裏切
誰も何も言わなかった。
目の前で人間の頭が破裂すると、誰が思うだろうか。
呆然と立つしか、出来ない。吐き気を催す気力もなかった。
そうしてどれくらいかの時間を費やしてから、
「行こう」
牧田が呟くように声を掛けた。僕たちはそれに従った。というよりも、何かに引きずられるようにして、次の部屋へ入った。
しかし、次の部屋も同様に、ただひたすらに白い空間であることに、絶望を覚える。何も変わらない。まだ終わらないのかと、誰も口に出しては言わなかったが、そう思った。
全員が入室すると、少年だったものを残して、先ほどの部屋への扉が閉まる。試さなくてもわかるが、もうここは開かないだろう。そして対面にある扉も、同様に。
「少し整理させて欲しい」
疲弊を顕に、牧田が両手を広げてそう言った。大仰なジェスチャーが却って非現実的で、これは全て夢なのではなかろうかと、逃避したくなる。
「俺たちは全員見ず知らずの人間だ。俺と彼」と言ってこちらを指差す。「は各々名乗ったが、本来であれば名前も知らない。無関係の人間なはずだ。しかし俺は確実性を持って、誰かに襲われ、気付いたらここに居たと断言できる。君たちはどうだ」
投げかけは、水面に落ちる石つぶてのように、都合よく波及はしない。
誰も返事をしなかった。僕に関して言えば、牧田の考えを聞いてみたいからこそ、答えなかった。
「無関係の人間が、こうして一箇所に集められ、試験だとか言う誰かのお遊びに巻き込まれている。生死を賭けて。これはどういうことなんだ? 俺たちの気付いていない共通点が、俺たちにはあるのか?」
「映画の観すぎですよ」答えたのは、男だ。「先ほどの少年の死に方を見る限り、どうやったのかは知らないが頭に爆発物を仕込まれていたと考えられる。私もあなたも、同じかもしれない。そんなことをする人間に、正常な思考は存在しないと考えるほうが理に適う。狂っているんだ。快楽殺人のために、無作為に選ばれたに過ぎない。そう考えたほうが利口だ」
「なあ」牧田が反論しようとしたところ制し、言葉を挟む。「あんたなんでさっきまであんなにだんまりしていたのに、今更こんな饒舌になったんだ」
この場には直接関係のある話題ではない。ただ、不自然に感じたという、それだけだ。
男はにやりと、唇を歪ませる。彼には通常の笑い方なのかもしれない。
「私は、神に祈りを捧げていたのだ。どうか私をお救いくださいと」目の焦点が合っていない。ああ、と思った。「するとどうだ。私は助かった。あの少年が途端に狂い、私の身代わりになった。もう私は神のご加護を受けている。この先も死ぬことはない。安寧を下さったのだ」
「馬鹿じゃないの」女は泣いているようだった。「何が神よ、人一人死んでんのよ、神なんかいるわけがない」
「次に死ぬのはあなただろう。神は全てをご覧になっている」
男が一言そう告げただけで、女の意気は消沈した。自分が少年の死を導いたのだと、そんな風に思っているのかもしれない。
「俺がこんな話を持ち出したのが悪かった」牧田がいち早く場を整える。「ともかく、現状を見る限り、どうやらまだ開放はされないらしい。それだけはわかっているんだ。なあ、そうだろ」
最後のひとつは、天井に向けられた。
「次の試験を行う前に、扉の前に裏返しに置かれた四枚のカードを、一人一枚ずつ、選んでください。そこに書かれていることを、誰にも見せないようにして、確認してください。誰かが誰かのカードを見た時点で、試験は終わりです」
従うほかなかった。
最初に女が取り、次に牧田が、そして僕が選んでから、男は余裕の表情で最後の一枚を手にした。
裏返すと、そこには「裏切り者」と記されている。
「確認は済みましたか。それではルールを説明いたします。あなた方四人の内、裏切り者、と書かれたカードを持っている方は名乗り出てください。名乗り出たものはここで終わり。それ以外の人間は次の部屋へ移っていただきます。与える制限時間は五分です。五分以内に誰も名乗り出なかった場合、全員がここで終わりです」
動揺を悟られてはならない。
全員が視線を動かし、他人の機微を観察している。
裏切り者のカードを持つ僕は、名乗り出ても「終わり」、名乗り出なくても「終わり」だ。どちらにせよ、先ほどの少年のような末路を辿ることに代わりがない。その二択なのであれば、全員を道連れにしてやったほうが後味がいい。だから僕は僕自身が裏切り者であることを他人に悟られてはならない。「名乗り出ろ」と、何をされるかわかったものではない。
「待て、待ってくれ」
牧田が頭上に声を投げる。
「どうしました」あえて発言することで余裕を見せる。「問題が?」
「大有りだ。五分と言ったが、この部屋に時計なんてないぞ」
言われて、見回してみると、確かにそれに該するものは存在しない。そして、そのことの重大さに、遅れて気が付いた。
一体何を指標にして、駆け引きを行えばいいのか。
「それでは試験を開始いたします」
視線が動く。
頭の中で秒数を刻む。五分ということは、三百秒。それを、ひたすら数え続けろと言うのか。正確かもわからないのに。
「落ち着こう、皆、落ち着こう」牧田が声を挙げる。「冷静になるんだ」
「私は協力などしない。騙されもしない」男が喚いた。「神は必ず私を救う」
「ちょっと待って、待ってよ」女は慌てた様子で手を振った。「おかしいよこんなの」
「いや、面白い」僕が言うと、視線が集まった。「このゲームの一番面白いところは、裏切り者が自ら名乗り出ないとゲームが終わらないということです。指摘するだけでは意味がない。誰が裏切り者か周知になったとしても、本人が名乗らなければ全員が死ぬ。つまり、駆け引きが通用しないんです」
はったりをかます。「裏切り者は私です」というたったそれだけを言わせることなど、三人が集まれば力ずくだろうがなんだろうが、簡単なことだ。ただ、僕はそんなことをされたくない。彼らにはこの適当な話で時間を潰させ、大人しく道連れになってもらう。
「言われてみればそうだな」牧田は呟いた。「裏切り者本人にその意思がないと、全員が死んで、ここで終わりだ。殴っても、蹴飛ばしても、本人が舌を噛み切ればそれで終わり。無理やり名乗らせることは得策ではない」
「ということは、説得した上で、その人に名乗らせないといけないの?」女が問う。「お願いします、私たちを助けてくださいって」
「いや、力ずくだろうと説得だろうと、どちらにせよ裏切り者が誰であるかわかっている、ということが前提です。現状、それがわからないし、名乗ったら死ぬとわかっている以上本人は当然名乗らない。そしてこんな会話をしたから、裏切り者はもうボロを出さないでしょう」
「じゃあ、もう終わりじゃない」
「どうですかね。なんとも言えません。逆に、善意から名乗ってくれることを、信じます」あえて、ちらりと男のほうを見た。彼は祈りを続けている。「自分ひとりの命と、ほかの三人の命を天秤に載せて」
今ので、どれくらい経っただろうか。
普段であればあっという間に過ぎてしまう五分が、ひたすら長かった。多分、全員が同じことを考えているだろう。こんなに息苦しい五分をかつて経験したことがない。
しかし僕のやることはひとつだ。話を続け、時間を無駄にする。
「このままでは、全員ここで終わり、ということになるでしょう。僕だって、死にたくはありません。得体の知れない相手に拉致され、こんなところに監禁までされて、意味のわからないゲームに巻き込まれて。大した恋もせずこれという友達も居らず、何のための、誰のための人生だったのか、そんなことを考えています。ああ、死にたくない。死にたくなんてないですよ」
「私も……」女が俯きがちに呟いた。「誰だかわからないけど、名乗り出て欲しい。私、ここに連れてこられる前、彼のところに行く途中だったの。正確に言うなら、彼の家の前までは着いていたのに、突然襲われて、気付いたらこんなところで……。彼に会いたい、もう一度会いたい」
「俺は、順風満帆な人生を歩んでいたはずだった」牧田も乗っかってくる。「小さい頃から全て与えられて、親の会社を責任を持って継いで、これからいよいよ新しい分野に手を伸ばして、もっと大物になって、もっと慕われる存在になって、愛する人に恵まれ、幸せに、年を取っていく……、そういうはずだったのに……」
一瞬の間が生まれる。
いいぞ、もっと無駄に使え。
「僕も突然に襲われたので、余り覚えていませんが、悔しくて仕方がありません。同じ人間が、どうしてこのような狂気に満ちたことを出来るのですか。おかしいです。僕たちは同じ人間だ、同様に救われるべきなんだ。そうですよね」
「その通りだ。どうか名乗り出てくれ、人を救うと思って、どうか」
「お願い、お願いします……」
馬鹿かこいつら。
こうして僕に乗せられて無駄なことを語っているうちに、時間などあっという間に過ぎていく。もう、どれくらい経った。あと、どれくらいだ。
さあ、お前も話せよ。
男のほうへ視線を向ける。
男は、僕を見て、にやりと笑った。
「わかった。神が言葉を下さった。名乗り出よう。私が、裏切り者だ」
「試験は終わりです。お疲れ様でした。松木剛志は、現時点で試験終了です」
疑問を浮かべる暇もなかった。
男の首が、ポロリと床に落ちる。血が噴出し、赤いシャワーが僕たちを襲う。
彼の手から落ちたカードが、表を向いた。そこには「裏切り者」という文字が、確かに記されていた。
反応を示したのは、女だった。
「どういうこと?」
彼女の持つカードも、裏切り者だった。
牧田も、僕も、裏切り者のカードを見せた。
「全員裏切り者だったと言うことか」牧田が、頭を抱えた。「ふざけやがって」
しかし僕は、別のことに考えを巡らせている。
遅れてくる、疑問。
なぜ彼は名乗り出た?
そしてなぜ、全員が「裏切り者」のカードを手にしていた?
それが何を意味するのか、この時点では全く、見当も付かなかった。
「さあ。皆さまは次の部屋へ」
――
某所にて、ひとつの死体が発見される。
所持品から、亡くなったのは都内に通う男子高校生の、鈴木太陽であることが判明した。