3-10(87) 準備できた
爺さんに召喚されるのは午後九時と決められている。
朝、異世界に移動して、夜は向こうに戻って寝るという、葵ちゃんと爺様の連携によって成り立つお金とカードの節約術であり、爺さんの僕たちへの気遣いでもある。
せっかく異世界へ行くってんで、夕方以降の時間も使って小夜さんや知り合いと旧交を温めてきなさいってね。
爺さん、異世界と僕たちが関わることについて最初は厳しい姿勢を見せていたのに、なんか軟化してきてる?
いや、ダジャレとかではなくね。
リリス市にいたころに馴染みだった居酒屋で、葵ちゃんにその疑問をぶつけてみると、なんと爺さんは僕たちのことを多少は認めてくれているとの返事。僕たちが勤めてた牡牛の午睡のようなパン屋が向こうにも出店したら、喜ぶ人も多かろうとも言ってたっていうんでビックリ。僕たちと敵対するみたいなこと言っていながら、裏ではそんな評価をしてくれてたんだ? 僕もあんなパン屋ってかお菓子屋が向こうにもオープンしたら嬉しいもんね。案外同じ考えなんじゃん? そしたら、あっちへ戻ったら真面目にお菓子屋開業をめざそうかな。
と、プータローの僕が冗談半分で言ってみる。
「そうよッ。こんな事件さえなけりゃ、いまごろこっちの調査をしつつも向こうでお菓子屋を開くためにがんばってるとこだったんだからッ。今度の件が片付いたら、本腰入れてお菓子作らなきゃ。」
お菓子屋開業へ向けてのスタートを早く切りたいとばかりに、語気を強める玲衣亜。
あら、玲衣亜さん、興奮して大切なことを忘れてらっしゃる。
ゴホンッ、ゴホンッ、と咳払い。
その咳払いの意図を察した玲衣亜が「ああ?」と僕にガンをくれる。うわ、怖い。
「にゃ~。」
そこに葵ちゃんの猫の鳴き真似が被る。
「ん、おお?」
玲衣亜が意表を突かれたかのように葵ちゃんを二度見する。
僕、失笑する。
小夜さん、怪訝な表情で三人を睨む。
玲衣亜、テーブルに片肘突いて眉間を抑えながら呻く。
「辛い~、辛いわ~。かにゃしいわ~。」
その様子に僕と葵ちゃんが悪戯っぽく笑っているのに、伊左美は笑みの一つも浮かべやしない。おい、笑えよ伊左美。
そこから吹っ切れた玲衣亜は、これまで言葉を制限されていたせいであまり喋らなかった分を取り戻すかのように、にゃあにゃあ語で喋り始めた。
うん、玲衣亜はノリがいいからねッ。
っていうんで、楽しく会話をしていたつもりだったんだけど。
「玲衣亜。そのクソふざけた喋り方は、わざと……なのか?」
小夜さん、数度目の“にゃ”にとうとう怒っちゃった。
「わざとって言われるのは心外だわ。」
「じゃあなにかい? 良心的に解釈して、な行の発音ができなくなったとか?」
「そんなんじゃないわ。罰ゲーム。単なる罰ゲームだから、そんなに気にしないで。」
「ふッ、人を不快にする罰ゲームとか。なに? その罰ゲームは苛立った人から殴られるとこまで含まれてると解釈すればいいのかい?」
「ああッ、ひょっとして、怒ってるのぉ?」
「ふ、いまのそれも含めて結構、ムカついてる。」
「判るッ、判るわぁ~、その気持ちッ。ホンットすいませんでしたッ。調子ん乗ってましたッ、こいつらが。」
玲衣亜が謝ってペコリと頭を下げたと思ったら、次の瞬間には葵ちゃんと僕を指差しているじゃないか。
「失礼しましたぁッ。」
玲衣亜に続いて、テーブルに打ちつける勢いで頭を下げる葵ちゃん。
この件に関しては葵ちゃんも積極的に動いてたからね、仕方ないね。
ふざける相手が悪かったんだ。
ん? なんかみんな僕の方を見てる?
謝れってこと?
「ま、玲衣亜の猫耳ライフも今日で終わりかな? 人によっては舐めてんのかコラーッってなるしね。」
僕の言葉にみんな無言。
こっちを見たまんま固まってる感じ。
お前らっていつからそんな統率取れるようになってたの? ビックリするわぁ。
「す、すいませんでした。」
ブッ。
僕の謝罪に小夜さんが噴き出す。
「え? なんでそこで笑うの? 言うタイミングのせいですか? なんなんすか?」
僕は小夜さんに断固抗議するッ。
「ごめん、ごめん。いや、聞きたい言葉が聞けたからいいんだけどさ、なんか可笑しくてね。」
こっちは悪気もないのに謝ったってのに、可笑しいはないだろぉッ?
「靖さんの言い方からは誠意が感じられませんでしたからね。」
おい、葵ぃッ。お前も親しくなると辛辣になる口か?
「元々誠意なんて腹にないんだから、口からも出てきやしないんだよ。」
玲衣亜はなにを葵ちゃんに解説してんだッ?
もう泣こッ。
今日は枕を濡らして寝るわ。
そうして異世界一日目の夜は更けていった。
四日目の晩に虎さんが仙人の里から戻ってきたんで、五日目から虎さんも加えて異世界へ転移する。屋敷への帰りが遅くなったのは、言うまでもなく会議が長引いたからにほかならない。ちらっと聞いた話では、連邦がどこから侵攻してくるか判らないから、連邦と接する国境を全体的にカバーすべく仙道と兵士を配置することにしたんだってさ。無論、聖・ラルリーグ側も準備が整い次第、侵攻を開始するというから、すでに戦争は始まってるんだと実感させられる。
さて、異世界の方だけど、虎さんが来たからといって、もう僕たちがどうこうすることもないんだよね。あとは小夜さんが捕まえたお金持ちに期待するだけですよ。だから、虎さんに僕たちが見てきた異世界って奴を案内してあげたんだけど、虎さん、すごく驚いたり楽しんだりしてたから、とても有意義な時間の使い方ができたと思う。
小夜さんが捕まえたお金持ちも余程世間に顔が利くのか、小夜さんに話を伝えてから一週間ほどで、紙と活字を用意してくれた。今後はその紙の入手ルートを確保しつつ、葵ちゃんが紙の輸送を担う。なにしろ連邦全域にビラを撒くんだから、今回入手した紙の物量だけじゃ全然足りそうにないからね。
そこからは虎さんの屋敷にて、ひたすら紙に活字を刷っていった。
『異世界を調査する同志へ告ぐ ちょっと話がしたいから、来年一月末日午後一時、ブロッコ国のテーム高原の三本杉に来てくれ 情報を交換して、今後のことについても話し合おうか』
刷った文句はこんな感じ。
簡潔で、あまり内容がない。
日時はいまからおよそ三ヶ月後。
二ヶ月で全域に撒き切って、待ち合わせ場所への連中の旅程に一ヶ月間を想定しているんだって。
それはいいとして、場所の指定に難がありそう。
三本杉で判るのかな?
場所の選定理由は、空から見ていてその三本杉がとても目立っていたからだという。
見通しもいいし、人里離れているから、謎の集団だけで来てくれれば、ほかに誰もいないというのも都合がいい、と虎さん。暗に謎の集団以外にも誰か来るだろうと予測してるみたいだけど、ま、そうだよね。むしろ、謎の集団がバックレて僕たちを捕えようとするほかの誰かが集まってくる可能性の方が高いのではないかと思う。
だから、この作戦も結構リスク高いんだよね。
潜入するよりは全然マシってだけで。
伊左美や虎さん、玲衣亜がこの作戦でいいと言ってんだから、いいんだろうけど。
さて、この一週間でひとまず準備は整ったし、僕はそろそろドロンさせてもらうとしますか。




