第8話 近くも遠いホームベース
一歩も譲らない延長戦が続いてついに11回の裏。
『11回の裏、2年4組の攻撃は、7番、センター、寺本』
この回の先頭バッター・寺本が右バッターボックス。そしてネクストには8番の宮島が入るのだが、そこで彼は恐る恐る広川に問いかける。
「あ、あの」
「どうかしましたか?」
「前の打席も聞いたんですけど、本当にいいんですか? 本来ならば代打の機会ではないかと思うのですが……」
別に代打の手駒がないわけでもなく、キャッチャーの控えがいないわけでもない。なんなら小村を代打に送り、延長継続ならばそのまま守備につかせてもいい。なのに広川は貧打の宮島に代打を送らない。
そこに疑問を生じた宮島であった。しかし広川はそんな彼の前で露骨なため息。
「いいから打ってきなさい。もっとも……」
そして睨むような目つきで逆に問いかける。
「君が自らその場を引くなら話は別ですが。どうしますか、キャプテン?」
「……打ってきます」
「打ってきなさい」
このわずかなやり取りだったが、宮島はそれ以上の言及はしなかった。そうなれば広川もそれ以上は言わない。
『(宮島くんはこのクラスを変えたキーマンでもあります。ならば彼で始まった物語は、最後も彼で終わらせたい。と、言うのは自己満足でしょうか?)』
彼を無理やり引っ張らせることは、もう1人のキャッチャーでもある小村の出場機会を奪うことにもつながる。それは教育現場としてやっていい行動なのかどうかははなはだ疑問ではある。それでも今まで彼がやってきた貢献に報いるためにはこれでも安いくらいなのかもしれない。
『(この回で決めてしまいなさい。この接戦を制することができるかどうか。それが君たちの2年間の真価を問うことでもあります)』
先頭の寺本はカウント3―2から、インコースの変化球を引っ張り弾き返す。三遊間の打球にサード・山県は追いつかず。ショートの中山は追いつくも、寺本の俊足に1塁送球すら諦める。
「きた」
きっとこれが土佐野専の学生としての最終打席。俊足のランナーを1塁に置き、宮島がサークルから足を踏み出す。
『8番、キャッチャー、宮島』
おそらく最後となるであろう宮島コールが、ほとんど観衆のいないスタジアムにこだまする。
「かんぬ~」
その背後から聞こえた声に振り返る。ネクストバッターサークルに入ったのは、小さなヘルメットに短いバットの新本。彼女は右手拳を突き出し、
「信じてる」
「宮島の打率と『行けたら行く』は信じるな」
すると彼女は微笑みながら一言。
「じゃあ信じる。かんぬ~の『行けたら行く』はマジだし」
「……ふん」
そんな彼女へ視線を逸らしてグータッチ。バットを担いで打席へと向かう。
右足からボックスへ。すでに11回とあって掘り返され、穴ができた場所に右足を置く。そして左手でピッチャーを制しながら、左足の位置にできた穴を埋める。
『(このイニングのピッチャーは、勝利の方程式・備中か)』
その間に状況を整理し、ゆっくり時間をかけてバットを構える。
『(……)』
備中がサイン交換を済ませてセットポジションへ。彼はやや長めに時間を取ったのち、1塁に牽制球を放る。寺本の警戒とともに、宮島の集中を乱す算段か。
それでも彼は少し足を引いて構えを一旦崩したのみで集中力を切らさない。
さらに2球目の牽制。まだ宮島の集中力は続く。
息をのむような空気が流れる中、ついに備中の足が上がった。
「ボール」
外に外れる変化球を迷いなく見送る。今の彼はインコースに張っていた。アウトコースは捨てる球だ。
『(大丈夫。焦るな。いつも通り)』
今度も何も考えず適当なコースを予想。
備中の2球目――
「ファ、ファール」
インコース低めのボール球をカット。予想をしていただけに、少し足元に落とされる球にもしっかり対応。バットを止められたらなおよかったが、裏をかかれ続けているわけではない以上いい兆候ではなかろうか。
『(平行カウント。そしたら次は……)』
じっくりボール球でもいいが、打率1割台のバッターはさっさと終わらせたいところであろう。
牽制球を1球はさんでの3球目。
『(ド、ど真ん中っ)』
抜け球か。予期せぬ絶好球が飛び込んでくる。
宮島は見逃さずにフルスイング。真芯で捉えた打球はサード方向へ。球足の速い痛烈なゴロは内野で跳ね、
「う、くっ」
サード・山県はあまりの速さに捕球できず。しかし真正面であったこともあって腹で受け止める。
『(ちょ、マジかよ、山県)』
ピッチャーライナーを素手で捕るやつを考えれば不思議ではないが、痛烈な打球を腹で受け止める女子のサードがいるらしい。
彼女は激痛でその場にうずくまりかけるも、足元に落ちたボールを拾うと迷わず2塁へ。
「あ、アウトっ」
セカンド・酒々井が送球を受けてワンアウト。ランナー・寺本は塁に滑り込む自然な流れでゲッツー崩しを行うも、酒々井は2塁で『みなしアウト』を取ってもらっていただけに余裕をもって回避。ただ山県の打球処理が遅れただけに1塁送球は間に合わず。
これでワンアウト。ランナー入れ替わって1塁。
額面的にはアウトカウントが増えただけだが、盗塁王クラスの俊足を誇る寺本に代わって、1塁に宮島というのはかなり大きいマイナス。彼も鶴見―竹中バッテリーから盗塁を決めるようなマネをしてはいるが、基本的には足の遅いランナーなのである。
「タイム」
さて、次のバッターは野手転向から数か月の新本。4組はここからどのように試合を展開していくかを考えていきたいところであるも、3組方はいったん田端監督がタイムをかける。打球を直撃させたサード・山県の状況である。
サード付近にピッチャー・備中、キャッチャー・柴田らも集まり彼女と相談を開始。それもわずか20秒ほどで解散。交代する気配はない。
「さすがに昨日の立川ほどの打球じゃなかったが、あれで交代なしか」
「女子とはいえ野球人かぁ」
割と精力的に動いている彼女を見て、ベンチにて言葉を漏らす高川・秋原両マネージメント科生。秋原は特に怪我をしながら4組相手に好投した神部や、宮島のお弟子さんこと松島のボロボロの手を思い出し考える。きっと彼女たちは自分と同じ女子でありながら、自分とは異なる女子なのであると。
男女の区別なくただ『実力』だけを信じて躍動できる舞台で、彼女たちは野球をしている。その喜びはきっと多少の痛みよりも大きいのであろう。
『9番、ライト、新本』
ワンアウト。宮島を1塁に置いてバッター・新本でプレイ再開。
『(かんぬ~、いけなかったなぁ)』
行けたら本当に行く宮島も、今回は行けなかったようである。1塁の宮島もチャンスを生かせなかった責任として、隙あらば走ってやろうと動く構えを見せる。
「ボール」
初球はアウトコースへのストレートでワンボール。宮島のやや大きめのリードに柴田は1塁へと牽制球。その牽制へいち早く気付いた宮島は足から帰塁。
『(かんぬ~、焦らなくてもいいのにぃ)』
自分がなんとかしてやろう。という気持ちは痛いほどよく分かるが、焦ってやらかせばもっと勝利は遠ざかることだろう。
『(うにゅぅ、それともかんぬ~、私が信用できないのかなぁ)』
彼女は一回打席を外してバットを握りなおすと、気合を入れて再び打席へ。
『(KV―2やティガーよりは弱いけど、チハだってやるときはやるんだ。私だってやってやるんだ)』
「ファール」
カウント2―1となって4球目。変化球に合わせてバックネット方向へのファールボール。ここまで宮島は走りそうな気配を見せているものの、まだ走ってはいない。だが彼の気質で言えば配球やフォームなど、頃合いを見てスタートしても不思議ではない。
「ボール、スリー」
投手時代から意外と選球眼はいい新本。宮島なら手を出して、神城ならカットするコースを堂々と見送り。これでフルカウント。身長160センチと土佐野専でも背が低く、さらに彼女は小さく構えるタイプのバッター。結果としてストライクゾーンが小さく投げにくいのはあるだろう。それでもかなりコントロールに四苦八苦している。
『(新本さんは非力ゆえにヒットは少ないですが、バットコントロールに関してはなかなかのものがあります。ゆえに甘いところへは投げられないのでしょうが……フルカウントにしたのが運の尽き。かもしれませんね)』
広川はこのタイミングでただちにサインを送る。
『『(ヒットエンドラン⁉)』』
ここまでまともにサインをだしてこなかった広川がついに動いた。
『(かんぬ~、エンドランだって。ちゃんと走るんだぞ!!)』
『(空振るなよ。盗んだり配球読んだりならまだしも、鈍足に有無を言わさない単独スチールは辛い)』
備中のセットポジションに合わせてリードを広げる宮島。そして呼吸を整えて投球を待ち受ける新本。
『(次はマエスケだもんね。せめて2塁に進めるんだ)』
ネクストはピッチャー・神部に代えて前園が待機。彼ほどの切り札を今の今まで取っていた広川は有能なのか。それとも温存して延長戦に持ち込まれた無能なのか。それはさておき、2塁に宮島を進めれば形勢の天秤は一気に4組へ傾く。
足が上がる。
『(よし、GO)』
宮島、スタート。
クイックモーションの備中は気配で宮島のスタートを察する。そして彼のスタートを薄々感づいていたキャッチャー・柴田だが、構えるコースはストライクゾーン低め。
『(ストライクゾーン。できれば流して、できればゴロで。最低限当てる――)』
バットを振り始めた新本。しかし寸前でそのバットを止めた。彼女がハーフスイング気味に見逃した変化球を受けた柴田は迷わず2塁へと送球。
「ボール」
その最中に球審はボールジャッジするが、柴田の2塁送球を受けた酒々井は滑り込む宮島へとタッチ。盗んだわけでもないのに間に合うわけもない。
「アウトっ」
よって2塁審判はアウトコール。宮島は盗塁死……と、本来ならなるのだが。
「スイング」
柴田が1塁審を指さしてハーフスイングのジャッジを要求。
カウント3―2からの新本への投球は、球審曰くノースイングのボールでフォアボール。この場合、いわゆる広義的な意味での『押し出し』により1塁ランナー・宮島には安全進塁権が発生。2塁には確実に進塁が可能となり、1アウト1・2塁で試合再開となる。
しかしもし新本のハーフスイングが空振り判定であった場合。新本は空振り三振。宮島には安全進塁権が発生しないため、三振ゲッツーでチェンジとなる。
1塁審の判定は……
「ノースイング」
腕が開いた。ノースイングである。
「テークワンベース」
球審の指さしを見て、フォアボールで新本は1塁へ。そして1塁ランナー・宮島の盗塁死は成立せず彼も2塁へと進塁を決めた。
『(エッヘン)』
『(やめろよ、新本。エンドランでそういうのはよせって……)』
結果的にフォアボールだったが、審判のさじ加減ひとつで三振ゲッツーであった場面。ファールでもいいし、最悪フライでもいいからバットに当てろと言いたい宮島。2塁ベースに立ちながらため息ひとつ。
「まったく、新本さんは怖いプレーをしますね。しかし、チャンスメイクですね。球審、代打、前園」
『2年4組、選手の交代です。1番、神部に代わりまして、前園』
神部はひとまずここでお役御免。延長最終回には自称『肋骨が2、3本折れている』体調万全な立川が準備中。だがこの回で決めてしまえば関係ない話である。
『(前園。下位で作ったチャンス。生かしてくれよ)』
『(マエスケ、凡打したら絞める)』
2塁に宮島、1塁に新本。1塁ランナーが俊足でも、2塁ランナーが鈍足ではランナーは動かない。バッター勝負である。
新本相手に苦しんでいたのに、ピンチを広げて、さらにバッターはここ最近好調の前園。さらに苦しくなってきた備中。柴田のサインに頷き初球。
インコースへのシュート。内に切れ込んでいく球だったが、前園は体の正面でしっかりととらえる。痛烈なライナーは三遊間真っ二つ。
『(よし、抜けた。ホームへは……桜田さんも止めるか)』
俊足・神城をもってして2度の憤死。桜田3塁コーチも慎重になっているのもあるが、ランナーは鈍足でレフトは肩の強いバーナード。宮島が軽く3塁を回ってオーバーランした時には、すでに中継のショートへとボールが渡っていた。突入しなくて幸いである。
『2番、ショート、富山』
そして1アウト満塁とかわり、ネクストバッターは守備から途中出場の富山。一打サヨナラのチャンスに盛り上がりそうであるが、
『(監督さん、マジでかよ。そのまま送るのかよ)』
チャンスメイクした前園は驚きの反応。
「ここでムサシぃ? レイテの予感」
2塁・新本は下の名前と関連付けてひどい言い様。なお、彼『富山武蔵』の名前の由来は宮本武蔵であるため、新本の例えは100点満点とは言えず。
『(ちょっ、ここで富山をそのまま打席に送るのか。大丈夫かな?)』
口に出していないからいいが、広川も富山も打率1割前半の宮島に言われたくないであろう。
「タイム」
勝負を分ける展開に、柴田はタイムをかけてマウンドへ。もちろん内野陣も集めての打ち合わせである。
『(1点、1点だけでも入れば……)』
宮島は3塁ベースについたままでホームベースを見つめる。たかだか30メートルにも満たない。リードを取ればさらに短くなる。その程度しか離れていないホームベースがはてしなく遠く思える。
『(頼むぞ。富山)』
広川は腕組みしてベンチで仁王立ち。まったくもって動く気配を見せない。代打・代走はおろか、あれではサインの類も一切出ないだろう。もっとも満塁で出すサインなど一か八かの満塁スクイズくらいであろうが、鈍足宮島が3塁ランナーではそんなものも出ないと考えられる。もちろんだからこそ裏を賭ける可能性もあるのだが……
「内野。捕ったらホームゲッツー」
柴田の指示通り、内野はホームゲッツーのための前進守備。これでは満塁スクイズなど自殺行為である。
『(いざっ)』
プレイ再開の準備は整った。富山は右打席に踏み込むと、足場をしっかり固めて構えをとる。
そしてマウンドの備中もロージンバッグに手をやって気持ちを落ち着かせつつ、程よい間を取ってプレートに足をかける。
「0ストライク0ボール」
球審はボールカウントを確認するように、『0』を意味する握りこぶしを作る。そして一度引いた右手でピッチャー方向を指さす。
「プレイ」
同点で迎えた11回裏1アウト満塁。運命のプレイが動き始める。
『(ランナー満塁だし、もちろんゴロゴー。ライナー、フライは判断)』
宮島はゆっくりとリードを取りながら今後取るべき判断を整理。
ゴロ・ライナー問わず、ボールがバットに当たった瞬間に走る『ギャンブルスタート』も作戦としてはなくもない。ただネクストが打撃のいい鳥居では、それほどまでの危険を冒す必要もないであろう。
『(……おし、っと)』
足をしっかり上げた備中の投球モーション。サードが3塁から離れて前進守備を敷いているため、少し早すぎるくらいのタイミングで飛ぶようにして2、3歩ほどリードを広げる。第2リードは割と大き目も、柴田からの牽制球はない。
『(初球はボール。でもパッと見、しっかり外した球ではないか)』
様子見というわけではない。次の伏線として外したか、それともコントロールミスか。
『(一応、ベンチからの指示はなし、と)』
広川から一切の指示はない。とにかく打つだけである。
ボール先行で始まった勝負どころの攻防。息が詰まるような空気の中でも、各ランナーは迷わず思い切った大きなリード。
1塁の前園、3塁の宮島はいつもより少し大きいかな? くらいのもの。
しかしながら2塁の新本は塁間の半分近くまで飛び出している。実に10メートル以上の巨大リードである。
『(う~ん、本当にびっちゅ~も、にゆ~かんもむけ~かいだねぇ)』
そんな彼女が目障りなのだろうか。鬱陶しそうに視線を向けてくる備中に、新本は煽るように首をかしげる。と言っても煽っているわけではなく、「にゃ?」といつも通りの反応をしているだけである。
ただそんな彼女に牽制を放る気配はない。前進守備のセカンド・ショートが2塁カバーに向かえば、新本はすぐに気付いてリードを狭めて牽制死は狙えない。が、元の位置に戻ればまた巨大リードといたちごっこになるのは想像に容易い。学童・中学野球ならセンターがカバーにも入ろうが、前進守備と言っても土佐野専の守備は深め。そんなことをしている余裕はない。そしてなにより、そんなことをする必要がない。
『(備中。2塁は無視しろ。どうせあいつは関係ない)』
それも柴田は分かっているからこそ、ミットをたたいて投球に集中させる。
新本は2点目のランナー。しかし1点が入ればサヨナラである以上、彼女の存在はサヨナラに関係ないものとなる。そしてホームゲッツーを狙うこの守備体系では、殺す対象は3塁ランナー・宮島と、バッターランナー・富山のみ。彼らを問題なく殺せるならば、2塁ランナー・新本や、1塁ランナー・前園など関係ないのである。
「ストライーク」
真ん中から低めに落ちる変化球。狙いが外れたようで富山は空振りしてワンストライク。
『(富山、なんとか当てろ。そうしたら意地でもホームに突っ込んでやる)』
『(むさしぃ。大和型の力、見せてやるんだ)』
『(なんとしても宮島を返せよ。富山)』
まさかこんなチャンスでこんな貧打の選手に託すことになるとは、誰も思わなかっただろう。それどころかこのチャンスを作ったのも、7番・寺本から始まった下位打線。打撃下手の下位の繋げた夢は、打撃の成長著しい前園が希望へと繋げた。そしてあとはこの希望を叶えるのみ。
そして備中の投じた3球目。
「いっ、ちょ」
『(あ、当てたけどもっ)』
インコース低めの変化球を捉えた富山。しかしながら打球はピッチャー前へと転々。宮島はほぼ当たった瞬間にゴロを確信してスタートを切ったが、備中はすかさず打球を処理してホームへと送球。受けた柴田もホームを踏みながら1塁に送球しようとした。が、
「ファール、ファール」
球審のファールコール。見れば富山はほとんど走らず、足が痛そうに動き回っている。いわゆる自打球である。
『(っぶねぇ。助かった)』
ホームゲッツーが一転、自打球でのファールボール。宮島は3塁に戻りつつ、その結果に一安心。
『(けど、追い込まれたぞ、富山。頼むぞ)』
備中が新たなボールを受け取りセットポジション。それに合わせて全ランナー、リードを広げる。
追い込んで1―2。まだあまりあるボールカウントを有効に使いたいが、しかし押し出しフォアボールも怖いため早く決めたい。そんな複雑な心境のある中で、バッテリーの選んだ4球目。
『(しまった)』
『(まずい。甘い)』
空振りを狙った変化球が甘く入った。
『(ぬ、抜け球⁉)』
予想以上の絶好球。
富山は迷わない。空振りしようが、ポップフライになろうが構わない。あわよくば外野スタンドに叩き込んでやろう。そのくらいの気迫を見せてバットを振りぬいた。
ボールは真芯で捉えられた。打撃の苦手な富山にしてはきれいなバッティング。それからはじき出された痛烈な打球はセンターを襲うライナー性。
「タッチアップ、センター」
桜田3塁コーチから指示も飛ぶが、それより早く宮島はホーム生還を狙って3塁ベースにつく。そして1塁の前園、2塁の新本はやや帰塁重視のハーフウェイ。
『(やや浅いか?)』
落下地点に入ったセンターがいる場所からして、かなりタッチアップは難しい。しかしホームでブロックができないだけに、そこの判断も変わってくる。それを甘くしすぎた結果が、神城の2度にもわたる憤死であるわけだが……逆にそれでタイミングは掴んだ。
センターはバックホームを視野に入れて数歩後ろに下がると、ボールの落下に合わせて前にダッシュ。
『(桜田コーチ、これは――)』『(宮島くん――)』
センター捕球
『(突っ込みます)』「ゴー。突入だっ」
宮島がサヨナラのホームを狙った。
「させるかぁぁぁぁぁ」
ランニングキャッチのセンター・磯田は、その助走を生かしつつ低球道でのバックホーム。センターからのバックホームは間にマウンドがあるため、クセのある返球となることも多いわけだが、これならば最悪内野でのカットも可能だろう。
「中山、カット」
そしてその送球はマウンド上でバウンドすると見た柴田は、ショート・中山に中継を指示。中山は磯田からの送球を受けると、迷いなくバックホーム。
『(さすがの柴田も2度は失敗しないか)』
ホームは完全に空けている。これならば正面突破でも十分にホームは踏めるが、不用意な正面突破はタッチされる可能性がある。
『(なら――)』
わずかにファールグラウンド側に走路を外れる。
『(回り込んでホームにタッチするっ)』
「宮島っ、滑れっ」
『(言われずとも)』
走塁の邪魔にならないよう、バットを引きに出てきたネクストバッター・鳥居。そのまま宮島に指示を出すが、そんなもの宮島自身が分かっていることである。
『(延長12回に望みを託すためにも、お前をここで殺す)』
『(絶対にサヨナラのホームをっ)』
送球を受けた柴田、ホーム突入を図る宮島の2人が交錯。
宮島は柴田を避けるような走路を取りつつ、足から滑り込みながら左手でベースをタッチに向かい、柴田もそうはさせまいと宮島をタッチしにいく。
勢い余った宮島はそのままオーバースライド。そして柴田はいかにもタッチを主張するように、ボールを持ったミットを掲げる。
宮島はホームを、柴田はランナー・宮島を。
両者、目的はタッチしたはず。
球審の島田は一呼吸おいて冷静になりつつ、その判定を下した。
「セーフ、ホームイン」
彼の一言が静まり返ったグラウンドにこだまし、延長11イニングにもわたる試合を、そして100試合以上にもわった長い2年間を終える最後のコールが響いた。
「ゲームセットっ」
「勝ったぁぁぁぁぁぁ」
こうした物事、得てして一番反応が早いのは新本。2塁から大騒ぎしながらベンチへと駆けて戻ってくる。そして何よりサヨナラ犠牲フライの富山は静かに歓喜。珍しく感情を高ぶらせつつ、無言でのガッツポーズを繰り返す。
「サヨナラだぜぇぇぇ。ひゃっほぉぉぉぉ」
「待って。小崎くん。その手に持ってるのは……」
ベンチから飛び出した小崎が手にしていたのは『4組球場』と書かれたバケツ。中には大量の水。なんとなく状況を察した富山は引き気味に距離を取る。
「やっぱりサヨナラゲームはこれかと……」
「待て。話せばわかる。この時期にそれは寒い――」
「ドバ~」
「わぁぁぁぁ、寒ぅぅぅぅぅ」
今日はそこそこ風があるのだ。気化熱とやらは存外キツイ。
そしてこのサヨナラを導いた英雄がもう1人。
「さすが総大将。ナイスランでありました」
「どうもどうも」
延長12回のマウンドに立つ予定だった立川は、グローブを付けたままで宮島を称賛。
「僕や新本、寺本じゃったら余裕の生還じゃったんじゃろぉけどなぁ」
一方で、鈍足だからかえってきわどいタイミングになった。と言いたげな神城。彼を睨みつける宮島の横で、新本は胸を張る。
「私なら余裕で帰れる。でも、シロロンは今日2度の憤死。沈んだ金剛型は黙ってな」
「あぁん? まともな突入機会のなかった改鈴谷型はもっと黙っとけぇや」
「落ち着けよ、お前ら」
「そうでありますぞ」
「まぁ、俊足だから無謀な突入を敢行した……てのは一理あるけど、ね?」
その場にいた秋原も神城を援護するが、このよく分からないやりとりに歯切れの悪そうな反応である。
そしてこのメンツを見ているに、1人足りないわけだが。
「宮島さ~ん。ナイスラン――だったそうで」
肩にアイシングのサポーターを巻いている神部。裏でクールダウンをしていたために、サヨナラの場面に巡り合えなかったのである。よってサヨナラのナイスランも、マネージメント科・小鳥原の報告によるものだ。
「有終の美ですよぉ。やりましたぁぁぁ」
「ちょっと、神部?」
うれしすぎてところ構わず抱き着きだす女子がいるらしい。
「フッ。でも最下位。有終の微」
いつも通りの新本。
「まぁ、神部が喜ぶのも分からんでもねぇけどなぁ。宮島」
「な、なんだよっ」
神部に抱き着かれながらも神城に答える宮島。
「勝利投手誰じゃと思う?」
「そりゃあ勝利投手は……あっ」
しれっと最後の勝利投手をもっていったのは神部である。
「かんべぇって、中継ぎ勝利って多いよね」
「同点やビハインドでのロングリリーフが多いけぇじゃろぉ。それだけイニング投げとる間に、味方が点を取って勝利投手が転がりこんでくるパターンが多いんじゃないん?」
「確かに神部は先発投手の勝ち星を盗むことは少ない」
さらにデータベース・高川も参上。
「基本的に神部が先発の勝ち星を消す展開になると、大炎上で味方の援護もかなわずってパターンってのもあるだろう」
「窃盗勝利がないってのは一長一短なのかな?」
「窃盗勝利が得られないほど炎上するのは、どう見ても一短だわな」
「秋原も高川も、こいつをけなしたいのか褒めたいのかどっちなんだよ」
「「事実を申し上げているのみでございます」」
「お役人?」
片やグラウンドでは富山へ水をかけるイベントが開催され始め、片やベンチ前ではナイスランの宮島を中心に円ができつつある。その後、宮島に抱き着いたことについて冷静になった神部が焦って動揺するのだが、どうでもいい話である。
「すまん。長曽我部。勝ち星を守れず――」
「いや、別にそんなこといい」
対する3組ベンチ裏。勝ち星を消された長曽我部はクラスメイトからの謝罪を受けるも、彼はそれを制する。
「結局は、プロに行けるかどうか。だからさ」
確かにペナントレースはこれにて終了である。だがしかし、まだ彼ら彼女らには運命の日が残っているのであった。




