一章 第39話 不幸の手紙? ラブレターでしょ!?
『捨てないで読んで!』
封筒に書かれた大きな文字。
折り畳まれた紙を取り出すと、そこには『開けてくれてありがとう! お願いだから読んで!』の文字がすぐ目に入る部分に書いてある。
その紙を開くと今度は『途中で読むのをやめると不幸になります!』と一番上に書かれている。
なに? この不幸の手紙。
◆ ◆ ◆
私、ジャン・ポール・ルルヴァールと申します。
リリス市警察署所属の巡査であり、三日前より『希望の港館』三〇一号室の監視を始めました。伊左美、靖、玲衣亜の三名の素行調査の徹底と異国の女との接触の有無を確認するのが目的でした。結果として、監視初日に異国の女との接触を確認できました。さらに、異国の女が三〇一号室に寝泊まりしている事実も判明し、今日を含めあと四日間、つまり計一週間、異国の女との同棲を確認できれば、その繋がりを強固なものであると判断し、三〇一号室に突入する手筈となっております。突入は二月七日(日)早朝を予定。異国の女だけでなく、繋がりのある全員を逮捕する所存です。
以上のような次第ですから、どうかお逃げください。
リリス市街に居ては危険です。
皆様におかれましては、まだ内々で捜査しているに過ぎませんので、きっと無事にリリス市街を抜けられるでしょう。
『希望の港館』を出られる日取りにつきましては、二月五日の二一時〇〇分~二一時三〇分の間でお願いします。
その間、監視は私一人になりますから、都合が良いのです。
この情報の真偽については、私がリリス警察署署員である、ということを、その証明とさせてください。
情報をお知らせした理由は、この近代化の進んだリリス市街において、魔女狩りを再現することに我慢ならなかったからです。警察官としての職務を全うすべきか、歴史を顧みて警部の狂言を諌めるべきか、甚だ迷いましたが、一個人の狂言よりも歴史とその検証の方を大事とした結果です。
というのは建て前でして、私、三〇一号室の天使に心を奪われてしまったのです。
望遠鏡を覗く度に、その姿に見惚れておりました。
そして、かように美しい人が、まだなんの法も犯しておられないにもかかわらず、一個人の狂言に基づいて断罪されるなどあってはならないと思った次第です。
案外、狂っているのは警部だけではないのかもしれません。
本来なら口頭で間違いなく正確にお伝えしたかったのですが、それは叶わぬようですので、こうして手紙にて失礼させていただきました。
読み終えましたら、必要箇所を余所へ写したのち、この紙はどうぞ燃やしてください。
◆ ◆ ◆
僕は紙切れを折り畳み直して、封筒に仕舞う。
目の前のグラスに入ったワインを静かに飲み干す。
席を立つ。
椅子をテーブルの下に押しやる。
また椅子を引き出す。
でも少し考え、また椅子をテーブル下に押しやる。
束の間の静寂。
「ええ~ッッッ???。」
僕の叫びに伊左美がこける。
「遅いわッ」と玲衣亜が僕の頭を女性誌ではたく。
痛ったぁ、いや、待ってこれ?
なにこれ?
「ラブレターって奴ですか?」
「アホかッ」と玲衣亜の追撃。
「ちょっと待って、待ってッ。そんなにポンポン叩かれたらホントにアホになるじゃんッ。」
「あら、一周回って賢くなるかもしれないじゃない?」
「一周したら元どおりだろうッ?」
「違うねッ。一周巡る間に新たな境地に達するのよッ。」
「アホの極致に達するわッ。」
「へいへい、二人とも馬鹿はそこまでね。小夜が呆れてるぜ。」
「いや、逆にどこまで続くのか見てみたい気もするけど。」
「ちょお、マジで?」
「といっても、まあふつうに話を進めてくれるのが一番なんだけどね。」
「ほら、小夜もそう言ってるでしょ?」
「ええ? でも、こんな手紙読んでさ、いきなり冷静に分析なんてムリじゃん。だったら、一発ボケとこうかって思うのが人情ってもんじゃん。」
「いや、知らんし。」
いまの玲衣亜は少々手厳しいね。
か、閑話休題?
この手紙は昼間、僕たちが仕事に出ている間に届けられたものらしい。
ま、文中にもあるように差出人としては直接この部屋にいる誰かに会いたかったんだろうけど、小夜さんがアポなし訪問者のノックに応対するはずもなく。で、ノックが止んでしばらくしたところで、この封筒が扉とドア枠の隙間に差し込まれたってことらしい。
で、問題なのは、四日後には警察がアパートに突入してくるって点だッ。
「違うねッ。一番問題なのは、あいつらがこの部屋を覗いてるってことよッ。」
ああ、そちらでしたか。
「これじゃ、身体も洗えないじゃないッ。っていうか、あいつらもう見たわけでしょッ?」
なるほど、確かにそれはある意味大問題かもしれない。
でも、おっぱいの価値を悟った僕にしてみれば、さほど大きな問題に感じられないね。
そうッ、もう達観したのだよ、僕は。
とはいえ、否定的な意見を口にするほど野暮じゃないけども。
昨日の朝までの僕だったら、おっぱいに嬉々として反応していただろうしね。
「落ちつけってッ。そんな貧相なモン見て喜ぶ野郎なんていないから。」
また伊左美が変なフォローしてる。
「あいつら、プラスアルファーには、どんな手を使ってでも絶対に地獄を見せてやるッ。」
玲衣亜がまた激昂していらっしゃる。
「プラスアルファーって?」
伊左美の馬鹿ッ。
「頭にIのつくクソ野郎が身近にいたんだよ。」
「ん?」
伊左美、判ってないようだけど、どう考えてもキミのことだよ。
そこへ今度は小夜さんが「いや、大丈夫だ」と声をかける。
「おそらく警察はリビングを覗いている。私たちが身体を洗うのは玲衣亜の部屋でだから、たぶん見られていないはずだ。」
「あら、なんでそんなことが言えるの?」
「判る奴には判るんだよ。なあ、靖。」
え? それは玲衣亜のおっぱいに需要がないからってこと?
ってそれはないよね。
リビング限定だといえる理由……って?
「まさか、判ってない?」
面目なさそうに頷いてみせる。
「この手紙の差出人の名前、『ジャン・ポール・ルルヴァール』は靖が買ってきた小説の登場人物の名前だ。小説はリビング以外に持ち出されたことはない。だから、この小説がウチにあるってことをこいつが知ってるってことは、こいつはリビングの窓から部屋の様子を見ているってことになる。」
ああ、言われてみればそのとおりですな。
なるほど、なるほど。
いや、全方位から監視されてたらそうとも言い切れないのではッ?
あ、でも玲衣亜さんも落ち着いたようだし、余計な可能性の話はしないよ。
じゃ、今度こそ閑話休題ッ。
やっぱり問題なのは、四日後に警察がここに突入してくるってことでいいでしょ?
「そうだな。もっと言えば、警部がオレたちに狂気染みた執着心を持っているってとこが問題だな。」
お、伊左美さん、ここにきて平常運転に切り替わりましたか。
んで、と、いいますと?
「もう、のらりくらりと言い逃れして水に流せるような話じゃなくなってるってことさッ。特に警部ッ。このジャンって奴のことを信じるなら、オレたちへの執拗な捜査はまるで警部一人の判断によるものじゃないかッ。」
ふむふむ。
「そうね。警部はちょっと一度やっつけとかないと、私たちに平穏な日々なんて永遠にやってこないようね。」
やっぱり玲衣亜は覗きの件に怒り心頭ですな。
「ジャンの言葉に従って逃げるって選択肢はないの?」
「ここで逃げちまったらさ、なんだかオレたちが悪いことしてるって警官たちが誤解しそうな気がすんだよな。」
「そうだな、逃亡は徒に敵を増やしかねない。警部一人だけって状況は、考えようによっては私たちにとってある意味好都合かもしれない。」
「そうよッ。私たち、まだ悪いことなんてなにもしてないんだからッ。逃げる必要なんてないしッ。」
確かに、伊左美の言うことにも一理ある。ジャンは善意で逃亡を勧めたのだろうけど、逃亡により警部の僕たちへの疑いが警察組織に波及してしまいかねないのは気に入らない。
「でも、やっつけるって言ったって、どうやってやっつけるの?」
「それが問題のハナちゃんよ。」
玲衣亜はそう言うと腕を組んで溜め息を吐いた。
「うん、どうしたもんかな。」
伊左美も目を閉じて考えているようだったけど、しばらくして僕を見て言った。
「やり方がどうであれ、オレたちに逃げるって選択肢はないぜ。」
なんの確認?
まさか、僕の覚悟の程を試してるのかな。
うん、まだ僕、覚悟なんててんでできていやしないからね。
だけど、とりあえず頷いておく。
とりあえず、とりあえず。




