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プロ野球への天道  作者: 日下田 弘谷
第9章 勝負師たちの恩返し
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第9話 後悔と納得と殴り合い

 その後、4組打線は序・中盤の神部、宮島のタイムリーに続き、大野の第2号ソロ、三満の第1号ツーラン、代打・神城の2点タイムリーなどで計14得点を取る大爆発。守備陣は6、7回を投げた本崎が1失点、9回を投げた大森が3組の代打・仁科に一発を浴びて2失点するもそれまで。序盤の緊張感に反して圧勝で飾ることとなった。

 そんな試合も終わった直後のこと。

 神部はバックネット裏の席に腰かけてバックスクリーンを見つめていた。

 14―3

 そのスコアが表示されていたバックスクリーンも、今、表示が消えた。

 感慨深いものがある。

 今までなら3組の方を見て負けたと思っていたものが、今では4組の方を見て勝ったと思える。1年前にはそんな事になるとは思いもしなかったことである。だが、現実に彼女は4組として試合に出場して勝利を収めた。

 気持ちの整理ができるようなできないような。

 宙に浮いた気持ちをなんとかしようとした。その時だ。

「だ~れだ」

 音も気配も無く近づいてきた何者かに視界を遮られた。

 低い男子の声ではなく、高い女子の声。新本のものでも、秋原のものでもない。経営科女子の石田や小鳥原。彼女らのものでもない。つまり、いずれにせよ4組の女子生徒の声ではない。しかしどこかで聞いた事のあるその声。それは強い懐かしさを感じるものであった。

「や、山県さん……」

 元チームメイト。何よりもっとも仲の良かった親友との再会。

 混乱を避けるために移籍までかん口令が敷かれており、それ以降もずっと4組として動いてきた神部。移籍直後はメールを使っての連絡も多少はしたものだが、ここ最近はそれすらもなく。彼女と直接出会う事に関しては、なんと約半年ぶりである。

「お久しぶり~。友美ちゃん。元気にしてた~?」

 よほど会って嬉しかったのか、思いっきり抱きついてくる。

「う、うん」

 急な事に動揺を隠せない神部であるが。

「凄かったよぉ」

 両肩を持って腕の長さ分の距離を取ると、満面の笑みで神部の顔を見つめる。

「本当にすごいストレート。一緒にいた頃から思ってたけど、急にあらわれてくる感じ? それに合わせて、今回のは手元での伸びがすごかったよ」

「が、頑張ったから……」

「みたいだね。そういえば、今日は先発だったよね。ついに先発ローテ任せてもらえるようになったの?」

「えっと、今日だけ特別。来週からは中継ぎに戻る……かも」

 大歓喜の山県の一方、神部はどことなく元気がない。その様子を感情の変化に敏感な山県は簡単に察する。

「どうしたの? 暗いよ? 勝てたのに」

「ご、ごめんね……」

 直後、彼女は謝っていた。何よりも「勝てたのに」。その言葉が重くのしかかった。

 去年まではチームメイト。勝利も敗北も同じだけ味わってきた仲なのに、今日は片や勝利、片や敗北を味わった。そしてその勝利の原因は自身であり、また敗北の原因も自身である。

「え? 何が? 何の事?」

 ただそれは謝るに至った理由の一部分。むしろ大部分はそんなことではない。

「よ、4組に移籍した事……」

「そんなこと? 仕方ないよ。長曽我部の交換要員だもの」

「でも――」

「仕方な~いの」

 対外的には長曽我部のクラス間移籍に伴い、神部が交換要員に決まった。それにより長曽我部の移籍は能動的であり、神部の移籍は受動的であると思われている。例えるならば、長曽我部のFA移籍による人的補償で神部が移籍。といったところだろうか。

 そのため長曽我部に関しては「4組から出て行った」という認識は濃いが、神部については「3組から出て行った」という認識は薄い。例え人的補償が立候補制となっていたとしても。である。

「少しは残念だったよ。一緒に友美ちゃんとプロ入りまで走り抜けたかったって。でも、これはどうしようもないことだもん」

「う、うん……」

「でも、別れはいつか訪れる。私たちの別れは少しみんなより早かっただけだよ。別れそのものは不思議じゃない」

 彼女は必至で適当な言葉をひねりだし、無理やり繋げて文にしていく。

「また、3週間後の3組対4組の試合。一緒に勝負しよう。今度はきっと打つから」

 言いたいことを言いきったようで、神部から離れた彼女はゆっくりとその場を去っていく。そして少し立ち止まり、最後の最後に心の底からの本音中の本音を吐きだした。やはり表向きはなんと言っていようと、親友と別れたのは辛かったのだ。決して「少し残念だった」というレベルではなく。

「友美ちゃん……友美ちゃんと一緒にプレーした1年間は本当に楽しかった。私にとっての宝物だよ……ありがとう」

 時間にして5分程度。それくらいの話であったにも関わらず、その会話は彼女に禍根を残してしまった。



『勝利投手:神部  敗戦投手:長曽我部』

 土佐野専のホームページに表示されたその文字を、神部は魂が抜けたかのように呆然と見つめる。

 今日の彼女の成績は5回無失点。土佐野専では5回を基準に先発が交代する事が多いため、学生の間ではTQS(土佐野専式クオリティスタート)と言われる5回2失点のノルマ。それを余裕でクリアした挙句、先制点を自ら挙げての勝利投手。それは去年までのチームメイトを敵としてねじ伏せ、勝利を奪ったといってもいいだろう。

「勝っちゃったんですね……3組に」

 後になって試合での高揚が落ち着いたからこそしみじみと分かる。

 今は敵である以上、仕方のないという潔い思い。

 勝負師として自らの立派な翼を見せつけた満足感。

 その一方で、元チームメイトに牙をむいた罪悪感。

 果たして自分の選択は正しかったのか。

 今までは何も感じてはこなかったが、敵として正対したことで後悔が湧いてくる。

 キャプテン・宮島も、その場にいるポジティブな神城も、能天気な新本も、そこそこ頭のいい秋原も。皆、彼女に声を掛ける術を持たない。この感情は彼女だけのものであり、他の誰も経験した事のない特殊なもの。この場にはいないが、近い境遇の長曽我部でも『4組を下す』ことはしていない以上、彼女とはまた違ったものである。

「お、お茶沸かしてこよ~」

 気まずく思った秋原。台所へ向けて緊急避難。

「新本、ゲームしようや」

「やる」

 そして神城は新本と共にゲーム世界へ避難。

 と、なると残された宮島。ため息を漏らしながらも、彼女の頭に手を乗せる。

「後悔してる?」

 隣に座って問いかけてみるが、彼女は無言で何も答えない。

「……だよな。なぁ。神部。僕がこの学校に来る前の話をしようか」

 宮島の昔話。彼女はなお無言で肯定も否定もしないが、彼は構わず話を続ける。

「中学校時代の僕な、今でこそ貧打で地味なキャッチャーだけど、これでも埼玉県ナンバー2って言われてて、打順も4番。高校も東京の有名校からいくつか誘いが来てたな。あ、ちなみに埼玉県ナンバー1は2組の西園寺な」

 別に今まで隠していた秘密ではない。神城達にしてみれば、ちょくちょく聞いている内容でもあった。

「でもちょうどその年、高知県に『土佐野球専門学校』って言う、言わば野球アカデミーができたわけだ。当時は公式サイトも雑なものしかなかったし、オープンスクールも、外部向けの雑誌も無かったから、『元プロ野球選手の指導により、プロ野球を目指すための学校』らしい。ということしか分からなかった」

 それも同期入学である神部も良く知っている。宮島は首都圏と言う情報の集まりやすい土地だったからいいが、首都圏に比べると田舎寄りの神部は情報収集に労力を費やしたものである。

「僕は悩んだよ。正直、『甲子園に行きたい』よりも『プロになりたい』という思いの方が強かった。なら、土佐野専に行くべき。けど最悪、高校に行っておけば、大学進学も簡単だし、野球の道を踏み外しても致命傷にはならない。なら高校に行くべき」

 ゲームをしていた神城・新本もつい話を聞き入り、テレビ画面はキャラ選択で停止。秋原もお湯が沸くまでの間、耳をこちらに傾けている。

「『土佐野専に行く』か『高校に行く』か。中3の僕にとっては人生の大きな分岐点。どっちを選べば後悔しないか。本気で悩んで、悩み続けた。けどさ、監督がその時に言ってくれた」

 宮島は一度区切ってから彼女の方を向く。

「選択しなかった選択肢がある以上、後悔は必ずするものだ。人生が選択の余地のない1本道ではない以上、後悔のない人生なんて決してありえない。でも、その後悔を納得のできる後悔とすることはできる。ってな。一応釘を刺しとくと、僕が言ったんじゃなくて中学野球の監督がな」

 その上で彼女の頭を撫でてやる。

「神部。正直、4組に来たことは後悔してると思う。最後の1年、3組のみんなと一緒にプレーをしたかった。3組のみんなを敵にしたくなかった。とかな。でも、その後悔のあるなしは大事じゃない。神部は4組に来たこの選択。納得はできるのかどうか。それが大事なんだ」

「宮島さん……私……」

 俯く彼女の顔は見えない。しかし彼女のスカートの上に水が落ちてシミができる。それを見て彼女の様子を察する。

「ほら。言いたいことは言っちまえ。僕はキャプテンだし、ピッチャーの女房役だ。それに普段から言ってるだろ。ピッチャー主導だって。わがまま、文句、意見。だいたいのことは聞くぞ」

 そんなものただの口実である。彼女が野手なら、「扇の要だ」とか別の事を言っていただろうが、それは重要じゃない。少なくともその言葉が彼女に届けばなんだっていい。例えその場しのぎの言葉であっても、今の彼女の心を救えるなら。

 その優しい言葉についに、1人で抑え込んでいた感情が抑え込めなくなり崩壊する。

「うわぁぁぁぁぁぁぁん」

 大声を出して泣き出した。それだけではなく、彼の背に手を回して抱きつき、胸へと飛び込んだ。一瞬は驚いた宮島も、得意の瞬間状況整理。こちらも彼女の背中に手を回して、赤ちゃんをなだめるようにリズムよく背中を叩いてやる。

「よしよし。よく頑張って耐えたな。ただ、1つだけ聞かせてほしいかな。4組に来た選択。納得はしてる?」

 問いかける宮島に、彼女は泣きながらで口で答えは出せない。だがキャッチャーのサインに頷くがごとく、彼の胸に顔をうずめたままで首を縦に振った。

「そっか。ならいい。その選択は間違ってない。その選択をしなかったら、ここのみんなとチームメイトになれなかったわけだしな」

 しっかり声を掛けたり、背をリズムよく叩いたりして落ち着かせてやるのを忘れない。というのも実はこの男。

『(落ち着け~、落ち着くんだ。宮島健一。可愛い子に抱きつかれてるとか、大きい胸が押し付けられてるとか考えたらダメだぞ。髪からもいい匂いするとか……って、ダメダメ。考えちゃダメ。NO、NO、NO)』

 心の内ではかなり動揺していたため、彼女を落ち着けるというとにかく別の事で頭をいっぱいにしないとダメなのである。

 さてこんな色欲全開の一般的健全男子だが、傍から見れば、

『(宮島すげぇのぉ)』

『(かんぬ~マジ神)』

『(かんちゃん、すごすぎ)』

 とにかくすごい人には映るわけで。

 身体こそ同世代の人に比べて立派なものだが、心はたかだか16歳。そんな彼女にこの決断はとても苦しく、大きな後悔を与え、冷静になった心を苦しめた。しかしそんな苦しみを共に受け止めてくれる人がいたのなら、そちらにすり寄ってしまいたくなるのが本能である。

 その大きな苦しみを彼女は彼へとぶつけて長々と泣き続ける。その間にも宮島はしっかり彼女を受け止めてやる。

 そうして十数分ほど経った頃だろうが。次第に彼女の泣き声が小さくなっていき、ふと静かになった。そこで彼女の顔をのぞいてみると、泣いた直後でまだ濡れたまま静かな寝息を立てていた。

「寝ちゃった?」

 お茶を沸かし終えた。もとい状況がひと段落するまで台所で時間稼ぎをしていた秋原が、部屋へと戻ってくる。

「さすがにあれだけ泣いたらなぁ」

 宮島もさすがに16年も生きてきれば泣くこともあるわけで、泣くのは存外体力を使う事も分かっている。

「すごい泣き方だったし、よっぽど副交感神経優位にシフトしたんだろうね。そりゃあ、泣き疲れちゃうよ」

「その副なんとか神経は知らないけど、凄かったには凄かった。隣の三国や、下の立川にも聞こえてたかな?」

「かもね」

 なお、隣の三国は近くのコンビニで雑誌の立ち読み中。下の立川はヘッドフォンを使ってアニメ視聴中のため、音響被害はほぼ皆無である。

「で、どうするの?」

「どうしようか?」

 彼の体に抱きつき、顔をうずめたままで寝てしまった神部。既視感の原因ともなっている以前のような状況であれば、ベッドに運ぶこともできただろう。ただ、この抱きつかれた状態からいかに引きはがすか。

「悩んでいるように見えて、かんちゃんも満更じゃないんじゃない? 寝ちゃってもまだ、神部さんの背中を叩いてあげてるし」

「そりゃあ、なぁ?」

 女子に抱きつかれ、大きな胸を押し付けられ、柔らかさと温かみ。同時に風呂直後であるゆえにいい匂い。この三方面攻撃を以前以上に受けているのだから、その防衛行動に移るのは当然である。今の彼には彼女の背中を叩いてあげたり、神城VS新本の対戦プレイに目を向けたり、秋原と話すくらいしか気を紛らわすことがない。

「できれば自分の部屋で寝てほしいけど、せっかく寝て落ち着いたのを起こすのはなぁ」

「かんちゃん。本当に優しいよね。神部さんだから?」

「馬鹿言うな。特別じゃねぇよ」

「え? 長曽我部くんでもやる?」

「あいつは殴る。顔面に一発」

 拳で語るらしい。

「要は神部さん限定じゃない?」

「人によって使い分けるだけ。あいつはおそらくなぐり合って分かりあうタイプだから」

「殴り『合う』?」

 宮島語:殴り合う → 日本語訳:一方的に殴る

 どこかで聞いたようなよくあるやり取りである。

「いや、神部でも状況によっては殴るかもな」

「あはは……本当かなぁ?」

 長曽我部の件はは本気で、神部の件は冗談交じりに受け取っておき、深く考えるのをやめた秋原。彼に抱きついて寝息を立てる神部に視線を落とす。

「可愛いね。この表情。猫の寝顔みたい」

「あ、猫と言えば私の家のメッセがね~」

「「「それはいい」」けぇ」

 飼い猫自慢をしたがる新本は3人で抑え込む。

「でもあんなに精神を張りつめていた割には、神部さんも安心した表情してるよね。よっぽどお母さんの体に安心したのかな?」

 ジョークを口にする秋原に、宮島は「バーカ」と前置きしてから言い返す。

「女房役だからってやることとやらないことはあるぞ」

 女房役なら母ではなく妻であることにはツッコまない模様。

「でも、これはやることなんだよね?」

「急だったからな」

 そして本気でこの後はどうするかを検討した一同。

 秋原が以前と同じく起こして部屋に帰ってもらうことも提案したが、宮島が「せっかく落ち着いているの起こすのはNG」と再度NG意見を提示。そこでやむを得ず神部は宮島の部屋で寝ることに。一応、宮島が神部の色気に欲情しないよう、秋原が監視役に。その秋原に欲情しないように神城が監視に付き、その神城の暇つぶしに新本が滞在。


 結論:5人で一泊することに。


 なお翌朝。

「……」

「ぐがあぁぁぁぁ」

 テレビ前では夜遅くまでゲームをしていたようで、静かな寝息を立てて小さくなって眠る神城(おとめ)。そして大股を開けて大の字になり、イビキを立てて眠る新本(オヤジ)の姿が発見された。



 休日である月曜日。宮島はある人(・・・)からの呼び出しに、しぶしぶある場所(・・・・)へと来ていた。

「おまえさぁ、好敵手って『敵』って字が入ってるのは知ってるか? 敵に塩を送る気はねぇぞ」

「じゃあ、代わりに年賀状でも送ってくれや。神主」

 3組のブルペン。そしてマウンドに立っているのは長曽我部。

 宮島はホームベース後方でミットを開いて構える。

「昨日、投げたばっかりだし10球だけな。アドバイスはしねぇぞ」

「あぁ、分かってる」

 マウンド上の長曽我部。普段通りの投球モーションから次々とボールを投げ込んでいく。

 そこで宮島が感じ取る。てっきり昨日の試合で、長曽我部が球速重視の荒れ球タイプに転向したものかと思っていた。しかし今受けて見て、左手がその恐ろしいまでの違和感を訴える。

『(こいつ、去年よりも制球力が増してる?)』

 制球力を上げるだけなら簡単だ。極端な話、『野手投げ』をすれば制球力は格段によくなる。だがそれはボールの回転が悪くなったり、球の出所が見えやすくなる。と言った、ピッチャーにはデメリットの多い投法でもある。

『(でも、コイツの球。前と変わらない。いや、球質も格段に上がってる)』

 さすがに試合中に記録した150キロオーバーなんてことはないだろうが、回転もかなり良く、投球モーションにも乱れはない。

 9球目。それを受けてから宮島は顔を上げる。

「長曽我部、お前……」

「忘れるわけないじゃないか。どれだけ速くても、コントロールが悪くては通用しない。そう初めて弱小・4組で習った事。そして、変化球が悪くても通用しない。それを解決するために、最初の親友たるどこぞのキャッチャーに縦スラを習った事。全部、俺の忘れたくても忘れられない思い出なんだ。例えお前が忘れても、俺は忘れない」

 彼は宮島からの返球を受け取り、そのボールを強く握って見つめる。

「ただ、昨日はあぁしたかった。自分の最高のストレートを見せてやりたかった。一番の武器であるストレートで、お前を打ち取りたかった。けど、やっぱり駄目だったなぁ」

「確かに打てた。けど、凄い球だったぞ。さすが輝義」

 もう一度宮島はミットを構える。

「もう1球あるぞ。輝義」

「悪い。もう、目がかすんでミットが見えねぇ」

「バ~カ。僕も涙でおめぇの投げるボールは見えねぇよ。だから、ど真ん中に投げて来い。お前ならここに投げてくれると信じてる」

「村山さんの引退試合みたいな事言いやがって。分かった、やってやるよ」

 阪神の永久欠番を思い浮かべつつ、しっかり足を上げた長曽我部。彼もミットは見えなくはないが、揺れて見えている。

『(神主。ありがとな。お前から教わった物。絶対に忘れねぇよっ)』

 全力で右腕を振り下ろした。

 そのボールは宮島の構えたど真ん中一直線。

『(なんだよ。あいつ。最後の最後で泣かせてくれやがっ――)』

「あっ」

「いてぇっ」

 のように見えたが、ミットをかすめて宮島の腹に直撃。さすがに狙ったところピッタリに投げるのは無理なようである。

「お、おまえ、ちゃんと構えたところ投げろよ」

「無茶言うな。ゲームじゃねぇんだぞ」

「なんだと、この野郎。それがボールを当てられた奴に言うセリフかっ」

 マウンドに駆け寄った、ある意味で涙目の宮島。右拳で長曽我部の顔面に一発入れる。

「いてっ。殴ることはねぇだろ」

「やっぱりお前とは殴り合わねぇと分かりあえねぇ」

「一方的に殴られた記憶しかねぇ」

 そしてこちらも、またある意味で涙目の長曽我部。彼は尻に付いた土を払いながら立ち上がる。

「俺さ。たしかに4組を捨てた。けど、それは4組が嫌だったわけじゃない。居心地が良すぎた。だからこそ、そこであぐらをかきたくなかったんだ。特に、お前の存在な」

「広川さんから聞いた」

「なんだ。言っちゃったか。あの人」

 少々照れ臭くなりながらも、濡れた目元をぬぐって目つきを変える。

「だから、気を付けた方がいいぞ、神主。きっと居心地が良すぎて、その場にあぐらをかきかねない奴が出てくる。証拠はない。けど、俺の勘がそう言ってる」

「……そっか。ま、証拠がないなら、心の隅の隅の隅にでも置いとく」

 宮島も目元を拭いながらその表情を変えた。その理由は、

『(こいつ、意外と頭がいい性質なのか? それとも野生の勘か?)』

 彼の発言は的を射ていたからである。

「そんだけだ。今日は付き合ってくれてありがとうな。元、相棒。今度は本気で、3組・長曽我部輝義が相手してやるからな」

 彼は拳を作って目の前に差し出す。ハイタッチを待っているようである。

「だったら、こっちも本気で相手してやるよ。待ってろ――」

 そして宮島も拳を作って、

「――よっ」

「いてぇっ」

 長曽我部の顔面へ一発。

「な、なんで殴るんだよっ」

「いや、やっぱりおめぇとは殴り合って分かり合う仲だと……」

「だから、殴られても殴った記憶がねぇ。うわっ、鼻血出てるし」

「と言うわけで、じゃあな」

「待て、神主。俺、まだ殴ってねぇ。それじゃあ、殴り合ったにならねぇだろ。オイィィィィ」

 そして今年も長曽我部を殴り……もとい殴り合い分かり合った2人である。


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