な投法であるがゆえだ。

「お、もう8回の守備始まってるじゃん」

 右肩にアイシング用のサポーターを巻いた宮島、そして高川が1塁側ベンチに到着。新本・秋原組は少し手間取っている様子である。

「宮島くん。高川くん。8回表、1点を追加しましたよ」

「明菜から聞きました。なんでも佐々木のゲッツーとか」

 なぜ相手はホームで3塁ランナーを殺さなかったのかは不明だが、1点が入ったのは悪い事ではない。宮島はベンチから身を乗り出す。

「塩原ぁぁぁぁ。しっかりな」

 頷く塩原。そうみると宮島の声掛けに返事をしたように見えるが、ただ小村のサインに頷いただけである。

 ここまでツーベース1本を含む2打数2安打の和田部。体を沈みこませながら第2球。

「ボール」

 指にボールが引っかかったか、直接バックネットに当てる大暴投。ひやっとさせるワンプレーだが、普段から受けている宮島にしてみれば驚くことでもない。彼の暴投はよくあることである。

 新しいボールをもらい、次の投球。低いリリースポイントから投げ上げられたボールは、インコースいっぱい。張っていた球だったのか、和田部は自信満々にスイング。ところがそのボールは手元で沈みながら切れ込んでくる。

「くっ」

 塩原の十八番、スクリューだ。窮屈そうにバットに当てると、詰まった打球は1塁側ベンチ付近への小フライ。普通であればファールの打球だが、

「任せぇ」

 ファーストを守るは俊足の神城。外野手顔負けの快足を飛ばし、ファールグラウンドを全力疾走。ボールが地面に落ちる寸前で滑り込み、ボールをグローブに収める。

「アウト」

「ナイピッチ、塩原」

「「「ナイファー、ナイファー」」」

 いかにもピッチャーが上手く打ち取ったような声掛けをする神城に対し、1塁側ベンチからはナイスファーストと神城を賞賛する声掛け。

「しっかり守っちゃるけぇ、ちゃんと投げぇよ?」

 すると神城は照れ隠しのつもりか、さらにピッチャーの塩原に声掛けを重ねる。

『(小村もここ最近はキャッチャーに慣れて来たし、得点差も2点。守備もしっかり盤石。塩原・立川のリレーだし、ここは逃げ切れるかな?)』

 ついに23連敗ストップ、そして初勝利が見えてきた。

 宮島は心に余裕を持ちながらベンチに腰掛ける。と、そのタイミングでベンチに飛び込んできたのは新本。

「どう? どう? 試合はどう?」

「新本。せめてアンダーシャツを着て来い」

 よほど試合展開が気になったのか、彼女はアイシング用サポーターを肩と肘に巻いて、その上にユニフォームを羽織っただけの恰好。前のボタンを留めているからいいが、外せばその下は即下着のとんでもない状況だ。

 それに対して呆れて忠告すると、そこに秋原も追いつく。

「だから言ったでしょ。とりあえずアンダーだけ着てきた方がいいって」

「そうだぞ。あまり変な格好するなよ。ここは血の飢えた野獣ばっかりだぞ」

「「「誰が野獣だっ」」」

 ベンチ内の男子(やじゅう)勢から大批判。

「まぁ、『野』球好きの元『獣』王には変わりないですけど……」

「広川さんはそうですけどね」

 応援歌に『獣王』の字が入る球団の出身である広川。そう考えれば彼が最も『野獣』なのだが、宮島的野獣とは、思春期が終わったばかりの少年たちである。

 新本は不満そうにベンチ裏へと引き上げる。アンダーシャツを着るためには、羽織っているユニフォームを脱がなくてはならず、かといって裸になるわけにはいかない。となると、もちろん女子ロッカールームに行っての着替えだ。

 そうドタバタしている合間に、打席に入った7番の山県。初球を引っ掛けてサードゴロを打ってしまう。これを鳥居が難なく処理してツーアウト。

 まったくもって不安を感じないピッチング。

 友田が6イニングを無失点。7回に新本が1失点を喫するも、8回にマウンドに上がった塩原は6、7番を連続凡退。さらに、

「ストライクバッターアウト」

 8番の大関をスクリューで空振り三振。

 つまり8回は無失点。

「よっしゃあ」

 久しぶりにキャラの壊れた広川。大きくガッツポーズをして、この回を無失点に乗り切った塩原―小村バッテリーを迎えるため、ベンチを飛び出していく。

「よくやりました。ナイスピッチング。そして、ナイスリードです」

 塩原、小村と続いて広川とハイタッチ。さらに小村は、広川の後ろにいた宮島に向けて手を出す。すると宮島も「ナイスリード」と言いながらハイタッチ。

「み~やん。アイシングは終わってん?」

「いや、明らかにしてる途中だろ?」

 サポーターを付けていることで、アメフト選手のように盛り上がった右肩を指さす。

「それよりみ~やん。ワイのリード、どやった?」

「さぁ? 僕が来たのはイニング途中だったし、ここからじゃリードなんて分からないって。でも、無失点に抑えたってことはいいリードだったんじゃないの?」

 宮島も捕手主導リードの心得が無いわけではないのだが、投手主導を軸に置いているだけに、それほど強く突っ込まれてもあまり分からない。そのため、適当に結果論的な話を持ち出してそれっぽく肯定しておく。

「宮島、戻って来とったんじゃなぁ。あれ? 新本はどうしたん?」

「新本なら、アンダーシャツを着にロッカールームに戻った」

「どういうことなん?」

 経緯を知っているならまだしも、そうとだけ言われてもまったくもって意味が分からない神城。宮島があまりにも説明を端折りすぎである。その後、少しだが時間をかけて神城へと説明してみる。すると彼はなんとなく意味を察したようで、途中から頷きが増えていった。

「新本らしいっちゃぁ、新本らしいのぉ」

「私がどうしたの~」

 そこへ宮島と同じく、アメフト選手ばりに右肩の膨らんだ新本が登場。さらに普段に比べて胸元が膨らんでいるように見えるが、これはサポーターを巻いているためである。

「新本。アイシングの時に表に出るんじゃったら、せめてアンダーシャツくらいは着にゃあいけんよ?」

「だって、早く試合が見た――」

「もうピーナッツ持っていかんで?」

「着る。忘れずに着る」

 ピーナッツで神城に餌付けされてしまった新本は、もう彼の忠告には忠実だ。水族館で芸をするイルカがもし人間の言葉を話すならば、おそらくはこのようなやりとりが行われるのではなかろうか。



 9回の表の1年4組の攻撃。先頭の前園はセカンドゴロ。続く8番は、宮島に代わってマスクを被る小村。野手転向以降、守備のみの出場が続いていたため、野手としては初打席。その記念すべき第1打席、投手時代合わせて通算3打席目で、三遊間を破るレフト前ヒット。初めてのヒットを放つ。さらにピッチャーの塩原に代わって代打の大野だが、ここはサードライナーに倒れてツーアウト。

 ツーアウト1塁。この状況で期待できるバッター、神城だが、

「アウト、チェンジ」

 ライトフライ。この試合、5打数1安打と、ヒットこそ放っているものの彼らしくない成績である。

 いまいち攻めきれない攻撃により無得点。2点差のまま、初勝利を賭けて迎えた最終回の裏。球場に、秘密兵器投入を告げるウグイスが響き渡る。

『9回の裏。選手の交代です。ピッチャー、塩原に代わりまして、立川。背番号63』

「ふっふっふ。2点差で打順は9番の代打に始まり、1番に繋がる展開。チームが相手から追撃を受ける中、俺は立ちふさがる。そう。強大な敵を前に、仲間を守るために足止め役を買って出る主人公のごとく」

「立川。早く投球練習を始めろ」

「隊長。俺の事は副隊長と――」

「副隊長。隊長権限で解任するぞ」

「おっと、そいつは困る」

 クローザーとして送り出された立川。相変わらずオタク世界に片足を突っ込んだまま。彼がマウンド上で恥ずかしいことを口にしていると、ベンチから宮島の怒号が飛ぶ。しかし立川は、それを改めるつもりなど一切ない様子で投球練習を始める。

「いぃやっほぉぉぉ。今日も絶好調だぜぇぇぇ。この場面でこの調子って、主人公補正ってやつ?」

「偶然じゃろぉ」

「偶然だろうな」

「偶然~」

「右に同じ」

 ファーストの神城、さらに宮島、新本、秋原と似たような独り言。間違っても主人公補正などというものではないと言う結論だ。

「でも、立川くんも調子いいみたいだし、もしかしたらもしかするかも」

「どうだろうな……」

「かんちゃん、弱気すぎるよ。だって――」

「調子がいいからこそ怖い」

「調子に乗り過ぎって事?」

 宮島の一言に一抹の不安を覚えた秋原。しかし彼の不安は彼女の考えとは別であった。

「あいつが絶好調って言う日は、だいたいフォークがキレキレなんだよな」

「え? それっていい事なんじゃ……」

「ピッチャーVSバッターなら、な」

 まったくもって意味が分からない秋原だが、ベンチ内に暗い空気が流れるのを避けるため、適当なところで話を切り上げてしまう。

『(いったいどういうこと? 調子がいいのが不安って……)』

 宮島に続いて秋原も不安を持った中、9回の裏の守備が始まる。3組の先頭は、ピッチャーの築田に代わって長浜。普段はサードを守っている選手で、打撃のタイプとしてはリーディングヒッター。やはりここは長打よりも、とにかくランナーを出したい考えなのだろう。

「ストライーク」

 アウトコース低めへのストレートでワンストライク。非常に厳しいコースへいきなり放ったことからして、彼の絶好調は本当のようである。だが、もしもそれが本当ならば、宮島の話していた言葉の意味が重くなってくる。

「で、でもかんちゃん」

 さすがに耐え切れなくなった秋原は、話を再び掘り返してしまう。

「ストライク、ツー」

 2球目はカーブでタイミングを外して空振りツーストライク。

「もしも、もしもだよ。もし、かんちゃんの言うように、立川くんに絶好調ゆえの問題があるのだとしたら、マネージメント科の勘のいいエースが見つけていると思うよ?」

「どうだかな。高川の情報解析は凄いけど、奴の解析にはひとつの欠点がある」

「ボール」

 彼がそう断言した直後、高めのストレートでまずは一呼吸を置き、カウント1―2。

 宮島もしばらく時間を置いてから話しはじめる。

「それは、過去のデータから算出すること。ここで僕が問題としているのは、実は立川の問題じゃない。それはな――」

「ストライクスリー」

 4球目。低めのフォークボールで空振りを取った。球審もスリーストライクのコール。右手を上げた。だが、もうひとつコールが無い。

「ふ、振り逃げっ?」

 最後の球。低めにワンバウンドしたボールを、キャッチャーの小村は後逸。バックネット付近まで転がったボールに、急いで追いついた小村だが、1塁送球は間に合わない。

「しばらくキャッチャーから離れていた小村には、立川のキレ過ぎるフォークは捕れないって可能性だよ。僕は前々からキャッチャーだったから、それほど苦にはしなかったけど」

 宮島は入学前から今までほぼキャッチャー一筋。また入学直後のノーコン投手陣を支えただけあり、キャッチングに関しては1年生捕手では屈指の実力。彼だからこそ今まで問題にならなかったことだ。それがしばらくキャッチャーから離れ、久しく転向した小村にとっては、小・中で組んだことのないレベルの投手を相手にするのはキツすぎる。

「ふ~ん。なるほどねぇ。ウチの投手陣は、キャッチングの神様たる宮島のせいで、容赦なく低めに投げるし。小村にとっては苦難の9回だねぇ」

「そういうこと。さすが高川。頭の回転が早くて助かる。まぁそれでも、『キャッチングの神様』ってとこだけは否定しておくけどな」

 宮島を他のポジションに移していたなら、最悪、キャッチャーに戻すことでこの回は乗り切れただろう。だが一度ベンチに戻ってしまった以上、再出場は不可能だ。それに、仮に宮島が他の守備位置を守っていたところで、広川はキャッチャーにしなかっただろう。ここが小村にとって、最高の教育の舞台だからだ。

「ストライーク」

「立川。委縮してるな。腕が振れてない」

「私には分からないけど……そうなの?」

「宮島くんの言う通りです。立川くんは、先ほどの暴投で、腕の振りが甘くなっています」

 宮島に聞き返してみると、彼の代わりに広川が答える。

「先ほどの投球は紛れもなく暴投でしょう。つまり『記録上は』ピッチャーの責任です。ですが問題なのは、ウチの正捕手は、あれくらいのワンバンなら暴投にしないことです。つまり宮島くんなら捕れる球を後逸したのですから、立川くん的にはパスボールされたと思っているところでしょう。暴投が怖くて腕が縮んでいますね」

「ボール」

 次の投球は高めに外れるボール球。

「あれを捕ってやれなかったのは厳しいなぁ」

「い、いや。あれを捕れる君が異常なんですよ? 下手したらプロのキャッチャーでも後逸しますよ。あれは」

「そりゃあ、たまには後逸しますよ?」

「たまにしか後逸しないんですね……」

 指導者として選手の成長を喜びたいところではあるが、素直に喜べない理由と、呆れてしまうところがある広川。今できるのはただ苦笑いを浮かべるのみである。

「ストライーク」

 ボールをもう1球挟み、次のボールはストライク。

 なんだかんだ言いながらも追い込んだ。と見ることができそうだが、相手方はここまで球道を見ていたような、戦略的な見逃しにも見えた。

「宮島くんなら、ここはどうしますか?」

「僕なら低めのフォーク一択です。けど」

「先ほどの恐怖があって投げられない……ですか」

「はい。ただ、ここは九分九厘、三振が取れるなら後逸してもいいかと」

「振り逃げはできませんし、となればランナーが2塁に進むのみ。送りバントと考えれば、上々と?」

「僕ならそう考えます」

 正捕手の宮島はそう考えるが、彼からバトンを譲り受けた小村の判断は?

 サインを出し終り、立川もセットポジションへ。1塁へ1球だけ牽制を挟み、三振も期待できる5球目。立川がモーションに入ると同時に、小村は身をかがめてミットを低く構える。

『(来た。低め、フォークボール)』

 その光景を見て宮島は判断。だが、その直後に放られたコースは低めではなかった。

 リリース直後、小村のミットは、構えていた位置より高めへ動いていく。

 高めからど真ん中に落ちるフォークボール。非常に甘く入ったボールを、バッターの磯田は引っ張りタイミングでフルスイング。真芯で捉えたボールは一二塁間を破る――かのように思われた直後だ。

 大きく口を開けた一二塁間へ、神城がダイビングして飛び込んでくる。伸ばした左手ミットにボールが飛び込む。

「2つ」

 上体だけ起こした神城は、小村の指示通りに2塁へと送球。無理な体勢であったためノーバウンドでは届かずも、2塁ベースカバーに入った前園がショートバウンドでキャッチ。そしてこちらも無理な体勢で捕球したため、送球は遅れたが1塁へ。

「セーフ」

 2塁は封殺も、1塁は磯田の足が間に合いセーフ。ゲッツーは取れなかったが、神城のファインプレーで傷が広がるのを防ぐ。

「ナイスプレー、神城ぉぉぉぉぉ」

「長曽我部、うるさいで」

 1塁側スタンドを指さして文句を言う神城。もちろん彼なりの照れ隠しである。

「まだ気を抜くなぁぁぁぁ。ここからここからぁぁぁ」

「広川さんって、現役時代、2軍の経験は?」

「もちろんありますよ」

「2軍の観客ってあんな感じじゃないですか?」

 宮島は真上を指さす。そこにあるのは天井だが、彼が言いたいのは1塁側スタンド。そこにいる長曽我部だ。広川は腕組みして少々考えこんだ後、

「私の時はいなかったですね。時々いるみたいですけど」

 1軍では大歓声で消えてしまう事もあるが、2軍の試合は観客もそれほど多いとは言えないため、非常に声が通るのである。

『2番、ショート、上島』

 続く2番の上島が右バッターボックス。

 1塁ランナーの磯田は、立川のセットポジションと同時に大きなリード。さすが1番を打つだけある走塁意識だ。

 立川の足が上がる。と、ランナーがスタート。

『(走った)』

 それを視界に捉えて送球姿勢に入ろうとする小村だが、そこで甘く入ったインコースへの変化球を上島が引っ叩く。打球はボールの頭にかすったようで、高くバウンドするショート正面のゴロ。

『(マズイ。内野安打になる)』

 宮島の直感がそう訴える。だが、そうはさせない。

「あらよっ」

 ショートの前園がバウンドに合わせて素手でボールをキャッチ。勢いを殺さずに1塁へと送球。

「アウトっ」

 ベアハンドキャッチからの1塁送球。これが間一髪で間に合いツーアウト。

「ナイスプレー、前園ぉぉぉぉぉ」

「うるさいで」

「うるさいぞ」

 騒ぎ立てる長曽我部は、神城&前園から揃ってバッシングを受ける。

「前園ってベアハンド好きだよなぁ」

「以前、前園くんに聞いたんだけど~」

 よく前園の好守、主にベアハンドに助けられている宮島は、勝利寸前の興奮をごまかすようにつぶやく。すると秋原も、同じような興奮をごまかすように話に乗っかる。

「前園くんって母子家庭で、グローブとか買ってもらえなかったんだって。それで近所で拾ったボールを使って、素手で壁当てしてたら上手くなったって」

「グローブを買ってもらえないほどなのにこの学校に来れたのか……」

「再婚とかしたんじゃない?」

 さすがにそこまでプライベートに入り込む気の無かった秋原は、おそらくは最も考え得る推測で答える。

 なお秋原の推測は当たっており、前園が小学校4年生の時、母親がそこそこ大企業の役員と再婚し、一気に裕福になったのである。それからグローブを買ってもらったり、それどころか野球部にも入ったのだが、習慣でベアハンド壁当てを続けていたため、今のようなベアハンド巧者になったのである。

「あっと1人、あっと1人」

「そ、それが一番考えられるよな」

 ついさっき「気を抜くな」と言っていながら、あと1人コールを始めた長曽我部。彼の声を無視して気を引き締める宮島。

「あっと1人、あっと1人」

「で、でしょ? 私の推測もあながち間違いではないと――」

「「あっと1人、あっと1人」」

「ちょっと、新本、うるさい」「ちょっと、新本さん、うるさいよ」

 長曽我部に加えて新本も盛り上がり始めると無視はできない。

『3番、ファースト、笠原』

 ランナーを2塁に置いて、一発のある3番・笠原。一発が出れば同点の場面、もし彼を出してしまえば、一発サヨナラの場面で、4番のバーナードに回ってしまう。

「ストライーク」

 いきなりのフルスイング。ここは低めのカーブでワンストライク。

「あっと1人、あっと1人」

「あと1人~、あと1人~」

 長曽我部&新本のあと1人コール。

 2人以外は冷静を気取り、広川は腕組みをしながら監督として試合を見守る。

「ストライーク」

 2球目は低めへのフォークボール。暴投を恐れないその一投で空振りツーストライク。これを小村は捕球し損ねるが、前に落として進塁は阻止。

『(そうです。小村くん。宮島くんのように捕れとは言いません。前に落としていれば、おいそれとは進塁できないものです)』

 あと1球でも油断はしない。冷静に。

 小村は球審から新しいボールをもらって投げ渡す。受け取った立川は、バックスクリーンを向くように振り返り大きく深呼吸。そしてスコアとカウントを確認。

 合計スコア 3 ― 1 2点のリード

 カウントのところには、赤いランプが2つ、黄色いランプが2つ点灯している。ボール球はまだ余裕がある。広くゾーンを使える。

 軽く目を閉じて胸に手を当てる。

『(ふぅ。大丈夫さ。俺には神様が付いている。そう、八百万の神々たちが。よし、心を落ちつけよう。臨、兵、闘、者、列、皆、前、列、在、前)』

 九字ではなく十字であり、順番も前半だけまともで後半はバラバラ、同じワードが複数でてきているのだが、まったくもって気にせず、そして気付かず。

『(よし、毘沙門天の加護は得た)』

 しかも八百万と言っておきながら、最終的には毘沙門天に頼りだしている。

 むしろこうした事を考えられるあたり、こうした状況でも平常運転である安心感ではある。

『(じゃあ、最後はこれで一球外したらどうやろ?)』

 小村のストレートのサインに首を振る。

『(じゃあ、3球勝負? これを低めに落として――)』

 フォークも首を振る。

『(まさかこれ?)』

 さらにカーブにも首を振る。

『(?)』

 まさかと思って出したサインに頷かれる。

 コースを指定する前に、立川はセットポジションへ。おそらくは任せろ。と言う事だろうと判断し、小村はミットを大きく開いて構える。

 第3球目。立川の足が上がり、前に踏み出される。

 後ろに引いた右腕が振り上げられ、頂点より前にいったところでリリース。

 投球は――

『(デ、デッドボール?)』

 インコースのボールゾーンを襲う投球。笠原は急に投げられたボールに、条件反射で回避行動を取る。ところがそのボールは、バッターの手前で急に外側へと曲がる。

『(こ、これはっ――)』

 小村がしっかり伸ばしたミットに、けたたましい音を立ててボールが飛び込んだ。

「ストライクバッターアウト、ゲームセット」

『(シュート……)』

 ストレート・カーブ・フォークを軸にピッチングを組み立てる立川。しかし、もし投げる球が無くなった時は、普段使わない球を解禁する。それがシュートだ。

 小村がボールの感覚を味わうように微動だにしない中、マウンド上の立川が一度しゃがみこみ、反動を付けてから両腕を空へと突き上げた。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 雄叫びが上がり、それを合図にベンチから次々と控えのメンバーが飛び出してくる。

「勝ったぁぁぁぁぁぁぁ」

 まずは俊足の新本が立川に突撃。

「う、うわわわ、に、新本ぉぉ」

 得てして二次元オタクとは三次元(リアル)の女子には耐性がないものである。

 あわてる立川の元へ内外野の選手、そしてキャッチャー小村、さらにベンチの選手が集まってきて、

「せぇ~の、「「「わ~っしょい、わ~っしょい」」」」

 偶然やりやすい場所にいたと言う、行き当たりばったりな理由で、原井の胴上げが開始。もちろんこれで優勝ではなく、学内リーグぶっちぎりの最下位である。

「広川先生~胴上げです」

 背番号に準えた7回の胴上げが終わると、次は広川へと注目が集まった。

「「「ひっろかわ、ひっろかわ」」」

「「「ひ、ろ、し。ひ、ろ、し」」」

「私は結構です」

 丁重に断る広川。すると選手全員の目は、キャプテンへと集まる。

「「「みっやじま、みっやじま」」」

「え? え? え? うぉぉぉぉい、高い、高い、高いって、うおぉぉぉぉぉぉ」

 1度、2度、3度と宙を舞う。

 そこでもう一度注意である。優勝ではなく最下位である。

 結局背番号通り、27回も宙を舞った宮島。気持ちが悪くなって足元がふらついているところへ、秋原が飛んでくる。

「大丈夫? 肩、貸してあげようか?」

「ごめん。うわぁ、気持ちわりぃぃ。久しぶりに酔った」

 秋原の首元に左腕を回し、肩を借りてベンチに引き揚げる。その背後では、

「「「と、も、だ。と、も、だ」」」

 勝利投手の胴上げが行われていた。

 なお友田の背番号は、バッティングの上手い某外国人助っ人に由来する『49』である。

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