第7話 男子に負けない全力勝負
「ブロック禁止。そのせいでランナーコーチもランナーもタイミングを掴むのが大変なのはわかりますが、神城くんが2回もホームで憤死するとは思いませんでしたね。ですが――最後の最後で最弱らしくない好ゲームじゃないですか」
規定の9回で決着が着かず。10回表へと突入
それに合わせてこの回から守備が変更。
代走の新本がライトへ。ライト・天川がサード、サード・鳥居がファースト、ファースト・神城に代わってピッチャー・神部。
1番 ピッチャー 神部
3番 ファースト 鳥居
5番 サード 天川
9番 ライト 新本
『(しかし、神城を下げるか)』
今回の守備変更は思い切ったところ。別に2度の本塁憤死による懲罰交代というわけではなく、純粋に控えメンバーにも経験を積ませる意味があるのは間違いない。だがこの状況で主力をベンチに引かせるのは、選手にしてみれば予想外である。もっとも既に3組も同様にめまぐるしく選手が交代しているのだが。
「神部」
「はい」
宮島はマウンドに上がって神部に声掛け。
「この打順に入れるってことは、さらなる延長で回跨ぎあるぞ」
「ダブルスイッチですからね。それに……」
彼女は振り返ってライトに目をやる。
「ウチ、投手が6人しかいませんからね。1人、野転しちゃったんで」
「あとは昨日、肋骨を2、3本折った立川だけ。もしそれを切らせれば、後は元投手を上げるなり、特別起用ってことで相手から選手を借りるか。だな」
土佐野専の特殊ルールとして、途中で選手がいなくなった場合は相手から選手を借りての試合継続が可能となる。他の守備位置の選手を持ってきてもいいのだが、不慣れな守備位置で怪我をさせるわけにはいかない。との理由があるからだ。もっともこれはほとんど投手不足に対してのみ行われる場合が多く、4組で捕手不在が発生した時であれば、神城が練習がてらマスクを被って塩原・新本をリードしている。さらに投手不足に関しても経験のために野手がマウンドへ上がることも……
「でも最後の試合。『4組』の力で勝ちたいですよね」
「輝義を借りてくれば、ある意味4組の力なんだけどな」
「でも、長曽我部さんは今日先発したばかりですから、それはないでしょうね」
「ま、そういうこった。後は任せた」
「はい」
いつも通りに言葉を交わせば、神部としてはスイッチを入れるだけ。
『(元から4組の宮島さん達には及びません……でも)』
脳裏に浮かぶ1年生初期の悲劇的なスコア。格下の4組相手には2桁得点なんてやってみせもしたが、格上の1・2組相手には2桁に近い得点も許していた。今でこそ土佐野専選抜チームに入るくらいだが、神部自身もアウトが取れないままの降板を繰り返していたほどだ。
3組も苦しんでいたのである。
圧倒的実力を持つ1組と2組。連戦連敗を糧に大成長を遂げる4組との間で。
『(でも、もうあの時の私とは違う)』
あの時の神部友美と、今マウンドにいる神部友美は別の人物。
しかしそれは決して宮島捕手の力ではない。
『(2年4組・神部友美。いきます)』
ピッチャー・神部友美が全力を持って3組打線をねじ伏せる。
『延長10回の表、2年3組の攻撃は、1番、センター、磯田』
先頭バッターは3組の切り込み隊長・磯田。
『(3組も4組と同じように代打・代走を激しく送ってる。けど、スタメンと名前が変わっているのは、5番、6番、そして9番の3地点。上位はベストオーダーだぞ)』
宮島のサインに頷いた神部。セットポジションからの初球。
「ストライーク」
『127㎞/h』
磯田はアウトコースのストレートに初球から果敢に手を出す。しかし彼のバットは彼女の投じたストレートのわずか下を通った。いや、むしろバットの上を彼女の球が通過したとみるべきか。
『(本来ならば球速と回転数には関係がある。それからマイナスに外れたクセ球を投げるのが友田。そしてその逆がこいつ、か)』
去年の初頭にマネージメント科選抜によって解析されたそのデータを思い出す宮島。
友田は一般的なストレートに比べて回転が少ない結果、落ちる軌道を描く。その特徴的なフォークにしてはストレートであり、ストレートにしてはフォークというおかしな軌道が、土佐野専打者陣を苦戦させた。
そこで1つの疑問が浮かぶ。
では、一般的なストレートよりも回転が多い球は?
その答えは至って簡単である。少ない球が落ちる軌道を描くなら、多い球は……
「ストライクスリー、バッターアウト」
今の神部のようにほとんど落ちない、極論を言えば浮き上がって見える軌道を描く。
そしてさらに彼女の特徴はそれだけではない。
「平行回転軸ストレート」
バックネット裏にてつぶやく高川が導いた答え。
基本的に回転するボールは回転軸の垂直方面に力を受ける。これはつまり地面から鉛直上向きに効率よく力を与えようとする場合、極力回転軸を地面と平行にする必要性があることを意味する。そしてその回転軸をかなり平行に近づけたものが彼女のストレートでもある。
その後ろを通る秋原が補足するような言い様。
「男子に投げられない球を女子が投げる。身体の違いを生かした魔球だね」
「普通なら球速が遅い分、視的効果は薄いはず。しかしまたこちらも女子の身体的違いを生かした投球フォームで体感的に球速を補った……」
「さしずめスポーツをするうえでの身体的不利は、『飛車角二枚落ち』であって『詰み』ではないってことかな?」
「新本あたりなら『桂香』も落ちてるかもな。しかし」
「そうした駒がないからこそできる手筋もある」
「不利には違いないが」
確かに不利ではある。が、負けではない。実際に2人の例えに出てきた将棋にて、秋原は『飛車角桂香六枚落ち』で宮島を破っている。そして神部は『身体的不利』を背負いながらも男子相手に奮闘している。競技は違い、またそのレベルは違えど通ずるところはある。
「ストライクスリー、バッターアウト。チェンジ」
磯田の空振り三振に続き、2番の太田をレフトフライ。3番の好打者・笠原も空振り三振に切ってとり、3組の強力上位打線に対し2奪三振を含む三者凡退の好投。神部も最終戦を飾るにふさわしいピッチングを見せる。
『(ドラフト前のラストゲームで、プロから注目されている笠原君から三振を奪えたこと。きっとスタンドで見ているプロのスカウトにも良く映ったことでしょう)』
まず広川はスタンドに腰かけた20人くらいのスカウト集団を見上げ、そして今度はマウンドから降りつつ宮島とグローブでハイタッチする神部へと視線を向ける。
『(ですが問題は、彼女が女子であることがどのように作用するか。でしょうか)』
初の女子となれば環境や規則をはじめとした、現プロ野球組織の整備が必要となる。また彼女を選手としてとらえた時にも、果たして成長曲線がどのようなものを描くか、実力の限界はどこにあるのかも疑問となる。
全学年合わせのべ10人以上の女子選手を見てきた小牧ら土佐野専の3年目講師陣も、そこを理解できているかと言えば難しいところである。
『(それでも実力は私が保証しましょう。神部さん。あなたにはプロで通用するだけの力はあります)』
10回の表を無失点に抑えた4組だったが、10回の裏は勝利の方程式の一角・三崎によって4人で終了。出塁は天川によるエラー出塁のみであった。
さらに続く延長11回の表、2年3組の攻撃。
先頭の4番・バーナード。
ノーカウントから初球のアウトローをたたいた打球は痛烈なピッチャー返し。しかしややスライスのかかった打球をショート・富山が飛びついてキャッチしワンアウト。
さらに5番・三崎の代打で加村。
2―2の平行カウントから1球のファールを挟んで6球目。甘く入った球をライトに弾き返される。今度は右中間へと抜けそうな打球であるも、ここはライトの新本が快足を飛ばして追いつきライトフライ。
『(ちょっと神部の球が甘く入ってるな)』
バーナードに対してのアウトローは悪くないように思えるが、彼は低めにたいして滅法強いバッター。そんなバッター相手に低めは厳禁であり、裏をかいたならまだしもそうでないなら失投である。
なんだかんだで登板から5打者連続で抑えているも、宮島にしてみればやや不安である。
『(さて……ラストイニングは立川だろうし、神部。彼女が最後のバッターだ)』
『6番、サード、山県』
運命とは分からないものである。
地元・長野県を出てやってきた高知県。とりあえず同郷の人間としては2組に村上がいたが接点はなく、人生で初めての1人となった。そして長い野球人生で慣れてはいたが周りは男子ばかり。不安に押しつぶされそうな毎日だったが、そんな神部にできたこの学校での初めての友達。それが同じ女子で野球科の山県でもあった。
しかし、今では片やピッチャー、片やバッター。
最初の友は最後の敵として立ちふさがる。
『(最初はカーブでストライク取るか?)』
『(う~ん。違うんですよね)』
宮島はそのような彼女の思いも知らず、そさくさとサインをだす。まずはカーブのサインをだしてみるも、ここは首を横に振る。
『(ん~と、じゃあ……ストレートか?)』
首が縦に振られる。
ミットをたたいて大きく開きインコースへと構えると、神部はセットポジションから投球開始。いつものように足を上げ、軽くひねったトルネード。勢いよく足を踏み込む。果てしなくいつものモーションだが、彼女の思いはいつも以上であっただろう。
「ストライーク」
『127㎞/h』
逆球のアウトコースへといったが、宮島がミットの芯で捕球。コースもしっかりストライクで、カウント的には幸先良好。
『(じゃあ、次はこれでどう?)』
『(いえ、それではないです)』
次なるサインを送ってみるが、神部はここでさらに首を横に振る。
『(ありゃ? 山県相手にはやけにこだわるな。こっちか?)』
『(それでもないです)』
次のサインも横に振る。
『(だったら、これかな……OK、よし、こい)』
3回目のサインにようやく了承。
2回も首を横に振って宮島から引き出したサイン。神部の選んだ投球は、
『(インコースっ)』
インコースへ飛び込むやや速い球。きわどいコースも追い込まれる前に勝負を決めたい山県はヒッティングにでる。ところが。
『(くっ)』
「ファール」
急に内へと切れ込み、ボールを根元で捉えたバットは真っ二つ。打球は正面へと飛ばず、宮島のミットをかすってファールボール。
彼女は首をかしげつつ、新しいバットを取りにベンチに戻る。
「シュート?」
「ん?」
「今の球」
そして新たなバットを持って戻ってくるなり宮島に問いかける。
「ツーシーム」
「そう」
内へと切れ込むインコースへのツーシーム。デッドボールの危険もある攻撃的なピッチングを見せる。
『(たまにはこれでも放ってみる?)』
『(あ、たまにはいいかもしれませんね)』
宮島の提案は3球勝負。通常、神部が三振を取る球といえばストレートかスプリットかである。しかしサインは「たまには」なもの。
対山県戦において初めて最初のサインに頷いた神部は、セットポジションから第三球。
「ボール」
外へと逃げる高速スライダー。バッテリー的にはなかなかいいコースを突いたつもりだったが、山県はすんなり見送り、球審の判定もボール。
「ギリギリでボール?」
「いや。割と余裕で」
参考がてらどの程度のボールか聞いてみるも、はっきりしたボール球だったらしい。
『(今のに手を出さないってことは、山県も落ち着いてんのな)』
泳いで空振り三振を想定していた宮島にしてみれば、大きく予想を裏切られた感じだ。
『(そしたら、低めにスプリットを沈めてみる?)』
『(はい。ベタですけど、それもいいかと)』
なんとなく神部の思考が読めてきたのか、3、4球目はいずれも一発でサインが合う。もっとも思考が読めたといっても感覚的なものである。
「ファール」
低めへのスプリット。それに体勢を崩されながらファールで逃げる。ここは柔軟なバッティングでひとまず対応する。
「神部、ナイスボール」
「はい。ありがとうございます」
新しいボールを投げ渡された神部は、礼を言ってから足元のロージンバックに手をやる。付けすぎた粉は吹いて飛ばしてほどよく調節。
『(カウント1―2。もう1球、ボールになる変化球で三振を狙ってもいいとは思うけど、ストライクゾーンに放るか?)』
コース的には2球連続のボール球。またそれぞれ外・低めに外れていることからして、そろそろインコース高めあたりの警戒が甘くなっている……かもしれない。それならば神部のストレートを生かす意味ではいい頃合いだろう。
ストレートのサインを送って了承を得ると、インコース高めにミットを構える。
『(山県に一発はない。神部のパワーなら押し切れる)』
追い込んでいる神部の勝負を決める一投。
狙い通りインコース高めに飛び込むストレートに、アウトコースを意識していた山県はせめてカットしようとスイング。だが窮屈なスイングになってしまい、上手くバットを振り切れない。
「宮島さん」
「任せろっ」
中途半端にバットへ当たったボールはキャッチャー後方への小フライ。宮島は追いかけるというよりも、落下地点へ頭から飛び込むような形。必死でミットを伸ばしてフライをもぎ取った。球審は自分の足元に倒れこんでいる宮島のミットを確認。
「アウト、チェンジ」
しっかりボールを持っていた。宮島の好反応で小フライはキャッチャーファールフライとしてアウト。神部はこれで結果的に2イニングを6人で切って取った。
「宮島さん、大丈夫ですか?」
「この程度で騒ぐな」
宮島はマウンドから歩み寄ってくる神部を制し、「さっさとベンチに帰れ」と指さす。そこで神部もベンチに帰ろうとするも、ふと凡退した山県と目線が合う。しかし言葉は交わさず。お互いにベンチに戻っていく。野球人ならば野球で語るということではないが、特別な感情を抱え込んでいるわけではない。ただ、野球人は人間である。
『(山県さん……ナイススイング)』
少しくらいは思うところがあるものである。




