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一章 第38話 全部吐いて楽になれッ

部屋内に戻ってから、の様子に変化は見られなかった。

さんはさっさと自室に籠ってしまったみたい。

伊左美は相変わらずギターと戯れてるし、玲衣亜はお菓子屋で貰ったっていう女性誌を読んでいる。

てっきり玲衣亜が僕と小夜さんとの会話について尋ねてくるかと思ってたけど、それもなかった。

僕は玲衣亜に火を借りて煙草を吸ってから、早々と自室に戻る。

小夜さんは果たして眠ってるだろうか。

部屋は真っ暗。

小夜さんは大人しくベッドに横になってる。

その夜はいろいろと考えてしまって、結局一睡もできやしなかった。



朝、鏡に向かう。

我ながら酷い顔だ。

目の下には大きなクマができて、肌に張りがなく、生気が抜けているよう。

僕は伊左美に体調不良だと告げて、仕事を休む旨、支配人へ伝えてもらうようにお願いした。

「今日は仕事で泣くかも」と伊左美が悲しげな笑みを見せる。

ごめんよ、今日はちょっといろいろダメなんだよ。

いや、でも一人抜けるとマジきつそうだからね。

もしかすると、出勤までの時間、頭を抱えて過ごしている伊左美の心の方が、僕のそれよりもダメージを負ってるかもしれない。

ま、それは一過性のものでしかないけれど。

とはいえ、伊左美の気持ちも十分判るけどねッ。

「それじゃ、ゆっくり休めよ」という言葉を残して、肩を落として玄関を出て行く伊左美。

僕も玲衣亜が起きてくる前に出て行かなきゃ。



外に出て、物陰に隠れて玲衣亜が仕事に出かけるのを待つ。

六時半少し前、玲衣亜が出勤していく姿を確認。

今度はアパートの入口内部側に位置取り、小夜さんが出てくるのを待つ。

いや、別に約束はしてないんだけどさ、なんか、出てくる気がするんだよ。

虫の知らせっていうか、僕自身のしたことがその引き金になってるからね。

出てこない場合は、どうしたもんかね。

ここで部屋に乗り込んで、膝を突き合わせて話し合おうって行動に出れないところが、僕の僕たる所以だけども。

なんにでも、きっかけやタイミングがほしいんだよ。



待ってる間、アパートの住人が何人も通っていった。

挨拶を交わしたり、狭い通路に突っ立ってんなよという視線を向けられたり、反応は三者三様だったけど、居心地のいいもんじゃない。ふだんだったら遠慮しちゃうところだけど、いまは小夜さんを待つことがなによりも優先されるので、そんな気持ちも無理矢理抑えられている感じ。っていうか、もうヤケクソってとこかな。形振り構ってられないから。



正午の鐘が鳴り、眠気と空腹はいよいよ増すばかり。

突っ立ってるから眠くなるんだと、少し身体を運動させてみるが、それも長くは続かない。いまごろは伊左美もお昼摂ってんだろうね。いいなあ、もう伊左美は午前の仕事を乗り切ったんだ。一方で僕はなにもしていない。それに、今日休んでしまったから、明日、仕事に行くのが憂鬱だわ。

身体のだるさが顕著になり、もう考えることさえなくなってしまうと、時折りうつらうつらと舟を漕ぐようになった。ハッと目を開けた瞬間には決まって、もしかすると僕が舟漕いでた間に小夜さん出て行ったんじゃなかろうか、という不安に駆られてしまう。

溜め息の数が増えた。

そんな折り、階上でギイッと扉の開く音がした。

続いて、階段を下りてくる足音。

二階の踊り場に姿を現わしたのは、小夜さんだった。



小夜さん、表情も変えずに階段を下りてくる。

その顔は僕と同じようにやつれているように見えた。

もしかすると、通路の薄暗さのせいでそう見えただけかもしれない。

服装が警察署にいたときと同じモノ。

やっぱりッ、出て行く気だったなッ。

「こんにちは~。」

歩きながら、抑揚のない声で手を軽くフリフリする小夜さん。

挨拶とその響きに大きな隔たりが感じられるんだけど。

大方、内心ではさようなら~って言ってんだッ。

「どこ行くん?」

「関係ないね~。」

ま、そうだよね。

「うん、関係ない。どこへも行かさないからッ。」

「あ?」

「昨日は、ごめん。ホントに、ごめん。」

「なに言ってんの。」

「腹割って話すから、ちょっといい?」

「せっかく下りてきたのに、また上るのか。」

小夜さん、そう呟きながらも踵を返して階段を上り始める。

あれ? 案外、素直じゃない?



「ふん、顔が酷いことになってるな。」

リビングに入ったとき、小夜さんが僕の顔を見て鼻で笑う。

「そういう小夜さんも、あんまり人のこと言えないんだけど。」

小夜さんも目の下にクマができてる。

「昨日、あまり眠れなかったからな。」

「僕と一緒じゃん。」

やすしはなんで眠れなかったんだ?」

「いろいろ考えちゃってたからね。」

小夜さんが席に着く。

僕は棚からワインを出す。

「どんなことを考えてたんだ?」

「ちょっと待って。喉に油差してからじゃないと、上手く喋れないから。」

そう言ってワインの瓶を持ち上げてみせる。

小夜さん、「確かにね」だってさ。

「ちなみに、今日はお菓子屋は?」

「さぼりですね。」

「ダメじゃん。」

「いや、今季最高のファインプレーだったよッ。」

「なにそれ?」

「だって、今日仕事行ってたらもう、いろいろ終わってたからね。」

ま、まだ第一段階をクリアしただけだけど、それだけでも、さぼった価値は十分だッ。

「ふうん。」

僕の言ってること、判ってるくせに。

「小夜さんって向こうじゃ仕事とかしてたの?」

「そりゃあ、してたさ。ただ、ここ一〇〇年くらいは働いてないけど。」

「はあ? どうやって生きてたの?」

こんな調子で、僕たちは酔いがほどよく回ってくるまで、他愛ない話を続けた。

とても日常的で、穏やかな話。

そうだよ。

僕は前から、こんなふうに小夜さんと話したかったんだ。

このまま腹の内なんて晒さずに、暇潰しアイテムを用意した夜のような暮らしに戻れないかな、なんて。世の中、そんな都合良くできてないから。

「さっき、ごめんって言ってたじゃん? あれって、なんに対してのごめんなんだ?」

僕がなかなか切り出さないから、小夜さんの方から水を向けてきた。

自分から腹を割ってとか言っていながら、情けない。



僕は小夜さんに精一杯、胸の内を吐露した。

昨晩、小夜さんの謝罪を素直に聞けなかった理由。

異世界に来た当初から抱いていた小夜さんへの偏見。

伊左美と玲衣亜を含め、仙道と妖怪に対して感じている境界線、その線上にある壁。

一般ピーポーだってだけで卑屈になっていたこと。

だから、関係ない奴って言葉が余計に気に障ったこと。

伊左美や玲衣亜、小夜さんの気持ちはそっちのけで、自分のことしか考えられなくなってたって。

その気持ちをすぐ改善できるかは不明だけど、もう、小夜さんを傷つけるようなことは言わないようにするから、出て行かないでッって。



きちんと伝えられたかどうか定かでないけれど。

実際、上手く要領を得た話を展開できなくて、話があっちに行ったりこっちに行ったり、余所へ行ったりしながら、言葉に詰まったりもしたから、結構聞きにくかったんじゃないかと思うんだよね。

まあ、要は、反省してるから出て行かないでッてことだけでも伝わってればいいんだけど。

小夜さん、途中で話を否定したりせずに、最後まで黙って聞いてくれたから。

特に肯定もされてないけど。

どうなんだろ?



「私の話も聞いて。」

判ったとも許そうとも言わず、僕が話し終えると小夜さんはそう言って自分の話を始めた。

当初は僕のことなんか眼中になかったこと。

当初は自分のことだけしか考えていなかったこと。

一般人に対する認識はこの数日、僕との付き合いで改まってきていること。

暇潰しアイテムのプレゼントが嬉しかったこと。

みんなと暮らすうちに情が湧いてきたこと。

プレゼントもみんなとの暮らしも、小夜さんにとっては稀有な体験だったこと。

毎日、部屋に置き去りにされるのが、みんなの帰りを待つのが辛かったこと。

だから夜逃げようとしたってこと。

みんなが引き留めてくれたのが嬉しかったこと。

本心ではみんなと居たいと思っていたこと。

カード云々で伊左美を挑発したのは、意地を張っていたから。それ以前に小夜さんの気持ちは揺らぎ、折れそうになっていたから、敢えて挑発したってさ。でも、本当はそれでも居てくれという言葉を期待していたのかもしれないって、卑怯だったって。

でも、僕を怒らせたせいで、いよいよ居たたまれなくなったみたい。

で、もう消えようと思ったって。

そしていま、どうしたらいいか判らないってさ。



僕も今日は否定したり、茶々を入れたりせずに真剣に聞いたよ。

ふだんは人に見せない秘密とか弱さって、自分で話すとなると恥ずかしさや戸惑い、相手にどう思われるだろうって不安になっちゃうけど。 

でも、小夜さんの話を聞いてる分には、それらは一切当てはまらなかった。小夜さんの一番傷つきやすい、大切なモノを見せてくれているようで、なんか、神聖なものに対するときのような心持になったんだ。

これに比べりゃ、女のおっぱいなんて同じ秘部とはいえ屁みたいなもんさッ。

僕の先の弁も、小夜さんはもしかすると僕と同じような気持ちで聞いてくれてたんだろうか?



迷える小夜さんを優しく包み込む度量のない僕は、とりあえず伊左美と玲衣亜の下した判決に則り、脱走してはならない旨を言い渡す。それから、言葉に出して仲直りを押し付けた。

「じゃ、僕は病人ってことになってるから、しばらく寝るね。」

そう言って自室へと足を向ける。

途中、小夜さんも昨日は寝てないことに思い至る。

「小夜さんも寝れば?」

「ああ、これ飲んだら寝る。」

飲みかけのグラスを示す小夜さん。

「そうだッ。せっかく仲直りしたんだから、一緒に寝る?」

冗談で言ったけど、万一にでも受け入れてくれたら嬉しいなってね。

「殺すよ?」

まあ、そうですよね。



で、完璧に忘れてたんだけど、伊左美にとって僕は病人になってたけど、玲衣亜にしてみれば僕はアパートにいなかったってんで仕事に行ってたことになってたんだよね。

だからその晩、伊左美と玲衣亜にずる休みの理由を問い詰められることになった。

玲衣亜ったら「こないだの女のとこに行ってたんでしょ?」とか、また変なことを言い出すし、言い訳には苦労したよ。

途中、小夜さんも起きてきて黙ってギターを抱えると、僕が昼間に弾いてほしいとお願いしていた曲を奏で始めた。

昼間の小夜さんとのことは、伊左美と玲衣亜には内緒にしていたけれど、でも、昨晩までの僕と小夜さんの間にあったギクシャクした雰囲気がなくなっているのを見て、二人ともなんとなく察してくれたんだろうね。必要以上に理由を聞かれなかったよ。

ただ、ずる休みの罰則として二人からはデコピンをいただいたけども。

いや、いいんだけどね。

うん、このノリでいいんだよッ。

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