第10話 中盤の粘り
ラッキーセブン、7回の表の攻撃。4番の三国がセンター前で出塁するが、続く5番の天川がセカンドゴロでランナーアウト。ランナーが入れ替わり1アウト1塁から、6番の横川がサードゴロ併殺に倒れチェンジ。先頭バッター出塁も生かすことができない。
一方の守備。
「ボール、フォアボール」
先頭の2番に左翼線を破るツーベースを許しノーアウト2塁。さらに後続の3番をフォアボールで出塁させてノーアウト1,2塁で4番に回る。
『(う~ん。新本の奴、あまり崩れている感じではないんだよなぁ)』
前のイニングにおける連続フォアボールは、ストライクを投げようと思ってもど真ん中にすら投げられなかったような、まさしく崩れている状況だった。しかし今のフォアボールはと言うと、際どいストライクコースを狙ったが全て外れてしまった、勝負にいった結果のフォアボールである。
『(でも逃げてのフォアボールだろうと、勝負してのフォアボールでも、次が4番は4番なんだよなぁ)』
言わずと知れた1年生最強。彼は打席の横で素振りをしながら宮島に語りかける。
「なんだかんだ前々の打席で調子に乗った事いっておきながらこれかよ。やっぱり所詮4組は最下位だな」
「まったくです。結局、先発選手全員に出塁を……ってあれ? そういえば最下位の4組相手にいまだに出塁できてない人がいましたね。誰とまではいいませんけど?」
「うぐっ」
今日の試合の打撃成績はファーストライナー、宮島のハッタリでの空振り三振、新本の緩急を前に空振り三振。3打数0安打2三振とさっぱりである。それでも1年生最強バッターであることに代わりは無い。しかしこれまでの打席でいいようにあしらわれていることで、そして宮島のあおりによって闘争心むき出しで打席に立っている。
『(これだけ怒っていれば、細かいバッティングはできない。長打を狙って力むだろうし、抑えるのはそこまで難しくは無い。コントロールミスしなければな)』
新本にサインを送る。それを見て彼女の顔がほんのり青ざめた。
『(さぁ、これを投げる勇気があるかな?)』
驚いた表情ながらも一応は頷いた。だがサインに出したコースは投げようと思って投げられる物ではない。それを邪魔するのは技術ではない。人間の心理である。
セットポジションから新本が投球開始。彼女のリリースしたボールはインコース。それも遥かインコース。
「あぶねっ」
自分に向かってくるボールに回避行動をとるバッター。するとそのボールが急激に曲がってストライクゾーンへと向かっていく。
「ボ、ボール」
スローカーブをインコースに。たかが80キロすらも出ないボールではあるが、バッターとしては条件反射で回避してしまうものでもある。それもわずかにストライクゾーンに届かずボール判定。
『(ボールかぁ。ちょっとかすったと思ったけどなぁ)』
「ナイボール。惜しい、惜しい」
励ましながらボールを投げ返す。
『(まさかあそこに投げられるとはな。打たれ弱いあげくランナーがいると弱いけど、対バッターに関してはたいした度胸じゃないか。あわば顔面デッドボールだぜ?)』
ふとバッターに目を向けると、先ほどのボールがサイン通りと知って宮島を睨んでいたが、そこは何食わぬ顔で無視するのが彼である。
『(怒れ怒れ。力めば力むほど怖くないし、際どいボール球に手を出してくれるってもんだ。そうなりゃ、軟投派の新本にとってはただのカモだ)』
宮島の予想は的中する。2球目、アウトコース低めに外れるボール球。少し予定よりストライクゾーンに寄ってしまったが明らかなボール球を、バッターは強引にバットに当てて1塁方向へファール。さらに3球目、インローへのチェンジアップに大振りで空振り。その後に舌打ちしていることからして、よっぽど頭に来ているようである。
『(これならボール球はいらないかな。アウトコースに外せば勝手に振って三振だろうけど、ストレートは万が一があるから、ストライクからボールになるスローカーブで)』
一瞬だけ大きめのリードをとっている2塁ランナーを目で牽制し、すぐさまクイックモーションを始動。ランナーが大きくリードを広げるも、次の塁に行こうとはしない。
『(よし。アウトコースいっぱい。ナイスボール)』
変化してくると思われるアウトコースに精一杯移動。バッターは宮島の狙った通りにスイング始動。宮島の読みならば空振り三振だ。
『(まずい。当てられる)』
思いのほかバッターの手が長い。バットの先っぽとはいえしっかりと捉えられ、打球はそこそこ速いピッチャー返し。
「やべっ」
『(新本、逃げろっ)』
打球の延長線上には新本の顔面。このままではピッチャー直撃も免れない。
新本は反射的にグローブをした左手で顔を守る。そこへピッチャーライナーが直撃し、衝撃を受けた新本はマウンドの2塁側に背中から倒れ込んだ。
「新本ぉぉ」
ホームを空けてマウンドの彼女へと駆け寄ろうとしたその時だった。
「ファ、ファーストぉぉ」
新本が起き上がった。そして彼女がグローブから取り出したのはボール。1塁へと片膝を突いたままでサイドスローの送球。
「「アウト」」
主審によるピッチャーライナーのアウトコールと、1塁審によるランナー飛び出しによるアウトコールが重なる。さらに神城が飛び出した2塁ランナーを殺すべく2塁へと送球。
「セーフ」
こちらは滑り込んだランナーの方が速くセーフ。
新本のファインプレーでダブルプレー。ノーアウト1・2塁の大ピンチが一転、ツーアウト2塁と替わる。
「主審。タイムお願いします」
宮島は主審にタイムを要求してマウンドへ。理由は打球が当たったかもしれない新本の状態確認である。ボールを捕っていたとはいえ、可能性の上では打球の勢いを殺しきれず、グローブを間に挟んで頭に直撃したことだって考えられるのだ。
「新本、大丈夫か」
片膝を突いたままで俯いて荒い呼吸をしている新本へと呼びかける。広川も心配してベンチから出ようとしていたが、宮島がそれを制するようなポーズを取る。
「新本?」
反応が無い新本が気になり、宮島は彼女の頬を持って自分の方へと顔を向けさせる。少しだけ頬が赤くなっているものの、打球があたって腫れたような赤さではなく、暑さで火照ったような赤さ。額や鼻などにも凝視してみるも、特におかしな様子はみられない。すると彼女は次第に顔をよりいっそう赤らめて行き、さらに目を逸らす。
「えっと……か、顔をずっと見続けるのは……恥ずかしい」
「悪かったよ。で、怪我は?」
「それは大丈夫。ちょっと焦っただけ」
「高校野球と違ってピッチャーは他にいっぱいおるんじゃけぇ、無理することはないんぞ?」
「うん。神城君も、心配してくれてありがと」
「っしゃ。宮島。新本も大丈夫じゃって言うとるし、流れ切らんようにさっさとプレーに戻ろうや」
「そうじゃな。じゃなくて、そうだな」
広島弁っぽさがうつりかけて言い直す。
「新本。この回はあと1人。しっかり抑えて行こうぜ」
「うん」
「でもなんでなん? セカンド放っとけば2塁ランナー殺せたじゃろ?」
「いいじゃねぇか、別によ。ツーアウト取ったんだから。体勢的に投げやすかったのがファーストってだけだろ。それにどうせ2塁放ったところでセカンドもショートも2塁ベースカバーに入ってなかったし」
新本のプレーに疑問を漏らす神城に、宮島は彼女のフォローをしながらホームへと戻る。まだ7回の裏の守備は終わっていない。それどころかまだピンチをしのいだわけじゃない。新本の好守でダブルプレーを取ったと言っても、スコアリングポジションにランナーを置くことには変わりないのだ。
『(次のバッターは5番。外野前進シフトを敷くわけにもいかない。けど、ランナーを無視するわけにもいかない)』
外野は中間守備。そして内野はテキサスヒットを防ごうとやや後退気味にシフトを敷く。ややセカンド・ショートが2塁ベースに寄っているのは、2塁牽制のため、そしてこのバッターの打球がここまでセンター方面に集中しているためである。
『(理想としてはあえて逆を突かずに自由な打撃をさせて、どん詰まりのヒットを防ぎたい。緩い打球なら内野が処理できるし、速い打球なら2塁ランナーをホームで殺せる)』
サインはアウトコース低めにストレート。
頷いた新本はセットポジションに入り制止。ふと宮島はセカンドランナーのリードの大きさに気付いて、構えていたミットを降ろす。するとそれを合図とばかりにセカンドが2塁ベースカバーへと入り、新本も振りかえって2塁へと牽制。
「セーフ」
あわててランナーが2塁に戻るも間一髪のセーフ。
『(OK、OK。牽制はランナーのリードを狭めたり、スタートを遅らせたりできれば十分すぎる合格点。殺せれば儲けもの程度に考えときゃいいんだ)』
次に新本がセットポジションに入ると、2塁ランナーは牽制を警戒して先ほどよりも小さなリードに変わっている。
「ボール」
安心して投球に集中するバッテリー。初球はややアウトコースに外れてワンボール。2球目にチェンジアップでバッターの空振りを誘うことに成功するも、3球目のスローカーブ、4球目のストレートが続いて高めに浮いてカウント3―1。
『(どうせバッターは5番だし、無理せず歩かせた方がいいかなぁ)』
無理して狙わない。ストライクが入れば儲けもの。際どいアウトローのコースをチェンジアップで要求し、ミットを大きく構える。
「うわっ、抜ける」
少し甘く入ったボールを拾われた。打球は球足の速いゴロで一二塁間を抜けてライト前へのヒット。
「バックホーム。ランナー突っ込むぞぉぉぉ」
宮島はクロスプレーに備えてマスクを外さずにホームベースを塞いでバックホームを待つ。強肩のライト・天川が走りながらボールを捕球し、助走を生かしてバックホーム。ワンバウンドしそうな低い球道なのは、バッターランナーの動きや送球のコントロール次第で内野がカットできるようにするためだ。
「ノーカット」
宮島が指示を出すと、中継に入ろうとしていたファースト神城がその場から避けた。ボールは丁度、神城のいた位置よりわずかにホーム側でワンバウンド。
『(ランナーが眼前。これは刺せるか?)』
ボールはストライク送球で宮島のミットへ。眼前に迫っていたランナーにタッチしようとして、
「っつ―――」
突っ込んできたランナーと激しい交錯。そこまで体重の重くない宮島は弾き飛ばされ、ランナーは勢いそのままにホームベースへと触れた。
「ってぇ。主審」
脇腹のあたりを少々痛がりながら、審判に落球していない事を主張するためにミットの中のボールを見せた。
「アウト、アウト。チェンジ」
せっかくライトの天川が好返球を見せたのだ。
意地でもボールを落とすわけにいかなかった。
宮島は安堵のため息を漏らしながらベンチに戻る。あそこで落球していればいったいどうなっていた事か。この点差の時点で大局的には0点と1点など大差ないが、チームの士気を考えると7回の裏を無得点に抑えたという事実は大きい。
「ナイス、宮島。怪我はないか」
「大丈夫です。なんのために防具付けてると思ってるんですか」
「それはそうだが気を付けろよ。プロのキャッチャーでもクロスプレーで怪我する人が多いんだから」
広川のプロ経験から忠告され、特に言い返しもせずに頷いてベンチへと入る。このイニングは2人目の打者として彼に打席が回るのだ。
「かんちゃん。怪我はない?」
「先生にも言われたけど大丈夫、大丈夫。ホームを塞いだ以上はクロスプレーになる覚悟もしてたし」
マスクやヘルメットを外しながら答える。
「怪我が無くてよかったぁ。かんちゃんが怪我してたら焦ってたと思うよ?」
「それより新本のピッチャー返しの方が怖いと思うけど。それとも何か?ピッチャーは替えがいるけど、キャッチャーは僕以外にいないからか?」
「そう言うわけじゃないよ? 他の人の怪我も心配だけど、かんちゃんの怪我はもっと心配だよ? なんでかなぁ……親友だから?」
ペンのお尻を下唇に付けて「考えてますアピール」をしながら、短く簡潔に回答をひねり出す。するとせっかく必死で考えたにも関わらず、宮島は冷たい返し。
「話しはじめて1週間の奴に親友って。どんだけ友達少ないんだ?」
「い、いるよ? 他に友達いるよ? でも他の友達って言ったら、みんなスポーツマネージメント科か、野球経営で怪我の心配はまずないし。野球科で一番の親友って意味だよ? 女子枠の新本さんとは、試合後のアイシングの時にちょっと話すくらいだし。それとも、いきなり親友って言われて嬉しくなかった?」
「いいや。嬉しいぞ。仲良きことはいい事なりってな。とにかく心配してくれてありがとな」
「べ、別にあんたのために心配したんじゃないんだからね」
「いきなりツンデレキャラ演じても、面白くなくてむしろ困るからいつも通りで頼む」
「は~い」
秋原に適度なツッコミをしておき、バットを手にしてネクストバッターサークルへ。
この回の打順は7番・寺本、8番・宮島、9番が代打で途中出場の三満。
得点のできない下位打線。しかし既にイニングは8回。少しなりとも抵抗しておきたいところである。
「ファール」
この回からリリーフしたピッチャーに対し、先頭の寺本は粘りを見せる。カウント1―2と追い込まれてから徹底的にファールで粘る。
『(右投げオーバー。球速は120キロ中盤のストレート。それとここからじゃ詳しい球種は分からないけど、110キロ弱の変化球かな)』
ネクストバッターサークルの宮島は、ボールの上下の軌道と球速を頼りにピッチャーのタイプを推測する。どのような球種か今いる場所からは推測はできないが、キャッチャーの動きからして落ちる球、つまり長曽我部のような縦スライダーや、フォークの類だと考えられる。
「おっ?」
タイミングを合わせて素振りしていた宮島が目を見開く。寺本がタイミングを外されるも泳ぎながらライト前ヒットを放ったのだ。
「おし、おし、ナイバッティン。僕もなんとか続かないと」
駆け足気味に右バッターボックスに向かうと、ベンチの広川へと視線を向ける。
『(で、サインは? 1点だけでも取ろうっていうなら送りますよ?)』
この点差で送りバントは愚策。だがゆえに相手もこの点差でのバントは考えていない。ならばそれが裏をかく策ともなり得る。
そうした考えの宮島に監督がサインを送る。
『(グリーンライト、アーンド、ノーサイン。任せるよ)』
特に指示らしい指示はないようである。
盗塁の許可をもらった寺本は一歩一歩とリードを取り始め、右バッターボックスの宮島はバットを長く持って構える。すると宮島が構えたのを見計らって、すぐさまピッチャーはクイックモーションで投球。
「ボール」
アウトコースに外れるストレート。見切ったというより速いテンポにリズムが合わず手が出なかった。
一旦、左足をボックスの外に置いて打席を外してからバットを握りなおす。
『(いきなり投げられて焦った。こっちが構えてから投げてるわけだからクイックピッチにはならないし、すごくえげつないことしてくるな。そういうやつ嫌いじゃないけど)』
ピッチャーがキャッチャーからの返球を受けて5秒も経っていないにも関わらず、既にセットポジションに入っている。急かされる気持ちを受け、宮島もできるだけ早く準備してボックスに戻って構える。またしてもクイックピッチ寸前でのハイテンポ投球。
だからこそ意識から外れてしまったのだろう。
『(寺本が走ってる。どうする? 空振りで援護するか?)』
1塁ランナーの寺本が完全にモーションを盗んで2塁へとスタート。宮島は悩みながらも目線の高さに外れたボール球を見送る。それからキャッチャーが2塁へと送球をするが、足だけが自慢の寺本がよりにもよってモーションを盗んだのだ。
「セーフ」
間に合うわけもない。
『(いくらキャッチャーの肩が強くても無警戒過ぎる。それとも警戒をしないことで牽制を意識させようとしたのか?)』
牽制をしてこないと思っていても、「いつか牽制をしてくるのでは?」と相反する気持ちが生まれるのが人間の心理と言うもの。それによってランナーが牽制を意識すれば、ピッチャーは労せずにランナーを釘付けにすることができる。
『(面白い事考える奴いるな。僕も今度投手陣と相談して使ってみようかな?)』
今後の参考にしようと思っていると、キャッチャーがマスクを外してピッチャーへと警告をした。
「おい。無警戒過ぎるぞ。牽制を少しくらい入れろよ」
ただの無警戒であった。ところが宮島は勘繰り深い男である。
『(なるほど。そうピッチャーに警告することで、作戦を隠そうって言うのか。切れ者だな。このキャッチャー)』
相手の無警戒を勝手に作戦だと思い込み、勝手に感心している。
そうしている間にもピッチャーは投球準備に入っており、宮島が考えながら構えると素早く投球モーションへ。
「ストライーク」
「あっ」
『(危ない、危ない。今の僕はバッターだった)』
あまりに相手に感心してしまい、自分が今バッターであるという事すら忘れていた。
一度打席を外し、監督からのサインを見たのち大きく深呼吸。頭の中をリセットして打席に臨む。
『(ここまでの3球は120前後のストレート1本。さすがにそろそろ変化球を投げたいことだと思う。っと言うのはもしかすると、いつか変化球を投げるのでは? と意識させる技かもしれんが……けど)』
非常に曖昧な根拠で変化球に張って投球を待つ。案の定、ピッチャーは宮島が構えるなり投球モーションへと入った。
『(球速は110キロ前後の落ちる球を想定。それ以外が来たらその時は知らん)』
ピッチャーの投球はインコースいっぱい。予想に反しストレートの軌道。
裏を突かれたかと思いつつも強引にバットの軌道を修正。ジャストミートこそしないものの、バットには当たる。はずだった。
「ストライク、ツー」
『(お、落ちた……)』
ストレートの軌道で手元まで来て逃げるように落ちた。
変化の仕方としてはスライダーやカーブが近い。フォークや長曽我部の縦スラのような真下への変化ではなかったのは間違いない。
「なんだったんだ今の」
だが宮島にはひっかかるものがあった。ただのスライダーやカーブにしては途中までの軌道がストレートにそっくりな事だ。
『(見間違い、かな?)』
「ストライクバッターアウト」
悩んでいる間にインコース低めのボール球に手を出してしまい空振り三振。
宮島は首をかしげながらベンチへと戻る。
「おぅおぅ。どうしたん? 全然じゃないか」
「なんか……あのピッチャーのスライダー? が不自然でさ……」
「不自然ってどんなんなん?」
宮島はバットやヘルメットを片付けながら、ネクストバッターサークルで素振りを始める神城に不自然なボールを説明する。すると彼は素振りをやめてピッチャーを凝視する。
「ふ~ん。それはそれは」
「笑い事じゃないって。結構、エグイって」
「でも結局は打たにゃあいけんのじゃろ? それに左バッターにとって右のスライダーは、右ほどは苦労せんから。逃げる球じゃなくて、向かってくる球じゃけぇ。あくまでも右ほど苦労せんだけで、苦労するかもしれんけど」
神城が期待して口の端を吊り上げていると、9番の三満がセンターへと高い打球を運ぶ。その打球は紙ふぶきのようにほぼ垂直降下すると、センターとセカンドの間に落下した。
「見てみぃ。ポテンとは言えセンター前ヒット。打てる人には打てるんじゃけぇ、気にすることはないって」
フライの可能性もあったため2塁ランナーはホームを突くことはできなかったが、それでも3塁への進塁を決めて1アウトで1・3塁のチャンス。ここでバッターは先頭に戻って神城。
「っしゃあ。原爆から立ち直りし広島っ子の意地見せたるけぇ、どこからでも来い」
気合いを入れながら左バッターボックスへ。
なお年齢から分かる通り、神城は原爆どころか高度経済成長すら経験がない。
『(っと、その前にサイン見ないといけんかった)』
『(ノーサイン。それとランナーは盗塁禁止でゴロならゴー。神城の足ならゲッツーは考えがたいし、そうなれば内野には前進バックホームシフト取られるよりゲッツーシフトの方がいい)』
『(了解。ノーサインなら好きに打たせてもらうけぇな)』
サイン確認の後にホームベース寄りいっぱいに立ち位置を変える。
『(左にとってのスライダーはインに食い込む球。ホームいっぱいに立っとけばインのスライダーは当てるのが怖くて投げられんじゃろうし、この位置なら外から入ってくるスライダーにも対応はできる)』
最低限は内野ゴロでゲッツー崩れの間に1点。理想はタイムリーで、欲を言えば外野の間を抜いて2点タイムリーヒット。ただし欲は言っても出しはしない。バットに当てることだけを考えて振る。
サインに頷いたピッチャーは3塁ランナーと長い睨みあいをしたのち、クイックモーションで神城へと投球。
アウトコースからわずかに外れたボール球。見逃そうかと判断した神城に、急にボールが近づいてくる。
「ストライーク」
宮島の言っていたスライダー。所詮はアマチュアの変化球であるが、偶然にせよ必然にせよしっかりコントロールさせていたのはたちが悪い。
『(ふ~ん。今のが宮島の言ってたスライダー。たしかに普通のスライダーに比べると、キレが良すぎて気持ち悪い変化じゃなぁ。さて、次はいつ投げる?)』
スライダーにヤマを張る神城の一方で、バッテリーは少々慎重な攻め。2球目を高めに外し、3球目はインハイへのボール球。
バッティングカウントとなっての4球目。
「スイング。ストライク、ツー」
アウトコースボール球のストレートをスライダーと思って手を出してしまった。途中でバットを止めたものの、スイングを取られてツーストライクと追い込まれる。
『(っと、ストレート。球速差は10キロちょっと。球筋もストレートと似たり寄ったり。けど、当てようと思えば空振るほどじゃない。届かないコースに投げられたらアウトじゃけぇ、ちゃんと見切らないけん)』
1球でもストライクが入れば三振。だがストライクをファールにしていく限りは三振になりえない。
「ファール」
三振を取りに来たインローのストレートをカットし、3塁側フェンスにぶつけるファール。
「ファ、ファール」
さらに際どいコースも、ストライクからボールになるスライダーも、左手の力を抜いて意図的に力負けさせることでファールにする。
「ボール」
「スイング」
すでに9球目。ファールにしようとしたが見切ってバットを止める。キャッチャーが3塁審判を指さすが腕は両横に開く。
「ノースイング」
『(フルカウント。1アウト満塁を避けよう思えば甘いコースになりがち。甘いコースに来たなら引っ叩く。甘いコースを避けて際どいコースを放ろう思えば、フォアボールは避けられんじゃろうけぇ、その時はファールで逃げる)』
神城が次の出方を考えていると、監督から1塁ランナーと彼にサインが送られる。
ランエンドヒット
ヒットエンドランはランナーが走りバッターは必ず(・・)打たなければならないが、ランエンドヒットではランナーが走るものの、打つか否かはバッターにゆだねられる。この状況からして打つ・打たないは球種よりもコース次第。ボール球ならフォアボール。ストライクならヒッティング。
神城の巧打力からして三振はないと広川は判断したのだ。
「ファール、ファール」
10球目、11球目と続けてランナーは走るものの、神城はことごとく3塁方向へのファールとしてしまう。
そして12球目。その時がついに訪れる。
「ボール、フォアボール」
根負けしたピッチャーがストレートを大きくアウトコースにはずしてしまいフォアボール。スタートを切っていた1塁ランナーはそのまま2塁へ。神城も1塁へと向かう。
7・9・1番で作った1アウト満塁のチャンスで上位打線の好打順。
2番バッターが打席へと駆けて行き、ネクストバッターサークルにはピッチャーの新本に代わって最後の野手登録選手の大野が入る。
「監督。新本はこの回で交代ですか?」
「交代予定だけど、もし代打を出す必要が無くなったらいっそ回をまたぐことになる。本人は大丈夫だとは言っていたからね」
防具を付けて守備の準備をした宮島が広川に問うと、そのような答えが返ってきた。今度は広川が宮島に問いかける。
「それとも、前の回のピッチャーライナーでやらかしてたとか?」
「それはおそらくないです。ボールもそれほど悪くないですし、疲れはそこまででもないかと」
「だったらよかった」
「今日はやたらと新本を引っ張りますね」
「ちょっと彼女がどれほど投げられるか。テストしてみたくてね」
広川は組んでいた足を逆に組み直す。
「なぜに新本を? リリーバーなら他にもいるのに」
「彼女は4組投手陣の中でもイレギュラーなタイプだ」
この学校の1年生の場合、規格外も少数いるが、基本的にストレートの平均球速はコントロール重視のピッチングもあって135~120台中盤となる。逆にバッター側もそのスピードレンジの球は楽に打ち返し、それから離れるボールは打ちにくくなる。140を超える長曽我部のストレートが、慣れないと打ちにくいのはそのためだ。しかし新本の場合は慣れないと打ちにくいとは違う話なのだ。長曽我部は「普通より速い」程度であり、バッターも苦戦するとはいえ速い球を打つ練習はしている。一方の新本は「普通より遅い」ではなく、「普通よりも遅すぎる」である。スピードレンジから大きく外れ、そもそも遅い球を打つ練習をしていない彼らにとって、彼女は非常に打ちにくいのだ。
「彼女の使い方次第で今後の4組の勝敗は大きく動く。だからこそ早い段階で彼女の力量を知っておきたい」
するとその直後、2番・原井の打球はファースト正面のゴロ。ホーム、そしてセカンドがベースカバーに入った1塁へと転送されてダブルプレー。
宮島はため息を吐きつつ、ヘルメットを被りミットとマスクを手にする。
「アウト優先でファーストが1塁を踏みに戻ったりすれば1点だったんだけどなぁ……」
「そもそも、かんちゃんが打ってくれてれば1点入っていたと思うけど?」
「悪かったな。バッティングが下手で」
秋原に絶妙な返しをされて落胆しながらベンチを出る。
「さて、切り替えていこう。新本続投。あと1イニングアウト3つ。しっかり行こうぜ」
「任せなさい」
甲高い声で返事の新本がマウンドへ。実質的な最終回が今始まった。




