2-23(68) 行方不明者一名
異世界に戻った日の翌晩、私は引っ越しを提案した。
なにしろこのリリス市はあちらの世界の人たちにとっては異世界の玄関口になるのだから、そんなところに住んでいたら捜索隊がこっちに転移してきたと同時に“こんにちは”しちゃうわ。
大都市ならではのメリットもたくさんあるけど、そんなことを言っていられる場合じゃない。
玲衣亜さんはお菓子屋があるから、そう簡単には引っ越しできないと言ったけれど、これには私も反論した。
私と爺様は玲衣亜さんたちを探してもいないのに見つけたんですよって。
加えて、伊左美さんと靖さんの援護射撃もあって、なんとか玲衣亜さんにも引っ越しすることに賛同してもらえた。
玲衣亜さん、よっぽどこの街が好きなんでしょうね。でも、いまは堪えてください。
翌日、リリスを首都とするエルメスの国の地図を広げて、どこに引っ越すか話し合われた。
まず、みんな思い思いに自分の希望を挙げていく。
玲衣亜さん
田舎は御免で料理とお酒が美味しくってお菓子屋があるところ。温泉が近くにあればなお良し。
伊左美さん
工業化が進んでいて見るべきモノが多くある場所。
靖さん
前の二人と大体同じ。
ナナさん
この街を出ていくつもりはない。
あ、そうか。
途中からナナさんも玲衣亜さんたちの仲間だからと勘違いしていたけれど、彼女はあくまでルームシェアしているだけの間柄だった。
「みんなが出て行ったら、寂しくなりますね。」
ナナさんのことを考えると、少し感傷的な気分になる。
「ふん、静かになるしいいんじゃない?」
ナナさんが穏やかな笑みを浮かべる。
「確かに、いまは賑やか過ぎますもんね。」
みんなの方に目をやる。
「ちょっと、いま私のことうるさい奴って言ったでしょ?」
なんか玲衣亜さんが絡んできた。特に玲衣亜さんを見たわけじゃないんだけど。
「っていうか、いつもこいつうるさいなぁって思ってるんでしょ?」
うわぁ、お酒が直接頭ん中にでも入ったんだろうか?
今日の玲衣亜さんはいつもと感じが違う。
「玲衣亜はウチらのムードメーカーだからね、仕方ないね。」
靖さんがフォローする。
「え、もしかしていま私慰められた?」
「うん、慰められた?」
「おお? う、うん。まあ、いいんだけどね。ちょっと違うんだよねぇ。」
玲衣亜さんが下唇を噛んで不満そうに言う。
「馬鹿、靖はわざと狙って微妙に外してるんじゃないか。なあ?、靖。」
伊左美さんの解説。
「う、うん。慰められると余計に辛いときってあるじゃん。それよか適当ぶっこいて笑っとけばいいじゃんってね。」
嘘だ。だって、最初の返事が動揺してたじゃん。絶対なにも考えてなかったよね?
「その考え方も大概ね。ま、ま、いいわ。それより、ナナちゃん。この街に残るって? 初耳なんだけど。」
「ああ、私はあっちの世界の人間にもあまり面が割れてないし、リリスのような大きな都市の方が動きやすいからな。」
「動きやすい?」
玲衣亜さんが尋ねる。
「この街には田舎や違う国からたくさん人が集まっていて人口は多いが、そのぶん、隣近所の付き合いがほとんどない。みんな、自分以外のこの街の人がどうなろうと知ったことかどってことねえよッ、といった感じじゃない? だから、動きやすい。」
「なるほどね。んで、その目的は? できればあまり無茶はしてほしくないんだけど。」
「そうだな。目的は金蔓さ。十分な生活資金を引っ張れるパトロンを一人捕まえればそれで仕舞いだ。それで好きな音楽にでも興じながら、しばらくプラプラしてるさ。」
つまりこの街で大金持ちの旦那を引っ掛けようというわけね。
でもナナさんほどの器量があればそれが無謀な望みには聞こえないし、むしろ現実味があるわ。
「ああ、いいんじゃない? こっちで自分の好きな道を歩み技を研鑚することほど、素晴らしいことはない。」
伊左美さんがナナさんの言葉を肯定する。
「ん、いいと思う。」
玲衣亜さんも同意する。
「すまんな。さんざん居候した末にまた勝手をことを言って。」
ナナさんが謝る。
「はッ、気にすんなし。そもそもナナちゃんに仕事なんて似合いやしないんだから。」
「むしろ洗濯にお膳の支度とか全部やってもらって、すっごい助かってたし。」
「できる居候だったでしょぉ?」
唇を尖らせて小憎たらしい感満載のナナさん。
照れ隠しなのか、そう言ってあとに自虐的な笑みを浮かべている。
ナナさんの意外な一面を見たわッ。、
ま、こんな具合に話が脱線するものだから、引っ越し先の候補地さえなかなか決まらないのだけれど。それでも一週間で五ヶ所の候補が挙がり、私とナナさんで候補地巡りをするようになっていた。なにしろプータロー二人だから、平日から時間はたっぷりあるんだ。
「ナナさん、今日の気分は?」
「今日はセントレア城跡のあるアヴォール市に行ってみようか。天気もいいし。」
「はい。」
「ナナさん、今日の気分は?」
「今日は暑いから北エルメスに足を延ばすか。北ならちったぁ涼しいだろ。」
「はい。」
「ナナさん、今日の気分は?」
「今日は休み。」
「おおう。」
そんな具合に二、三泊の旅程で各候補地を巡る。
街の様子や料理、名産、主要産業などを調査して帰るといった具合。
で、いまは候補地の三つ目である南エルメスの海沿いの街プラターンを歩いている。白い砂浜にエメラルドグリーンの海。小さな港には小舟が停められ、穏やかな波にプカプカ揺れている。カラッとした陽気に潮風が気持ちいい。北エルメスの黒々とした海と比べると、こちらの海は怖いくらいに綺麗だわ。
「ここは他の街に比べて、まだ古臭さが残ってる感じだな。」
潮風に長い黒髪をなびかせながら、ナナさんが言う。
「チッチッチッ。この歴史臭いところがいいんじゃないですか。この海にゃ工場も大きな帆船も似合いやしません。そして昔ながらの海岸線には昔ながらの家並がマッチするんです。これこそこの街の財産です。余所が近代化すればするほど、比例的にこの財産の価値も鰻昇りでさぁ、ってなことがガイドブックに書いてありましたよ?」
「途中まで感心して聞いてたんだが、なんだ、ガイドブックの受け売りかい?」
ナナさんが呆れたような表情を見せる。
今日は爺様から召喚される日だ。
玲衣亜さんたちに召喚される予定があることを伝えるべきかどうか、毎晩悩まされたけれど、結局言えなかった。言えば、その後の私の行動が制限されるから。だから、今日私が爺様に召喚されることは誰も、もちろんナナさんも知らない。
ナナさんに警戒されないように、できるだけ自然体でいようとがんばってはいるけれど、いまかいまかと召喚の瞬間を待ちわびているから、厭でも興奮気味になってしまう。
ゾクッ。
おおおおおッ。ついに来たぁッ。
待望ッのッ。
召ッ喚ッ。
堤防の端ッこでぼんやり水平線に浮かぶ船を見ていた私は、ナナさんの視線が遠くにあるのを確認する。
「おおッとぉッ。足が滑ったぁッ。」
そう叫んで、そのまま堤防から海へダイブした。




