選挙
もはや落胆することもなかった。当然のように扉の向こうには同じような白い部屋が続いている。
牧田と女は疲弊を顕に床に座り込み、しきりに溜息を漏らし頭を抱えている。
頭の中で、最初に死んだ鈴木太陽という少年、先ほどの松木剛志の共通点を探っていた。彼らの見た目や年齢、精神には重なり合うところがないと言っても良さそうに思える。松木は神を信仰していたようだが、鈴木少年に関してはそのようなそぶりはこれと言ってなかった。
ルールに大きな穴があるとは思えなかったから、それに気が付いたと言うことはないだろう。ただしどちらも自ら「負け」を選んだ。先ほどのゲームに関しては、全員が「裏切り者」のカードを持っていた。ゲーム中は誰もそれを知らなかったにせよ、認識の中では自分が名乗り出なければ全員が死ぬと言うルールだった。僕がそうしたように時間を稼ぎ、あそこで終わりにしてしまうことも出来たはずだ。なのになぜ、自分だけが死ぬという結論を選んだのか。
狂った、といえば簡単な話だし、このまま誰かを蹴落とし生き残って何になるのかと思うところも確かにある。
しかし彼は本当に狂ったのだろうか? 全員が「裏切り者」であると気が付いていたのではなかろうか? そして、その中で自分が名乗り出た。その利点はなんだ?
「中谷くん」牧田の声で我に返った。「君も座ったらどうだ」
「ええ」彼らのほうへ近寄り、素直に従う。「そうします」
「ここまでで、一体どれくらいの時間が過ぎたんだろうか。ここに連れてこられてどれくらいの時間が。外は今何時なんだろう。誰かが俺を探してくれているのだろうか」
独りごつような調子だった。
時間なんて考えていなかったが、僅か二時間か、三時間かというところだろう。先ほどの部屋でのゲーム自体には、五分と掛からなかったのだ。前後あわせても、二十分足らずと言ったところだろう。
どれくらいの時間ここで眠っていたのかは知らないが、誰も助けになど来ないだろうし、下手をするといなくなったことに気が付いてすらいないと想像したほうが精神的に安全だろう。自力でどうにかするしかない。
「あなた方にはこれより、選挙を行っていただきます」
「今度は選挙ね……」
女が呟いた。彼女も随分冷静になったように見える。
声は続けて「ルール」を説明する。次の部屋への扉の前に大量の紙と鉛筆が用意してある。それを使い「生かしてあげたい人」の名前を明記する。このとき、記入者本人の名前を書くことは違反ではない。全員が書き終えたら、開示し、そのとき誰からも「支持」されなかった人間が「ここで終わり」になるという。
制限時間は設けられていない。
「誰かが自分以外に投票しないと終わらないわけか」
「そういうことになりそうですね」
「こんなことに意味があるのか……」
もはや流れ作業のようにゲームを始める。
あっという間に十回の開票が終わったが、誰も自分以外には投票しない。当然のことだろう。
「今までの二つは、馬鹿が代わりに死んでくれたから良かったけど……」女は自分の名前を書くのにさえ疲れたようだ。彼女は長野久子というらしい。「これじゃあ永遠に終わりそうにないわ」
「誰も誰かの代わりに死のうなんて思わないさ」
「そうね、死にたくない……、けど、段々麻痺してきてる気がする」
「麻痺?」
「死というものに対して」
「そうかそうかそれじゃあ俺の代わりにどうか死んでくれよ」
「嫌よ。死ぬのは、嫌。もう一度彼に会うんだから」
「ここでこうして全員が自分の名前を書き続ける限り、誰もここからは出られない。ここに居たら皆飢え死にさ。誰かが死なないと次に進めない」
「どうせならもっと楽しい話してよ」
「楽しい話?」
「あなた、ここに来る前、何してたの? 会社がどうこうとか言っていたけど」
「あれは嘘だよ」
「嘘?」
「引き伸ばすための嘘さ。本当はフリーターで、劣等感の塊だ。クソ食らえと思って毎日ネットに悪口を書いて。小さい人間だよ」
「どうして今、本当のことを言ったの。そのまま嘘を突き通したって問題ないのに」
「このゲームにおいて、俺は他人に左右されることがない。自分が自分の名前を書き続ける限り絶対に死なない。だからだよ」
「あ、っそ」
「君はどうなんだ。男の家に行ったんだったか」
「そうなの。それが突然襲われて……、性的暴力を受けたような記憶も跡もないから、それはひとまず良かったけど……」
「もっとよくない状況だったと」
「そんな感じね」
「……もう、何回やった? 紙、足りるのかこれ」
「もう腕疲れてきた……。これ最後にして一回やめにしない?」
「そうだな。どうせ書き続けたって紙の無駄なんだ。話をして、誰が終わるか決めよう」
「それがいいわ」
「試験は終わりです。お疲れ様でした。中谷友樹は、現時点で試験終了です」
「え?」
僕の裏返した紙には「長野久子」と書かれている。
「なんで?」
「どうしたんだ」
「気付いたんです、ただそれだけです。お先に」
涙かと思ったが、目から血が流れているらしい。腹がひくつき、嘔吐するように血を吐いた。なるほど、僕は流血によって死ぬらしい。
最初、悪い夢を見ていたのかと思ったことを思い出す。
僕は一体、何を、悪い夢と思ったか。それを、思い出した。
そして鈴木太陽が、松木剛志がなぜ自ら「負け」を選んだのか。
これが「ゲーム」ではなく「試験」と呼ばれるのはなぜか。
それに、気が付いただけだ。
意識が朦朧とし、身体に実感が伴わない。
自分の不運を心から呪う。
いつもと変わらぬ平凡な一日が何事もなく過ぎていくただそれだけの「当たり前」を、心から望む。
悔い改めるには少し遅かった、か。
「さあ。皆さまは次の部屋へ」
――
「鈴木太陽の母親と連絡が取れました」
刑事の一人が言った。