第10話 義務と権利
各2年生教室に設置された大きなスクリーン。そこには完全生中継の衛星放送が映し出されている。もちろんのこと放送内容は日本プロ野球ドラフト会議。
「き、緊張しますね」
「聞いた話だと、『人』って字を書いて飲み込むといいらしい」
堂々とした神城の前では、緊張の面持ちの神部と宮島。
「今でもそれするヤツおるんじゃのぉ。時に神部。神部の書いとるの、『人』じゃなくて『入』で?」
その緊張はよほどのものなのだろう。
「まったく2人とも緊張してるね。私とシロロンはまったく緊張してないよ」
「それって威張ることなん?」
神城は上位指名確実であるゆえ、しいて言うならばどこの球団に行くことになるかが気になるくらい。一方の新本はその実力からプロ入りがほぼ絶望的なのは分かっているため。前者はまだしも後者は威張るような状況ではないだろう。
しかしながら別に宮島や神部の緊張はおかしなものではない。
「神様……どうか、どうか。何位でもいいのでプロ入りを」
前園は実家近くのお守りを手に祈り続ける。果たして2年前の『合格祈願御守』が今年のドラフトで有効かどうかは不明。
「ふふふ……深夜アニメのせいで眠れなかったぞ」
「マスター。私もであります」
「ええ。昨夜の都市防衛連合軍の戦い。アニメ終了後も胸が高鳴り眠れませんでした」
立川・本崎・天川の通称・タチカワーズ。曰く昨夜のアニメで興奮して寝付けなかったらしいが、もちろんのことドラフトが心配で眠れなかっただけである。
「だ、だ、大丈夫。きっと大丈夫。なにせ、ぎゃ、逆指名してるから」
「小崎、逆指名はもうない」
そして何を勘違いしているのか、10年近く前に廃止された制度について語っている小崎。そしてツッコみを入れるのは友田。
ほかのメンバーもこれ以上ないほどの緊張感を表に出している。それこそ緊張感がないのは、ドラフト指名確実の神城と、逆に不指名確実の新本くらいか。
そしてその表情を浮かべているのは生徒だけではない。
『(今年の有力選手は、都市対抗で無安打無失点試合を達成した山下。夏の大会優勝投手の兵藤。そして秋原さんのお兄さん……ですか)』
広川はドラフトの特集雑誌を手に冷静そうな分析をしているが、実はその緊張をごまかそうとしているだけでもある。
『(今季の土佐野専卒業生は、2年目にしてもう二度とないであろう当たり年になるでしょう……)』
広川の将来性はないと言いたそうな思い。しかしそれは逆に今年はそれほどすごい年でもあると言える。
ドラ1候補だけでも2年連続打点王・三村、2年連続首位打者・神城、2年連続本塁打王バーナードの3人。そして昨年は投手四冠、今年は最多セーブとなった鶴見。鶴見の陰に隠れた1組のエース・大原。さらにアマチュア屈指の打てる捕手・西園寺や、プロトップクラスの守備を誇る捕手・竹中。優れたバットコントロールと長打力を併せ持つ大谷に、打撃と守備の優れた万能選手・村上。鶴見とバーナードはアメリカ行きを表明しているも、強行指名を考えれば最多でドラ1指名が8人の可能性もある。
そして2位以下でも、土佐野専最速右腕・長曽我部。強豪1組の切り込み隊長・斎藤、昨年の最多セーブ・鹿島などなど。可能性を挙げれば土佐野専所属のほぼ全選手が浮かんでしまう。だが広川にとって心配なのは土佐野専としての指名者数ではない。
『(最弱クラス4組。果たしてこのチームから何人が指名されるでしょうか……)』
神城の指名は間違いない。だが問題なのは彼以外。次点では前園であろうが、それ以降の選手は基本的に各球団の戦略によって指名の可能性が揺らいでしまう。
『(1組は即戦力クラス。4組は素材型クラス。素材型は本当に欲しい球団が分かりませんからねぇ)』
連戦連敗で始まったリーグ戦。しかしふたを開けてみれば4組は才能あふれるチームだった。
学内最速のボールを投じるは現・3組の長曽我部。優れた変化球と言えば今でこそ鶴見のスライダーやリカットボールだろうが、入学直後は立川のフォーク。もっとも足の速かったのは寺本だし、和製大砲として期待されていたのは友田。プロアマ両球界でも珍しい投手主導リードを操るのは宮島。
他の能力が低くて即戦力となりえなかったが、学内屈指の一芸に秀でた選手集団が4組でもあった。
『(ですが、皆、やるべきことはやりました)』
準備が終わり、ドラフト1位の入札が始まる中、広川は画面を強く見つめる。
『(あとは信じるだけです。この最弱クラス4組が、君たちにとって成長の舞台となることを)』
『第1回選択希望選手』
いわゆるドラフト1位の指名が始まる。先陣を切るのは……
『横浜DeNA、三村東輝、内野手。土佐野球専門学校』
2年1組・三村。日本代表戦で4番を張った土佐野専の主砲がいきなりのプロ入りを決める。
『オリックス、山下浩介、投手。大安電機産業』
次は社会人野球の即戦力右腕。さすがに土佐野専でドラ1独占は成らず。
『東京ヤクルト、三村東輝。内野手。土佐野球専門学校』
そして3球団目で三村が早くも競合。
「三村すげぇな。さすが天才バッター」
「そりゃあ、ねぇ?」
宮島の感嘆に秋原も同意を示す。他人の話をできている点で宮島は落ち着いているように見えるが、実際のところはそうでもしていないと落ち着けないほど気が気ではないのである。
「それにしても、鶴見は指名せんのぉ」
「やっぱりプロ球団も、準メジャー契約には勝てないと思っているんじゃないか?」
「いや、でも分からんで。まだ次はあの球団じゃけぇのぉ」
毎年、その年の最高の選手を指名する球団。場合によっては強行指名と呼ばれるほどの指名も厭わないその球団の判断は……
『北海道日本ハム、山下浩介、投手。大安電機産業』
「鶴見、メジャー行き確定かのぉ」
「かもな」
以降も次々と指名が続くが、社会人投手の山下、土佐野専の三村2人の指名が続く。
ところが、
『千葉ロッテ、西園寺宗也、捕手。土佐野球専門学校』
「おや、強豪回避かのぉ?」
ここにきて土佐野球専門学校2人目の指名。打撃型捕手の西園寺が指名を受ける。
「まぁ、打てるキャッチャーってのは貴重じゃけぇのぉ。西園寺を固定できれば10年くらいは安泰――」
『広島東洋、神城淳一、内野手。土佐野球専門学校』
「‼‼‼‼」
広島も競合回避か。地元出身の神城を指名。
「4組第1号は神城くんでしたか。おめでとうございます」
このまま他球団の指名がなければ地元入り確定である。
『埼玉西部、秋原明伸、内野手。関西聖王館学園』
さらに秋原兄も指名を受ける。
以降は東京読売が競合回避で土佐野専1組の大原を指名。その他の球団は土佐野専の三村、社会人の山下、高校野球の秋原に割れて抽選へ。そこで外した球団のうち、中日が2組の村上を外れ1位で指名に成功し、結果、土佐野専からドラ1入団5名を排出する超豊作となった。
「よっしゃあぁぁ、地元決定じゃ。親に電話しちゃろ」
地元愛あふれる神城は広島に決まって狂喜乱舞。
そしてその後も指名が続く。
第2順選択……
『オリックス、前園洋介。内野手。土佐野球専門学校』
「母さん。女手ひとつで育ててくれてありがとう。義父さんも実子じゃないのに、実子のように接してくれてありがとう。やっとここまで来れたよ」
母の再婚で人生が大きく変わったとはいえ、それまで母子家庭であった前園はそのプロ入りをしみじみ思う。
第3順指名……
『阪神、長曽我部輝義、投手。土佐野球専門学校』
「クラスを変えたとはいえ、元は最底辺4組からの指名……よくここまで来れたぜ」
そして今は3組だが元4組の長曽我部は、入学直後の大連敗を思い出しながら、今までの長い道のりを振り返る。
第4順指名……
『中日、小崎幸喜、外野手。土佐野球専門学校』
「マジで? やったぁぁぁ。で、中日ってどこ? 名古屋県?」
……愛知県名古屋市である。
第5順指名……
『福岡ソフトバンク、立川光輔、投手。土佐野球専門学校』
「クックック。やはり力を隠した状態では5位が精いっぱいか。しかし、我が力を解放すれば開幕一軍も容易かろう」
……いつも通りである。
そして……
『以上で全球団指名終了です』
最も遅い球団で7位までの指名となったドラフト会議。
土佐野球専門学校は多くの選手を輩出することとなった。
福岡SB……立川(4組・ドラ5)
東京読売……大原(1組・ドラ1)
日ハム……笠原(3組・ドラ4)
阪神……鹿島(1組・ドラ2)、長曽我部(3組・ドラ3)
オリックス……前園(4組・ドラ2)
中日……村上(2組・ドラ1)、小崎(4組・ドラ4)
楽天……大谷(2組・ドラ2)、古蔵(2組・ドラ3)
広島東洋……神城(4組・ドラ1)
埼玉西武……斎藤(1組・ドラ3)、仁科(3組・ドラ4)
東京ヤクルト……林泯台(3組・ドラ4)
千葉ロッテ……西園寺(2組・ドラ1)・加賀(2組・ドラ5)
横浜DeNA……三村(1組・ドラ1)、竹中(1組・ドラ2)
1校から同時に17人の指名。さらにそれ以外でも準メジャー契約で鶴見、マイナー契約で3組・バーナードと2人の渡米が内定済み。実質的なプロ入り人数は19人となった。
しかし一方で多くの選手がドラフト指名ならず。
既に指名を受けた生徒たちにとっては夢の舞台を掴んで嬉しい限りだが、ドラフトにかからなかったメンバーが視界に入る状況では素直に喜べない。
「やっぱりプロの壁は高かったか」
「かんちゃん……」
神部や新本は元々女子でプロに挑むことの厳しさが分かっていた。だが宮島はほんの少し彼女たちよりも希望を持っていた。だからこそショックが大きかったのだろう。
「ドラフトにかからなかったみなさん。今回『は』残念でした。と、言わざるをえません。しかしながら、まだみなさんの戦いは終わっていません。もしも君たちが野球を諦める気がないのであれば、社会人、独立リーグ。いくつだって手段はあります。高校卒業資格を取れば、大学にだっていけます。ここはまだ通過点にはすぎないのです」
広川によって励まされたメンバーであったが、かなり落胆の様子が見て取られた。
当たり前だ。
たしかに広川の言うように、土佐野専は所詮プロ入りのための通過点に過ぎない。まだ大学・社会人・独立リーグ、さらには海外リーグ。他にも草野球からプロ入りした選手だっている。今、指名を受けなかったからと言って、プロへの道が永遠に絶たれたわけではないのである。だがだからと言って、このドラフト不指名を受け入れられることはない。
「なんだよ。何が足らなかったんだよ。打撃か。走塁か。それとも肩が弱いからか?」
決してプロ野球のキャッチャーが飽和状態であったからじゃない。西園寺や竹中、さらには高校野球日本代表の天神も指名を受けていた。いったい自分が彼らと比べてどこで劣っていたのか。そのくらい、彼らと闘い続けた宮島本人ならば分かっている。だがそれを認めたくはなかった。
「くそっ、もうちょっと、いや、もっともっと練習していればもしかしたら……」
朝開始の練習は夕方頃には終了し、以降は翌日の練習や試合に備えて体を休める。そして連戦の後には必ず休日があった。今考えれば少し休みすぎであった気もする。もしもそこで練習をしていたら、きっと数段実力は上だったはず。それならばもしかすると指名を受けたかもしれない。そんな後悔と動揺が渦巻く宮島。
考えれば、神部に誘われて遊びに出た1年生の夏。自分はあくまで『遊び』として市街地に繰り出したが、神部の知り合いであろう高校球児、そしてケンカを売ってきた天神も、あの時は練習していたのである。彼ら高校球児が部活の全国大会・甲子園を目指している一方で、プロを目指していた宮島。しかし自分たちが休み、遊んでいる間にも練習をしていた高校球児。
「練習不足かよ。練習を2時間、いや、3時間、4時間、もっと長くしていれば」
よほどプロ入りできなかったのが応えたのか、錯乱に近い状態になる宮島。と、彼の頭が急に抱きしめられる。
「かんちゃん……落ち着いて」
「明菜……」
「かんちゃんはやることやったよ」
「プロを知らない明菜に何が分かるっ」
「分かるよ。いったい誰がかんちゃんの体調管理してきたと思ってんのっ」
気休めのようなことを言う秋原に宮島は少し頭にきたが、すぐに秋原が反論。
「かんちゃんは頑張った。毎日マッサージしてたからわかるよ。ボールを受け続けた手はボロボロ。身体には疲れもたまってた。あれ以上やったら、プロ入りどころじゃない。故障しちゃうよ」
時間的な余裕はかなりあった。しかし身体は限界であった。
つまり限界まで努力し、そして届かなかった夢の舞台。
宮島は秋原から放心状態になりつつ秋原から離れると、「放っておいてくれ」と机に伏してしまう。
その時だった。
教室前方のドアが勢いよく開け放たれる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
そして息を切らして飛び込んできたのは、とてつもなく意外な人物であった。
「君は3組の林泯台くん、ですね。たしか東京ヤクルトに決めたようで。おめでとうございます」
「ありがとう、ございます」
「早速ですが、教室は隣――」
「宮島、宮島は?」
「宮島くんならいますよ」
広川が指さす先には机に伏している宮島。彼の元へ走っていった林は肩を持って揺らす。
「宮島。ヤクルトのスカウトから伝言だ。お前も、お前もプロだっ」
「……はい?」
意外な一声であった。
「馬鹿言うなよ。僕は指名なかったぞ。それとも何か? お前、韓国語しか分からないのか? 通訳用意しとけよ」
「馬鹿野郎。むしろ韓国語分かんねぇよ。じいちゃんへの手紙はネット翻訳使ってるくらいだ。おかげで誤訳して、この前はじいちゃんにすげぇ怒られた。韓国語のせいで何を言ってるか分からなかったけど。いいや、話はそうじゃなくて――」
宮島は忘れていた。
まだドラフトは終わっていなかった。
「育成ドラフト。ヤクルトが育成ドラフトでお前を指名するって。俺と一緒にプロだっ」
「育成、ドラフト?」
呆然とする宮島の耳に、引き続き行われていたドラフト会議中継のアナウンスが響く。
『東京ヤクルト、宮島健一、捕手。土佐野球専門学校』
そのキャッチングセンスか、それとも投手主導リードか。いずれにせよ東京ヤクルトが宮島を指名した。
育成選手。契約金も無く年俸も非常に安く背番号が3桁。通常の指名選手よりも格落ちするわけだが、まぎれもないプロ入りである。
「何もプロは即戦力ばかりが指名されるわけじゃない。土佐野球専門学校が『素材型クラス』こと4組を持つと同様に、プロ野球だって素材型を指名することは常識中の常識だ」
さらにそこへと入ってきたのは小牧。広川は「またあなたですか」と怪訝そうな顔。
「覚えているかい? 『必ずしもこの学校で即戦力になる必要はない。黄金の素材型になればいい』と」
それは1年生の4月。11対2で1組に大敗したあの試合の後だ。
「君はこの学校で即戦力にはなれなかった。だが素材型になった。プロになれるレベルのね」
土佐野専は高レベルの世界では通用しない宮島に、通用するようになるための武器を授けてくれた。そしてその武器に可能性を見たプロ球団が、彼を欲しいと思ってくれた。それゆえの指名である。
「しかし宮島くん。どうするか、ここは考えどころです」
その小牧に広川が割って入る。
「ドラフト上位に比べると、育成ドラフトは期待も注目も薄く、場合によっては真っ先に切られる候補です。それならば大学、社会人と進んで、ドラフト上位指名を狙う手段もあります」
「ここでいきなり選択を迫るのはどうかと思うけど、プロを断るのも英断ってことだね」
そのように話す両教員に、さらに神城も入ってくる。
「僕の父親に言うたら神城商事の社会人野球部に入れると思うで? 元々は僕の滑り止めなんじゃけど、地元のドラ1なら断る理由もねぇけぇのぉ。なんなら神部も来る?」
「私はいいです。ドラフトにかからなかったらどうするか。決めていましたから」
と、彼女がカバンから取り出したのは日本国のパスポート。
「宮島さんも、私や鶴見さんと一緒に渡米しますか?」
「大学に行くんじゃなかったん?」
「アメリカの方が面白そうでした」
育成契約でもプロに行くか。
この学校に残って勉強して高卒認定を取得し、大学へと進学するか。
神城商事野球部へ入るか。
もしくは鶴見や神部と共に日本から飛び出るか。
「僕は――」
結論を急ぐ宮島を広川は制する。
「この決断は君の今後を左右するもの。ゆっくり考えて決断してください。土佐野専としてはプロ入り実績を増やしたい事実もありますが……しかし、生徒の一生を学校の都合で押し付ける気はありません」
「そういうことだね。君の親、教職員、困ったら相談するといいよ。宮島くん、君の人生ではあるが、君1人で決断することはないぞ」
育成ドラフトでの指名
せっかく手に入れた切符である一方で、あまり評価の高くない切符であるとも言える。これを持って『プロ野球』という名の電車に乗るか、それとも破棄してしまうか。なかなかに難しい判断ではある。
考え悩み、眠れなくなった宮島は、いつぞやのように真夜中の外出。さすがにこの時期の夜は涼しさを通り越して寒さも覚えるが、頭を切り替えるにはちょうどいいものがある。天気が悪いようで星1つない夜空の下、散歩のように歩いていると、急に後ろから声をかけられる。
「はい、だ~れかな?」
「いえ、警備員さん、僕はこの学校の学生で――」
てっきり警備員かと思って振り返ると、そこにいたのは……
「小牧先生ですか……よく夜に会いますね」
「いや、それはこっちのセリフなんだけど?」
「小牧先生はなんでここに?」
「いや、アニメの時間までコンビニに行こうかと……」
小牧長久。立川に負けず劣らないアニメオタク。ついでに言えば立川の属するアニメ同好会の顧問でもある。
「宮島くんは……まぁ、検討がつくかな。大方、プロ入りするかしないか。かな?」
「その通りです」
彼は近くにあったベンチに腰かけると、雲間からわずかに見えた星を見つめる。
「正直、そうした葛藤は分からないかな?」
「小牧先生はドラフトの順位は?」
「ドラ1の3球団競合」
よほど行きたい球団があったならまだしも、それほどの評価ならば断わる理由もないだろう。宮島のようにドラフト下位どころか、育成指名選手の気持ちは分かりかねるところ。
「短いプロ生活だったけど、それでも自分は多くの戦力外通告選手を見てきた。それだけのリスクがあることを考えると、切符を得たからと言って無理に電車に乗る必要はないさ」
「えぇ。一応、神城のお父さんから社会人野球部の方へと声をかけていただきました。鶴見や神部からは一緒にアメリカへ行かないか。とも」
「どれも悪い判断じゃないね。いや、どれが悪いとは判断できないかな。結局、どれが正解かを知るのは神様だけだろうし」
「でも、友達の多くはプロに行けなかった。そんな人たちを見ていると、せっかくのプロ入りを蹴るのは悪い気もして……」
小牧は無理にプロに行く必要はないと言っているものの、権利を得ながらに破棄するのは、プロ入りしたくてもできなかった人に悪い気がしてならない。それが彼の心に引っかかっているのである。
しかし小牧はその心の引っ掛かりを真正面から蹴り飛ばす。
「拒否したければすればいいじゃないか」
「そんな簡単に……」
「たとえば、だ。今の日本の平均年収は450万円。あくまでもそれは『平均』だから、低い人はもっと低いだろう。では、そんな中で年俸1億円以上もらうのは悪い気がするだろうか? 自分はそうは思わないね。皆が500万円ももらえない中、自分は1億円。それは才能を持ち、努力をし、運を味方に付けた者として当然の見返りだ。それをどう使おうが、どう考えようが勝手じゃないのかい?」
「それは」
「辛辣なことを言ってしまえば……今回、プロに行けなかった人は、それだけの才能はなかったか、努力がなかったか、運がなかったか。もしくはそのすべてか」
相手はプロを経験した教員であり、自分よりも人生経験も野球経験も豊富である。だがしかし、一緒に練習してきたクラスメイト達。必死で最下位から抜け出そうともがき努力し続けたみんなを思い浮かべると、それらを否定する小牧の発言に怒りを覚えてしまう。
「それが、教員の言うことですか?」
「夢を語ってそれが叶うならばいくらでも夢を語ればいい。だが、夢というものは大きければ大きいほど、それ相応の現実を背負わなければならない。土佐野専ではいくらかは教員が現実を肩代わりできたが、すべては肩代わりできない。そして自分で背負わなければならないそれを背負いきれなかったのが……彼ら彼女らだ」
「そんなこと……」
「そして自分で背負えた……いや、他の者たちの荷まで背負ったのが宮島くん。君だ。才能、努力、運。それらの『義務』を果たして手に入れた『権利』なんだ。胸を張って自由に使えばいい。そして自由に破棄すればいい。『義務』は果たさなくてはならないが、『権利』は放棄しても構わないんだ」
小牧の言わんとしたことは理解した。しかしそれでもすんなり受け入れられるものではなかった。
「でも、小牧先生。僕は……僕は本当に義務を果たせたのでしょうか」
「果たせたから権利がある。というのが答えだが、どういう意味かな?」
「自分は、流れのままにみんなと勝利を目指して頑張りました。そして流れのままにみんなの練習に付き合って、流れのままにキャプテンにもなった。全部流れのままにやったこと。努力なんてしていないんです」
そう答える宮島に小牧はため息を漏らす。
「少し質問をしてもいいかい? なに、難しい質問じゃない。君は一度、答えを導き、この小牧に答えを伝えた質問だ」
彼は宮島の顔を凝視し……
「君は、中身の詰まった意味のある努力をする人間か。それとも時間だけ使って満足して、意味のない努力をする人間か。どっちだい?」
「その質問は」
「覚えているかい。君はこう答えた。『僕らは……努力には思えない努力をする人間です。なぜなら僕は野球が『趣味』ですから』と」
確かにそう言った。それは去年の4月。1組との第3試合に負けた後のことだ。
「そう。君は有言実行した。努力に思えない努力をする人間であると」
何も趣味が結果に結びついたケースだけが小牧の言う努力ではない。流れが結果に結びついたのも小牧の言う努力である。そのなんでもない流れを結果に結びつけるだけの才能があったわけで、その同じ流れを結果に結びつけられない人もいるのだ。
小牧は宮島の肩に手を置く。
「大丈夫。何も不正な手をして得た『権利』なんかじゃない。君はやるべきことやったんだ。破棄するなら堂々と破棄してしまえ。誰も文句は言わない。教師陣は君のその判断を尊重するよ」
何気ない2年間の学生生活だった。いつものように流れで練習し、体を休めるために食って寝て、心の休養に皆とくだらない話をして、神城や新本らのゲームに巻き込まれて。そしてそれらが明日への活力へとつながって。
意識しているわけではない毎日が、一歩一歩着実に彼を目標へと近づけていたのだ。
「小牧先生……僕はやるべきこと、やっていたんですね」
「あぁ、知らず知らずの間にね。だから、何度だって言う。胸を張って決断しろ。分かったな」
彼はそう言って振り返ると、手を軽く振りながらコンビニの方へと歩いていく。
「さて。じゃあ、暗黒都市との決戦まで暇つぶしを――」
「小牧先生。僕は――」
アニメの話をし始める彼を遮り、宮島の声が響く。
「僕は、プロに行きます」
小牧の足が止まる。
「そっか」
「僕はそれだけ努力をしてきた。その努力を生かせるだけの才能があった。そしてその努力・才能を結果に結びつける運があった。だったらその僕の野球人生に胸を張って、プロに行ってきます」
振り返る小牧。
「広川さんも言っていたことだが一つだけ聞こう。君は育成選手だ。神城くんのような、いや、ドラフト下位のメンバーと比べてもいい。彼らよりも注目は薄く、きっと長い目では見てもらえないだろう……それでも君はやるのかい?」
「神城商事野球部からの依頼は来ています。なら、そこへ入って実力をつけて、ドラフト上位指名で入団する方法もあるでしょう。でもね、小牧先生」
宮島は小牧に4組らしい答えを導いた。
「逆境からのスタートダッシュって、僕らにしては今さらじゃないですか」
「ふっ。さすが開幕24連敗は言うことが違う」
「23連敗です。神部を破って止めたんで」
改めて小牧は背を向けてコンビニの方へ。
「だったら見せてこい。プロの舞台で、逆境からの逆転ゴールを」
「えぇ、どこぞの小牧長久選手よりもプロに長くいて見せます」
来週、プロ野球への天道 最終話!!




