一章 第41話 決戦前夜ッ
二月七日には終わってしまうかもしれない日常を楽しんでいた僕たちだったけど、やっぱり五日の二一時〇〇分~三〇分の間は感傷的な気分になった。
人生の分岐って奴をこのときほど感じたことはなかったね。
ここで夜逃げする未来もあったのかなぁって。
伊左美と玲衣亜がどんな気持ちでその時間を過ごしていたかは判らなかったけど、小夜さんは窓辺に腰掛けて、ギターを弾いてたんだ。
きっとジャンに演奏してる姿を見せてたんだろうね。
どうせ彼は僕たちがきちんと夜逃げするかどうかを確認してたんだろうから。
ジャンの奴、僕たちが悠々としている様子を見て、歯噛みでもしてたかな?
せっかく教えてくれた情報が、警部たちを迎え撃つ決意を僕たちにさせてしまったんだと知ったら、ジャンからは裏切り者だと罵られるかもしれないね。でも、ジャンがどれだけ三〇一号室のアリエッタに愛の言葉を贈ったって、やっぱり敵味方だから報われるわけがないんだよ。
ああ、でも、小夜さんもたぶんジャンを裏切った格好になったことを気にして、ああして窓辺に姿を晒してるんだろうから、ラブレターの成果はあったと言えるのかもしれない。
時計の針が二一時三〇分を指したとき、小夜さんが演奏の手を止めて言った。
「警察から私たちに関する記憶を消すか。」
伊左美と玲衣亜が小夜さんの方を向く。
「え? そんなことできるの?」
と伊左美。
「ああ、できるよ。」
「マジで? もっと早く言えし。」
「だって、聞かれなかったし。」
「そんなの知らなかったから、聞こうとも思えないよ。」
どうやら玲衣亜も初耳だったらしい。
小夜さんの術については仙道の間であっても、まだまだ不明な点が多いようだ。
っていうか、やっぱ小夜さんの術っていやらしいわぁ。えぐいわぁ。
この小夜さんの提案のおかげで、大胆に作戦が書き換えられた。
脅迫や殺害といった手段については、もう考えなくていい。
それらの手間が小夜さんの術一つに集約されるのだから。
多人数を脅迫するのは困難ってんで、当初は警部一人に的を絞ってたけど、術でポンっと用を足せるなら、僕たちに疑いの目を向けているであろう人物すべてを対象にしようという話になった。
人物の特定や彼らが一堂に会する場面があるのか、など、不特定な部分も多いので、そのへんは成り行きになってしまうが、まあ雑魚に関しては最大の危険因子である警部を片付けたのち、その後の動きを見て対応を決めればいいんじゃないかってさ。
決戦は二日後、二月七日の日曜日。
こちらからは仕掛けない。
下手に警察の根城に押し入れば、警戒された挙句徒に攻撃を受けるかもしれない。
相手から飛び込んできてもらった方が、まだ相手の油断を誘えるというものだ。
三〇一号室内で、警察が突入してきたところを、みんなで仲良くあっちの世界に行って施術しようという算段。
懸念材料はいくつもあるけど、完全な計画を立てての実行なんて、そうそうあり得るもんじゃない。波乱を含んだ状態でスタートを切ったのちに、徐々に徐々に問題点を修正しながら形にしていくのが計画ってもんだからね。
それがしろくま京スタイルってなもんですよッ。
で、懸念の一つが僕のこのふわふわした気持ちかな。
方針やすべき事なんかもだんだんと決まってってるってのに、この決戦がどこか他人事のように思える瞬間がある。
伊左美と玲衣亜、小夜さんは劇中の人物だけど、僕はその劇を鑑賞するだけの人って感じ。たぶん、自分の役割が判んなかったりとか、異世界との向き合い方の違いってのが、そう感じさせるんだろうね。とは推測してみても、理由が判ったからって、感覚が変化するわけじゃないけど。
そうだッ。
武器を取れッ。
自分に役が割り振られれば、僕だって劇中の人物になれるんだッ。
くそッ。
なんで伊左美や玲衣亜、小夜さんと仲間だなんだといってつるんでいながら、僕だけ三人とは別の舞台に立ってんだ?
ほんのちょろっとの間だったかもしれないけど、僕たちは同じ道を連れ立ってを歩んできてたわけじゃん。
いまも頭ではそう思ってるし、四人一緒って状況にも変わりはない。
なのに、なんで気持ちだけが置いてけぼりを喰っちゃってんだよッ?
武器はなにがいい?
やっぱハンマーっすか?
あ、バールですかね?
ん、のこぎり?
ダメダメッ。のこぎりで斬られるのを想像しただけで、背筋がぞわっとするわ。
痛いやら焼けるやら切ないやら。
決めたッ。
ハンマーとバールと、あとはタガネだ。
トドメはタガネで刺すッ。
といっても、タガネは刺すもんじゃないけど。
ま、まあまあ。
警官も僕らを殺しにきてるんだッ。
ためらう必要なんてあるものかッ。
「うん、護身用に武器を携行しとくのはいいと思うよ。でも、絶対に自分から武器ってか工具を構えるなよ。相手を下手に挑発してもいいことはないからな。」
僕が武器を手に取ったことを告げると、伊左美にそう釘を刺された。
痛いッ。
なんつってッ。
うん、僕だってできることなら武器なんて振るいたくないからね。
「あっちに行けば、私と伊左美が仙八宝を使えるようになるから、大丈夫だよ。問題は相手がこっちの意図を察する前に、みんなで向こうへ行けるかどうかってとこね。」
そう、小夜さんのカード残数があと五枚しかないので、一度向こうへ行って、そこで大勢に対して施術の下拵えをするんだってさ。そうすれば、またこっちに戻ってきてから一枚のカードで下拵えを施した人たちに術の効果を発現させることができるんだって。施術方法もいろいろあるんだね。
あ、ホントは小夜さん、こっちに大量のカードを持参してきたらしいんだけど、それは警察に連行された際、荷車と一緒に押収されたままになってるらしい。
だから、この一件が片付いたら荷車も取り返さなきゃね。
少し、深呼吸する。
胸の高鳴りがなかなか治まらない。
自分の呼吸音、心臓の鼓動が耳の奥に響いている。
日曜の夜明けはまだ何時間も先だってのに、落ち着きゃしない。
ほかの三人も今宵は神妙な顔つきでそれぞれの夜を過ごしているよう。
そして、伊左美が厳かに棚から酒を取り出すと、みんなにグラスを渡した。それぞれのグラスに酒を注ぐと、「まあ、最期じゃないけど」と笑ってグラスを干した。
「あら、せっかくの雰囲気を壊すようだけど、私は明日の朝も一杯やるよ。」
玲衣亜の驚きの発言ッ。
ホント、この子は。
伊左美も頬を膨らませて玲衣亜を見ている。
「ふ、戦のときも、兵士は進軍の前に酒を飲むものさ。」
小夜さんのフォローが入ったことで、珍しく特に言い合いに発展することなくその場は収まった。
「僕も明日の朝、飲むよ。こう見えて、僕も明日ばかりは兵士だから。」
そう宣言して、グラスを勢いよく傾ける。
「私も明日は、罪人から三等兵に格上げだな。」
小夜さんも僕に続いて、グラスを空けた。
「じゃあ、私はお菓子屋の看板娘から仙道だねッ。」
え、いつ看板娘になったっけ?
「お、オレは……。」
僕たち三人の視線が伊左美に集中する。
「オレはパンダから人間になるぞぉッ。」
腕を振り上げておかしなことを言う伊左美。
僕と玲衣亜は失笑する。
小夜さんだけ首を傾げている。
ふふ、最後に順番が回ってくるとこれだから困るんだよ。
間もなく、僕たちは明日に備えて布団に入った。
夜風が鎧戸を時折りガタガタと揺らしているのが聞こえる。
伊左美が寝返りを打つ衣擦れの音。
そして、無音が耳にこだまする。
夜が静かに更けてゆく。




