第3話 宮島自身も大変でして
暗黒時代を一丸となって切り抜けた過去の経験。また宮島健一という投野手双方にとっての要の存在により、2年4組の生徒は学年トップクラスと言ってもいい結束力を誇っている。それは野球の現場に限らず、プライベート空間においてもまた同じである。
水曜日の朝会前。意味も無く早く来た何人かが教室において雑談中である。
「ふふふ。我の投球の幅が広げるには、やはりビクトリアフォールズ以外の変化球が必要であろう。それこそ魔球と言われるものを」
「マスター。魔球と言えばナックルではないかと」
「おぉ。素晴らしい。お主を東方戦線隊長に任命する」
「ありがたき幸せ」
飽きずに謎のテンションを続ける立川と本崎。この2人が4組の誇るクローザーとローテ2番手というのだから世も末である。
「ナックルねぇ。おそらくプロで通用するレベルのナックルを投げようと思ったら、捕れる奴がいるかどうかの問題になるんじゃないか?」
そして宮島が本気で意見をしてみると、そこへ立川が謎の根拠を持ち出す。
「それならば総大将のキャッチングセンスにかかれば容易きこと」
「無茶言うな。ナックルなんて生で見たこともないし」
「大丈夫、大丈夫。だいたいのものは焼いたらOKだから」
「「「は?」」」
そして『生』に対して『焼いたら』ともっと謎発言をする小崎。野球に関しては特に肩の優れたファイブツールプレイヤーにも関わらず、野球のルール面や普段の発言など、時折訳の分からない事を言ういわゆるアホの子。宮島・立川・本崎の3人が威圧感満載の聞き返しで封殺する。
「そりゃあ、立川が投げたいって言うなら捕る練習もするけどな」
「特に宮島のリードは投手主導リードと呼ばれるタイプ。日本型というよりメジャー型とも言うべきタイプだ」
そして後ろで統計学の本を読んでいた高川が、メガネを押し上げながら話に入ってくる。
「となると、仮にプロ入りできれば、外国人投手と優先的に組まされることがあるかもしれない。そして外国人投手の中にはナックルを主要武器とする選手もいるから、捕れるようになって損はないだろうな」
「そんなに多いか?」
「日本人と比べれば。日本ではとにかく『型』に当てはめるという風潮。そして日本人の人種ゆえの爪の弱さがナックルの導入を阻んでいる現状がある。と、思う。特に宮島のようなキャッチャーの場合、そうした選手と組めれば『専属捕手』としての立ち位置を確立できる」
「専属捕手、ねぇ」
宮島としてもプロになるからには、専属捕手ではなくレギュラーとなりたいところ。しかし専属捕手としての立ち位置を確立できれば、経験の少ない若手の時期や、多少調子の悪い時期でも試合で使ってもらえるようになるかもしれない。
宮島はそういう思いと同時に別の事も考えていたのだが、そこへもうひとつ別の声が飛び込んでくる。
「えっと、私、ナックル、投げられないこともないです」
この雑談の輪の中で高川に次いで静かだったのだった神部。ちょっと入りにくそうな気弱な声でスッと手を挙げる。
「なんと。神部嬢はナックルを投げられるとな」
「マスターも某も驚きだ」
「ナックルかぁ。僕は投げられないけど、神部さんは投げられるんだね」
現役投手の2人および、元投手の小崎は驚きの声を上げる。高川は冗談半分に思って無言を貫き、宮島はその言葉の裏を読んで問いかける。
「どうせ、純度100%のナックルは投げられないんだろ。もしくは何か欠点があるか」
彼女の言った『投げられないこともない』という遠回しの言い方。そしてもしナックルを投げられるのなら、男子に体力で劣る女子と言う点も考えると封印する理由が見当たらないという点。それから宮島は彼女のナックルの何かを見たのである。
「えっと、4球に1球くらいしか投げられないのと、キャッチャーまで届かないのが……」
聞くところによると話は中学校時代にさかのぼるらしい。中学校入学を控えた近くの小学6年生が部活体験に来た際、野球素人の少年とキャッチボールをしたそうである。案の定、投げ方を知らないその少年はボールを押し出すように投げていたのだが、それが無回転に近い球であった。言わば下手ゆえの無回転だったのだが、それをナックルとして使えないかと考えた神部は、彼の投げ方を修正してあげるついでに覚えていたのである。
しかしそれは下手ゆえの無回転であるため、中途半端に回転がかかって棒球になることもあり、またフォームが崩れているためキャッチャーまで届きにくいという問題もあるのだ。要するに実践では使えない。
「ふ~ん。でもまぁ、変化球って要は回転の掛け方だからなぁ。もし押し出すって投げ方が本当にできるなら、爪や握力が弱くてもナックルは投げられるよな。だとすると、それ以外のところを直せば実践で使えるかもな」
「それ以外って言うとどういうことですか?」
「本職ピッチャーの立川。任せた」
「ふふふ。私の出番だ。しかしこうしたことは本崎氏に任せよう」
威風堂々たる態度で本崎に仕事を振る立川に宮島は肩を落とす。
『(あ、こいつ分かってねぇな?)』
いかにも上官が部下に仕事を渡したように見えるが、ただできない仕事を押し付けただけである。
「えっと……小崎氏」
「I am not know」
さらに小崎に話を振る本崎だが、間違った英語で「知らない」と返される。
「ふむ。大方、宮島が言いたいのは腰の回転や肩、肘、手首の使い方。場合によっては重心の移し方といったところか」
「なんで野球科のピッチャー経験者を差し置いて、マネージメント科がサラッと答えるんだよ」
「実践はさっぱり。理論だけでいいのならいくらでも」
「なるほど。頭でっかちか」
アホの子・小崎にその頭を幾分か分けてやってほしいものである。
「しかし宮島。だいたいはこういうことだろう?」
「まぁそういうこと。ただあえて言うなら、手首の使い方は変えようがないかもな。スナップを利かせると回転がかかっちゃうし。あるとすれば肘や肩の動きで回転がかかるのを打ち消し合うくらいだよな」
「なるほど。勉強になる」
「勉強熱心だなぁ」
「そういう性分でな」
やっぱりこの頭をアホの子・小崎に幾分か分けてやってほしいものである。
というわけで神部の似非ナックルは本物のナックルになるかもしれない。という話に行きついたところで神部の頭が珍しくもフル回転。閃いてしまう。
「み、宮島さん」
「何?」
「私のナックル。実践で使えるようにしたいんで、練習に付き合ってください」
「悪いな。それより先に自分のバッティングをなんとかしないと」
0.2秒で断られる。
「投手経験者はたくさんいるし、理論だけは知ってる高川もいるからな。キャッチャーは小村か、事務員の人にでも頼んでくれ」
「最近、総大将は前に比べて投手陣に関わりが薄くなりましたな」
「前までが濃すぎたんだよ。そろそろマジで打撃をなんとかしないと、投手陣の成長に付いていけねぇんだよ」
「立川。打率1割台の宮島に無理を言うんじゃない」
「援護ありがとうな、高川。ただし打率1割台は余計」
いくら土佐野専の投手陣や守備陣のレベルが高いと言っても、プロと比べて平均的には低いのである。その中で打率1割台に低迷していると言うのは、プロに入ってから非常に厳しいものがあると言わざるを得ないだろう。いくら日本でキャッチャーが守備のポジションとされているとしても、まったく打てないのでは目もつむることができないだろう。
「そういうわけだ。神部。また今度にしてくれ」
「そう言われたら諦めるしかないですけど……最近、宮島さんに受けてもらってないです」
「だって最近、バッティング練習しかしてないし」
逆に言えばそれだけバッティング練習しかしていないのに、打率は相変わらずの低迷っぷりである。よほど打撃に関しては才能がないのであろう。
「いいじゃねぇの。小村なり、兄さんなりに受けてもらえよ」
「お兄さんじゃないです。遠い親戚です」
ただ打撃に関して改善が急務なのも事実である。
打撃に関しては才能に欠ける宮島であるが、それでも埼玉ナンバー2捕手としての才能は伊達ではない。バッティング練習において時折快音を響かせ、それなりに広いはずの土佐野専グラウンドにて柵越えも放つ。それも金属バットならできない話でもないだろうが、プロを視野に入れているこの学校では金属バットなど、せいぜいマネージメント科生や経営科生が遊びで使うようなもの。もちろん木製バットで、である。
その「アマに大きしプロに小さき」な打撃の才能を誇る宮島は、本日も打撃練習に勤しんでいる。とはいえ本当の意味で来た球に反応できるのは、1組・三村、2組・大谷、3組・神城と言った打率上位陣並みのバットコントロールや打撃センスがあってできること。彼にできるのは、せいぜい張り打ちの範囲を今まで以上に広げていくことである。
「くっ」
「はい、ストライクワン」
インローに張っていた宮島に対し、打撃投手・桜田の放った球はインハイ。彼自身の球の速さもあって対応できず、練習がてら審判をしていた倉敷は軽い口調でストライクコール。
「打てねぇぇ」
「こちとら、首を切られたと言っても元プロだからね」
「宮島くんの場合、桜田くんのようにノーコンで散るタイプよりは、新本さんのように狙ったところに来る方が打ちやすいんでしょうか?」
「まぁ、ノーコンだと張りようがないですからね。輝義みたいな実質ストレート一本槍ならまだしも、変化球も使ってくるタイプなら特に」
「ふ、2人ともノーコンとは失礼な」
「何か?」
「あ、すみません」
キャッチャーをしていた広川にとって桜田は年下に当たるため、後輩を弄るような笑顔を返す。逆に桜田が年上に当たる宮島は素直に謝っておく。
「では、もしかしたら鶴見くんなんてもっと打ちやすいのでは? スカウトからは、変化球以上に制球力の評価がいいって聞きますけど」
「そりゃああいつはマンガみたいな制球力してますけど、変化球が読めないんで打てないですよ。あれは」
「そんなにですか。しかしマンガみたいな制球力ですか……9分割とか16分割とかですか?」
「マンガみたいって言うのは言葉の『サヤ』です」
「『アヤ』です」
広川から素早いツッコミが入る。
「僕が投球練習を受ける時は、6ですかね」
「6ですか? と言う事は、3×2ですか?」
「いえ、2×2+2と言うのが正しいかと。ストライクゾーン4分割と、バックドア、フロントドアで6です」
精密機械と呼ばれたプロ野球投手ですら4分割である。もちろんどんな投手にはコントロールミスはあるわけで、その6分割をどれくらいの頻度で制御できるかは重要な点ではある。だが鶴見はそれだけハイレベルな制球力を持っていると言う意味があるには違いない。
「広川さん。宮島くん。そろそろ……」
「おっと。話もほどほどに再開しましょう」
「ですね」
広川がミットを構えなおして桜田が投球モーションへ。
「はい、ストライクツー」
宮島もプロ入りを目指して懸命である。
そのための課題といえば2つ。最も大きな課題として今現在、野手として改善に取り組んでいるものが打撃だが、もうひとつ捕手として改善すべき課題があった。
昼食を挟んで午後からは、走者やボールカウントなども付け加えた実践に近い総合練習。攻守交代やスコアの記録、イニングが無い以外はほぼ紅白戦。
その8回目のイニング。1アウト1塁の場面で、1塁ランナーの小崎がスタート。バッター・神城はアウトコースを見逃しストライク。受けた宮島がマウンドでしゃがんだ塩原の頭を通すように2塁送球をするが、
「セーフ」
2塁審判・坂村の手は両サイドに開く。この練習においては4度目の許盗塁である。
宮島の盗塁阻止率は2年生リーグにおけるキャッチャーの中でもかなり低い。
というのも、
1、宮島のキャッチングの良さを信頼して4組投手陣が容赦なく低めに投げるため、2塁(3塁)への送球が遅れやすい。
2、仮に盗塁の可能性が高くても、投手主導リードのために投手の要求で変化球を投げる割合が高い。変化球は球速が遅いために送球がワンテンポ遅れる。
こうした理由から阻止率が低いのである。ただ一方でランナーのあるなしで配球が変わらないため、対打者と言う点では宮島がかなり優秀な成績を残しているそうである(高川調べ)。という情状酌量の余地がある理由の上に、原因をもう一つ。
「宮島はほんとに他のキャッチャーに比べて弱肩じゃのぉ」
「一応、肩を強くするように投げ込みはしているんだけどな」
3、単純に宮島の送球が下手 & 肩が弱い
これは宮島の技術不足である。彼の言うようにブルペンでの投げ込みなど肩を強くする練習も行ってはいるのだが、それに伴う送球技術向上以上に周りの走塁技術向上が著しく、結果が出ないのも実情である。それは逆に送球技術が向上しているからこそ、今の盗塁阻止率で踏みとどまっているともとれるわけだが。
「肩をなんぼ強ぉしても、そこまで時間は変わらんけぇのぉ」
「1組の大森監督も言ってたな。捕って投げるまでとコントロールが大事って」
球速によるホーム~2塁間の到達時間は、有効桁数の扱いにより誤差は出るがだいたい以下の通り。
100㎞/h = 1.40秒
130㎞/h = 1.08秒
160㎞/h = 0.88秒
あくまでも極論ではあるが、100キロから160キロまで球速を上げてもその差は0.62秒である。そもそも投手の投球と違って満足な送球姿勢を捕れない捕手の送球では160キロなんて出すのは現実的な話ではない。
もちろん球速を上げるにこしたことはない。ピッチャーがストレートを投げるか変化球を投げるかで盗塁阻止率が違うのと同じである。しかしその件とキャッチャーの球速の件が別なのは、ピッチャーのストレートは元々投げられる球であること。キャッチャーの球速アップは現状では投げられないと言う事。仮に大幅な球速アップを成し遂げられるとしれば、その労力をもっと別のところに使うべきであろう。
そこで元プロキャッチャーの現・2年1組監督の大森が言っていたのが、『捕ってからの早さと送球のコントロールが大事』というわけである。
「じゃったらええのがおるじゃん。制球が良くてクイックの上手いピッチャーが」
「あいつには聞いたけど当てにならなかった」
「ぶぇぇクション」
「に、新本さん? 急にどうしたの?」
「うにゅぅ、あきにゃ~ん。誰かが私の噂してるのかも」
「だから、ランナーを殺せない分はバッターを殺す。勝負だ。神城」
「勝負上等」
神城はしっかりバットを構えなおして、マウンド上の塩原と対峙。ピッチャーは違えど去年の夏合宿を彷彿とさせる展開に、ただの練習にも実践並の力が入る。
その熱いチームメイト同士の勝負を1塁側ファールグラウンドで見つめるは、塩原の次に総合練習のマウンドに上がる予定の神部。仮にこのままの守備であれば宮島と組めるのだが、偶然か必然か、彼女がマウンドに上がると同時に守備陣の総入れ替えが決まっている。
『(はぁ。宮島さんとバッテリー、組みたいなぁ)』
落ち込み気味に曰く遠い親戚の神部祐太郎とキャッチボールを続けた。
鶴見のコントロールの話が出てきますが、
ちょっと裏があるんですよね
その話は後々
因みに次回投稿日
なんとなく明日20:00




