一章 第37話 女々しさ全開ッ
「もう靖なんてキラーイ。」
女を買いに行った翌日の晩、仕事から帰宅した玲衣亜が口を尖らせた。
そのまま自室に入り、外套を脱いでリビングに出てくる。
顔も見たくないほど嫌いになったって感じの言い方じゃなかったから、玲衣亜の本音が読めない。
それから玲衣亜に昨晩のことをいろいろと詰問されたけど、適当にはぐらかしておいた。
だって、昨晩のことは玲衣亜には関係ないことだし、一晩かぎりのことであれば今日の僕にとってもあんまり関係ないことなんだから。そんなくだらないことについて、あれこれ聞かれたり答えたりするのは面倒なんだよね。
それに、なんで同じことをした伊左美のことは嫌いにならないのかが判らない。
伊左美は特に責められることもなく、食前酒を前にギターを抱え、静かな時間を過ごしている。
伊左美と僕への対応の差について尋ねると、伊左美はふだんから遊びに行ってるイメージだけど、僕にはそんなイメージがなかったってさ。
そんなの所詮、玲衣亜の勝手なイメージだからね。
そりゃ、実際の僕とは違うよね。
ま、僕の方も勝手な玲衣亜像を作ってるわけだし、お互い様か。
夕食後、隣で間抜けな音を出してる伊左美のギターを聞きながら小説を読んでいると、小夜さんが声をかけてきた。
「靖、話があるんだけど。」
「話って?」
「ちょっと外に出られる?」
「やだ。話ならここですればいいじゃん。」
わざわざ外に連れ出そうなんて、術でもかけられたら堪ったもんじゃないッ。
「頼むから。」
「ムリ。だって、術使うかもしれないでしょ?」
「使いやしないよ。」
「例えば、詐欺師は騙そうとしてる相手にこれから騙しますとは言わないでしょ?」
「靖、小夜は術をかけたりしないよ。」
玲衣亜の咎めるような口調。
「ちょっとくらい、話聞いてあげなよ。」
今度は優しく諭す感じ。
どうしよっかな、と天井を仰ぐ。
僕は席を立って、外套を取ってリビングに戻り、小夜さんの申し出に応じる旨を告げて、玄関を出た。
薄暗い階段の踊り場。
僕は手すりに寄りかかり、小夜さんが出てくるのを待つ。
しばらくすると小夜さんも出てきた。
ドアがゆっくりと閉まり、ラッチが掛かる音がしたところで話を切り出す。
「無関係の人間になんの話があるって?」
ここでの会話は伊左美と玲衣亜に聞こえないから、部屋内では言えない辛辣なことも平気で言える。
とはいえ、僕の声が思いのほか大きく反響したので、ちょっとビックリした。
あんまり大声は出さない方がいいね。
また大家さんが怒ってこないともかぎらないし。
小夜さん、無言で僕の隣にきて、やはり手すりに寄りかかる。
二人で横に並んだ格好。
視線の先には、僕たちの部屋の、所々塗装の剥げた鉄製のドアがある。
「こないだは、関係ないとか言って悪かったよ。」
どんな顔をしてそんなことを言ってんのかと、小夜さんの方を見る。
ランプの光が顔半分に影を作って、顔の造形の美しさを際立たせていた。
でも、だから思うんだ。
狐のくせに、人の喜怒哀楽の感情を表情にきちんと反映させることができてんのかなって。
なんか小夜さんの容姿は完璧過ぎて、そこにはどこか人工的というか、なんか自然じゃない、嘘臭さがついてまわってるんだよ。
「別に気にしてないよ。」
僕は無表情で小夜さんに告げる。
「そっか。」
小夜さん、言いながら僕から視線を外し、煙草を取り出した。
シュッとマッチを擦る音。
「もう、話は終わり?」
一応、尋ねてみる。
「気にしていないって割には、こないだから私に対する態度がおかしくないか?」
ふん。
ま、僕が気にしていないって言ったのは、そのことについてじゃないし。関係ない奴と『言った』ことに対して、気にしてないというだけ。問題なのは、小夜さんがそう『思っている』ってことの方なんだからッ。
「そりゃ、いままで仲間だと思ってたのに、実は無関係ですと知らされたら、無関係なりの接し方するしかないじゃん。馬鹿じゃないの?」
「じゃあ、やっぱり気にしてるんだな。」
「気にしてはないよ。でも、関係ないんだから、僕が気にしていようがいまいが、小夜さんにとってもどうでもいいんじゃない?」
ああ、面倒臭い言い回しだッ。
女々しさが溢れ返ってるようで我ながら厭になるッ。
でも、まだ僕には小夜さんを許す準備ができてないんだから、相手の出方を窺う感じになるのは、しようがないじゃないかッ。
「関係は、ある。」
「は? 関係あるだぁ?」
つい、声が大きくなってしまう。
「だって、一緒に住んでる時点で、関係あるじゃない?」
「その一緒に住んでる奴が関係ないって言ったんじゃないかッ。んん、そう言ったのって誰だったっけ? ああ、思い出せんわッ。」
「すまん。アレは、気が立っていたから、つい。」
「気が立ってたから?、つい?、本音が出ましたってことだろうがよッ。いいじゃん、それで。僕はッ、小夜さんが僕と無関係だと思ってるんなら、それでもいいんだから。」
やっぱこの話になるとクッソ苛々させられる。
「だけど、実際には無関係じゃないだろ?」
「知るかよッ。」
「靖もさ、関係ない、気にしていないとか言いながらさ、現にいま、私と話していて声を荒げてるじゃないか。」
「それがどしたん?」
「つまり、靖はまだ私のことを仲間、とはいわないまでも、関係ない奴とは思ってないんじゃないの?」
そりゃそうだわ。ホントにどうでもよけりゃあ、こんなに腹なんて立ちゃしないんだからッ。
「お得意の嘘発見の術ですか。」
「術じゃないけど。」
「そうやって人の嘘を見抜いて一人で悦に入ってろよッ。」
「なんで、そういう言い方するかな?」
「腹立ってるからだよッ。」
「謝ってもダメかい?」
「上っ面だけ謝られてもよぉ、結局人のこと見下してんのは変わんねえじゃねぇかよッ。そのくせ謝るなんて馬鹿げてるね。一般人のことを虫けらくらいにしか思ってないくせにッ。そっちが本心だろッ? それなのに、謝る必要なんかあるかよッ。っていうか、謝るなやッ。」
小夜さんの手に握りしめられた煙草の箱が目に留まり、一本くれと頼む。
小夜さん、無言で煙草を取り出すと、僕の前に差し出してきた。
ズズッと鼻を啜る音がした。
煙草を持つ小夜さんの手が震えている。
煙草を受け取り顔を上げるが、小夜さんは俯いていて、長い黒髪のせいで表情が見てとれない。
ときどき肩が上下に小さく揺れる。
僕は自分の目を疑った。
まさかッ、あの小夜さんが?
「あ~あ、もうダメだなぁ。そうだな、靖は私には関係ないし、靖にとって私は関係ない奴ってことにしようかぁ。」
僕の顔も見ずに、清々しい口調でそう言った小夜さんは手すりから身を起こすと、そのままドアを開けて部屋内に入っていった。
あの、僕、まだ煙草に火を点けてないんですけど……。




