第4話 均衡が破れる時
2回の表の4組の攻撃は、数週間前に野手転向を行った4番の佐々木から。せっかく相手方の出鼻をくじいたのだから、なんとか先制点を挙げたいこの場面。だが、佐々木は高めの釣り球に手を出して、あっさり空振りの三振。続く5番の鳥居がレフトフライに打ち取られ、さらに6番の小崎はファースト真正面のゴロ。無得点に終わる。
一方、初回をノーヒットに抑えて調子の上がってきた友田は、4番の主砲・西園寺をストレートで空振り三振。5番をサードライナーと抑える。そして最後の6番を、
「ストライクバッターアウト」
カウント1―2から、低めのボール球ストレートに手を出させて空振り三振。2回にして今日3つ目の三振を奪って、2回の守備を終える。
そして迎える3回は7番から始まる下位打線。最も得点を期待できない打順と言えば聞こえが悪いが、1人でも出せばチャンスで神城に回り得る大チャンスとも考えられる。
『7番、ショート、前園。背番号2』
先頭の前園が右バッターボックス。ネクストには宮島、その後ろには友田が準備。さらにその後ろにいる神城は、回してくれると信じて、もう打席に入る準備を整えている。
可能な事ならば7・8のいずれかが出塁、友田には無理をさせずに送らせて、1番の神城に託したい。が、
「ストライクバッターアウト」
先頭の前園は外に逃げるスライダーを振らされて空振り三振。彼は守備型の選手であり、野手転向したばかりであるからやむを得ないと言えるのだが、非常に厳しい展開。
『8番、キャッチャー、宮島。背番号27』
ここでバッターは、打率1割台後半、出塁率は2割4分と、期待に欠ける超守備型の宮島。
『(なんとか塁に出たいところだけど……)』
いかんせんここ最近、投手陣のせいでバッティング練習をしてはいない。正しくは1回だけやったのだが、ほぼやっていないに等しい状況である。昨日の試合も4打数ノーヒット。控えに別のキャッチャーがいれば、九分九厘代えられるだろう。控えがいないのはある意味で幸運である。
「ストライーク」
インコース低めのストレート。
『(うわぁ。やっぱり向こうもここを突いてくる? 今日の審判、判定が極端に寄ってるもんなぁ)』
気付いているのは自分だけではない。となると宮島はしっかり考える。
『(なら、ここはインで組み立てたくなるところ。けど、インばっかりはリスキー。だから、どこかで見せ球に外を放ってくる。それを狙う。力のない球なら、僕でもヒットにできる)』
狙うは外。多少のボール球でも構わない。ヤマを張った宮島に対して第2球。
『(まずっ)』
「ストライーク、ツー」
インコースいっぱいのシュート。外に張っていた宮島は手を出せず、見逃しツーストライク。
『(追い込まれた。まさかこうポンポン、ストライクを取ってくるとは。8番打者なんだから、少しくらい遊べばいいのに)』
こうなると来た球すべてに対応しなければならない。次にストライクを見逃せば三振だ。
マウンド上の三原。ワインドアップからの3球目。
「ボール」
高く外れるストレート。キャッチャーが「押さえて」とジェスチャーを送った事からして、抜け球であろうと考えられる。
『(何を投げてくる? この場面……考えられるのは、判定の甘い内側)』
1球ボール球を挟んだおかげで、落ち着ける時間ができた。しっかり冷静になって、バットを構えなおす。長打はいらない。シングルで出塁すれば、友田が送って神城が返す。これで十分なはずだ。
ストライクゾーンを広くして待った4球目。
『(しまったっ)』
ここで今まで待っていた外のストレート。広く待ってはいたが、どこかでインに張ってしまった宮島は、そのボールを見逃し。
『(いや、でもこのコース、今日の審判なら)』
自信を持って振り返った。すると審判は高く右手を上げる。
「ストライクバッターアウト」
「へ?」
審判に聞こえない程度に小さい声だが、驚きの声が漏れてしまう。今まで散々ボールと言ってきたコースを、なんとここでストライク判定。結局、この打席、1度もバットを振ることなく見逃し三振に終わる。
「どうしたん。宮島。らしくないで?」
「外、ストライク取られた」
ベンチに帰るなり、声をかけてきた神城へ、審判への怒りを抑えつつ言い訳。
「判定ブレブレなんじゃなぁ。でも、そんな際どいコースならファールにでもせんといけんじゃろぉ」
「そう簡単に言うなよ。神城なら簡単なのかもしれないけど」
諦めて守備に付く準備を整える。秋原に手を借りてレガースを足に付けながら、試合へと目を向ける。
右バッターボックスに入った友田は、インコースへの投球を豪快にフルスイング。バットにかすりもせずワンストライク。
「ツーアウトなんじゃけぇ、友田も立っときゃいいのに。ピッチャーが無理する場面じゃないじゃろぉ」
神城は既に諦め顔。ここで友田が凡退すれば、4回の攻撃はトップの自分から。仮に出塁したところで、ツーベース以上でないと意味は薄い。ノーアウト・ワンアウトならまだ送って次にも進められるが、ツーアウトでなればバントはできず、ピッチャーに無理に盗塁させるわけにはいかない。頑張るだけ意味のない場面だ。
「友田ぁ。もう三振でえぇよ……あっ」
気のない声掛けをした神城が、続いて素っ頓狂な声を上げる。
高めに浮いたストレートを、毎度のごとくフルスイングした友田。するとその振ったバットの真芯に直撃したボールは、心地よい音を響かせてレフトへと舞い上がった。
「あれ……これ……」
神城に続き、監督・広川も含めた全員が唖然とした表情。
舞い上がった打球は内野の頭……さらに外野の頭……さらにさらに外野フェンスと越えて……
「ホームラン、ホームラン」
3塁審判が腕を回した。
土佐野球専門学校の1年生、第1号ホームランは、最下位の1年4組、それもピッチャーの友田が放った先制アーチ。
「う、打たれちゃった……」
目を丸くしてボールの飛んで行った先を見つめるマウンドの三原。そして、
「う、打っちゃった……」
自分が一番驚きながら、ダイヤモンドを一周する友田。
ピッチャー自体、元々バッティングのいい選手は珍しくはない。プロで打てるピッチャーが少ないのは、相手ピッチャーのレベルが高いこと、投げるのが本業のため無理しないこと、打撃練習をあまりしないため腕が鈍っていること、などが挙げられる。
一方で今の土佐野専では、投野手いずれか一本化しているため、ピッチャーのレベルは高いのだが、入学2ヶ月では打撃が鈍るほどの期間に非ず。まだ慣れや感覚でなんとかなるため、まったくもってない事もない。とも言える。
実際に去年の1年生(現・2年生)が放った第1号ホームランは野手であるが、第2号、第3号は投手である。そのころから野手陣が硬式球・木製バットに慣れ始めたため、急速に野手陣のホームランが増加、対して打撃から離れ始めた投手陣は目に見えて打撃が劣化し始めるが、それでも6月中旬までに放たれた全15本のホームランのうち、5本が投手によるものである。
とにもかくにも、友田のホームランで1点を先制。
「ナイバッチじゃのぉ。友田。バックスクリーンにも表示されとるで」
バッターボックスに向かうついでに、帰ってきた友田とハイタッチ。ついでにバックスクリーンを指さす。そこには、
『《速報》 1年4組 友田康平 1年生第1号アーチ』
と表示される。おそらくは他球場でも表示されているであろう。
「さぁ、切り崩そう。ここが勝負どころじゃけぇのぉ」
神城は立ち直りたい三原の初球を捉えてライト前ヒットで出塁。俊足の神城を1塁に置いて回った原井はショートへのゴロ。これを2塁に転送され、神城が封殺でスリーアウト。1点をリードして3回裏に突入。
「本当に4組は成長しましたね。広川さん」
「リードされた試合展開以外はあり得ない。そんな4月。でもそれも変わった」
スタンドからベンチへ、フェンスを挟んで広川に声をかける小牧。広川は彼に視線を向けずに告げる。
「長久。お前もそろそろ変わる時ではないかな」
「……すみません。広川さん。もう少しだけ、悪あがきさせてください。もう一度、この身でマウンドに立ちたいんです。甲子園の――いえ、このさい、どこでもいいです。プロのマウンドに」
「お前がそう言うなら止めはしないさ。ただ、これだけは言っておこう。何もプレーでもって夢を与えるだけがプロじゃない。夢を持った少年少女、彼ら彼女らを夢の世界に送り出してやるのも、またプロだろう」
「分かっています。ですから引退したら、ここに骨をうずめます」
野球嫌いになる前に指導者としての道を見出してほしい広川。
今、まさに野球好きであるその感情のままに、壊した右腕に代わり、左腕に復活を誓う小牧。
小中学校で壊したならまだしも、小牧もプロなら若手~中堅に入るであろう年齢。少しであれプロを知る身としては、もう復活など叶わない。その程度分かっている。だが、諦めきれない思いもある。もし99%不可能と言うのなら、1%の可能性に賭けてみたい。そんなマンガの様な思いがあるのだ。
「とにかく、まだ引退する気はありません。夢を与えるものとして、そう簡単に夢を捨てたくはありませんから」
「そっか……」
それ以上は広川も何も言わなかった。
彼がそう決断したのなら、後は黙って見届けてやるのが先輩としての仕事である。そう感じたからだ。
『(とりあえず必要なのはそれではありませんね……)』
「さて、この回もしっかり抑えていきましょう。みなさんのここ一番の力、期待していますよ」
そして相変わらず口調の定まっていない広川にとって、今はそれを考えている状況ではない事もある。1年4組の初勝利がかかったこの1戦。監督としても気が抜けないのである。
先制点直後、しっかり抑えていきたい3回の裏。先頭をサードゴロに抑えたまではよかったが、続く8番にフォアボールを許し、9番のピッチャーに送りバントを決められる。
ツーアウト2塁のピンチで迎えるのはこの人。
『1番、サード、大谷』
スコアリングポジションにランナーを置いて、最も回したくないバッターである。
『(この浅いイニング。敬遠は選択肢にない。仮に歩かせるとしても、勝負にいった先でのフォアボールだ)』
1番にして得点圏打率5割越えのポイントゲッター・大谷。彼を抑えるためには、今日の審判のクセを有効活用したいところ。だが宮島には一縷の懸念材料があった。
自分の打席、最後に取られたアウトコースのストライク。それが邪魔して思い切りが付かない。
『(ダメだな。コースだけじゃリードできない)』
宮島はここぞの場面で一大決心。リードの仕方を変える。
『(悪い、友田。今までピッチャー主導だったけど、ここは僕にやらせてくれ)』
宮島は土佐野球専門学校捕手陣の中で唯一、また日本の『野球』では珍しく、アメリカの『ベースボール』では一般的なピッチャー主導リード。リードは所詮、結果論というところがある。だったらピッチャーに気持ちよく投げてもらった方が、いい球が来るようになって、結局はいい成績が出るのでは? との考えに基づくものである。
しかしかといって『キャッチャー主導リード』の利点を否定しているわけではない。ピッチャーによって気持ちよく投げてもらうために、基本はピッチャー主導リード。だが、ターニングポイント、ここ一番の場面ではキャッチャー主導に切り替えるのが宮島流だ。
『(任せてくれるか、友田)』
『(ここまで好き勝手投げさせてもらったし、お任せするよ)』
僕に任せてほしい。と、あらかじめ決めていたサインを送ると、友田は快く頷き了承。普段からピッチャー主導で投げさせてもらっている恩。その恩返しとの意味合いが大きいのであろう。
『(さてと、それじゃあ立ち位置は、ややホームから離れてる。イン警戒かな。それじゃあ、外に逃げるカーブ。入れば儲け。入らなくてもOK。歩かせる気で勝負しよう)』
セットポジションに入った友田は、2塁ランナーを目で牽制。直接ボールは放らずに、投球モーションへと入る。
『(よし、入った)』
「ストライーク」
1回はボールを取っていたゾーン。しかしここに来てストライクに変わった。大きな判定のブレは、経験不足ゆえの特徴でもあるが、プロでもないとは言えない。こうした判定のミスや問題点も含め、それが野球だ。
『(さ、初球、ワンストライクもらった。今のがストライクなら、かなりゾーンは広い。こうなるとわけないぞ)』
今度はインのシュートを要求。詰まらせて内野ゴロにする算段だ。
2球目。要求通りの投球は、インコースいっぱいからボールになるシュート。これをバットの根元で捉え、バットがまっぷたつ。ボールは1塁側ファールグラウンドを転々とする。大谷は不機嫌そうに飛んだバットの先を拾ってベンチへ。そして置いてあったバットケースから予備のバットを手に取って、再び打席へと向かう。
『(ほんと、豪快にへし折ったなぁ。学校から補助が出るとはいえ、バットは高いからなぁ)』
自分は折ったことのない宮島は、笑いながら次のサインを送る。
『(さぁて、しっかりインを警戒させておいて……外のカーブで振らせようか)』
外のカーブで空振り三振を狙う。そのサインを送り、了承した友田はセットポジション。そこから放たれた第3球。
「ボール」
「スイング」
外に逃げるカーブをハーフスイング。球審はノースイングでボール判定も、宮島は一塁審を指さし、スイング判定を要求。しかし一塁審の手は両サイドに開く。
『(そっかぁ。今のがなぁ。だったら、また内に振ろうか。インコース。次はストレート。インのシュートが頭にあるから、上手くいけば振り遅らせることができるだろう)』
インコースいっぱい。ストレート。
もちろん、首を横には振らない。了承。
カウント1―2からの第4球。
『(来た。絶妙なコース)』
少し高いとはいえ、この程度は十分に誤差の範囲内。打ち損じさせたと確信を得た宮島。ところが、これは大谷の予想範囲内。左足を外に開き、引っ張りのタイミングでバットを振り下ろす。
『(まずっ。打たれっ――)』
同点。その2文字が頭をよぎった直後、
「ストライクバッターアウト、チェンジ」
ボールはバットのわずか1、2センチ下を通過。バットは空を切り、空振り三振でこのピンチを切り抜けた。
「よっしゃ。ナイス、友田。今日は調子がいいなぁ」
3イニング連続三振で、今試合4つめの三振。これは1年4組の歴代投手陣の中でも屈指の好投である。
そんな彼を褒め称えるべく、ベンチへの帰り際に彼へと駆け寄る。
「どうした、どうした、友田ぁ。今日の昼が好きなものだったとか?」
「分かった? 今日の日替わり定食、チキンステーキなんだよね~」
「図星かっ」
冗談交じりに言ってみたところ、まさしくその通りだったようで。
「へ? ともだ~。今日のお昼ってチキンステーキ?」
「そうだけど?」
「本当に?」
「間違いない。昨日、ネットで確認したから」
「やったぁぁぁぁぁ」
新本ひかり、ベンチ内で狂喜乱舞。傍から見れば抑えて喜んでいるようなのだが、その真相は、今昼の日替わり定食のメニューで喜んでいるのだから、これはもう観客がいれば勘違い間違いなしである。
「新本もチキンステーキが好きなの?」
「私も好き~。ともだ~も?」
自然な流れで『ともだ~』と言う、おそらくスペルは『Tomoder』の、新しいニックネームを開拓してしまった新本。
「もちろん。なんだ、仲間か」
「な~か~ま~」
「よし、今日は勝ってチキンステーキだ。えいえい」
「「オー」」
チキンステーキ同盟、締結。この日英同盟や劉備・孫権同盟よりも強固たるものになるであろう同盟、リードする宮島からしてみれば、下手な力が入らないように願うのみである。




