2-13(58)パン屋
異世界初日はリリスの市街地を適当にプラプラして過ごした。
私はそのときに最前からの疑問である、爺様がリリスに来た目的を尋ねてみた。
「散歩だなんて言ってたけど、本当はこっちとあっちを行き来している連中を捕まえに来たんでしょ?」って。そしたら、「捕まえるってのとはちょっと違うが、そいつらの正体と目的を知っておきたいと思ってな」だって。いまのところ、爺様に連中を捕まえる気はないみたい。とことん議会に非協力的だわ。
夜になると、爺様はさらに目を見張り、異世界の変化に感嘆していた。
私は得意になって、そんな爺様に異世界を案内する。
ふだん、私が異世界へ遊びに行くことを良く思っていない爺様が、これを機にその考えを改めるのではという思いもあって。
実際、爺様はあらゆる物を観察し、感心しては、心を躍らせているようだった。
翌朝、街を歩いていて、子供たちの姿が目に留まりふと思い出した。
そういえば、以前来たとき、もう半年以上も前だけど、あのくらいの子供たちが“魔女が出た”という噂をしていたな、と。“道の真ん中に突然パッと現われた”って言ってたよね。当時は子供の他愛ない話として、気にも留めなかったが、もしかするとその噂はこちらの世界に転移してきた人間のことを指しているのかもしれない。
だけど、どこでその噂を耳にしたかとなると、記憶が覚束ない。
街の南の方だったか、西の方だったか。
ルオン河のこっち側だったか、あっち側だったか。
爺様にその噂のことを伝えると、同年代くらいの子供たちに聞いてみて、噂の真偽を確かめようという話になった。
そんなこんなでプラプラしていると、ある店先からパンの焼ける良い香り。
お昼前、天気も良いし、パンでも買って近くの公園で食べようかという話になり、私と爺様は『牡牛の午睡』というパン屋に入った。
時間帯なのか、店内には長蛇の列ができていて、カウンター越しに順々にパンやお菓子を注文している。カウンターの裏側の戸口からは、時折り男が焼き立てのパンをトレイに載せて持ってくる。この香りが客を釣るんだわ。
順番が回ってきて、注文に不慣れな爺様を脇に私が店員に注文すると、黒髪で目鼻立ちも私たちに似ている風の店員がパンを袋に入れて持ってきてくれた。
「あ。」
「あ。」
爺様が言うと、店員も爺様を見て同じような反応を示す。
「玲衣亜?」
爺様が疑問を口にする。
店員、しばらく固まっていたが、すぐに「はい?」と爺様に聞き返す。
その表情からは、この忙しいのになに? って感じがありありと感じられる。
「いや、すいません。知り合いに玲衣亜って女性がいて、あなたが彼女によく似ていたものですから。玲衣亜、さん、じゃない?」
爺様が謝りつつ再度、確認する。
「あらごめんなさい。私、キャミーっていうの。でも、その玲衣亜さんって方も、とっても可愛らしい方なんでしょうね。」
「それそれ。なんか玲衣亜っぽいんだが。」
「はいはい、これご注文のパン。四クーいただきます。」
ぼけっと爺様と店員のやりとりを見ていた私は、店員の催促に慌てて財布からお金を取り出した。
爺様は名残惜しそうだったけど、観念してカウンターをあとにする。
そのとき、後方から「玲衣亜ーッ、クロワッサンが足りなくなりそうだから、厨房にジャンジャン焼くように伝えてきてッ」との声が響く。爺様、即座にその声に反応してカウンターに引き返す。その後ろ姿のさらに先、玲衣亜と思しき女性がまるで爺様から逃げるようにカウンター裏の戸口へ姿を消すのが見えた。
カウンター前、列から外れた位置でしばらく待っていると、玲衣亜さん(仮)が戻ってきた。
彼女は私たちに一瞥くれたが、そっぽを向いてほかのお客に愛想を振り撒く。
焼き立てのパンをトングで掴み、慣れた手つきで次々と紙袋に放り込んでいく様は、見ていてとても楽しそう。
実際はとても忙しくて、楽しいどころではないのかもしれないけれど、彼女のリズミカルな動作、こめかみを伝う汗、白い歯を覗かせる笑顔が眩しくて、人見知りしがちな私としては、彼女がとても魅力的に映る。
隣では爺様が険しい顔をして彼女を見ているけれど。
あくまで彼女を玲衣亜さんじゃないかと疑っているようだ。
まあ、玲衣亜ってよばれてたしね?
しばらくして、客がはけたタイミングで爺様がカウンター前に佇む玲衣亜さん(仮)に近寄っていく。彼女は彼女で、爺様に気がつき下唇を突き出し呆れている様子。彼女、表情も豊かだわ。
「なに?」
爺様に先んじて、彼女が唇を尖らせて言う。
「お互い正直にいこうか? もう、見れば見るほどあなたが玲衣亜にしか見えないんだ。実際、玲衣亜だろ?」
「いえ違います。」
間髪入れずに彼女が答える。
「さっき、店員があなたのことを玲衣亜と……。」
「いえ違います。」
今度は爺様が言い終える前に、人を喰ったような笑顔で否定。
なにが違うのかは判らないけれど。
よばれてたじゃん? 玲衣亜って。
「じゃあ、店員に聞いてみる……。」
「やめてください。」
「すいませ~ん。」
「待ってッ。」
「すいませ~ん。」
二度目のよびかけで店員が気づき、玲衣亜さん(仮)を変な目で一瞥したのち、「どうしました?」と爺様に応対する。
「どうもしません。じいじ、ウチのクロワッサンが超美味しかったってんで、また買いに来たみたいなんだけど、あいにく売り切れでって話をしてたの。」
なぜか玲衣亜さん(仮)が店員に答えている。
「さ、そんなことよりお昼よ。ふつうに美味しいトーストでも齧りながら、ウチの超美味しいクロワッサンについて語り合いましょ?」
そう言うと玲衣亜さん(仮)は店員の肩に腕を回して、カウンター奥の扉へと歩を進める。
爺様もこれには肩を竦めて私を見る。
私は軽く首を横に振る。
彼女は怪し過ぎるけど、一筋縄ではいきそうにないねって感じ。
「玲衣亜ッ。虎神陽が死んだんだッ。」
不意に爺様が大声を上げた。
虎神陽といえば、会議の日の青年のことか。
死んだッ? って、嘘でしょ?
次の瞬間、玲衣亜さん(仮)が爺様の方を振り向いた。
その目は見開き、爺様を凝視している。
そんなに特別な反応を示しては、玲衣亜さん(仮)が玲衣亜さん(真)であると答えているようなものだわ。彼女、ちゃんとシラを切り通すつもりあるのかしら?
間もなく、扉の奥に姿を消す玲衣亜さん(真?)と店員の二人。
お昼のピークが過ぎたのか、閑散とした店内には店員一人がいるだけ。
甘いお菓子とパンの残り香。
陽が射し込んでくる窓の額縁には、可愛らしい小物類が飾られている。
「虎神陽って、会議の日に、私がおじいちゃんに召喚されたときにいた人だよね?」
「ああ。」
「その人って死んだの?」
「いや……、いや、知らない。」
「まあッ?」
「死んだって話は聞かないが、生きてるって話も聞かないから、もしかすると死んでるかもしれない。なにしろ、会議の日から会ってないからな。」
「じゃあ、生きてるんじゃないッ。」
「たぶん。」
深い溜め息とともに、私は頭を抱えた。




