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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第10章 信頼と依存
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第9話 雨降って地固まる

 バッティングセンターでの暇つぶしも暇つぶしにはなりきらず、昼食をとる場所を探すのも兼ねてショッピングセンターへ。とにかく無趣味な2人は昼食時間までの暇つぶしに悩むのみ。ブティック系もファッションに興味のない2人であり、食料品や雑貨なども買う予定のものはなく、スポーツ用品もほぼ10割学校で調達であり、見たい映画も特にはなく。ひとまず本屋で暇つぶしを計ったのだが、趣味たる野球関連の本はだいたい土佐野専の図書館にあるためわざわざ買う必要もなく。

 結局、広い店舗内を歩き回っただけで昼食とすることに。

 高知県に来て2年目。立川・本崎・天川こと通称・タチカワーズはお気に入りのアニメグッズショップを見つけたり、秋原はブティック系のお店に行ったり。人によっては市街地にちょくちょく出てきているのだが、出ない人は徹底的にと言っていいほど出てこない。例えば神城・新本は趣味のゲーム購入をネット通販で済ませており、鶴見の休日はフットサル部か図書館への入りびたり。宮島・神部も例外ではなくあまり市街地には詳しくない。

 そのため飲食店も良く知らないわけで……

「なんか久しいなぁ」

 1年前。近所の野球部の練習後に超巨大バーガーを食べたあのフードコートにやってきたのである。あいにくあのお店は日本人の舌に、むしろ胃袋の容量に合わなかったのか無くなっていたわけだが。

「神部はどうする?」

「えっと、どうしましょう?」

 少々昼食時には早い時間帯であるが、それでも日曜日とだけあってなかなかに多い。早めに決めないと待ち時間や席確保など面倒事も多くでてくるだろう。

 そのためちょっと悩む様子を見せながらも割と早めに決定。宮島はチャーシューメン(麺3玉)に、大盛り炒飯、餃子4人前とかなり胃にきそうなラーメン定食。神部は宮島の餃子を半分もらうことを前提に、山盛りライス付きのトンカツ定食。こちらもいろいろと追加料金でサイドメニューを付けた結果、かなりの量となっている。

 窓際の開放感のある席を確保。あいにくの強い雨で景色がいいとは言い難いところであるが、こうした雨の景色もまた乙なものである。お互いに向かい合うように座って食事を始めた2人であったが、宮島がラーメンを2口、餃子を1つ食べたところでその箸を止める。

「で、今日はどうしたよ」

「え? 今日は。って言うのはどういう……」

「誘ったのは神部だろ。それに僕以外は誘ってないんだろうよ。どうせ」

 偶然その場にいたために宮島が誘ったが、そうしなければ神城や新本、秋原は誘われていなかった。それはあの電話を受けた後もしばらく彼らと一緒にいて、電話を受けた様子がなかったゆえに分かることである。

「ってことはなんかあったんだろ」

「えっと、その……」

「あ、やっぱりなんかあったな?」

 この焦りっぷりからも非常に分かりやすい子である。ただそれ以上に分かりやすい子と言うのが……

『(しかし、なんか変なのがいるなぁ。なんだ、あれ)』

 嬉々としながらお好み焼き屋の順番待ちをしている、黒スーツに黒いサングラスを掛けた『怪しい』の権化が視界に入る。ただその存在が気になるには気になるが、今は神部の話の方が気になるところではある。

「ま、前に約束していたデートです」

「本音は?」

 満面の笑みでごまかしてみるが、露骨だったようでかえってあっさりと見破られる。すると彼女は頬をほんのり赤らめて彼の顔を見つめる。

「えっと、宮島さんに今まで迷惑をかけていなぁって思って……」

「今更か?」

「い、以前の2組の試合のことです」

「あぁ、あれか」

 迷惑をかけている。と言われて心当たりがたくさんあるのは悲しいような、頼りにされていて嬉しいような。

「私、宮島さんに受けてもらえばベストピッチングができるって自信を持ってました。けど、宮島さんがいつも私と一緒にいてくれるとは限らないんですよね……」

 ただでさえNPB入りなら日本初となる女子。一緒にプロとなれるかどうかも不明であり、仮に同じ球団に一緒に入団できたとしても、片方が1軍登録時にもう片方は2軍登録なんて可能性もあり、場合によってはトレード・FA・人的補償などでの移籍もありえる。まだそれならどこかで巡り合えるかもしれないが、戦力外通告・引退してしまえばプロで出会える機会など無い。そうした世界で特定の相方にこだわるのは自らの可能性を狭めることとなる。

「『専属捕手』って言葉があるみたいに、別に相性がいいキャッチャーがいるのはいいと思うよ。僕としてもそういうリードをしている分、評価してもらえるのは嬉しいし。けど、あまり専属捕手に依存しすぎるのはどうなんだろう。って思うけどな」

「はい……私も、ちょっと。いえ、かなり宮島さんに依存しすぎたかなって思っていました。でもこのままじゃダメなんですよね」

「まぁ、分かってくれたなら僕も安心だな。今度から気を使わなくて済む」

 一安心しながらラーメンをすする。

 一応は今まで平常を装っていたが、やはり彼も神経を使っていたのである。それが無くなってからは肩の荷が1つ下りたと言ったところで、もっと気楽な心持ちで自らのサクセスロードを歩むことができるだろう。

「それで、あのぉ……良ければ今度からまた一緒に練習してくれませんか?」

「一応聞くけど、分かってるよな」

「はい、もちろんです」

 4月の中旬には広川から事の次第を聞かされ、以降、流れで重みを背負い続けて2ヶ月。その重みは今消え去った。その苦労を感じて宮島はつくづく思う。

『(輝義の判断は正しかったんだろうな)』

 彼は自身が今の神部のようになると感じて4組を去った。そしてその彼は宮島の相方を離れて、今では3組の先発ローテ2番手である。筋肉野郎とか言って馬鹿にしてきたが、一番聡明なのは彼なのではないかと思わされる。

 そして頭の良さもそうだが、よりレベルの高い環境を選んだ向上心もそう。長曽我部は何も考えていない脳筋のように見えるが、実は元4組勢のなかで最も将来を見据えて何かを考えているのである。

『(ほんと、すげぇよ。あいつ)』

 自分にも分かっていなかったこと。それどころか広川すらも後手に回りかけたことに対し、彼は先手を打って自ら対処できたのである。つくづく凄さを感じるのみだ。

『(もしかしたらあいつ……)』

 まさかの予感が頭をよぎった時である。

「――さん? 宮島さん?」

「え? うぉっと」

 どれだけ呼びかけても何かを考えているようで反応がなかったためか。彼女は目の前で手を振ってみた後、彼の顔を覗き込んできたのである。その状態で声を掛けられ気付いたものだから、宮島にしてみれば彼女の顔が近くにあったようなもの。

 さすがに驚いた彼は椅子から大きな音をさせながらのけぞってしまう。

「び、びっくりした。顔が近いんだから」

「ごめんなさい……」

 神部自身は自らが女子であるとは意識。今日も表向きは『デート』と本人も言っており、女子らしい反応を示しもする。しかし基本的に男女の壁を作りたくない彼女は、男女の意識を欠くことがある。それが今回の覗き込みである。

『(ちょっと神部、自覚しろよ。マジでドキドキするんだって。そういうの)』

 今更ではあるが宮島は年頃の男子であり、神部は偏差値60オーバークラスの顔立ちである。そんな子に顔を近づけて何も感じないわけがないのである。

『(まったくあいつは――ん?)』


 その数十秒前。

「あきにゃん。私にも見せて~」

「あ、ちょっと押さないで」

 お好み焼きを買って席に来た新本と、上手い具合に宮島らからは死角となっている席を陣取った秋原。最初は秋原が敷居の隙間から彼らを見ていたが、彼女を押しのけてTHE怪しい人の新本が隙間から覗き見し始める。

「見て、見て~」

「え? ちょっと詰めて。見えないから」

 微動だにしない宮島に対して神部は声を掛けて反応がないと見るやいなや、顔の前で右手を振って探り、ついでに顔を覗き込む。と、宮島は椅子の音を大きく立てるほどに驚きのけぞる。

「うわぁ。胸がきゅんきゅんする~。恋人っぽくて楽し~」

「かんちゃん、一応、異性に興味のある男の子だもんね。神部さんにあんなことされたら普通の反応じゃすまないよね」

「でも、あきにゃんとだとあんなことにはならないよね」

「急にならさすがになるんじゃないかな? 予め言ってからなら大丈夫かな。ひざまくらの過程とかで顔も近づけてるし、そこは神部さんと違うと思うよ」

「対抗心?」

「ち、が、う。そんなんじゃないからね」

 新本の頭に拳骨を落とした秋原は、昼食そっちのけでさらに2人を見続ける。そうしていると、急に上着のポケットの中で携帯電話のバイブレーション通知が入る。

「メール?」

「あ、あきにゃん、ガラケー? もしかしてガラケー?」

「新本さんもでしょ? それに私は今度変えるつもり」

 誰からなのだろうかと疑問に思いながら携帯電話を開いてみる。

『送信者:かんちゃん

 件名:新本と神代共々殺すぞ

 本文:            』

 件名にそう短い文章だけ書かれて送られてきた。画面を見ずに打ったためか、『神城』の漢字が違うが。

『(あっ、ばれた)』


『(明菜、あそこで何やってんだ。って、ちょっと待て。あそこにいるいかにもな奴って、体格的に新本か。あいつらぁぁぁ)』

 宮島は自分のポケットから携帯電話を出すと、目線は神部へと向けたまま。机の陰で秋原向けにメールを製作。『新本と神城共々殺すぞ』と攻撃的な内容を打って送信。なお漢字を間違えていることは気付かず。

 神部からお誘いが来て神城らに話した際にされた、いかにも空気を読んだような断り方。そして秋原および新本らしい黒づくめの存在。と、言う事は3人がつるんで余計な事をしていると宮島は予想したのだが、神城に関しては巻き添えである。

「どうしたんですか? 宮島さん」

「いや、なんでもない」

 携帯電話をポケットに押し込んで何事もなかったかのように装う。その広い視野で秋原らのいる方向を見てみるが、その姿は死角に隠れて見えない。しばらくは昼食のためにここへいるだろうが、一度釘を刺し以上、ここからなお尾行を続けようとはしないだろう。

「そろそろ食べようか」

「そうですね」

 割と長いこと話をしていた2人。こうして暇つぶしをするのも悪くないが、話してばかりではラーメンが伸びてしまうし冷えてしまう。そもそも空腹の宮島は左手で支えながら麺をかきこんでいく。そして神部はややおしとやかながら、それでもかきこみ気味の食事。

「それで、午後からどうするよ」

「宮島さんはどこか行きたいところありますか?」

「特にないけど、せっかく街中まで来たのにわざわざ帰るのもなぁ」

 立川なんかは街中のアニメショップにしばしば来ているようだが、そんな明確かつ必然性のある目的がない人間にとっては、そうそう来るような場所ではない。原付所有の新本や自家用車所有の教職員のように足があるなら話は別だが、そうでなければ公共交通機関を使うのが一般的な程度の距離だ。

「じゃあ、せっかくですし、街中を歩き回りましょう」

「どこに行くんだ?」

「行く場所はないですけど、歩いていれば何か見つかるかもしれませんし、それに……」

「それに?」

「その……、宮島さんとお話しできるだけで楽しいです」


 彼氏彼女のように微笑ましい光景を見せる2人の一方で少し離れた席。

「あぁ~あ。かんちゃんに見つかっちゃったなぁ。ここまで来たのに」

「うにゅう。帰るの~?」

 昼食を口にしながら残念がる秋原。

「どうせ街中まで来たし、お買いものでもして帰ろうかなぁ。学校じゃ買えないものもあるし。お洋服とか」

「私もお買いものする~」

 と言うわけでこちらも異性っ気のない女子2人がお買いもの決定である。

「帰り、荷物だけでもバイクに乗せてね?」

「濡れちゃうかもしれないよ? 私はカッパ着るけど」

「それじゃあいいや。って言うか、新本さん。よく牡蠣なんて食べる気になるよね?」

「ふにゃ?」

 数週間前に牡蠣にあたったばかりである。



 土佐野球専門学校はやや田舎にある学校である。教職員や生徒、スカウト等のプロ野球関係者、その他諸々の人が集まるため、開校以降周囲は発展したのだが、積極的な人の流れがあるわけではない。何が言いたいかと言うと……

「もうちょっとバスを増やしてほしいよなぁ」

 市内バスは開校前よりも増便されたが、それでもかなり少ないのである。宮島と神部も学校に帰ろうと思ったものの、『土佐野球専門学校行き』は2分前に出発とタッチの差。仕方なくその3分後に乗ったバスは、土佐野球専門学校行きと途中まで同じ道を行くバス。途中まではそのバスで行き、そこからは野球科の体力を生かして学校まで歩く作戦に出たのだ。

 もっともいくら体力があっても面倒なものは面倒。宮島はバスを増やしてくれない地方自治体に文句を漏らしながら学校への帰り道を歩くが、彼の左側を歩く神部は文句1つ漏らさない。

「神部はどう思うよ。もうちょっとバスが増えたら便利になるのになぁ」

「私はこれでもいいかなぁ。って思いますよ」

「なんでまた? まさかトレーニングになるとか、野球バカみたいな事を言わないよな」

 宮島に野球バカと言われたくないであろうが、神部は微笑んで、

「だって、宮島さんと一緒にいられる時間が長くなるじゃないですか」

「恋人みたいな事を言うなぁ」

「こ、こ、恋人じゃないです。その、友達。そう、友達感覚です」

「分かった、分かった。冗談を本気にするなって」

「もぉ。宮島さん……」

 すねた様子の神部は足元に転がっていた石を蹴飛ばして憂さ晴らし。

『(こういう神部も可愛いんだよなぁ。正直将来は――)』

 昔はドラ1でプロに入り、1年目からレギュラーで新人王を獲得。取材にやってきた女子アナウンサーと知り合って、お忍びデートを続けてオフシーズンに結婚。そのようないかにもなシナリオを描いた事もある宮島だが、実際は昔の学校の知り合いや、その他一般人女性との結婚も珍しくないところ。だったら、

『(――こんなお嫁さんでも面白いかなぁ)』

 秋原のように自分を支えてくれるタイプか。

 それとも彼女のようにむしろ自分が支えるべきタイプか。

 そこは自分がどうしたいかの問題である。

 と、言うよりふと考える。

「そう言えばだけど、神部って結婚願望ってあるの?」

「け、結婚ですか?」

 かなり唐突な質問であったため、彼女も力が入って背筋を伸ばして驚く。

「あまり男子だから、女子だからって言うのはどうかと思うけど、神部は仮にプロになった時には結婚するのかって話」

「私は野球に生きる人間です。野球だけが恋人です。なので、もしも野球と結婚の二択なら野球を迷わず取ります。でも……」

「でも?」

「もし両方がもらえるならその時は――」

 せっかく宮島が振った話。会話を成立させようと、自分の考えを素直に話していた神部。ところがその話に邪魔者が現れる。

 後方からのエンジン音。

 しっかりと車道・歩道が分離されている道路のため、わざわざ車両を避ける必要はないが、宮島はその広い視野、優れた聴覚、情報分析能力で危機を察する。

『(結構車は速い。それにこのあたり、車道は水たまりが多い。まずい)』

 その場に立ち止まると、上から降ってくる雨を気にせず車道に傘を向ける。

 宮島の咄嗟の行動に追いつけなかった神部は、一歩二歩と先を行って立ち止まり振り返る。そこへ、

『(やっぱり突っ込んできた。だから雨の日は嫌いなんだよ)』

 なかなかに速い速度のバイクが水たまりに突っ込んで通過。周りに水をまき散らす。その対策を取っていた宮島は頭や肩こそ雨に濡れてしまったが、その水は回避成功。しかし、

「きゃっ」

 女子らしい声をあげた神部は無防備。反射で顔を逸らすも、バランスを崩してふらつく。そして倒れ込んでしまう。

「お、おい。神部。あの野郎。ちょっと水たまりくらい避けろよ」

 もうバイクは遠くに行ってしまった。ここから呼び止めるのも無茶な話。例え神城・寺本クラスの俊足でも追いつくことはできないだろう。

「ほら。大丈夫か。立てるか?」

「は、はい」

 全身濡れてしまった彼女は宮島に手を借りて起き上がろうとする。ところが彼女は体を起こしたあたりで体勢をまた崩してしまう。

「いたた……」

「も、もしかして」

「こ、転んだ時に足をひねったかも」

 彼女がさすっている左足首のあたりを見てみるが、特別腫れてはいない。少し擦り傷のようなものはできているが軽傷だろう。

「で、でも歩けます。あと少しで学校ですし、頑張ります。そうしたら秋原さんに頼んで治療を、っつぅ」

 立てており、歩けそうではあるが痛みはある様子。

「仕方ないなぁ」

 宮島は雨が降っているにも関わらず自分の傘を閉じて彼女の前にしゃがむ。

「ほら」

「え?」

「無理すんな。おんぶしてやるから。傘は神部が差してな」

「わ、悪いです。それに歩けますし」

 必死で断る神部だったが、宮島は雨に濡れながらため息ひとつ。

「痛いんだろ」

「はい」

「無理すんな。悪化させたらまた復帰に時間かかるぞ」

「……すみません。お願いします」

 実際問題、歩けるのだが悪化するかも。という宮島の指摘には不安を隠せない。やむを得ず彼女は宮島におんぶしてもらうことにしたのだが、宮島は忘れていた。

『(あ……これ、やばい)』

 1つ目、神部は意外と重いということ。

 これは宮島も体重や筋力がかなりあるため問題はなし。以前、お姫様抱っこで苦労したが、あれとおんぶでは重さの感じ方が違う。そちらではなく……

 2つ目、神部友美 推定Dカップ

『(なんだこれは。これはあの立川(オタク)がよく言うラッキースケベか?)』

 遠からずも近からずである。

「その、宮島さん。大丈夫ですか? 重くないですか?」

「これくらいでとやかく言うほど、僕は軟弱じゃねぇよ。運動能力では高校生屈指の野球科生だぜ?」

 以前も同じようなことがあったが、やはり年頃の男子にとっては正気ではいられない。背中から感じる柔らかい感触と、生暖かい体温。そして彼女の両足を抱える腕は直接肌と肌が密着しているだけに、その感触はただものではない。ついでに今思い出せば、全身ずぶ濡れの神部はかなり色っぽかったり。

 とにかく宮島としては意識をその手の事からずらすのに必死である。

「よいしょっと」

 彼女の両足を抱えるように持ちながらすんなり立ち上がると、一歩一歩学校へと向かう。

「ほら。落ちないようにな。それと傘、代わりに差しといてな」

「はい」

 こうなってしまった以上、自分にできるのは傘を差す事だけ。その仕事はしっかりこなしつつ、宮島の首に腕を回してしっかりしがみつく。

『(なんだか……背負われたのは久しぶりだなぁ。いつ以来だろ?)』

 まったくと言っていいほど背負われた記憶はない。だとすれば、物心が付く前。大方、母親や父親に背負われて以来と言ったところか。

 過去を思い出しながら宮島の横顔を見つめる。

 さっきは自分に水をかけた運転手に腹がたったものである。転んだ時に軽く足をひねってしまったし、濡れたせいで少し寒かった。しかし今となっては宮島に背負ってもらえ、さらに彼の背や、自分の足を抱える腕などからは温かさが伝わってくる。そこで緊張感から安心感に心が移った彼女は彼へと体重を完全に預ける。

「ごめんなさい。宮島さん。また、怪我しちゃって」

「悪いのはあのバカ運転手。神部は仕方ない」

「でも、背負ってもらっちゃって。依存しないって決めたのに……」

「キャッチャー・宮島には依存してほしくない。けど、僕に頼るのは話が別だぞ」

「ありがとうございます」

 嬉しさから彼女の腕に力が入る。

『(ちょ、神部。押し付けるな。いや、落ち着け、宮島健一。心を落ち着けろ。無に慣れ)』

 世間ではこれをWin―Winと言う。

「……宮島さん」

「何?」

「さっきの話……私、野球と結婚、どちらかなら野球の方をとります」

「あぁ。そう言えばそういう話してたなぁ。あのバカ運転手のせいで忘れてた」

 宮島は話を継続させる気満々である。理由は言うまでもない。

「でも、もし両方取れるなら、もしも結婚相手が野球選手としての私を認めてくれるなら、結婚もしたいです」

「そっか。でも、きっと認めてくれるさ。今は女子の野球は肩身が狭いかもしれないけど、きっとどこかに認めてくれる人はいる」

「そうですね。ですから私、野球選手としての私を認めてくれる――」

 彼女は胸の高鳴りは抑えられないが、意を決して言い切る。

宮島さんのような人(・・・・・・・・・)と結婚したいです」

 ついにその言葉を告げた。嘘偽りのない自分の本当の気持ち。

 すると宮島は、

「ははは。それで同じ球団に入ろうものなら大変だな。家でも仕事でも、なんなら野球上の付き合いでも嫁の目があるのか」

「もし宮島さんと結婚したらそうなるかもしれませんね。せっかく私を認めてくれる方ですから。絶対、他の誰にも渡したくない。私だけのものにしたいですから」

「違う球団だったらだったで、家では情報戦になるだろ? それは大変だな」

 神部の方から宮島の横顔は見えるものの、全体像は見えない。いったいどんな表情をしているのかは彼女側からは判別は付かないが、その会話内容や会話のトーンからして、決して悪い表情はしていないはず……

『(な、な、なんだ、この、新手の告白は。ガチ恋愛的な何かか? それとも明菜とやってるような冗談的な話か?)』

 苦笑いだった。

 何よりも宮島自身が神部の事を「嫌いではない。もし結婚するならこういうタイプも候補」としているからこそ困る。

『(何? ガチで回答した方がいいの? 冗談で答えた方がいいの?)』

 そして苦笑いである。

「情報戦ですか……チームメイトの苦手なコースとか、読みあい探り合いなんでしょうか?」

「場合によっては嫁の投げる球のクセも探さないとな。たまには投球を受けてやる。とか言って」

「ひ、酷いですよ、宮島さん。そんなこと言われたら断れないじゃないですか。明らかに宮島さん有利ですよ。あっ、じゃ、じゃあ、私は宮島さんの打撃投手をしてあげます」

「どこでする気だよ。18.44メートルならまだしも、打撃練習するだけの土地はそうそう取れないだろうよ」

 宮島式作戦その1。話を逸らすと露骨すぎるため、話は逸らさず『回答』から逸らす。

 その宮島式は上手くいき、その手の話から野球の練習の話。さらに野球の技術論などとどんどん話が移っていき、宮島の避けたかった話を逸らすことに成功する。こうした話術は彼の方が一枚上手である。ただ回答をはぐらかしたからこそ迷いも生じる。

『(僕みたいな人と結婚したい、か。それは純粋に『僕みたいな人』っていう誰かを指しているのか、それとも……まさかな)』



 なお後日談、もとい後分談。

 楽しく話をしながら学校まで戻ってきた宮島と神部。相変わらず神部は宮島に背負われたままだったが、特に宮島は胸を気にすることなく4組の寮前へ。そこで宮島があるものを見つける。が、それは後回し。まずは神部の治療である。

 彼女を背負ったまま、エレベーターで女子の部屋がある最上階フロアへ。そして秋原の部屋を見つけるとインターホンを鳴らす。

『(まさか帰ってないことはないよな。けど、あいつらも街中にいたし)』

「は~い」

 いたようである。

「どなた……げっ」

「なんだその、マンガでよくありそうな先生にイタズラを見つかった時の子供みたいな反応は?」

「あはは。な、なんでもないよ。で、な、なんで神部さん、おんぶされてるの?」

「神部が足を怪我してな。ちょっと見てやってくれ」

「怪我? いいけど、医師免許どころか看護免許すら持ってないから、家庭の医学に毛が生えた程度だけだよ。かんちゃんも雨の中、寒かったでしょ。ほら、入って」

 ようやく宮島から降りて部屋の中に入る神部。

「そう言えば明菜の部屋って初めてくるな」

「いつもかんちゃんの部屋だもんね」

 きれいに片付いた一室。本棚には医学系の本や、マッサージの資格の本などが大量に並んでいる。辞書のようなものも数冊あり、勉強家であることがうかがえる。それと同時に、

「かんぬ~、お帰り~」

 テレビを見ている新本も発見。

「ただいま~」

 そして彼は彼女の隣にしゃがむと、

「時に新本。ここの寮の下にバイクが止めてあったろ。あれってお前のバイク?」

 宮島が見つけた、この寮の下の駐輪場に止めてあったバイク。一応彼女に確認をとると。

「そうだよ~。おじいちゃんにもらったんだぁ。今日、雨の中で乗っちゃったから、明日にでもきれいに……にゃ?」

 宮島は静かに新本を押し倒すと、彼女の上に馬乗り。ゆっくりと息を吸い込み――

「あのバカ運転手は貴様かぁぁぁ。一発殴らせろぉぉぉぉ」

「やだやだやだやだやだやだやだやだ、にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 マウントポジションを取った宮島が頬にビンタ一発&プロレス技(見よう見まね)を新本に食らわせる。要するに宮島が寮の下で見たバイクは自分たちに水を掛けたものであり、その持ち主が新本と言う事はそういうことである。

「お前があんな無謀な運転をするせいでなぁ、怪我人出てんだぞ。こらぁぁぁぁ」

「や、やめてぇぇぇ、腕が、腕がもげるぅぅぅぅ」

 騒がしいやら微笑ましいやら。

 その光景を横目に、秋原は神部の足の状況をチェックしながら問いかける。

「もしかして、新本さんと事故った?」

「えっと、水かけられて、驚いてこけた拍子に……」

「なるほどね。それでかんちゃんにおんぶされてたんだね。ふ~ん。なるほどね。ご愁傷さまです」

「えっと、あまり気にはしてないですよ?」

『(その……宮島さんにおんぶもしてもらうなんて経験できましたし)』

 その本音は心の奥に止めておく。

「多分軽度だとは思うけど、明日にでも病院に行ってみた方がいいかもね。擦り傷だけは治療しておくからね」

 軽く確認した後、擦り傷については洗面器に張った水と消毒液を使って軽い処置を行う。

「で、だけど、かんちゃんとのお出かけ、どうだった?」

「どうって言いますと?」

「楽しかった?」

 秋原の知りたそうな表情に、彼女は右手人差し指を立てて自分の口元へ。

「すごく楽しかったです。けど、詳しくは秘密です」

 神部は一度、宮島から突き放されてしまった。

 しかしそれで彼を失ったからこそ存在の大きさがより強く分かったし、その突き放した行動が自分の事を案じてくれていたからだと分かった。ゆえに彼へと思いをよりいっそう強くしたのであった。

 雨降って地固まると言ったところである。


 なお神部友美・診断結果。加賀田医師曰く「1週間もたたずに治ります」 全治2日

 さらに新本ひかり・診断結果。加賀田医師曰く「一晩寝たら治ります」


プロ野球への天道は、『ライトノベル』の大賞への投稿作です

恋愛要素が皆無な方が不自然なんですよね

むしろついに来た、と言ったところでしょうか


次回投稿予定

10月6日 20:00

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