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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第1章 逆境からのスタートダッシュ
12/150

第11話 このままでは終われない

 8回の裏の守りはワンサイドゲームの様相を持っていた。

 先頭には彼女の足元を襲うセンター前ヒット。さらに続くバッターへはスローカーブがすっぽ抜けてデッドボール。そして8番。

「くっ。レフト、バックホーム」

 宮島がホームを塞いでレフトからの返球を受けるも、3塁を蹴った2塁ランナーは彼を避けてホームへと滑り込んだ。レフト前へのタイムリーヒット。ショートの中継を介したおかげで1塁ランナーの3塁進塁は防いだものの、依然ノーアウトでランナーを1塁と2塁に置く状況が続く。

『(打順も二回り目だし、新本の遅い球に慣れてきたか)』

 前のイニングでは二回り目となる4番、5番を抑えたとはいえ、結果は痛烈なピッチャー返しとライト前ヒットからのランナー憤死。まともに捉えられての結果オーライであった。

「タイム」

「タイム。それと君。反則ではないけど、ちょっとタイム多すぎ」

「す、すみません」

 タイムは掛けてもらったものの注意を受ける。注意を受けたからと言って学内リーグのルール上まったく問題はなく、これ以降もタイムを掛けることもできる。しかしその注意にはプロを目指す身なら少しタイム回数にも気を使えと言う意味もあるのだから、宮島自身に自重しようという思いが起きなくもない。

 ひとまずタイムをもらいマウンドへと駆け寄る。

「新本。ついに1組打線に捕まったな」

 彼女が崩れたわけじゃない。体力切れでもない。それはボールを受けている宮島がよく分かっている。

「う、うん。みたいだね」

「とりあえず新本は気楽にいこう。お前が崩れる件に関してはどうにもならないけど、向こうが新本を捉えた件に関しては僕がなんとかする。ひとまずは次がピッチャー。代打は送らないでイニングを跨ぐみたいだし、しっかり三振を取っていこう」

 彼女が頷く。

「っし。気張っていこう」

 彼は喝を入れようとミットで彼女の胸を2回叩いた。

「ふやっ」

「あ、悪い。男子感覚で」

 ミットでとはいえ胸を触られた、もとい叩かれた新本は驚くも、場所がかすかな膨らみの上ではなく、その合間の谷であったからだろう。すぐに気持ちを切り替え大丈夫と首を振る。

「それじゃ、楽にな」

 彼女の返事を待たずに振りかえり定位置まで戻る。そして審判と次のバッターに「お待たせしました」と告げてしゃがみこんだ。

『(さて、とりあえずバッターは打ってこないと読んだ。この状況で無理にピッチャーに打たす必要はないからな。一応、バント家界のサインを内野には出しておこうか)』

 だからと新本に気を抜いてほしくない。コントロール確認の意味で要求したのはアウトコース低めいっぱいのストレート。

 宮島はしっかりとミットを構え、新本はそのミットを凝視。だがすぐには投げない。自分で投げやすいタイミングを計っているのだ。

 しばらくしてからクイックモーションでミットめがけて投球。彼女のボールはミットの構えた場所よりボール3つ分ほどインに入ったが、バッターは微動だにせず見送りワンストライク。

「ナイスボール」

『(これは完全に三振する気だな。バントもさせないか)』

 そうと確信を持てれば簡単である。2球目はテスト的にコーナーを突こうとして外してしまったが、3球目と4球目はしっかりいいコースに決めて見逃しの三振。

「っしゃ、新本、ナイスピッチング」

 宮島は彼女を盛り立てるためにそう声掛けをする。しかし彼女はバッターが打つ気が無いことを薄々感づいていたため、嬉しくなさそうに真顔でボールを受け取る。彼女が下を向いて荒れたマウンドを整えていると、次のバッターがボックス横へ。

『(次は1番。たしかこいつは、初回に振り逃げ。前の打席は神城のファインプレーだったかな。それ以外は知らん)』

 宮島は覚えていないが打撃結果は振り逃げ・ライトフライ・ライト前タイムリー・ファーストライナー(神城好守)と、第1打席を除いて打球はすべてライト方向へ飛んでいる。それをしっかり覚えている神城は少々1塁線を閉じて後退気味に位置取る。

『(1アウトで1、2塁。2アウトにしてまで送ってこないだろうし、左バッターだからランナーを動かすことは無い。仮に動かすとしてもエンドラン)』

 いずれにせよここで取るべき攻撃側の策は打者任せ。ならば守備側の策は力で封じる。

『(前の打席はしっかり遅い球を見せた。だから初球は速い球でいこう)』

 ストレートをアウトコースいっぱいへ。

 新本は2塁ランナーの動きを警戒しつつ、走ってきそうにないリードの大きさに安堵して足を高く上げる。

「ボ、ボール」

 指に引っかかり強く叩きつける投球。ホームベース手前でワンバウンドしてワイルドピッチかと思われるも、宮島が体で前に落としランナー動けず。

「楽に楽に」

 落ち着けとジェスチャーで伝えると、彼女は帽子のつばの陰からバッターを凝視しつつ、口を小さく開けてゆっくり深く息を吸う。そして一気に吐き出す。

 一呼吸置いた。リラックスできている。

 宮島はサインを出してからミットを構える。次のコースはインローへのチェンジアップ。

 続く2球目。

 新本の足が上がるとバッターが動きを見せた。

『(バ、バント。セーフティか)』

 奇襲だ。

 気付いた時、既に新本は左足を踏み込んでおりリリース寸前。ここから外すのは難しい。無理やりに外せば大暴投は免れない。

 真ん中高めに浮いたチェンジアップをバッターはバットの真芯に当てる。打球は木製バットとはいえ芯を食っただけに早い打球。

『(っし。ピッチャー処理圏内)』

 ランナーのスタートがよかったために3塁や2塁は殺せないが、バッターはしっかりと殺すことができそうだ。

「ピッチャー」

 宮島はホームベースをまたぐように立ち、ピッチャーの新本に打球処理指示。打球への判断が早かった新本は既に打球に追いつく寸前。彼は即座に次の指示を出す。

「ボールファースト」

 彼女はボールを捕球。反時計回りに回転して、

「なっ。あのバカ」

 3塁へと送球。彼女がボールを放った時にはランナーが3塁に滑り込んでおり、余裕を持ってのセーフ。さらに2塁も間に合わず。サードがバッターランナーを殺そうとするも、間に合わないと判断して投げずに諦める。野手選択でのオールセーフである。

 1アウト満塁のチャンスを生かせず、その裏に回ってきた1アウト満塁のピンチ。よりにもよって打順も同じく2番である。

『(タイム掛けたい。タイム掛けたいけど、あんまり掛けてるとなぁ)』

 先ほど主審に注意されたのが引っかかってタイムを掛けてマウンドに行けない。仕方なくタイムを掛けず、宮島はしゃがみこんで内野陣へとフラッシュサインを出す。

『(このピンチはセカンドゲッツーシフト。3塁ランナーがホームに突っ込んでも、セカンドゲッツーに取ってしまえば無得点だ)』

 下手に前進守備を取って内野の後ろに落ちたり、間を抜かれたりすることは避けたい。

『(新本。なんとか踏ん張れ。捕まりきってやられたい放題はさせるな。ここを乗り越えれば4組のエースリリーバーに近づくぞ)』

 自慢の頭脳を駆使して最善の手を打ち出す。

『(こいつは前の打席で左翼線を破る長打を打ってる。それもジャストミートと言うより、遅い球にタイミングが合わず、引っ張ってしまったという感じが強い。ならば)』

 小さく頷く新本はセットポジション。3塁ランナーを過剰に警戒する様に睨みあいを演じ、挙動不審な目を彼のミットに向けて投球を始める。

「ボール」

 大きくアウトコース高めに外れるボール球。インハイのストレートで詰まらせようとした一方での逆球。

 人間はバッティングマシーンじゃない。常にストライクを狙えるわけではなく、たまにすっぽ抜けもあり、むしろ狙ったところに投げられないのが普通と考えていいほどだ。だからこそ多少のコントロールミスなら何も言う気はない。

 だが今回の逆球は、

『(あいつ……また崩れてる)』

 ただのコントロールミスではない。ピンチを招いて動揺している。

「ボール、ツー」

 ストライクが入らない。ボールが先行し押し出しフォアボールの可能性が出ると、さらに彼女は動揺してしまう。ならばこのようにコントロールが効かない場合の取るべき方法は1つ。

『(ストレートど真ん中。しっかり投げろ)』

 どうせ狙ったところへいかない。それは裏を返せば、ど真ん中に構えていてもど真ん中に来ないということ。むしろ程よく散って抑えられる可能性がある。もっともそんな時に限って構えたところ、ど真ん中に行くこともあるのが野球である。

「ストライーク」

 3球目は計ったように際どいアウトローストレート。審判によってはボールと判断していたほどのコースだ。

『(次もここ。頼んだぞ)』

 ど真ん中ストレート。同じコースを続けるように要求。

 そんな無謀なサインにも首を一切振らない。今のその行動は彼への信頼が成せるものでも、リードを丸投げしているわけでもない。頭の混乱によって何が正しくて何が間違っているのか区別が付かないのだ。

『(マズイ。こんな時に限って)』

 寸分たがわずど真ん中ストレート。超が付くほどの絶好球である。

 この投球をバッターが見逃すはずもなくフルスイング。ボールの少し頭を叩いて打球は三遊間への強いゴロ。

 サードが飛びついて打球を止めにかかるも届かない。

『(やばっ。抜けるっ)』

 ランナーはヒットを確信して進塁。

 しかしショートがそれを阻む。

 回り込めば捕れるだろうが、そうすれば間に合わない。ならばとエラーを覚悟で最短距離を走って打球に追いつき片手逆シングル。

「ボール、セカン」

 宮島が指示を出した時には送球モーションに移っていた。

 正面捕球ではないため不安定で、まだサード方面に向けて勢いがついている。

 彼は三遊間へと倒れ込みながらサイドスローで2塁へと送球。

 その不安定な体勢から放られたボールはセカンドベース手前でバウンド。非常に難しいバウンドのその送球は悪送球必須。ところがそうはさせない。

「ナイス原井。俺に、名手・横川に任せぇぇぇ」

 2塁ベースを踏みながらショートバウンドで打球を処理。1塁ランナーは間に合わずにアウト。さらにゲッツーを狙って、滑り込んできた1塁ランナーをジャンプで避けつつ1塁へスロー。

「セーフ」

 しかし1塁は余裕のセーフ。

「よし。ナイス二遊間。よくやったぁぁ」

 ベンチではメガホンを口に当てて大声で騒いでいる広川。褒められた2人は手を上げて「やりました」と彼へ合図を返す。

 二遊間の好プレーで2アウト。とはいえこのゲッツー崩れの間に3塁ランナーが生還し、この回2点目が入る。さらに2アウトながら1・3塁とピンチは続きクリーンアップへ。

『(よし。この際、1点なんかよりアウト1個の方が大きい。よくやったぜ、原井。横川)』

 2アウトにしてしまえば大概の作戦は封じられる。外野に大きなフライを打たれてもタッチアップはできないし、スクイズもバッターを殺せば得点にならない。

『(新本。せっかくバックが守ってくれたんだ。崩れるんじゃねぇ)』

 的にするために大きくミットを構える。コースは変わらない。ど真ん中ストレートを続ける。

 3番バッターが打席に入っての初球。新本の足が動いた。

「「「ランナー走ったぁぁぁ」」」

 内野の声がグラウンドに響く。1塁ランナーがスタートを切り、さらに3塁ランナーも宮島の送球次第では突っ込む体勢。

『(させるかよっ。セカンドに放るフリして3塁ランナーを殺す)』

 送球姿勢に入ろうと捕球前に中腰へ。

 その直後にリリース。彼女の放った投球は、

「んなっ」

 アウトコース遥か高め。宮島のミットから大きく外れた。

 ワイルドピッチ。

 宮島はホームを空けてボールを追い、ここぞとばかりに3塁ランナーが突っ込む。1塁ランナーもあわよくば3塁を狙おうとやや膨らみ気味に走路を取った。

『(3塁ランナーは、いや、新本の本塁ベースカバーが間に合ってない。だったらとにかく今は1塁ランナーの3塁行きを阻止する)』

 バックネットに当たってホーム後方を転がっていたボールを捕球した彼は、3塁ランナーのホームインを無視して3塁へと送球。2塁に達していた1塁ランナーは進塁を諦めるも、その間に3塁ランナーは生還。さらに1点を追加し10点差と開く。

「くそっ」

 宮島が怒るようにミットで自分の太ももを叩くと、遅れてホームのベースカバーに入っていた新本が怯えるおように体を震わせた。

「新本ぉぉぉ」

「ふぁい。ご、ごめんなさい」

 泣きそうな顔で頭を下げて謝る新本。よほど彼の声が怖かったのだろう。

「暴投したのは何も言わん。だから意地でも投げ切れ。あと1人だ」

 仮に次の回で追いつくようなミラクルが起きても、先頭打者となる彼女には代打が出されていると見て間違いはない。追いついて9回裏に突入するにしろ、追いつかずに負けるにしろ、この回が彼女のラストイニングだ。

 マウンドに戻った彼女はサードからボールを受け取り、マウンド上に置いてあるロジンを拾って手の上で転がす。そして足元に放り投げると、余計な粉を口で吹いて飛ばす。

『(なんだ。泣き顔だったけど落ち着いてんじゃねぇか。それともごまかしてるだけとか)』

 彼女の準備が終わり次第投げられるよう、宮島はマスクを被ってしゃがみこみ、準備万端として待機。すると彼女はすぐさまプレートを踏んで宮島のサインを覗き込む。

『(とりあえずサインは同じ……いや、アウトコース)』

 頷いた新本。2塁ランナーのリードを横目で確認し、2秒ほどの間を置いてクイックモーション始動。

「ストライーク」

 初球の大暴投で1―0となっての2球目。アウトコース高めへのストライク。

『(戻った。大暴投で吹っ切れたか?)』

 なんにせよ調子の波の大きい彼女が取りなおしたのだ。それを今、生かさずして生かすべき時など無い。

「ストライーク、ツー」

 3球目はアウトコースへ外れるボール球。バッターが途中で気付いてバットを止めるも、ハーフスイングを取られてツーストライク。

 連打と自分のミスで3失点した彼女が立ち直った。それを今の2球で悟ったバッターは、追い込まれてようやく本気を出す。この1球が本気の勝負となる。

 彼女の真価が問われる勝負。

『(さぁ、あと1球だ。これで決める。しっかりな)』

 サインを出してミットを構える。

 セットポジションに入った彼女は銅像のようにまったく動かず、バッターとの睨みあい、そしてキャッチャーの宮島のミットを見つめ続ける。

 バッテリーはバッターのタイミングを計って外そうと、バッターはピッチャーのタイミングを計って合わせようと。お互い無言の駆け引きが過熱していく。

『(まだ……まだ? 宮島君……)』

 まだ投げない。宮島の指示を待つ新本は彼をしっかり凝視する。

『(1……2……3、今だっ)』

 ミットを降ろすと、それを合図にセカンドが2塁ベースへ。そして新本は足をプレートから外さず、反時計回りに回転して逆モーションの牽制。素早い牽制に対応できず逆を突かれたランナーは、新本の放った牽制球よりも遅れて2塁に頭から飛び込んだ。

「アウトぉぉ。チェンジ」

「っしゃああ」

「やってゃぁ~」

 2ストライク。バッター勝負と思わせ、またワンヒット追加点と言う事でホームへ意識が向かい、牽制への意識を緩ませた一瞬を狙った。

 宮島は片手でガッツポーズ。牽制死でこのピンチを凌いだ新本は、緊張感が切れてしまいマウンドに崩れ落ちた。



「お疲れ様ぁ。なんとか9回だね」

「どうも」

 ベンチに帰るなり秋原にタオルをもらって顔を拭く宮島。

「それにしても新本さん凄かったね。あれだけ打たれながらもなんとか投げ切って。しかも最後はあんな小細工なんて。あれは新ジャンルの萌えだね」

「どう考えても漢字違いで『燃え』だけどなぁ。ただ燃えるだけじゃなくて燃え上がってるし」

 3回6失点。大炎上である。

「それよりもそれを新本に言うなよ? ポジティブシンキングのつもりかもしれないけど、なんだか逆効果な気がする」

「そう……だね。ごめんなさい。空気読めなくて」

「でも凄いのは確か。新本(あいつ)、牽制めちゃくちゃ上手い。もしかしたら4組(ウチ)の投手陣で一番上手いんじゃないのか?」

『(なんにせよ、これで守備は終わった。ここからは猛追の時間だ)』

 8回裏に3点を失い11対1。最終回に10得点上げれば最低でも延長戦に持ち込む希望もできるが、これまで1年4組の通算得点は今日の試合を含まずに6試合でわずか1点。この試合を含めても7試合で2点。1試合平均0.3得点以下のチームが1イニングで10点を取る確率など、存在したとしてもスズメの涙のさらにその欠片くらいのもの。

 つまりこのイニングがこの試合最後の攻撃となっても何ら不思議ではない。

『1年4組、選手の交代です。3番、新本に代わりまして、ピンチヒッター、大野。背番号3』

 代打を送って野手登録選手を使いきる。

「頼んだぞぉぉ」

 宮島は身に着けていた防具を全て外して打席に立つ準備をする。もしこの回、宮島まで打席が回るようなことが無ければ、そもそも次の守備はないのだ。

 4組全員の期待を背負い、右バッターボックスに大野。守備が壊滅でスタメン出場はしていないが、代打時打率8割の好打者だ。先頭が塁に出るのとアウトになるのとでは天と地ほど違う。

 大野は初球を見切ってワンボール。2球目に手を出し、1塁内野スタンドに飛び込むファールを打ちカウント1―1。

 チームの期待が最高潮に達した3球目。

「抜けたぁぁぁぁ」

「ナイバッティン」

「代打の神様ぁぁぁぁ」

 打球はきれいに三遊間へ。飛びついたサードとショートの間を抜いてレフト前ヒットとなりノーアウト1塁とチャンスメイク。

『4番、レフト、三国。背番号6』

 ノーアウト1塁で練習での一発はあるが、試合での一発は無い三国。

「任せた。さんごく~」

「続け、さんごく」

「ホームランでもいいぞ。さんごく」

「み、く、に、だっ」

 呼び方を大きく間違えられ、眉をひそめながら左打席へと入る。この状況で最もやってはいけないことは内野ゴロゲッツー。一方で現実的な可能性を考えながら最高の結果はライト前ヒットでノーアウト1・3塁。

「タイム」

 ランナーを1人出したタイミングで1組の監督がタイムを掛けて主審の元へ。彼はマウンド上のピッチャーにベンチに戻るように指示を出す。

「交代かぁ。かんちゃんはこの交代をどう見る?」

「そうだなぁ……大量点差で勝ちがほぼ確定した場面でノーアウト1塁。回の頭ではなくこのタイミングで選手を代えるとすれば、可能性1、左殺しのワンポイントリリーフをテスト。可能性2、ランナーがいる場面を苦手とする選手の弱点克服。可能性3、調整登板」

 スコアを付けている秋原に質問され、グラウンドを向いたままで答える宮島。いずれの可能性にしてもこの試合に勝つための交代ではなく、次以降の試合で勝つための交代(テスト)になる。

『1年1組ピッチャーの交代です』

 ウグイス嬢によるアナウンスと一緒にリリーフピッチャーが出てくる。1組のクローザーではなく、かなり登板の少ない左ピッチャー。

「左のサイド。球速は110ってとこだろうかな」

「そうだね。たしかあのピッチャーは……」

 秋原は宮島に言われて整理した自前のデータブックから、リリーフピッチャーの名前を探した。

「やっぱり。2組戦で救援に失敗してる。1組に唯一黒星を付けた敗戦投手だよ」

 メンバー表を手に交代した選手の名前をスコアブックに書き込む。彼女の邪魔をしてはいけないと思った宮島はその場から2メートルほど離れた場所に移る。

「プレイ」

 投球練習も終わり試合再開。マウンド上のピッチャーは大きくもなく小さくもないリードを取った大野へと牽制。大野は頭から戻り1塁セーフ。

 落ち着いた面持ちで牽制を放ったピッチャーを眺める広川。

「秋原」

「はい」

「たしか、あいつ、2組戦で救援失敗したって言ってたな」

「1回で4失点だったかと……」

「それ以降の登板は?」

「えっと……」

『(かんちゃんに頼まれたデータ整理。ここ一番で生きたね)』

 広川に問われた秋原は仕事の苦労が実った事に嬉しさを感じながら、データブックを再び開いて確認。

「3組戦で1回。1イニングを3失点。大量得点差に救われ、敗戦は免れています」

「うむ……ならばここが勝負どころだ。きっと向こうのピッチャーは自分が左、三国が左だから、そして大量得点差。さらに最下位の4組とあって安心、もとい油断している。ならばそこが付け入る隙ではないだろうか」

 初球アウトコースへのボール球の直後に立ち上がってサインを出した。

 続く2球目。

 先ほどと同じくらいのリードを取っている大野を気にせず、ピッチャーの足が上がる。

 と、ランナーが走った。

『(何っ。単独スチール?)』

『(でも、あれくらいのランナーなら俺の肩で刺せる)』

 バッテリーは4組の奇策に反応をしながらも動きには見せない。コースは真ん中低め。

 すると、

「うそっ。4番にエンドラン?」

 4番の三国がヒッティング。打球は強いゴロで一二塁間へと一直線。キャッチャーは声に出して驚きを表す。

「させっかよ」

 2塁ベースカバーに行こうとして逆を突かれたセカンド。大きく空いてしまった一二塁間を激走してボールへと飛びつく。

「セカンドは無理だ。ファースト」

 追いついた。起き上がったセカンドはキャッチャーの指示通りに1塁へと送球。三国が必死で1塁を目指すも余裕のアウト。1アウトとなってランナーは2塁。

「う~ん。狙いはよかったと思うけど今のはセカンドが上手かったかぁ。こうなったらあとは……選手に託すしかない、か」

 ランナーの足からしてワンヒットで1点が入る。打率を3割と仮定して2人のいずれかがヒットを放つ確率は約5割。そして残り5割で2者連続凡退。

 5番の天川が右バッターボックス。2点目の期待がそのバットにかかる。

「ストライーク」

 初球からアウトコース高めへ勝負のストレート。大量点差がピッチャーの背中を後押しし、歩かせるという手段を与えない。

「ストライーク、ツー」

 足元に落ちる鋭いスライダーに空振り。

 あと1球。その心境がバットを短く握り直させる。

 クリーンアップの一角、5番。長打を狙いたくなるような看板を背負って入るものの、今は三振をしない事。とにかくランナーを返すことを考える。

 3球目。最後の1球になるかもしれない投球はアウトコースいっぱいのストライクゾーン。見逃せば三振だけに難しいコースであるが手を出す。そのボールが手元で小さく逃げながら沈んだ。

『(シ、シンカーっ)』

 泳ぎながら手を伸ばしてバットに当てる。打球はピッチャーの足元を抜けて二遊間ややショート寄り。2塁ランナーは3塁へスタート。

 正面に回り込んで確実に捕ったショートは迷わず1塁へ送球。天川はアウト。しかし大野は3塁。これで外野へのヒットだけではなく、バッテリーミスや内野安打での生還も視野に入る。その一方で、ここで得た1つのアウトが4組を追い詰める。

「2アウト、2アウト。あと1人ぃぃぃ」

 9回表2アウト。アウトになればその瞬間に試合終了。

『6番、セカンド、横川。背番号2』

 ここで守備範囲には定評のある横川が左バッターボックス。

 ここからバッターは6番の横川に続き、7番に俊足の寺本と下位打線ながら得点の期待できる打順。しかし8番はキャッチャーで通算打率2割を切る宮島で、そのうえ野手登録選手は控えにおらず事実上代打は出せない。つまり連続フォアボールはゲームセットである。

 だが安心はできる。1組はこんな大量得点差でいい意味でも悪い意味でもフォアボールを出すようなチームじゃない。

「ストライーク」

 1,2球目と際どいボール球も3球目にど真ん中へ通して2―1とバッティングカウント。勝負を決めるならここ。

「ストライーク、ツー」

 つい手が出てしまった。高めに浮いたボール球を振ってしまいツーストライク。

「あと1球……」

 口にしながらも焦りはない。焦りは負けるかもと言う思いの反作用から来るもの。

 しかし諦め転じて開き直りとなる。

 今、4組のナインにあるのは諦め。そしてそれから派生した開き直り。

 どうせ勝てないなら、一矢報いてやろうと。

「あと1球……」

 一方でこちらはマウンド上のピッチャー。今までの試合で散々なピッチングも、この試合ではなんとか責任を果たせそうであった。

 打順は下位打線。そしてツーアウト。安心して投げられる。

 しかし、諦めが開き直りを生むように、安心は時に負の産物を生む。

「しまった」

 声を出して振りかえるピッチャー。

「「「打ったぁぁぁぁぁ」」」

 4組ベンチから歓声が上がる。

 安心と言う名の油断でコントロールミス。浮いてしまったインコース高めを、バッター横川は詰まりながらも振り抜いた。その打球は中途半端なライナーとなりファースト・セカンド、ライトの三角地帯中央に落ちる。セカンドがボールを拾ってすぐさま1塁送球の構えを見せるも、横川は楽々1塁を走り抜けていた。

「2点目もらったぁぁ」

 3塁ランナー大野も悠々生還。

「っしゃああ2点目だ。2点目だぁぁぁ」

「ついに来たぁぁぁぁ」

「いける。いけるぞぉぉぉぉ」

 9点差。にも関わらずまるで勝ったような雰囲気。

「続けよ、寺本」

「おぅよ。後は任せた」

 次のバッターに歓声を送りながら、ネクストバッターに宮島。

 両打ちの寺本は今回右バッターボックスへ。

 なんとか1点は取った。ここからはいったい自分たちが何点取れるかの挑戦。

 1塁にランナーがいるとはいえ、ツーアウトでは策の打ちようがない。ここはただ打つのみ。

 最弱の4組相手に1点を取られて腹が立っているピッチャーは、マウンドを蹴って怒りを晴らす。そんな心理状況ではピッチングに影響が出るとも思わずに。

「あっ」

 初球。低めに外れる変化球を要求された一方で、すっぽ抜けてコースはあろうことかど真ん中。

「甘いっ」

 初球を寺本が強振。打球は二遊間一直線。

「よし、つながったぁぁぁ」

 ネクストバッターサークルで勢いよく立ち上がる宮島。

「「「抜け――」」」

 ベンチの全員はヒットと確信して歓声を上げかける。

 が、

 ショートが飛びついて打球を止める。

 とはいえバッターランナーは俊足の寺本。1塁セーフは確約されたようなもの。

 だからこそ1塁へは送球しない。ショートはちょうど近くにあったセカンドベースに直接タッチ。そこへ遅れて1塁ランナーが滑り込む。

「アウト」

 気迫満ちる攻撃の中、2塁審判が淡白な声でアウトコール。

 これで9回の裏、3つ目のアウトが取られ、主審によって声高々に宣言された。

「ゲームセット」

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