2-21 (66)戻ってきた
土曜の晩に、私たちは向こうの世界に渡った。
渡ってからすぐに爺様を訪ねるのかと思っていたけど、なんか違うみたい。
「じゃあ、今日はもう遅いから、とりあえず葵ちゃんちに行ってみようかッ。」
玲衣亜さんが声を弾ませる。
訪問するには遅い時間というのは判るけど、なぜ私の家なのかが判らない。伊左美さんに視線を向ける。それでいいの? って感じ。
「じゃあ、葵ちゃんの家に行く?」
お、おおッ? 私に確認するわけ?
ああ、これはもう決定事項なわけね。
「あッ、でも待ってッ。温泉に行ってからにしよッ?」
あああ、あっちへこっちへと忙しないなぁ。はいはい、温泉、温泉ねッ。
玲衣亜さんのリクエストにより、私のおススメの温泉へ案内する。
その名もアライグマ温泉。
綺麗になるからこの名前らしい。
私のおススメなのに、なぜか番台で玲衣亜さんが久しぶりとか声をかけられて話をしていた。なんだ玲衣亜さんも来たことあるのかというガッカリ感と玲衣亜さんは番台の人に覚えられているのにという敗北感。極めつけは「この温泉を選ぶとは、葵ちゃんのセンスも悪くないね」という上から目線の一言。ああッ、なんか悔しいわッ。あ、でも胸だけはちょっと勝ってんじゃない? ま、どうでもいいのだけれど。ナナさんの前でそんなどんぐりの背比べをしても虚しいだけだわ。
それに玲衣亜さん、まるで極楽浄土に来たかの如く癒されまくってるみたいだから、こちらとしては白旗を上げるしかない。好きの度合いが違い過ぎる。
湯から上がると、待合室では伊左美さんが長椅子に寝そべっていた。
「ごめん、待った?」と玲衣亜さんが声をかけると、「いや、いま出たとこ~」と抑揚なく答える伊左美さん。あら、これは私とナナさんに気を遣っているのね。伊左美さんったら優しいんだからッ。
温泉に浸かりすぎたせいか、時間も遅くなったので私の家ではみんなサッサと寝てしまった。
いや、いいんだけど、ホントになぜウチにしたのかッ?
みんながスヤスヤと幸せそうな寝息を立てているのに、私一人、明日の爺様の説教を想像してなかなか寝付けない。ああ、明日が怖い。
翌朝、ナナさんを観光のためにとしろくま京まで送り届けたあと、爺様を訪ねて仙人の里へ。
だけど肝心の爺様が家に居ない。またどこかフラフラしてるんだろうか。
爺様の行くところなんて心当りもないので、そのまま夕方まで爺様の家で待ったんだけど、いつまで経っても帰って来ない。仕方ないので、仙人の里をぐるっと捜索してみて、最後にまた爺様の家に顔を出してみようということになった。
夏も近いとあって、里には夕涼みに出ている人がたくさんいて、いろんな人が玲衣亜さんと伊左美さんに声をかけてくる。
なになにッ? この二人って里の人気者なのッ?
玲衣亜さんによれば、伊左美さんが若いころに悪さばかりしていたから顔が割れてるんだと言うし、伊左美さんによれば玲衣亜さんが若いころに悪さばかりしていたから顔が割れてるんだと言うし……。なるほど、二人とも悪ガキだったんですねと返せば、そんなことはないと言うし。
声をかけてもらえるのを幸い、異世界騒動について尋ねてみるも、誰もそんな話は知らないって。もしかすると、異世界騒動については仙道でも上層部の人たちにしか周知されていないのかもしれない。とすると、まずいなぁ。玲衣亜さんがそのことを知っている、というのは不自然じゃないだろうか。それとも虎さんのお弟子さんだから、知っていても問題ないのかな。
異世界の件と併せて爺様の行方を尋ねてみても、誰も知らないと言うばかり。
いつも仙人の里にいるはずの爺様が見つからないので不満げな二人に対し、私は会えなけりゃ会えないでもいいやと、いや、むしろ会わない方がいいとさえ思い始めていた矢先。
前方から黄さんが歩いてくるじゃない?
ああ、爺様の次に会いたくない人物に遭遇するなんて、運がないわ。
私は気づかない振りでやり過ごそうと思っていたのに、なんか玲衣亜さんと伊左美さんの二人がやはり捕まっている。ホンットこの二人はッ。
「ジジイ、相変わらず暇そうね。」
黄さんの挨拶に対し、開口一番悪態を吐く玲衣亜さん。
なんか黄さんって、会議のときは天さんの隣に座って司会進行までして偉い人って感じだったのに、実はご近所の気さくなお爺さんって感じなの?
「ふん、そう邪険にするものじゃない。もう旅は終わったのかい?」
「耳聡いわね。いえ、用が済んだらまた出て行くわ。」
あ、玲衣亜さん、里の人たちには旅に出るって話して出てきたんだ。
「伊左美はこっちに戻ってくる気になったのかい?」
「いえ、まだそんな落ち着いてませんよ。」
「え? ちなみになんで玲衣亜と一緒にいるんだ?」
「そらぁ玲衣亜が強引に旅に誘ってきたからですよッ。」
「あら~、伊左美もがんばれよ。」
「言われなくても、もうがんばってますよ。」
「あのぅ、そういう話は本人のいない所でしてくださるかしら?」
黄さんと伊左美さんの会話に、玲衣亜さんが不平を漏らす。
「ふふ、玲衣亜は陰口とか嫌いだろ?」
と黄さん。
「まあね。陰口言うくらいなら、本人に直接言った方がいいもん。」
と玲衣亜さんが言えば、それをなぞるように「陰口言うくらいなら、本人にも聞かせてあげた方が本人のためになる」と黄さんが言う。
「おお、そうきましたか。まあ、私は気にしないけど?」
「そうそう、だから玲衣亜の前で遠慮はいらないでしょ?」
黄さんの言葉を受けて、伊左美さんも「玲衣亜のいいところは遠慮のいらないところだからなッ」と笑う。
ぶうぅ、と玲衣亜さんむくれちゃった。
それからしばらく世間話をしてたんだけど、黄さんが珍しく仙人の里をプラプラしている理由を尋ねたところ、異世界の件が話題に上る。玲衣亜さんが「蓮さんがそんな事件に首を突っ込むって珍しくない?」と問えば、「私は元々首を突っ込もうと思っちゃいないが、まだ役者が揃っていないからね。配役を終えたら、ジジイは手を引くつもりだ」とおっしゃる。黄さん、こないだウチの爺様に“この件で蚊帳の外でいられる者なんて誰もいない”とか脅してなかったっけ? なのに黄さんも高見の見物を決め込もうとしてるだなんてッ。しかも配役を終えたらって? 爺さん二人が無責任なのはいいとして、黄さんはなんだかこの事件を楽しんでる節があるからなおのこと性質が悪そうだ。
そんな私の恨めしそうな視線のせいか、「あ、葵さん?」と黄さん、やっと私の存在に気づいたみたい。気づくの遅いですよ。
それから話題は爺様におよんで、ついでとばかりに黄さんにも爺様の所在を尋ねてみる。ただ、玲衣亜さんが爺様のことを“じいじ”と言ったものだから、黄さん不満気に「なんで爺さんがじいじで、私がジジイなんだ?」と不平を口にする。それに対して玲衣亜さん、「おそらく人柄がモノを言っているんだと思われます」だってさ。
「ま、どっちも爺だけどね。でも、呼び方は変えなきゃ、どっちがどっちか判らなくなるじゃん?」
玲衣亜さん、それフォローになってません。
結局、黄さんも爺様の所在を知らなかった。
ただ、玲衣亜さんと伊左美さんに対して、虎さんが天さんの屋敷にいるから、顔くらい出しておけと。
一瞬、目眩がした。
チーム靖に所属したことが虎さんにも知られてしまうッ。
私の中では、チーム靖に所属しているのはあくまで向こうの世界の私だったのにッ。
なんだかあっちの世界の私とこっちの世界の私が、互いに互いを徐々に浸食していくみたい。混ざり合って、同化して……。
ああ、このままじゃ異世界の意味がなくなっちゃうッ。




