2-6(51)焦げた
扉を開けると、そこには黄さんが立っていた。
「どうも、こんばんは。」
ニコニコ顔で挨拶してくるが、一体、なんの用があってきたのだろう?
いや、それ以前にどうしてここを知っているのかだとか、仙人の里とここまでとてつもなく離れているんだけれど、とか、そもそもここが爺様の家だと承知していたとして、なぜ爺様と私が不在であるはずのこの家を訪ねてきたのか、という様々な疑問が噴出する。
「どうも~。あのぅ、あいにく祖父はいないんですが。」
厭な予感しかしない。
居留守を使えばよかったと後悔しても、もう遅いし。
「いえ、爺さんじゃなくて葵さんに用があって来ましたので。」
ほらきたッ。
「私に、ですか?」
「ええ、これを。」
そう言って黄さんが差し出して見せたのは、私の鞄に引っ掛けていた七色の紐をまとめたストラップだった。
「お二人がお帰りになられたあと、あの部屋に落ちていたものですから。」
「すいません、わざわざ届けてくださったんですね。ありがとうございます。」
手早くストラップを受け取ると、では、失礼しますと会釈して扉を閉める。
閉めようとしたのだが、黄さんに遮られる。
「え~、素っ気なくないですか? 遠路はるばる来たんですよ? せめて中でお茶の一杯でもご馳走するのが世の倣いじゃありませんか?」
「そ、そうですね。失礼しました。どうぞ。」
爺さんのくせに厭に人懐っこい物腰。
私の非を指摘されているのに、全然非難されている気がしない。
指摘されると同時に、もう許されてるんだなと感じさせられる。
危ない危ない。
気を許してはダメよ。
黄さんは絶対になにかに勘づいているのだから。
黄さんは私の入れたお茶を褒めたあと、お代わりを要求しつつここまで来る苦労を話した。
なんでも黄さんは自身の相棒である霊獣こそ世界最速だと自負していたにもかかわらず、私の方が先にここへ到着していたことが悔しいらしい。上には上がいるものだねと一人で無暗に感心している。当然、私は無反応を貫く。迂闊なことを口走れないから、余計なことは喋らない。なにかを喋ると、相手になにかを読み取られてしまいそう。
ま、実際に半分はなにを言っているのか判らないから、口を挟めないというのもあるのだけれど、それよりなによりいまは、黄さんがこの場に居たたまれなくなって、早く帰ってくれればいいと願うばかり。
ところが敵も目的があるからだろう、私が発する早く帰れオーラなんてどこ吹く風とばかりに、滔々と一人で喋り続けている。
「葵さんは今日初めて仙人の里に来たんでしょう? これからも訪れる機会があると思うから、一丁、私が仙人の里での立居振舞いを享受してさしあげましょう」と黄さんが言ったとき、私はいろいろと諦めてついに夕飯を作る決意をした。
もう黄さんに構っていられないッ。
失礼? 相手の方がよっぽど失礼で図々しいのだから、気にしてはダメ。
それでも耳に入ってくる黄さんの講釈。
大抵の仙道は術を使えず、仙八宝という武器を持っている。
稀に術を使える者もいるが、どんな術を使えるかを議会に申告する義務がある。
その事実を秘匿した場合は極刑に処せられる。
とはいえ、その義務を知らなかった場合や、例えば三十路になった今日、初めて術を使えるようになったという場合には、前科さえなければ義務を果たしたことになる。
術師が己の術について申告しなければならない理由は、術の中には人を容易に傷つけられるものが多いから。一方、仙八宝を所持している仙道についてはそれぞれの師匠が把握しているため、わざわざ申告する必要がないのだとか。
そして、危険性の高い術を使う術師にはその術を封殺できる仙八宝を持つ仙道が複数名、監視役として付けられるらしい。
こんな話をされると、厭でも黄さんが言わんとすることは判る。
黄さんが話を続ける。
「例えば、火を生み出せる術師はまだ一五歳にもならないうちに監視を付けられています。可哀想ではありますが、これも運命というものでしょうね。」
ほかの術師がそうしているように、私にもその運命に従えというのか。
もしくは、義務を履行しない私を卑怯者よばわりしたいのか、ほかの術師に対する私の罪悪感を刺激したいのか。
ま、要は私が使える術についてさっさと情報開示しろというのだろう。
このタイミングでそんなことをすれば、怪しまれると判っていながらッ。
でも、黄さんはどうして私が術師だと判ったんだろう?
やはり、帰宅が早過ぎたのが、術の使用を臭わせたのだろうか?
いや、それにしたって、ふつうであれば一ヶ月かかる道程だ。今日到着した黄さんがなんの見込みもないままえっちらおっちら一ヶ月かけてやってくる私を待っていたとは思えない。とはいえ、黄さんがそんな暇人に見えなくもないのが判断を鈍らせるけれど、ま、常識的にないだろう。
つまり、黄さんはここに来る前から私が術師であることを看破していた可能性が高い。
だけど、あの屋敷での振舞いのどこに、術師だと窺わせるところがあった?
ない。思い当たる節がないッ。なにしろ、私はほとんど喋っていないッ。
だとしたら、黄さんの術?
他人の技を見破るとか?
いや、だとすればあの屋敷にいた時点で問い詰められていなければおかしい。
それとも、みんなの前で暴露する前に、私に考える猶予を与えてくれたということ?
それならそうとはっきりと言ってくれればいいのだ。
ううん、どう考えたものか。
他人の術を見破る術、というのも所詮は私の推測の一つでしかないし。
そこから間違っている可能性は十分にあるし、本当のところなんて黄さんしか知らないのだ。
そもそも、いまの一連の話にしたって、なんの裏もなく、ただただ仙人の里の常識を私に教えてくれているだけなのかもしれないわけで。
「んん? なんだか焦げ臭いですが、大丈夫ですか?」
ん? ああッ。
私のお肉ちゃんがッ。
「あらぁ、どうやら時すでに遅しのようですね。」
ああ、もうッ。ホントにうるさいんだからッ。
不意に耳に響く舌打ちの厭な音。
ただでさえ黄さんのせいで苛々(いらいら)しているっていうのに、自分で発した舌打ちのせいでさらに苛々させられる。
気を鎮めるために梅酒を注いで、一口煽る。
「ふふ、考え過ぎは身体に障りますよ?」
ぶふッ。
はあ? 本気で言ってるわけ? 面白過ぎて、噴き出しちゃったじゃない。
本当に、笑わせてくれるッ。
ケホッ、ケホッ、グフンッ。肺に少し入った。でも、おかげで少し冷静になれたわ。
「黄さん、お酒は飲めます? これ、祖父が漬けた梅酒なんですが。」
「嗜む程度には。」
「ふふ、これ、一〇〇年物の結構良い出来の梅酒らしいんです。お口に合えばいいのですが。」
グラスに梅酒を注ぎ、テーブルに置く。
「アテはすぐ用意しますんで、とりあえず飲んでてください。」
「ありがとう。」
「煙草は?」
「あ、吸っても問題ありませんか?」
引き出しから灰皿を取り出して、どうぞと言ってテーブルに置く。
帰ってくれと祈りながら徒に苛立ちを募らせるより、相手の懐に潜りこんで来訪の真意を探った方がまだ健全だ。
「なんだか急に常識的なお客様扱いになりましたね。なんだか調子が狂うなぁ。」
はい? 一体それは、どういう意味よ。




