2-17(62)尾行
この小高い丘から見渡せる風景が好きだ。
街を貫く河。
幾筋と架かった橋。
橋の上をゆく人だかりに馬車。
橋の下をゆるゆると進む舟。
河のほとりに佇む水鳥。
河の向こうにはまた丘があり、丘の斜面を埋めるように人家が並んでいる。
丘の上に大きな雲。
空が近い。
空が落ちてきそうな錯覚さえする。
街の南西には鉄道駅があり、轟音とともに黒煙を吐き出しながら汽車が遥か彼方へと猛進する。
異世界の人たちは化け物を作りだしている。
パルマの親方がどんなに馬に無茶させたって、汽車の輸送力には敵わない。
汽車が駅を離れると、その走る姿を目で追いながら、その行く先にある世界を想像する。
実際、一度汽車に乗って海岸沿いの街まで行ってみたことがあるけど、港の景観も良かった。猛スピードで過ぎ去ってゆく車窓を眺めているのも愉快だった。
想像するのとは一味も二味も違う景色。
一見、変わらないように見えても、その街その街に漂う空気がある。
終着駅まで行ってみたい衝動に駆られるけど、いつも中途でフラッと降りている。
終着駅は最後のお楽しみだから。
前回異世界に来たときに爺様から預かって、まだ返していない転移の術のカードを取り出してみる。
ホントにただの厚紙に落書きされているだけのような代物なのに。
あれから私もカード作りに挑戦したけど、できる気がしない。
一体、どんな仕組みになっているのかつくづく不思議。
相楽一もカードだけ遺すんじゃなくて、作り方も遺しておけって話だよね?
あ、でもみんなが気軽に行けるようになったらまずいか。
さて、そろそろ日も落ちてきたし、玲衣亜さんたちの動向でも伺いに行きますかッ。
爺様に居場所を発見されて、なにか動きがあるだろうと二日前から玲衣亜さんを追っているけど、いまいち動きがない。三日目ともなるとくじけそうになる。退屈で仕方がない。三日坊主とはよく言ったものだと、人生数度目の実感。
今日も今日とてパン屋の出入り口を見張り、玲衣亜さんが出てくるのを待つ。
なぜ玲衣亜さんなのかといえば、先日の会話から玲衣亜さんがこの世界での行動の主導権を握っているように感じたから。一番前面に出てくるっていうか、主張が強いっていうか。
お、出てきた出てきた。
今日も真っすぐ家に帰るのかな?
なにもなければそれに越したことはないのだろうけれど、なにかあるのであればさっさとそれを見せてほしい。ああ、不毛だわ。
夏も近づき、薄暮の時間が目に見えて長くなった。
往来が明るく、人通りも多ければ気配を消すことにあまり気を払わなくていいのでありがたい。
玲衣亜さんは今日も家に向けていつもの道をぐんぐん進んでいる。
と思ったら、あら、いつもと違う道へ曲がった?
急げ急げ。
玲衣亜さんを見失ってはいけないと、やや小走りに曲がり角に向かう。
角から顔を覗かせると、小路の先に玲衣亜さんの後ろ姿が見える。
人通りもないので、振り向かれればそれだけで私の姿を視認されるわけだけど、サングラスと鬘で変装しているので、私が誰なのか、までは判りはしないだろう。
ん?
ふと覚える違和感。
うん、この建物、この看板はさっきも見た覚えがある。
玲衣亜さん、さっき通った道にまた戻ってきたんだ。
なんだろう?
道に迷ったのかな?
疑問符が頭に浮かんだが、とにかく玲衣亜さんの尾行を続ける。
あッ、まただ。
また同じ建物、同じ看板、同じ曲がり角。
おっかしいなぁ。玲衣亜さん、なにしてんだろう?
そうしてまたしばらく歩いたあと、玲衣亜さんが足を止める。
ドキった。
とても、心臓に悪いわ。
同時に足を止めるのも怪しいので、私は歩みを止めるわけにはいかない。
玲衣亜さんとの距離が詰まってゆく。
素知らぬ振り、素知らぬ振りだ。
狭い小路。
玲衣亜さんがこちらを向く。
一瞬、目が合う。
いや、だけどこちらはサングラス。
視線までは読み取られないはずだ。
「三周。」
玲衣亜さんが私の方を見て言った。が、気にしない。反応してはならないッ。
やや身体を捻りつつ、玲衣亜さんの脇を通り過ぎようとする。
「同じ道を三周。」
ああッ。
明らかに尾行がばれているッ。
咄嗟に駆けようとした瞬間、バランスを崩して石畳に手を着く。
反射的に身を翻し、玲衣亜さんを警戒しながら身体を起こす。
足を引っ掛けられたッ?
「同じ道を三周もした理由を教えてくれないかしら?」
そんな質問、答えられないッ。
声を聞かれたら、私の正体がバレる。
黙って後ずさりする。
玲衣亜さんに私を追おうとする素振りはない。
肩幅に足を開いて、腕組みして、どっしりと構えている。
意図は図りかねるが、見逃してくれるのか?
やや距離が空いたところで、向きを変えて逃げようとしたが人にぶつかって足が止まる。
ナナさんッ?
この人は玲衣亜さんの仲間だッ。
突き飛ばそうとするが、身体が動かないッ?
なんでッ?
「彼女を、尾行してたろ?」
なんだか嘘みたいに、身体に力が入らないッ。
なに? この感覚?
「質問に答えな。あんた、彼女を尾行してたろ?」
なにかされたッ?
術ッ?
でも、ここでは術は使えないはずッ。
ああ、なんなのこれッ?
「耳が聞こえないのか?」
ナナさんににじり寄られ、やや落ち着きを取り戻す。
が、そこでナナさんの手がサングラスに伸びる。
ああ、ダメだ。正体が……。
「葵……ちゃん?」
私の顔を見て、玲衣亜さんが驚いている。
「ああ、このあいだウチに来てた……。」
ナナさんも思い出したよう。
「す、すいません。」
完全に力が抜けてしまって、私は道端に崩れ落ちた。
目に涙が溢れていることが、情けなさに拍車をかける。
「葵ちゃん、だよね?」
私は黙って頷いた。
「葵ちゃんのじ~じも言ってたけど……。今度会うときは敵だと思えって。それって、私たちが相手を警戒するのは当然だけど、議会側だってリスクを自覚して私たちを警戒しなくちゃいけないんじゃないかな? つまり、葵ちゃんにとって私たちが敵なら、私たちにとって葵ちゃんは敵ってことだよね? そこのところは、判ってたよね?」
玲衣亜さんは深く息を吐くと、優しく諭すように言った。
これは死刑宣告と受け取ればいいのかな?
一瞬、気が遠くなる。
いろんな“たられば”が思い浮かぶ。
そして、なにも考えられなくなった。




