2-14(59)集合した
一度『牡牛の午睡』を出た私と爺様は、近場の公園で時間を潰して、夕方になるとまたお店のある通りに戻り、玲衣亜さん(真?)が出てくるのを待った。
それにしても、「虎神陽が死んだ」とは大したカマかけだ。
嘘でも言ってはいけないことの一つだと思うけど。
事実、玲衣亜さん(真?)はかなり怒っていたようだったし。
夕焼けの赤が街を染め、頭上に微かな星明かりが見え始めたころ、玲衣亜さん(真?)が店から出てきた。出てくるときは同僚を伴っていたが、すぐに別れて一人歩き出す。爺様と私はその後を追う。彼女の帰るところに、向こうの世界の仲間がいるだろうと推測して、その根城を押さえようという算段。彼女だけならまだそっくりさん説が成り立つけれど、知った顔が何人もいれば、間違いなく向こうの世界の一団と認定して差し支えない、というわけだ。
一〇分ほど歩いたところで、玲衣亜さん(真?)が一軒のアパートに入った。
エントランスの脇に『希望の港館』という看板が提げられ、壁には『廉価』、『空き部屋あり』の薄汚れたビラが貼られている。
エントランスに近づきつつアパートの外装を確認し、彼女を見失わないように急いでドアを開けてアパート内に入る。
目の前に現われた階段。
一階と二階の間の踊り場に彼女の姿はない。
見失ったな。
間もなく、爺様もアパート内に入ってくる。
「見失った。」
忍ぶように小声で言うと、爺様は「こっち」とだけ言って階段を上り始める。
状況をよく把握できないまま、爺様のあとを追う。
爺様が足を止めたのは三〇一号室の前。
「玲衣亜以外の、オレの知らない誰かが出てきたとしても、有無を言わさず部屋に飛び込むからな。」
「え? なに言って……。」
「仲間の姿を確認して、ハズレなら転移で逃げる。オレと一緒でなくてもいいから、指示したらすぐにカードで転移してくれ。」
コン、コン。
ノックの音が踊り場に響く。
反応がないので、さらにもう一度ノックする。
中から「はいはい~」という男の声。
ドアから顔を出したのは、やはりこの世界ではあまり目にしないタイプの顔立ちの男だった。どちらかといえば、私たちの世界でよく見かける顔だ。
「あ、ごめんください~。」
爺様が柔らかな口調で言ったが早いか、次の瞬間には「本当にすいませんッ」と言いながら男の脇を掛け抜ける。
男はあまりのことに反応できず、爺様の通過を許してしまう。
男が爺様の方に気を取られている隙に私もッ、と通り抜けようと試みたが、襟首を掴まれて動きを止められる。
待ってッ、首が締まるッ。
「ちょっと、自分らなんなん?」
「ごめんなさいごめんなさい。」
険しい表情で言う男に対し必死で許しを請う。
終わった。
爺様、悪いけど、もう転移するよ?
「とりあえず、ちょっと来て。」
そう言って部屋内へ私を誘う男。
「あ、靴は脱いで。」
「あ、はいッ。」
あれ、こっちの世界って靴を脱ぐ習慣ってあったっけ?
廊下を歩いていると、部屋の方から爺様と女、男の声が聞こえてくる。
爺様は気負いなく朗らかな感じの声音。
一方、女と男は言い争いをしているみたい。
私を捕えている男は部屋に入ると「んん?」と首を傾げて、「知り合い?」と爺様を指して女と男に尋ねる。
お互いに状況が飲み込めていないようね?
少し、この男に同情する。
「ん、ま、まあ、一応?」
尋ねられた男が曖昧に答える。
「おう、一応なッ。」
爺様がその返事に愉快気に応じる。
「ホントに伊左美って、ときどき伊左美みたいなことするよね。」
玲衣亜さん(真?)が変な罵倒を男に浴びせる。
「は? 意味が判らん。」
「ふん、別に。」
「だって、じいちゃんが現われたらふつう挨拶くらいするだろぉ?」
「ふつうならねッ。でも、いまはふつうじゃないでしょッ?」
「まあ、そりゃそうだけど、条件反射って奴じゃん。」
「まったく、人が警戒してたのを台無しにしちゃうんだから。」
「おうおう、すまん。元はといえばオレが勝手に来たのが悪かったんだ。申し訳なかった。だから、もう喧嘩はやめてくれ。」
爺様が仲裁に入る。
「特に喧嘩なんてしてないし。」
玲衣亜さん(真?)が頬を膨らませる。
「あのぅ、この二人はいつもこんな感じですから、あまり気にされなくても大丈夫ですよ。」
さっきまで私を捕えていた男が困り顔の爺様に言う。
「うん、大抵判ってはいるつもりなんだがな。この二人も相変わらずみたいで、なによりと言っていいのかどうか。」
爺様の返事に、男は苦笑い。
「伊左美。」
唐突に男をよびつける爺様。
「金やるから、ちょっと酒と酒の肴でも買ってきてくれや。」
「ちょ、じいちゃん。人使いの荒さは相変わらずかよ。」
「文句はいいからさっさと行きな。」
「マジかよ。靖、行こうぜ。」
ぶつくさ言いながらも男は爺様からお金を受け取ると、もう一人と連れ立って外へ出ていった。
まったく、異世界に出没する集団とも顔見知りだなんて、爺様の顔の広さも窺い知れないわね。
「玲衣亜、さっきの、虎が死んだってのは嘘だよ。悪かった。」
あら、きちんと謝るのね。偉い偉い。
「いいよ、最初から嘘だって判ってたし。でも、それに反応しちゃう私もまだまだ修業が足りなかったってだけ。」
「重ねて、申し訳ない。ただ、どうしても玲衣亜たちに伝えなければならないことがあってな。」
「まあ、伊左美たちが戻ってきたら話してみて。ところで、お夕飯まだでしょ? あとでお使いに行ってくるから、ちょっと待っててね。」
「オレは酒があるから、大丈夫。気ぃ遣わなくていいよ。」
「遠慮するなし。」
「へいへい。」
「ところで、そちらの女性は?」
「ああ、オレの孫だよ。」
「あら、どうも、はじめまして。玲衣亜と申します。」
「あ、どうも。相楽葵と申します。よろしくお願いします。」
とりあえず挨拶だけ。
私にはアウェイ感が強過ぎて、この部屋はやや居心地が悪い。
初対面の人たちと、なにを話していいのか判らない。
話題が見つからない。
爺様の話の邪魔になるのじゃないか、と思うと、声が出なくなる。
煌々と灯るランプ。
部屋の奥、出窓の傍に一人の女性が腰掛けている。
彼女は爺様とは面識がないようね。
さっき、玄関で応対していた男も。
この二人にとって、爺様と私はただの迷惑な客なのかもしれない。
玲衣亜さんと伊左美さんにとっては、もっと迷惑でお呼びでない客なのかもしれないけど。
伊左美さんたちが帰ってきて、入れ違いに玲衣亜さんが部屋を出ていく。
椅子の不足を考慮してか、靖さんはリビングに備えてあるベッドに腰を下ろし、私たちと玲衣亜さん、伊左美さんとの関係など、ご挨拶がてらといったような感じで尋ねてくる。
窓際の女性は小説を読んでいる。
伊左美さんがみんなのグラスを用意してお酒を注ぎ、椅子に腰を下ろした。
そして爺様との関係を話し始める。
なんでも、玲衣亜さん、伊左美さん、爺様の三人は仙人の里でご近所さんだったらしく、爺様は二人がまだ幼いころによく面倒を見ていたのだとか。
で、靖さんはしろくま京のお役人らしい。ただ、本人曰く、いろいろな手続きを踏まずにこちらに来たものだから、いまもお役所に籍が残っているかどうかは不明なんだってさ。
窓際にいる女性はナナという名前で、こちらの世界で玲衣亜さんたちと出会って、数ヶ月前からルームシェアしているとのこと。
そして、玲衣亜さんが戻ってきたところで、夕食を摂りつつ本題に入った。




