一章 第42話 ノックノックッ
雀の囀りが、陽気な歌声に聞こえる。
そんな雀のことを羨ましく思う、陰鬱とした朝。
コーヒーを淹れると、その香り、味にも感慨深いものがある。
「これがこの世界での最期の一杯にならないことを、神に祈りましょうか。」
玲衣亜がウイスキーを注ぎながら、似合いもしないことを言う。
「神なんてもん、信じてないだろ?」
伊左美がチビチビやりながらツッコム。
「ん、祈るだけならタダだから。」
澄まし顔の玲衣亜。
いや、そうだけど、それだと祈りも届かなそうね。
とはいえ、今日の二人は日曜だというのに、早朝から身だしなみを整えてるから、それだけは神様も認めてくれるかもしれない。
テーブルから離れたところでは、小夜さんがギターを抱えてひたすら速弾きしている。
たぶん、まともに曲を弾く気分じゃないんだろうね。
落ち着かない気持ちがモロに伝わってくるというか、こっちにまで伝染してきそうなんですが。
窓から淡い光が射し込んでくる。
警戒度を引き上げるべく、僕は目の前に用意された酒を少し口に含む。
警察が突入してきたときに、まだグラスに酒が残ってんですけど、ってのは切ないからね。
「靖、大丈夫?」
僕がずっと無言でコーヒーと酒を飲んでいたからか、玲衣亜に心配されちゃった。
「特に問題ないよ。」
「なら、いいんだけど。」
「いや、ありがと。」
言ってから、僕はチビチビやってた酒を一息に飲み干した。
「こんな災難に巻き込まれたりしてさ、この世界に残ったこと、後悔してたりする?」
ええ? 玲衣亜、なに言ってんの?
「んなわけないじゃん。」
「なら、よかった。」
え、どういうことなの?
「なんなん?」
「いや、こっちに残るか帰るか、考えてたのを私が引き留めたような格好になってたからさ。ちょっとね。」
ああ、ああ、なるほど。
「バッカ、そんなん気にしなくてもいいって。」
「ふふ、柄でもないって?」
涼し気な笑顔にその流し目ッ。
ゾクッとするわ。
いやいや、柄ですよぉ。ご無沙汰してましたッ。僕の第一印象の玲衣亜さんッ。
「うん、あんま似合わないね。」
ま、言葉と心とは裏腹ですが。
「ま、ときにはこんなとこも見せとかないと、最近、靖は伊左美に影響されてるから。」
「はあ? どういうことだよッ。」
伊左美がその言い草に不満を訴える。
「どうもこうも、伊左美には関係ないし。」
「ふん、じゃあ、別に聞かなくてもいいや。」
拗ねた伊左美はまた腕組みして背もたれに寄りかかった。
ギイッと椅子の軋む音。
小夜さんは演奏の手を止め、抱えたギターに凭れかかるようにして目を閉じている。
時刻は八時。
みんな黙っちゃうと、緊張感が増すね。
僕も目を閉じ、呼吸を整えるイメージで深く息を吸う。
トクトクトクトクと、酒を注ぐ音が聞こえる。
ん?
見れば、玲衣亜が二杯目を飲もうとしているところだった。
玲衣亜と目が合うと、「神様がね、次が最期の一杯だって言うの。きっと、祈りが通じたんだわッ」と変な言い訳をしてきた。
いや、最期の一杯が二杯になったって、最期だって時点で祈りは通じてないと思うけども。
コンッコンッコンッと、玄関ドアを軽快に叩く音が響いた。
小夜さんが腰を上げる。
玲衣亜が自室に戻る。
伊左美はリビングで待機。
僕は小夜さんのあとに続き、玄関へ向かう。
靴で床が軋む音に違和感を覚える。
いつもはあっちの世界の習慣で部屋内では靴を脱いでたからね。
今日はあっちに転移することを踏まえて、靴を履いてんだ。
ま、警察に習慣の違いが発覚するのを避ける意味もあるけど。
「お届け物で~すッ。」
玄関ドアの向こうから溌剌とした声が響いてくる。
またベタな手を使ってくるなぁ。
「はーい。」
小夜さんが玄関前で返事をしながら僕の方を振り返り、開けるぞと目で訴える。
ドアが開く。
「おはようございますぅ。ナチュラルキュアの荷物で、玲衣亜さんはこちらでよろしいですかね?」
玄関前には荷物を抱えた野暮ったい男が立っている。
あら、ホントに宅配みたい。
小夜さん、男に促されるままにサインしている。
「お疲れさま~。」
ドアを閉めたあと、小夜さん「これだよ」と肩を竦めた。
「ん、なにこれ? こんなの注文した覚えない、ような、あるような。記憶が覚束ないんだけど。」
そう言い訳した玲衣亜が、はっとして小夜さんを見る。
「おいおい、私を見んなよ。」
「まさか、小夜が。」
「アホか。」
「すいません。」
ホントは玲衣亜だって悪くないんだけど、今回は間が悪かったわ。
肝を冷やしたもんね。
そこへコンッコンッコンッと、玄関ドアを軽快に叩く音。
顔を見合わせる僕たち。
部屋を出ると、伊左美が窓からアパート前の通りの様子を確認していた。
伊左美がこちらを見て頷く。
どうやら警官がアパート出入り口で待機している、ということはないらしい。
僕も了解の意を示すべく頷き返し、小夜さんのあとに続く。
先程と同じように視線で合図を交わし、ドアを開ける。
「おはようございます。私、リリス西教会で神官として仕えている者ですが、みなさんは神の存在を信じますか?」
顔を出したのは真黒なローブ姿の爺さんだった。
「いえ、神さんなんて存じ上げませんし、知りたくもありませんね。」
小夜さん、そう返すと爺様を押しのけてドアを閉めようとする。
「きょ、教会に行ったことはッ?」
ドア枠外に押し出されそうになりながらも、懸命に問いかける爺さん。
「どうでもいいけど、おととい来たら、神の存在を信じまさぁ。」
そう言って小夜さんは強引にドアを閉めた。
「今日、なんなん?」
小夜さんが下唇を出して不満気な顔を見せた。
ホント、今朝にかぎってなんなんだろうね。
リビングに戻るとそのタイミングでまた玄関ドアがノックされる。
「ほい、来たぁッ。」
小夜さん、テンション高めだ。
華麗なターンで玄関へとって返す。
伊左美がまた窓下を覗く。
今度は首を横に振った。
どうやら警官が待機しているらしい。
先走って玄関へ向かった小夜さんを追うが、遅かりし。
すでに小夜さん、玄関のノブを回していた。
ほほ、小夜さんの背中に追いつけない。
「なんなぁ? 今度はッ。」
ドアを開けると同時に啖呵を切る小夜さん。
ああ、間に合わなかった。
「り、リリス警察ですが。」
ドアをノックしたと思しき若い警官もたじたじといった様子。
そりゃ、いきなりなにも言わないうちから喧嘩腰に迫られちゃ、びっくらこくよね。
「あら、け、警察様が一体なんの用でござんすか?」
小夜さんも焦ったみたいね。口調が時代がかってんだもん。
「あなた方に不法滞在の容疑がかかっております。署までご同行願いますよ。」
「へえ、そんな容疑、かけられる覚えはありませんけど。」
「もう、逃げられませんよ。」
「ふん、逃げはしませんけど、特に警察署に行きたいとも思いませんがね。」
「なにを言ってももう遅いんです。手遅れって奴です。」
「なにを話し合ってるんだ? さっさと部屋に入って連中を引っ張り出すんだッ。」
若い警官と小夜さんの間に警部が割って入り、若い警官に命じる。
その鶴の一声で若い警官が「失礼します」と部屋に上がろうとしてくる。
「失礼するんだったら帰ってくださる?」と小夜さんも負けていない。なんか小夜さん、ちょこちょこ玲衣亜の影響を受けてる気がするんだけど、気のせいかな。そんな小夜さんのジョークは無視され、警官五人のあとに警部も続き、総勢六人がぞろぞろと部屋内に入ってくる。くそッ、床でも抜ければ面白いのにッ。
「ちょ、ちょっと、ちょっとッ。」
小夜さんと僕も一旦、リビングまで下がる。
賽は投げられたって奴だ、これ。
いや、ホントは五日の時点で投げられてたんだろうけど。
実感するのが、遅すぎらあね。




