第5話 主人公?補正
クールダウンのため、室内練習場にて軽いキャッチボールをこなしていた宮島・新本の両名。それを暇そうに眺めるのは高川。
「そう言えば宮島ぁ」
「なんだ? 疑惑のマネージメント科生」
「疑惑ってなんだよ。そんなことはどうだっていいや」
メガネを押し上げながら、反対側にいる新本に目をやる。
「あいつ、ストレートの投げ方変わったな」
「入学当初と比べてな。あの時は酷かったぞ。真上から振り下ろすなんて、肩に負担ががんがんかかるような投げ方だったし」
「いや、そうじゃなくてリリースポイント」
「リリースポイント?」
新本からのボールを受け、投げ返しながら聞き返す。
「球持ちが良くなったとか?」
「そういうこと。見た限りだと、友田も入学当初に比べて、球持ちが良くなってたな」
「みんなすごく成長してるな。さすが野球専門学校」
学校を持ち上げるような発言を宮島がすると、高川は軽く息を吐いてから横目で宮島を見る。
「どうだかな。お前のおかげかもよ」
「はい?」
「他のクラスの生徒はそこまででもない。けど、新本に友田。その2人は顕著に、それ以外はわずかにだけど球持ちがよくなってる。宮島。以前、お前のキャッチングセンスの話、秋原通じてやったろ?」
「うん」
あれはひと月ほど前の事である。宮島はノーコン投手陣の相手を散々やっていたため、1年生の中でも屈指のキャッチングセンスを身に着けた。その結果、後ろにこぼさないと言う信頼感から、投手陣が低めに思い切って投げてくれる。という話を秋原経由で高川がしたのだ。
「リリースポイントを前にするって言うのは、リリースを遅らせると言う意味でもある。要は地面に叩きつけるように、な」
「まさか、それが僕のキャッチングのおかげだと?」
「だと推測する」
「そりゃあねぇな」
「なんで?」
「野球人としての勘。そんなにちょっとしたことで変わるかよ」
「そう言われたら何も言えないぜ」
勘と言われてしまえば、論理的に返すのが不可能。となれば高川もそこまでだ。
「ただいずれにせよ、球持ちがいいって十分に武器だぜ? 宮島」
「球が速く見えるしな」
リリースポイントが前と言う事は、それだけリリースポイント~ミートポイントの距離が小さくなることを意味する。仮に球速が同じでも、距離が近ければ速く見える。極端な話、ソフトボールの投球は110キロ前後でも、野球の体感速度にして160キロになるのと同じ理屈だ。
もちろんソフトボールは野球と比べて数メートル、投手―ホーム間が違う。一方でリリースポイントはせいぜい数十センチの差。誤差の範囲のように思えるが、野球のバッティングとはコンマ数秒の世界での戦い。さらにコンマゼロ数秒の世界で凡打とヒットが分かれる世界。その中での数十センチは大きな値だ。
「よかったじゃねぇの。理由はなんにせよ、4組の強みだぜ」
「ほんと、高川はいろいろな情報を探ってくるな。お前の情報処理能力こそ4組の強みだよ」
いっそのこと冷やしかえしてみるが、さわやかな笑顔を返してくるにとどまる。
そうしていると、室内練習場前の廊下をあわただしく走る音。
「速報~速報~」
この廊下に反響する高い声は秋原のもの。新本からのボールを受け取った宮島は、投げ返さずにドアの方を向いておく。すると、ちょうど部屋の中に彼女が飛び込んできた。
「どうした、明菜」
「追加点。4番の佐々木くんが、6―4―3のゲッツーの間に、3塁ランナーの寺本くんが生還して1点追加」
「お、マジか。やったな。後は塩原、立川のリレーで逃げ切れる。このままなら勝てるぞ」
新本も反対側でガッツポーズ。1失点した分を取り返してくれたという喜びもあるのだろう。
「よし。新本。そろそろいいか?」
「うん。いいよ~」
ちょうどいい頃合いだろう。キャッチボールも適当に切り上げる。
「高川。アイシング」
「あいよ。ロッカールームでな」
「新本さんは女子のロッカールームでね」
「は~い」
いつもより少し短めなのは、初勝利の瞬間を目に焼き付けたいから。と言うのは言うまでもない。
『8回の裏、1年4組、守備の交代です。ピッチャー、新本に代わりまして、塩原。背番号17。キャッチャー、宮島に代わりまして、小村。背番号39。代走で出ました、寺本がセンター。センターの小崎がライト。以上のように代わります』
8回の表の追加点は1点のみ。だがこの1点は1年3組に重くのしかかる。
マウンド上の塩原。練習でしか組んだことのないキャッチャーの小村。彼からのサインに不安を覚えながらも頷き、投球モーションへ。振りかぶり、そして左足を上げた後、尻を後ろに突き出すように体を『く』の字に曲げる。そこから大きく後ろに引いた右腕を、マウンドに向けて振り下ろす。
アンダースロー。地面スレスレから放たれたボールは、上投げとは違う、浮き上がるような軌道で高めに構えられたミットへ。
「ストライーク」
『115㎞/h』
球速はせいぜい神部クラス。女子では速い部類で、同期の男子に比べれば遅い部類。それでも彼が通用しているのは、アンダースローと言う特殊な投法であるがゆえだ。
「お、もう8回の守備始まってるじゃん」
右肩にアイシング用のサポーターを巻いた宮島、そして高川が1塁側ベンチに到着。新本・秋原組は少し手間取っている様子である。
「宮島くん。高川くん。8回表、1点を追加しましたよ」
「明菜から聞きました。なんでも佐々木のゲッツーとか」
なぜ相手はホームで3塁ランナーを殺さなかったのかは不明だが、1点が入ったのは悪い事ではない。宮島はベンチから身を乗り出す。
「塩原ぁぁぁぁ。しっかりな」
頷く塩原。そうみると宮島の声掛けに返事をしたように見えるが、ただ小村のサインに頷いただけである。
ここまでツーベース1本を含む2打数2安打の和田部。体を沈みこませながら第2球。
「ボール」
指にボールが引っかかったか、直接バックネットに当てる大暴投。ひやっとさせるワンプレーだが、普段から受けている宮島にしてみれば驚くことでもない。彼の暴投はよくあることである。
新しいボールをもらい、次の投球。低いリリースポイントから投げ上げられたボールは、インコースいっぱい。張っていた球だったのか、和田部は自信満々にスイング。ところがそのボールは手元で沈みながら切れ込んでくる。
「くっ」
塩原の十八番、スクリューだ。窮屈そうにバットに当てると、詰まった打球は1塁側ベンチ付近への小フライ。普通であればファールの打球だが、
「任せぇ」
ファーストを守るは俊足の神城。外野手顔負けの快足を飛ばし、ファールグラウンドを全力疾走。ボールが地面に落ちる寸前で滑り込み、ボールをグローブに収める。
「アウト」
「ナイピッチ、塩原」
「「「ナイファー、ナイファー」」」
いかにもピッチャーが上手く打ち取ったような声掛けをする神城に対し、1塁側ベンチからはナイスファーストと神城を賞賛する声掛け。
「しっかり守っちゃるけぇ、ちゃんと投げぇよ?」
すると神城は照れ隠しのつもりか、さらにピッチャーの塩原に声掛けを重ねる。
『(小村もここ最近はキャッチャーに慣れて来たし、得点差も2点。守備もしっかり盤石。塩原・立川のリレーだし、ここは逃げ切れるかな?)』
ついに23連敗ストップ、そして初勝利が見えてきた。
宮島は心に余裕を持ちながらベンチに腰掛ける。と、そのタイミングでベンチに飛び込んできたのは新本。
「どう? どう? 試合はどう?」
「新本。せめてアンダーシャツを着て来い」
よほど試合展開が気になったのか、彼女はアイシング用サポーターを肩と肘に巻いて、その上にユニフォームを羽織っただけの恰好。前のボタンを留めているからいいが、外せばその下は即下着のとんでもない状況だ。
それに対して呆れて忠告すると、そこに秋原も追いつく。
「だから言ったでしょ。とりあえずアンダーだけ着てきた方がいいって」
「そうだぞ。あまり変な格好するなよ。ここは血の飢えた野獣ばっかりだぞ」
「「「誰が野獣だっ」」」
ベンチ内の男子勢から大批判。
「まぁ、『野』球好きの元『獣』王には変わりないですけど……」
「広川さんはそうですけどね」
応援歌に『獣王』の字が入る球団の出身である広川。そう考えれば彼が最も『野獣』なのだが、宮島的野獣とは、思春期が終わったばかりの少年たちである。
新本は不満そうにベンチ裏へと引き上げる。アンダーシャツを着るためには、羽織っているユニフォームを脱がなくてはならず、かといって裸になるわけにはいかない。となると、もちろん女子ロッカールームに行っての着替えだ。
そうドタバタしている合間に、打席に入った7番の山県。初球を引っ掛けてサードゴロを打ってしまう。これを鳥居が難なく処理してツーアウト。
まったくもって不安を感じないピッチング。
友田が6イニングを無失点。7回に新本が1失点を喫するも、8回にマウンドに上がった塩原は6、7番を連続凡退。さらに、
「ストライクバッターアウト」
8番の大関をスクリューで空振り三振。
つまり8回は無失点。
「よっしゃあ」
久しぶりにキャラの壊れた広川。大きくガッツポーズをして、この回を無失点に乗り切った塩原―小村バッテリーを迎えるため、ベンチを飛び出していく。
「よくやりました。ナイスピッチング。そして、ナイスリードです」
塩原、小村と続いて広川とハイタッチ。さらに小村は、広川の後ろにいた宮島に向けて手を出す。すると宮島も「ナイスリード」と言いながらハイタッチ。
「み~やん。アイシングは終わってん?」
「いや、明らかにしてる途中だろ?」
サポーターを付けていることで、アメフト選手のように盛り上がった右肩を指さす。
「それよりみ~やん。ワイのリード、どやった?」
「さぁ? 僕が来たのはイニング途中だったし、ここからじゃリードなんて分からないって。でも、無失点に抑えたってことはいいリードだったんじゃないの?」
宮島も捕手主導リードの心得が無いわけではないのだが、投手主導を軸に置いているだけに、それほど強く突っ込まれてもあまり分からない。そのため、適当に結果論的な話を持ち出してそれっぽく肯定しておく。
「宮島、戻って来とったんじゃなぁ。あれ? 新本はどうしたん?」
「新本なら、アンダーシャツを着にロッカールームに戻った」
「どういうことなん?」
経緯を知っているならまだしも、そうとだけ言われてもまったくもって意味が分からない神城。宮島があまりにも説明を端折りすぎである。その後、少しだが時間をかけて神城へと説明してみる。すると彼はなんとなく意味を察したようで、途中から頷きが増えていった。
「新本らしいっちゃぁ、新本らしいのぉ」
「私がどうしたの~」
そこへ宮島と同じく、アメフト選手ばりに右肩の膨らんだ新本が登場。さらに普段に比べて胸元が膨らんでいるように見えるが、これはサポーターを巻いているためである。
「新本。アイシングの時に表に出るんじゃったら、せめてアンダーシャツくらいは着にゃあいけんよ?」
「だって、早く試合が見た――」
「もうピーナッツ持っていかんで?」
「着る。忘れずに着る」
ピーナッツで神城に餌付けされてしまった新本は、もう彼の忠告には忠実だ。水族館で芸をするイルカがもし人間の言葉を話すならば、おそらくはこのようなやりとりが行われるのではなかろうか。
9回の表の1年4組の攻撃。先頭の前園はセカンドゴロ。続く8番は、宮島に代わってマスクを被る小村。野手転向以降、守備のみの出場が続いていたため、野手としては初打席。その記念すべき第1打席、投手時代合わせて通算3打席目で、三遊間を破るレフト前ヒット。初めてのヒットを放つ。さらにピッチャーの塩原に代わって代打の大野だが、ここはサードライナーに倒れてツーアウト。
ツーアウト1塁。この状況で期待できるバッター、神城だが、
「アウト、チェンジ」
ライトフライ。この試合、5打数1安打と、ヒットこそ放っているものの彼らしくない成績である。
いまいち攻めきれない攻撃により無得点。2点差のまま、初勝利を賭けて迎えた最終回の裏。球場に、秘密兵器投入を告げるウグイスが響き渡る。
『9回の裏。選手の交代です。ピッチャー、塩原に代わりまして、立川。背番号63』
「ふっふっふ。2点差で打順は9番の代打に始まり、1番に繋がる展開。チームが相手から追撃を受ける中、俺は立ちふさがる。そう。強大な敵を前に、仲間を守るために足止め役を買って出る主人公のごとく」
「立川。早く投球練習を始めろ」
「隊長。俺の事は副隊長と――」
「副隊長。隊長権限で解任するぞ」
「おっと、そいつは困る」
クローザーとして送り出された立川。相変わらずオタク世界に片足を突っ込んだまま。彼がマウンド上で恥ずかしいことを口にしていると、ベンチから宮島の怒号が飛ぶ。しかし立川は、それを改めるつもりなど一切ない様子で投球練習を始める。
「いぃやっほぉぉぉ。今日も絶好調だぜぇぇぇ。この場面でこの調子って、主人公補正ってやつ?」
「偶然じゃろぉ」
「偶然だろうな」
「偶然~」
「右に同じ」
ファーストの神城、さらに宮島、新本、秋原と似たような独り言。間違っても主人公補正などというものではないと言う結論だ。
「でも、立川くんも調子いいみたいだし、もしかしたらもしかするかも」
「どうだろうな……」
「かんちゃん、弱気すぎるよ。だって――」
「調子がいいからこそ怖い」
「調子に乗り過ぎって事?」
宮島の一言に一抹の不安を覚えた秋原。しかし彼の不安は彼女の考えとは別であった。
「あいつが絶好調って言う日は、だいたいフォークがキレキレなんだよな」
「え? それっていい事なんじゃ……」
「ピッチャーVSバッターなら、な」
まったくもって意味が分からない秋原だが、ベンチ内に暗い空気が流れるのを避けるため、適当なところで話を切り上げてしまう。
『(いったいどういうこと? 調子がいいのが不安って……)』
宮島に続いて秋原も不安を持った中、9回の裏の守備が始まる。3組の先頭は、ピッチャーの築田に代わって長浜。普段はサードを守っている選手で、打撃のタイプとしてはリーディングヒッター。やはりここは長打よりも、とにかくランナーを出したい考えなのだろう。
「ストライーク」
アウトコース低めへのストレートでワンストライク。非常に厳しいコースへいきなり放ったことからして、彼の絶好調は本当のようである。だが、もしもそれが本当ならば、宮島の話していた言葉の意味が重くなってくる。
「で、でもかんちゃん」
さすがに耐え切れなくなった秋原は、話を再び掘り返してしまう。
「ストライク、ツー」
2球目はカーブでタイミングを外して空振りツーストライク。
「もしも、もしもだよ。もし、かんちゃんの言うように、立川くんに絶好調ゆえの問題があるのだとしたら、マネージメント科の勘のいいエースが見つけていると思うよ?」
「どうだかな。高川の情報解析は凄いけど、奴の解析にはひとつの欠点がある」
「ボール」
彼がそう断言した直後、高めのストレートでまずは一呼吸を置き、カウント1―2。
宮島もしばらく時間を置いてから話しはじめる。
「それは、過去のデータから算出すること。ここで僕が問題としているのは、実は立川の問題じゃない。それはな――」
「ストライクスリー」
4球目。低めのフォークボールで空振りを取った。球審もスリーストライクのコール。右手を上げた。だが、もうひとつコールが無い。
「ふ、振り逃げっ?」
最後の球。低めにワンバウンドしたボールを、キャッチャーの小村は後逸。バックネット付近まで転がったボールに、急いで追いついた小村だが、1塁送球は間に合わない。
「しばらくキャッチャーから離れていた小村には、立川のキレ過ぎるフォークは捕れないって可能性だよ。僕は前々からキャッチャーだったから、それほど苦にはしなかったけど」
宮島は入学前から今までほぼキャッチャー一筋。また入学直後のノーコン投手陣を支えただけあり、キャッチングに関しては1年生捕手では屈指の実力。彼だからこそ今まで問題にならなかったことだ。それがしばらくキャッチャーから離れ、久しく転向した小村にとっては、小・中で組んだことのないレベルの投手を相手にするのはキツすぎる。
「ふ~ん。なるほどねぇ。ウチの投手陣は、キャッチングの神様たる宮島のせいで、容赦なく低めに投げるし。小村にとっては苦難の9回だねぇ」
「そういうこと。さすが高川。頭の回転が早くて助かる。まぁそれでも、『キャッチングの神様』ってとこだけは否定しておくけどな」
宮島を他のポジションに移していたなら、最悪、キャッチャーに戻すことでこの回は乗り切れただろう。だが一度ベンチに戻ってしまった以上、再出場は不可能だ。それに、仮に宮島が他の守備位置を守っていたところで、広川はキャッチャーにしなかっただろう。ここが小村にとって、最高の教育の舞台だからだ。
「ストライーク」
「立川。委縮してるな。腕が振れてない」
「私には分からないけど……そうなの?」
「宮島くんの言う通りです。立川くんは、先ほどの暴投で、腕の振りが甘くなっています」
宮島に聞き返してみると、彼の代わりに広川が答える。
「先ほどの投球は紛れもなく暴投でしょう。つまり『記録上は』ピッチャーの責任です。ですが問題なのは、ウチの正捕手は、あれくらいのワンバンなら暴投にしないことです。つまり宮島くんなら捕れる球を後逸したのですから、立川くん的にはパスボールされたと思っているところでしょう。暴投が怖くて腕が縮んでいますね」
「ボール」
次の投球は高めに外れるボール球。
「あれを捕ってやれなかったのは厳しいなぁ」
「い、いや。あれを捕れる君が異常なんですよ? 下手したらプロのキャッチャーでも後逸しますよ。あれは」
「そりゃあ、たまには後逸しますよ?」
「たまにしか後逸しないんですね……」
指導者として選手の成長を喜びたいところではあるが、素直に喜べない理由と、呆れてしまうところがある広川。今できるのはただ苦笑いを浮かべるのみである。
「ストライーク」
ボールをもう1球挟み、次のボールはストライク。
なんだかんだ言いながらも追い込んだ。と見ることができそうだが、相手方はここまで球道を見ていたような、戦略的な見逃しにも見えた。
「宮島くんなら、ここはどうしますか?」
「僕なら低めのフォーク一択です。けど」
「先ほどの恐怖があって投げられない……ですか」
「はい。ただ、ここは九分九厘、三振が取れるなら後逸してもいいかと」
「振り逃げはできませんし、となればランナーが2塁に進むのみ。送りバントと考えれば、上々と?」
「僕ならそう考えます」
正捕手の宮島はそう考えるが、彼からバトンを譲り受けた小村の判断は?
サインを出し終り、立川もセットポジションへ。1塁へ1球だけ牽制を挟み、三振も期待できる5球目。立川がモーションに入ると同時に、小村は身をかがめてミットを低く構える。
『(来た。低め、フォークボール)』
その光景を見て宮島は判断。だが、その直後に放られたコースは低めではなかった。
リリース直後、小村のミットは、構えていた位置より高めへ動いていく。
高めからど真ん中に落ちるフォークボール。非常に甘く入ったボールを、バッターの磯田は引っ張りタイミングでフルスイング。真芯で捉えたボールは一二塁間を破る――かのように思われた直後だ。
大きく口を開けた一二塁間へ、神城がダイビングして飛び込んでくる。伸ばした左手ミットにボールが飛び込む。
「2つ」
上体だけ起こした神城は、小村の指示通りに2塁へと送球。無理な体勢であったためノーバウンドでは届かずも、2塁ベースカバーに入った前園がショートバウンドでキャッチ。そしてこちらも無理な体勢で捕球したため、送球は遅れたが1塁へ。
「セーフ」
2塁は封殺も、1塁は磯田の足が間に合いセーフ。ゲッツーは取れなかったが、神城のファインプレーで傷が広がるのを防ぐ。
「ナイスプレー、神城ぉぉぉぉぉ」
「長曽我部、うるさいで」
1塁側スタンドを指さして文句を言う神城。もちろん彼なりの照れ隠しである。
「まだ気を抜くなぁぁぁぁ。ここからここからぁぁぁ」
「広川さんって、現役時代、2軍の経験は?」
「もちろんありますよ」
「2軍の観客ってあんな感じじゃないですか?」
宮島は真上を指さす。そこにあるのは天井だが、彼が言いたいのは1塁側スタンド。そこにいる長曽我部だ。広川は腕組みして少々考えこんだ後、
「私の時はいなかったですね。時々いるみたいですけど」
1軍では大歓声で消えてしまう事もあるが、2軍の試合は観客もそれほど多いとは言えないため、非常に声が通るのである。
『2番、ショート、上島』
続く2番の上島が右バッターボックス。
1塁ランナーの磯田は、立川のセットポジションと同時に大きなリード。さすが1番を打つだけある走塁意識だ。
立川の足が上がる。と、ランナーがスタート。
『(走った)』
それを視界に捉えて送球姿勢に入ろうとする小村だが、そこで甘く入ったインコースへの変化球を上島が引っ叩く。打球はボールの頭にかすったようで、高くバウンドするショート正面のゴロ。
『(マズイ。内野安打になる)』
宮島の直感がそう訴える。だが、そうはさせない。
「あらよっ」
ショートの前園がバウンドに合わせて素手でボールをキャッチ。勢いを殺さずに1塁へと送球。
「アウトっ」
ベアハンドキャッチからの1塁送球。これが間一髪で間に合いツーアウト。
「ナイスプレー、前園ぉぉぉぉぉ」
「うるさいで」
「うるさいぞ」
騒ぎ立てる長曽我部は、神城&前園から揃ってバッシングを受ける。
「前園ってベアハンド好きだよなぁ」
「以前、前園くんに聞いたんだけど~」
よく前園の好守、主にベアハンドに助けられている宮島は、勝利寸前の興奮をごまかすようにつぶやく。すると秋原も、同じような興奮をごまかすように話に乗っかる。
「前園くんって母子家庭で、グローブとか買ってもらえなかったんだって。それで近所で拾ったボールを使って、素手で壁当てしてたら上手くなったって」
「グローブを買ってもらえないほどなのにこの学校に来れたのか……」
「再婚とかしたんじゃない?」
さすがにそこまでプライベートに入り込む気の無かった秋原は、おそらくは最も考え得る推測で答える。
なお秋原の推測は当たっており、前園が小学校4年生の時、母親がそこそこ大企業の役員と再婚し、一気に裕福になったのである。それからグローブを買ってもらったり、それどころか野球部にも入ったのだが、習慣でベアハンド壁当てを続けていたため、今のようなベアハンド巧者になったのである。
「あっと1人、あっと1人」
「そ、それが一番考えられるよな」
ついさっき「気を抜くな」と言っていながら、あと1人コールを始めた長曽我部。彼の声を無視して気を引き締める宮島。
「あっと1人、あっと1人」
「で、でしょ? 私の推測もあながち間違いではないと――」
「「あっと1人、あっと1人」」
「ちょっと、新本、うるさい」「ちょっと、新本さん、うるさいよ」
長曽我部に加えて新本も盛り上がり始めると無視はできない。
『3番、ファースト、笠原』
ランナーを2塁に置いて、一発のある3番・笠原。一発が出れば同点の場面、もし彼を出してしまえば、一発サヨナラの場面で、4番のバーナードに回ってしまう。
「ストライーク」
いきなりのフルスイング。ここは低めのカーブでワンストライク。
「あっと1人、あっと1人」
「あと1人~、あと1人~」
長曽我部&新本のあと1人コール。
2人以外は冷静を気取り、広川は腕組みをしながら監督として試合を見守る。
「ストライーク」
2球目は低めへのフォークボール。暴投を恐れないその一投で空振りツーストライク。これを小村は捕球し損ねるが、前に落として進塁は阻止。
『(そうです。小村くん。宮島くんのように捕れとは言いません。前に落としていれば、おいそれとは進塁できないものです)』
あと1球でも油断はしない。冷静に。
小村は球審から新しいボールをもらって投げ渡す。受け取った立川は、バックスクリーンを向くように振り返り大きく深呼吸。そしてスコアとカウントを確認。
合計スコア 3 ― 1 2点のリード
カウントのところには、赤いランプが2つ、黄色いランプが2つ点灯している。ボール球はまだ余裕がある。広くゾーンを使える。
軽く目を閉じて胸に手を当てる。
『(ふぅ。大丈夫さ。俺には神様が付いている。そう、八百万の神々たちが。よし、心を落ちつけよう。臨、兵、闘、者、列、皆、前、列、在、前)』
九字ではなく十字であり、順番も前半だけまともで後半はバラバラ、同じワードが複数でてきているのだが、まったくもって気にせず、そして気付かず。
『(よし、毘沙門天の加護は得た)』
しかも八百万と言っておきながら、最終的には毘沙門天に頼りだしている。
むしろこうした事を考えられるあたり、こうした状況でも平常運転である安心感ではある。
『(じゃあ、最後はこれで一球外したらどうやろ?)』
小村のストレートのサインに首を振る。
『(じゃあ、3球勝負? これを低めに落として――)』
フォークも首を振る。
『(まさかこれ?)』
さらにカーブにも首を振る。
『(?)』
まさかと思って出したサインに頷かれる。
コースを指定する前に、立川はセットポジションへ。おそらくは任せろ。と言う事だろうと判断し、小村はミットを大きく開いて構える。
第3球目。立川の足が上がり、前に踏み出される。
後ろに引いた右腕が振り上げられ、頂点より前にいったところでリリース。
投球は――
『(デ、デッドボール?)』
インコースのボールゾーンを襲う投球。笠原は急に投げられたボールに、条件反射で回避行動を取る。ところがそのボールは、バッターの手前で急に外側へと曲がる。
『(こ、これはっ――)』
小村がしっかり伸ばしたミットに、けたたましい音を立ててボールが飛び込んだ。
「ストライクバッターアウト、ゲームセット」
『(シュート……)』
ストレート・カーブ・フォークを軸にピッチングを組み立てる立川。しかし、もし投げる球が無くなった時は、普段使わない球を解禁する。それがシュートだ。
小村がボールの感覚を味わうように微動だにしない中、マウンド上の立川が一度しゃがみこみ、反動を付けてから両腕を空へと突き上げた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
雄叫びが上がり、それを合図にベンチから次々と控えのメンバーが飛び出してくる。
「勝ったぁぁぁぁぁぁぁ」
まずは俊足の新本が立川に突撃。
「う、うわわわ、に、新本ぉぉ」
得てして二次元オタクとは三次元の女子には耐性がないものである。
あわてる立川の元へ内外野の選手、そしてキャッチャー小村、さらにベンチの選手が集まってきて、
「せぇ~の、「「「わ~っしょい、わ~っしょい」」」」
偶然やりやすい場所にいたと言う、行き当たりばったりな理由で、原井の胴上げが開始。もちろんこれで優勝ではなく、学内リーグぶっちぎりの最下位である。
「広川先生~胴上げです」
背番号に準えた7回の胴上げが終わると、次は広川へと注目が集まった。
「「「ひっろかわ、ひっろかわ」」」
「「「ひ、ろ、し。ひ、ろ、し」」」
「私は結構です」
丁重に断る広川。すると選手全員の目は、キャプテンへと集まる。
「「「みっやじま、みっやじま」」」
「え? え? え? うぉぉぉぉい、高い、高い、高いって、うおぉぉぉぉぉぉ」
1度、2度、3度と宙を舞う。
そこでもう一度注意である。優勝ではなく最下位である。
結局背番号通り、27回も宙を舞った宮島。気持ちが悪くなって足元がふらついているところへ、秋原が飛んでくる。
「大丈夫? 肩、貸してあげようか?」
「ごめん。うわぁ、気持ちわりぃぃ。久しぶりに酔った」
秋原の首元に左腕を回し、肩を借りてベンチに引き揚げる。その背後では、
「「「と、も、だ。と、も、だ」」」
勝利投手の胴上げが行われていた。
なお友田の背番号は、バッティングの上手い某外国人助っ人に由来する『49』である。




