数取
「あなた方にはこれより、数取りを行っていただきます」
頭上から降る、と形容したものの、実際に天井から声が聞こえているのかはわからなかった。スピーカーのようなものは存在しない。天板の向こうに隠されているのだろうかと考えるほかにはないが、そんなことはこの際どうでもいい。
「数取り?」
隣で牧田が呟く。同様の感想だった。
声は続けて「ルール」を説明した。それは一般的に行われる数取りゲームと同じで、一人一から三までの数字を自由に足していき、最終的に三十を言った人間の負け、というシンプルなものである。通常は二人で行われることが多いが、今回はそれを五人で行うと言うことらしい。それぞれが何も考えず三ずつ足していったとすると最短で二周で終わる。
「なによそれ」
女が叫んだ。全く、同様の感想だ。
だが、女のほかに怒号を挙げるものはいない。逆らうことに意味がないからだ。この状況下において、うかつに言動を起こすのは得策ではない。ましてやこうなってしまった以上、牧田と名前を交換し瞬間的にでさえ結託したことが悔やまれる。
この場合においての「負け」には、よくない付加価値が存在するはずだ。
そんなことは誰に問わなくてもわかる。ましてや相手は力ずくで監禁を為しえる人物なのだ。何をするのも厭わないだろう。
そうなると、名前や言葉を交わし、親密になることは極力避けるに越したことはない。近しくなればなるほど、切りがたくなる。自分こそが生き残るためには孤独でいたほうがいい。情が移ったらその時点でゲームオーバーだ。
「三十をコールしたものは、ここで終わり。それ以外の人間は次の部屋へ移っていただきます」
声は無機質のまま続ける。平坦だ。感情がない。
「終わりって……」女が蒼白のまま漏らす。「死ぬってこと?」
「いや」牧田がすかさず否定する。「単純にこのままここに留まるという意味かもしれない」
「それにしたって閉じ込められたら死ぬに決まってる」牧田は何も言わなかった。女は天井に矛先を向けると、「ねえ、終わりって、死ぬってことなんでしょ、そうでしょ」
喚いた。
声はしかし、答えなかった。交渉に応じる相手ならば、こんなゲームを仕掛けては来ないだろう。この相手には良心などないと思ったほうがいい。
「やるしかないと、思います」知らず、そう言っていた。女の姿に辟易としたせいかもしれない。「自力で出られるあてもない。それ以外に道はないと思います」
「そうだ、やろう、やりましょう」
大声に驚き、出所を探すと、先ほどまで唸っていた少年だった。目は爛々と光り、零れそうな笑顔を振りまいている。いち早く、狂ったか。そう思うに足る様相だった。
牧田は渋々と言った表情で頭を掻いた。彼にしても、従うほうが賢明な判断だと理解しているはずだ。強いて言えばプライドが、この幼稚な犯罪者の指示に従うこと、つまり自分が下り他人の思惑に左右されることを嫌っているのだろう。自分は特別であると、そう認識している。
無言の男もようやく立ち上がり、ひとつ頷いた。この男は数取りが始まったら声を発するのだろうか。
「やだ、やだ。なによ、勝手に……」女だけが唯一、参加表明をしなかった。「私、死にたくない。やだ、死にたくない……」
頭を抱え、駄々を捏ねる子どものように振る。始まらなければ、終わらない。彼女が参加しないことは、選択肢として存在しない。手を捻ってでも、参加させねばなるまい。
呪詛のように言葉を続ける女に苛立ち、歩みを進めようとしたところで、
「大丈夫ですよお姉さん。僕が三十を言います」少年が高らかに宣誓した。「僕が三十を言いますから、皆さんも僕が三十を言えるように、回してください」
微笑が恐ろしい。本当に狂ったと見える。
だが、そう言うのならば、乗らない手はない。
「だ、そうです」
「やだ、やらないわよ。その子が最後に裏切らないって保障はないわ」
「ならあなたの順番は彼の前で構いません。彼が裏切り、二九でコールを終えたとしても、あなたは死にません」なんなら、と付け加える。「僕が彼の次になりますよ」
彼女は頭の中で、この言葉の意味をしばらく考えたようだ。そして冷静さを欠いていた自分を恥じるように咳払いをひとつすると、静かに立ち上がった。
そうしなければならないと言う「ルール」は通達されなかったが、僕たちはコールする順番どおりに並び、円を描いた。牧田を始点とし、時計回りに、女、少年、僕、無言の男、そして牧田に戻るという小さなサークルになる。
声は「ルール」を伝えたきり黙ったままだ。必要なことを述べた以上はただ見ているだけというスタンスでいるらしい。大した立場だ。
「始めるぞ」牧田はおずおずと声を漏らす。「一、二」
女に順番が回る。「三、四、五」
「六、七、八」少年は考える気すらないようだ。
「九」二人でやる場合における必勝法はわかったが、五人となると途端にそれも不明になった。「十」
「……十一」ようやく出た男の声は、低く重く、何か不吉なカウントをされているような気分にすらなる。「十二、十三」
牧田に戻る。「十四、十五」
「十六」女はすでに頭が回らないらしい。「あ、っと、十七、十八」
「十九、二十、二一」少年には躊躇いもない。
ここで瞬間的に、様々なことを考えた。どうにか、少年以外の誰かを蹴落とすことが出来ないだろうか、ということだ。
少年にとって、「負け」は恐ろしいことではないらしい。であるならば、今現時点でルールの開示されている今回の数取りではなく、次の部屋で待つ「試験」とやらで彼に犠牲になってもらうのも、ひとつの手だ。
今の順番で僕は二二から二四までの数字をコールすることが出来る。仮に最大の二四まで唱えたとして、ほかの人間が一ずつ足し、隣の少年が手のひらを返し二つ足せば、三十をコールするのは僕ということになる。
いや、この段階まできてしまうと、どの数字を唱えても絶対安全とは言えない。ほかにプレイヤーが四人もいるのだ。通常の数取りとは話が違う。四人もいれば合計で四から十二までの数字を足せてしまうのだ。予め打ち合わせもしていない。実際には誰がいくつ足すのか、誰にもわからない。つまり、どうとでもなってしまう。
無駄な思考は終わりにしよう。
「二二、二三」
男は同様に思考を巡らせたようだ。そして、にやりと笑った。
「二四、二五、二六」
上限まで数字を足して次へ回した。
これで、彼は安全圏に入った。全員がひとつずつ足しても、彼には届かない。
そして牧田は、ほっと溜息をつく。一度僕のほうを見て、にこりと笑った。
「二七、二八」
こうすると、僕も牧田も次の出番はない。少しでも会話をしておいて、今は助かったと言う心地だ。
一方で、女は表情を曇らせた。当然だろう。いくら「負け」させてくれと言っている相手であっても、その「負け」が何を意味するのかわからない状態で、自分こそが引き金を引かねばならないと言う場面になれば、誰だって恐怖する。しかし彼女自身だって当たり前に助かりたいし、少年を救うために犠牲になる必要が本当にあるのだろうかと、葛藤しているに違いない。
苦渋に満ちた表情は、恐らくポーズではない。人間は誰だって生きたいが、生きたいからこそ身近な死を忌避する。自分が死ぬのも、自分の周りで誰かが死ぬのも、出来れば経験したくないとそう思っている。
しかし、少年は笑みのままだった。
「さあ、早く」恐ろしげもなく、ただ嬉しそうに、繰り返す。「早くコールを」
これが後押しになったのかはわからない。
「二十……、九」
女はついにそう言った。
少年は、ありがとう、と呟いた。
「三十」
「試験は終わりです。お疲れ様でした。鈴木太陽は、現時点で試験終了です」
声が降る。
緊張が張り詰める。
が、何も起きない。
一番不審がっていたのは、少年だった。
「なぜだ? おかしい……」
おかしい? 彼は何を知っているのだ。
牧田も同様の疑問を抱いたようだ。
「おい、それは、どういう意味だ」
「おかしいんだよ、だって僕は――」
言い終わらぬうちに、彼の頭は破裂した。肉片が飛び散り、血しぶきが舞う。誰もが、自分の顔についた彼の痕跡を、拭うことさえできなかった。何が起きたのか、こういう場合どのような感情を覚え、どのような行動に出ればいいのか、咄嗟には判断できなかった。呆然と、ただ少年だったものを見るしか、できなかった。
「さあ。皆さまは次の部屋へ」
声は無慈悲に、先を促す。
開かずの扉が、上へスライドし、次の部屋が見えた。