第4話 名探偵・秋原爆誕?
問題というものは組織全体で『問題』として認識されるレベルとなれば、それは既にかなりの大問題となっていると言える。例えば、旧・1年4組が連敗に連敗を重ねたことで落ちこぼれのレッテルを貼られ、クラス内部で空気が大きく悪化。生徒間でのケンカにも発展しかけたために広川が強制介入を計った。というのは懐かしい話である。
それは逆に言えば、『組織全体』で『問題』として認識されるレベルでなければ、それは大した問題ではないともとれる。ただそれを個人レベルに次元を落とした場合となると話は別。例え組織的問題でなくとも、個人的問題としては大きかったりするものである。
常に何かしらの『問題』を抱えた球『児』と言う意味では2年4組屈指の『問題児』であると言える彼女が、今問題を抱えているところであった。
「せっかく移籍したのになぁ……」
自分以外は誰もいない自室。
ベッドに寝転がった彼女は抱き枕状に丸めた毛布に手足を使って抱きつきながら物思いにふける。
つい1年近く前には3組・神部として「宮島とバッテリーを組みたい」と、こうして思い悩んでいたものである。
しかし今は4組・神部として「宮島とバッテリーを組みたい」とまた思い悩んでいる。
4組への移籍直後は怪我でまともな投球練習はできず。オフは気候の都合で、体幹トレーニングや基礎トレーニングに集中。春季キャンプに入っては一緒に練習をしていたものの、プロ二軍や社会人チームとの練習試合では小村とのバッテリー。試合でまともにバッテリーを組めたのは、鶴見との投げ合いとなった開幕戦。そして3組戦第2カードくらいのもの。それ以降となると、試合はおろか練習でも組んでもらえなくなってしまった。
一緒にバッテリーを組みたいと願って思い悩み、もっとバッテリーを組みたいと願って思い悩み。つくづく欲深い女子であるが、その欲求不満は解消される気配すら見せない。
「私、何か悪い事したのかなぁ」
自分は今までも彼を信頼していた。そして以前の3組戦の後。自らの苦しみや悲しみを正面から受け止めてくれたことで、その信頼をより強くした。その信頼の強さはきっと、彼を追いかけてこの学校に来た1年生女子のお弟子さんに劣らないものだと自負している。
だがもし、その強い信頼が逆に彼への負担となっていたとしたら。
「うぅぅ、どうしよう。私、宮島さんと組まないとサッパリだよぉ」
現在の防御率は27.0数値を叩きだしている。
ただこの27.0という数値。実際はかなり低く見積もられたものでもある。
土佐野専のリーグ戦公式記録は元プロの記録員が付けているため、精度や信頼性はかなり高くそちらでのミスはない。むしろ防御率の数値上の欠陥とでも言うべきか。
本日。さかのぼること昼過ぎ。
広川にとあるデータの収集を求められていた、2年生スポーツマネージメント科主席の高川秀仁。スコア管理の得意な冬崎と一緒にその依頼に応えたわけだが。
「とにかく言えることですが、神部は防御率以上に調子が悪いですね」
「と、言いますと?」
「俺の考え出した指標に『高川式リリーフ防護得点』というものがあるんです」
「ほぉ?」
つくづくそうした数字を作るのが好きな生徒である。
「例えばノーアウト満塁で降板したとき、後続がランナーを返さなければ無失点。仮に一掃すれば3失点。これはおかしい話でしょう。なぜ個人の成績を計る数値に完全に別な投手の力量を加える必要があるのか」
一理ある話である。
高川の言うノーアウト満塁の場面を例にとると、ビハインドで敗戦処理を出した場合と、接戦で守護神を出した時ではランナーの生還率、ひいてはそのピンチを作ったピッチャーに加算される失点・自責点が大きく異なるのだ。
「そこで途中降板した場合はその降板時の塁状況における得点期待値を、無条件で失点数に加算する。という作業をやってみました。言わば、平均的なピッチャーが後を継いだと仮定して失点を算出するわけです」
「ま、またご苦労な事を」
「単位が貰えればこの程度の苦労はなんでも」
「上に私が直に掛け合ってみます」
「その結果、仮に失点がすべて自責点とすると、神部の防御率は37.12」
大きく数値が跳ね上がる。つまり結果的に後続の塩原・立川ら優秀なリリーフが神部の尻拭いをしてくれて、今の防御率に落ち着いているということになる。
「さらに、彼女がランナーを背負ってマウンドに上がった場合。そちらは期待値以上の失点をした場合、火に油を注いだとして、期待値と前の投手に付いた失点の差を神部の失点に算定します。すると防御率は42.75となります」
「42.75……ですか。本来ならば投手を諦めろという数値ですね」
と言うやり取りがあったのである。
端的に言えば神部は防御率にして15.75点分の見えない失点をしていたのである。これは彼女が悪いわけでも記録員の問題でもなく、あくまで防御率計算上の欠陥である。とにかくそれだけ散々な成績を叩きだしている神部である。メンタル的にボロボロになってもおかしくないはずであるが、辛うじて近くにいる彼の存在がその心の支えとなっていた。
「宮島さん……私、何かしましたか?」
より強く毛布を抱きしめて顔をうずめる。
「教えてください。私の、私の何がダメなんですか……」
その辛さから涙腺がにじみ始める。その抱きしめると言う行動を取っているからこそ、あの時自らの涙を受け止めた彼の存在を強く感じてしまったのだ。そしてまたあの時のように、辛さや苦しみが自制心を突き破ってしまったのである。
「ダメなところ、全部直します。もし要望があるなら、応えられるように努力します。ですから――」
彼女の顔は毛布に埋もれて見ることができない。だが、そのしゃくるような声によって表情は容易く想像できる。
「――私の元へ戻ってきてください。お願いします」
「立川く~ん。ちょうどいいところに」
「なんだい、秋原嬢。さては私のこのハイスペックさに心打たれたかな?」
「あ、別にそんなことは1マイクログラムもないから安心して。そうじゃなくて、ちょ~っと質問があるんだけどいい?」
立川のかっこつけを0.7秒で粉砕した秋原。木曜日の午前中。偶然、授業の合間に移動中の立川を見つけた彼女が彼へと駆け寄ったのである。
「ふっ。悪いけどナンパはお断りだよ。モテてモテて本当に困るよ。やれやれ」
「2次元の彼女にモテてると勘違いしてる片思いでしょ? そうじゃなくて」
続いて立川の見栄を0.5秒で粉砕。
「野球の話。立川くんって投手キャプテンでしょ?」
「いかにも。宮島隊長に任命された私こそが投手副隊長。裏では投手キャプテンと呼ばれる存在だ」
「うん。むしろ裏は副隊長で、基本は投手キャプテンだと思うよ」
そして立川による男のロマンも0.3秒で粉砕。
「で、なんか用?」
さすがに心が折れそう。もとい完全にひびが入っている立川は、暗く低い声のトーンで問いかける。宮島の前ではいつものクセっ気のあるキャラを維持できるが、彼女の前ではキャラを維持できる気がしないのである。
「う~んとね。専属捕手って、投手視点から見てどうなの?」
「しぇ、専属捕手?」
これまた意外な質問であり、立川も虚を突かれてつい声が裏返ってしまう。
秋原は宮島に言われてあまり関わらない事を決め込んだものの、やはり気になってしまったのだ。そのため高川あたりを探ってみたところ、それっぽいデータが見つかったということである。というわけでだいだい察しはついているが、できれば最前線で戦うものの生の声が聴きたかった。
「うん。専属捕手」
「どうって、どういうことよ?」
「どうってわけじゃないけど、どうなのかなぁって」
「えぇ……」
恐ろしく反応に困る質問内容である。むしろほぼ答えである質問をされても困るのだが、これほどまでに自由度のある質問も逆にどう答えたものかと困ってしまう。
「なんでもいいから」
「女子のなんでもいいほど信用にならないものはないと、ネットで見た」
「かもね」
「えぇ……」
そこまで潔く開き直って返されては、もう言い返しようがない。
「本当になんでもいいなら、相性と言う面では専属化の方が楽かな。お互いにテンポが分かってる方がリズムは崩されないし」
「へぇ。例えばだけど、かんちゃん――宮島くんと小村くんではどっちがいい?」
「断然、宮島隊長の方が投げやすい。特に自分はフォークピッチャーだし、キャッチングセンスのある方が思いっきり腕は振れるし、思いっきり沈められるし」
ただ単純な投げやすさと言う点において攻撃型捕手と守備型捕手がいる場合、どちらか選べと言われれば後者を選ぶのも必然である。
「けど、専属化してほしいとは思わないかな」
「なんで? 専属化した方が楽じゃないの?」
「そう。きっと楽さ。けど、楽だからこそ思わない。なぜなら『専属捕手』は『専属投手』を生むことにもなるからさ」
かなり意味のあるセリフを発した立川。もし彼がいかにもなかっこつけスマイルをしなければ、きっといいワンシーンとなっていただろう。
雨降って地固まると言う言葉がある。
「きついのぉ」
今更ながら神城・新本らがやっているゲームは『戦略世界大戦Ⅲ』と言う、第1次世界大戦~第2次世界大戦、そして架空の第3次世界大戦を戦い抜くゲームだそうである。
リーグ戦対2組戦の前夜。そのゲームをしている大日本帝国・神城は、アジア諸国連合軍に西方から日本侵攻を許すことに。結果として支えきれないと判断した彼は、沖縄・九州・四国と大幅に領土放棄を行い、呉海軍基地のある広島にて防衛戦を行っている。
「うわっ。まずっ。広島戦線崩れるっ」
土地の利・質の利にて優位に立つも、戦争物資や数の差で押し切られつつある神城は既に戦線崩壊寸前であった。
その時であった。
「な、なんなん。一気に資源が」
枯渇しかけていた資源が一気に回復。日本にはこうした資源を獲得できる場所はないはずだが……
「にゃっはっは。アメリカ最強~」
「新本ぉぉぉぉぉ」
広島戦線崩壊ギリギリで新本アメリカ海軍が貿易妨害を行っていたアジア連合海軍を撃破。日本に資源を運び込んだあげく、自国の防衛戦力を削ってまで日本本土への救援に来たのである。
「シロロンの故郷は私が守る。アメリカ軍、日本国広島県に向けて進軍開始。アジア連合軍を各個撃破せよ~」
「よぉやったで、新本。もぉ、マジで好き。新本好きだぞぉぉぉ」
「えっへん」
これが数日前に(ゲーム上で)戦火を交えていた2人である。
「情緒不安定か? こいつら」
「つい数日前までムキになって戦争してたのにね。ゲーム的な意味で」
その光景をいつものようにベッドの上でうつ伏せになって見つめる宮島と、その背に乗ってマッサージ中の秋原。神部はその騒がしい2人に目もくれず、宮島の部屋にある蔵書を読み続けている。
「他の2人もこんな感じになってくれればいいのにね」
「他の2人?」
「分かってるんでしょ?」
「あのなぁ、明菜」
それには触れるな。と言いたげな苦い表情をする宮島。
遠回りに言ってくるのであれば以前のように釘を刺すこともできるが、開き直って正面攻撃をしてこられれば牽制しようがない。
「あれ? そういう表情をするって事は心当たりが?」
「明言は控える。逆に明菜がそれだけしつこいってことは、そっちこそ心当たりが?」
「だいたい事情は分かってるよ。マネージメント科の情報収集力と解析力は、かんちゃんがよく分かってると思うけど?」
「よく助けられているしな」
友田や神部の投球解析や、宮島のスランプ期にも動いていたマネージメント科。実際にそれが直接的な解決となったかどうかは個別の事案によるのだが、裏で大きく動いていたことは事実である。そしてそうした事の他にも、自身のリードによる配球傾向、他捕手の配球傾向、さらに他チーム打者の得手・不得手などのデータもよく宮島の元へと送られてくる。
秋原が今回の宮島が抱える『問題』に辿り着いたのも、状況証拠や、成績から浮かび上がってくる『課題』を総合的に判断すれば簡単なものである。
「かんちゃんも、『それ』が解決するといいね」
「……そうだな。そろそろ時間もないし、明日か明後日、だろうな」
「そっか。それじゃあ、かんちゃん、ファイト」
週末となり、2組とのリーグ戦当日。
「さて、友田も調子良さそうだし今日は……あれ? 広川さんは?」
「そう言えば、まだ来てないのぉ。探した方がええじゃろぉか?」
先発オーダーが発表された後、選手も次第にベンチへと集まり始めているが、4組監督の広川は未だに来ていなかった。しかし宮島には予想がついていた。と言うよりこういうのは何も、特に今年は珍しくない。
「僕が呼んでくる」
「一緒にいかんでええ?」
「場所は分かる」
宮島は軽くこめかみを押さえながら、神城の申し出を断りベンチ裏へ。そうしてしばらく監督室に向けて歩いた後、電気が付いていることに気付いてため息を漏らす。そしてドアの前に行って2度ノック。
「はい、どうぞ」
「失礼します。広川さん。そろそろ時間です」
「確かにそうですね。では準備をしましょう」
珍しくPC用メガネを掛けてノートパソコンをいじっていた広川は、呼ばれるなりメガネを外してパソコンを閉じる。
「広川さんって最近、事務作業が多いですね。本を読んでいたり、今みたいにパソコンを触ったり」
「これでも2年生野球科の学年主任。なおかつ野球科教員主任ですからね。長久はこの手の作業が得意なようですが、私にはどうも……」
「大変ですね。そういう立場は」
「名選手が名監督になるとは限らない理由でしょうか。選手の時と監督の時では必要なスキルが違いますから」
メガネを外してケースに入れてカバンの中へ。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「はい」
広川に言われて宮島は振り返る。と、その時。
「・・・・・・・」
「え? 広川さん、行ってきますって誰かいるんです?」
「……なんて地獄耳ですか。かなり小声だったと思うのですが」
「めちゃくちゃ耳はいいんです」
何せ緊張した神部のこもった小声も聞き取れるほどの聴力である。その宮島が聞こえたと言うのだから聞こえたのである。ただ「何か言いましたか?」ならともかく、「行ってきます。って誰かいるんですか?」とまで具体的に言われては「何も?」とごまかすこともできず。
「ただのゲン担ぎです。プロの時にマネージャーや裏方さんに言っていたんです」
「前に来た時は言ってなかったような……」
「よく覚えてますね……誰かいる時は心の中でやるんですが、たまに声に出ちゃうみたいで」
言いながら広川は、手にしていたぬいぐるみをカバンの中へ。40そこそこのおっさんがぬいぐるみとはおかしなものだが、宮島がパッと見る限り広川の古巣球団のマスコットのものであった。それならばインテリアの1つとすれば不思議なものでもないだろう。
「さて、では本当に行きましょうか」
電気を消して外に出た広川は、部屋に鍵を掛けて宮島と共にベンチへ。
「今日の試合ですが、おそらく6、7回までお願いするかと思います。よろしく頼みます」
「はい。今日も、ですね」
「分かってくれる人がいて楽ですね。言い換えれば、本来は自己解決すべきことを生徒に任せてしまったとも言えますけど」
広川自身を自分で否定するような言い方に、宮島はそれを正そうとした。しかし意外に監督室とベンチの距離は短い。すぐに着いてしまい、話を返す機会を失ってしまった。
「みなさん。お待たせいたしました。今日の試合も気張っていきましょう」
「「「はい」」」
しこたま伏線(前振り)を張ってきたので、
割と神部の抱える問題が分かった人は多いかと
あまり伏線を隠しすぎると、逆に伏線にならないんですよね……
次回投稿予定日
10月1日20:00なり~




