序-5 (5) 初飛行ッ
「や~す~し~さ~ん、あ~そぼ~。」
玄関から間延びした声が聞こえてきたのは、異世界へ行ってから一〇日ほど過ぎた朝だった。
子供のころの友人が冗談で子供染みたような誘い方をしているのかと推測しながら、部屋を出る。
はあ? 玄関の引き戸から顔を覗かせているのは、虎さんじゃないかッ。
呆気に取られて、虎さんを眺める。
虎さんは僕の目を見ながら、「や~す~し~く~ん」と繰り返した。
ピシャッと襖を閉める。なんなんだ、アレは?
直後、ドンッドンッと襖が叩かれる。
「や~す~し~さ~ん、な~ん~で~?」
おおう、怖いわ。
襖を開けると、土間から身を乗り出してうつ伏せに寝そべっている恰好の虎さんがいた。
「ええ? ちょっと、なんしてんすか?」
「いえ、家主の了承も得ずに家に上がり込むのは失礼なので、こんな感じに。」
そう言って足をパタパタと動かしてみせる。うむ、どうやら足先は確かに土間についているようだ。でも、足先以外が完全に家に上がってるんだよね。
「虎さん。」
「どう?」
「ちょっと図書館に行ってさ、『失礼』の意味を辞書で調べてから出直してきましょうか?」
「嘘ぉ?」
「ホント。」
「セーフ、セーフ。」
「アウトでしょ。」
虎さん、立ち上がって服装の埃を払いながら言う。
「どうやら靖さんはこの手のおちゃめな冗談は解さないみたいだね。残念だよ。」
いや、誰もそんな冗談理解しないよッ。っていうか、そんなの気だるい朝にやることじゃないよね?
「あら、カード? カード並べてなにしてたの?」
そうやってまた家の中に勝手に入るし。まだ上がっていいって言ってないよね?
「ただカードの整理をしていただけだよ。」
「ふ~ん。」
純粋な調査目的のカードと販売用のカードとを仕分けしていたなんて、口が裂けても言えない。
「ところで靖さん、カードの枚数は数えてみた?」
「うん、ノーマルが百枚、異世界限定が二〇枚。で、こないだそれぞれ一枚ずつ使ったから、いまは九九枚と一九枚だね。僕の記憶が間違ってなければ。」
「最後の一言がちょっと気にかかりましたけど~、ま、いいでしょう。」
「ん、なんか気になるようなこと言った?」
「逃げ道。」
「はい?」
虎さん、黙々とカードを数え始めたよ。疑われてる? ホントのことを言ったのに。嘘吐けるわけないじゃん。僕は根が正直なんだから。
「確かに、九九枚と十九枚。」
「でしょ?」
「真実は闇の中。」
「え?」
「ああ、すいません。」
虎さん、苦しそうに首を横に振り振りして大きく息を吐いた。
そして、カードを数枚、僕に差し出してきた。
「え、なに?」
「これは靖さんのものです。こないだ言った、一割の権利です。」
「はあ。」
え、マジでいいの? なんか疑われてた感から失望された感へ変わったような気がするんですけど、気のせいですか?
「ええ、っと、まあ、アレですよ。もし調査が上手く進まずにカードが足りないッてなったときは言ってください。カードの一枚や二枚、都合しますよ。」
「ありがとう。」
これでいい? 大丈夫? 怒ってない?
ってか、アポなしで来る方も悪いよね。そんなだから、見る必要のないものまで見ちゃう羽目になるんだ。そうそう、そういえば、虎さんの用件をまだ聞いてないわ。
「ところで、なんか用でもあった?」
「ああ、そうだった。これから術のカード化をね、ある術師にお願いしに行くんだけど、一緒に行かないかと思って。」
ええ? 術師? なにそれ、面白そう。火遁の術とか水遁の術とか見れるのかな? あ、でも水遁は地味だから見なくていいかも。ああ、でも行きます。行きます。連れていってくださいッ。
術師のところへは虎さんのお弟子さん二人と友人と僕の五人で行くみたい。
お弟子さんは女性の方が玲衣亜で、先日異世界へ行った時にも顔を見せたお弟子さんだ。男性の方は伊左美といって、初対面のはずなのに、こちらもどこかで見た顔なんだよね。そうだ、図書館の司書じゃん? え、でも仙道なんでしょ? 他人の空似かしらん。で、友人はロアという女性だ。いいね、女性との付き合いも多いみたいで羨ましいわ。
その術師が住んでいるのは遠くの山の麓だっていうんだよね。
そんなところまで今日中に行けるのか疑問に思っていたけど、いま、確信した。これならすぐにどんなところにでも行けるよねッ。
って、虎が空を駆けてるんだけどッ?
なにこの虎?
うおお、すごいッ、すごいッ。どんどん地面が遠くなっていく。
おお、人が蟻みたい、街が玩具みたい。おお、遥か遠くの海まで一望できるッ。
ははは、この空は僕のモノだッ。僕はいま、世界を制したぞッ。
なんて優越感を覚えたのも束の間。
もう怖くて下を見れません。死ぬ、死ぬッ。これ落ちたら確実に死ねるッ。
なんなの? この拷問。
そらぁ、虎さんの腰に回す腕にも力が入るわけだけど、すると虎さん、「初めてギュッと抱きしめられたとき~、涙をキミの服で拭った~、ような~、気が~、しないでも~、ないね~、なんかね~」と妙な節をつけて歌い出した。あまりな歌詞に背筋に悪寒が走ったんで、腕を腰から放して衣服の裾を掴む。あ、やばい。これ握力が相当いるかも? って思ったところに、また変な歌が聞こえる。
「恋は青いうちが食べごろなのよ~、熟した恋なんて烏も喰わないわ~。」
やめてッ。なんか気持ち悪いッ。
なに?
虎さんに触れるなってこと?
落ちろっていうんですかッ?
クソッ、もうどうとでもなりやがれッ。僕は裾から手を放して今度は虎の背に抱きつく。ああ、これはこれで虎の背筋の運動がモロ伝わってリアルに気持ち悪いわぁ。
「靖さん、一ついいかい?」
なんだよ? この野郎。下手なこと言ったら落とすぞ。
「前にも言ったと思うけど、僕は男に興味はないから、一々奇妙に反応しなくてもいいよ。」
「はあ?」
あ~、ムカつく。絶対意図的に変な歌を唄ってたんだよね。いい加減にしろと思いながらも、僕はまた虎さんの腰に腕を回す。
「きつく~抱いて~、ワタチを安心させてよえ~。」
反射的に腕を放す。
虎さんが笑って言う。
「靖さんってあんなとこで働いている割に、初なんだ?」
あんあとこってなんだよ?
宮廷のことか?
あんなとこ呼ばわりしてたことを王様にチクるぞ。
クソッ、虎さんの人物がまだよく掴めないや。
ぼちぼち登場人物が増えていきます。




