一章 第33話 家出娘に喝ッ
今日は2つアップ
小夜さんが居候してもう三週間になろうとしている。
暇潰しアイテムを用意してからは小夜さんの気力も持ち直してきたようだし、ひとまず安心だね。
最近は日中は読書、晩にはギターという生活をエンジョイしてるみたい。
近隣のこともあるし、時間帯が逆じゃないのかと尋ねたところ、日中に音を出すと警察に不審に思われるかもしれないと考えてのことらしい。
夜も静かな曲調で奏でているし、なんの曲ってわけじゃないんだろうけど、なんとなく流れてる音の中に、ときどきすごくいいッて思えるメロディが散りばめられてるんだよね。そのメロディを再現できるのかどうかとなると怪しいけれど。
いまでは小夜さんのギターが僕たちの癒しになりつつある。
僕が曲をリクエストすると、小夜さんなんにも返事はしないんだけど、いま弾いている曲を弾き終わったところでちゃんとリクエスト曲を弾き始めてくれるんだ。なんだか、僕の扱いにも改善の兆しが見られて嬉しいかぎり。
伊左美は小夜さんの演奏にすっかり惚れ込んで、毎晩小夜さんにギターの指導を受けている。
玲衣亜は小夜さんともっとお喋りを楽しみたいみたいだけど。
小夜さんをギターに取られちゃったみたいな感覚があるのかもしれないね。
ときどきムッスリしてんだもん。
小説は『庶民と貴族』ってのを読了したみたい。
うん、最新の小説に手を出すとは、なかなかやるじゃない?
僕も小夜さんの後追いで読んでみたけど、ちょっとぶっ飛んだ内容だったね。
主人公である貧乏音楽家庭教師アリエッタが、貴族の息子ジャンと身分不相応な恋をするんだけど、ジャンは熱烈な愛の言葉を彼女に贈るんだ。何度も何度も。そんな彼の思いとは裏腹に、彼女としては彼の愛を確認するにつけこれは実らぬ恋なのだと悲しくなるばかり。彼は彼女に夢中なもんだから、周りが見えていなくて彼の取り巻きが持ってくる縁談話なんかもよく吟味もせずに断り続けるわけね。そうこうするうちに、彼女としては彼と添い遂げられぬのは判っていても、一緒に居られぬのに生きているのは辛いし、そのうえ自分の存在が彼を束縛しているんじゃなかろうかってんで、煩悶した末に自殺しちゃうんだ。
この世界の女の子は過激だよね。
ま、あくまで物語の中での話だから、現実にはあり得ないのかもしれないけど。
小夜さんはこの小説を読んでなんて思ったんだろうね?
その日も小夜さんのギターを聴きながら、自室に戻り、ベッドに横になった。
しばらくするとギターの演奏が止まり、小夜さんも部屋に入ってくる。あ、ちなみにリビングに寝てるのは伊左美ね。今度は一ヶ月分を賭けてふつうに勝負したのだけれど、また伊左美が負けたんだ。もう、リビングは伊左美の指定席でいいんじゃないかな? 最近は寝心地の良さを追求していろいろと工夫しているみたいだし。
僕はといえば、いまだに小夜さんと一つ部屋で寝るのが落ち着かず、どうにも先に寝れなくて、小夜さんが寝息を立て始めたころになってようやくウトウトし始めるといった感じ。
仕事のことを考えると早く寝ないとダメなんだけど。
昼間は睡魔くんも猛然と襲いかかってくるのに、夜は働きゃしないんだから、きっと僕の睡魔くんは気まぐれでさぼり癖もあるんだ。
あれ、でも今日はちょっと様子がおかしいぞ?
いや、睡魔くんの方じゃなくて、小夜さんがね。
ミシミシと音が鳴っているから、ベッドに腰は下ろしたんだろうけど、ずっとガサゴソとなんかしてて、一向に横になる気配がない。ランプの燈も灯ったままだ。
なにしてんのか知らないけど、明日にすればいいのに。
じゃあ。
キイィッとドアが開き、カチャっと静かに閉まる。
おほ?
夢か現か、なんか小夜さんの「じゃあ」と囁く声が聞こえたから。
目を開ける。
暗闇の先に、小夜さんの気配がない。
ええええッ?
危うく叫び出しそうだった。
あの「じゃあ」からどれくらいの時間が経った?
ウトウトしかけていたから、はっきりと判らない。
厭な予感に突き動かされて、部屋を出ると、玄関の前に、こちらを向いている小夜さんがいた。
「ちょっと待ってッ。動くなよッ。」
小夜さんに向けて半ば怒鳴り、横目で彼女の動向を確認しながら、玲衣亜の部屋のドアを叩く。
「なに? こんな時間に。」
間もなくドアから顔を覗かせた玲衣亜は、ちょっと不機嫌そうだった。
でも、いまはそれどころじゃない。
「小夜さんが玄関前で待ってるから、行ってあげてッ。」
それから僕はリビングに行き、寝惚けたままの伊左美の腕を引っ張って玄関まで連れていった。
「こんな時間にどこ行くん?」
玄関前では、玲衣亜が小夜さんに行き先を尋ねているところだった。
「ちょっと煙草を切らしたから買いに行こうと思って。」
はにかむ小夜さん。
「なんだ、夜道は暗いから気をつけてね~、ッじゃないしッ。小夜は外に出たらダメな人じゃんッ。」
小夜さんのふざけた答えに真面目にツッコミを入れる玲衣亜。
って、真面目にツッコミって言い方はないか。
「まははの家出くぁ?」
伊左美が欠伸をしながら尋ねる。
おい、口を利くなら欠伸のあとにしろって。
「まさか? 夜逃げでもしようかなって。」
「夜逃げッ?」
玲衣亜が素っ頓狂な声を上げる。
「そんな軽装じゃ夜逃げもできやしないだろ?」
と伊左美。
「だって私の持ちモノこれだけしかないんだもん。」
小夜さん、肩から提げた鞄を持ち上げてみせる。
「小っさくって素敵でしょ?」
素敵でしょ? じゃねーよ。
「ま、動きやすいって意味ではいいかもね?」
「いや、オレの予想が間違ってなければ、あの鞄は確かに素敵なことになってるな。」
ここでも伊左美が鋭い洞察力を発揮する、のか?
「どういうことよ?」
玲衣亜が伊左美に聞いたけど、伊左美はそれには答えず、小夜さんに質問する。
「まあ、まずは小手調べだけど、煙草入ってるでしょ?」
「入ってないよ?」
なんで疑問形なんですかね?
「煙草吸う奴が煙草も持たずに夜逃げするかよ。」
おお、僕には判らないけど、伊左美先生がそう言うんなら、そうなんだろうな。
「なるほどね。ま、ま。そこらへんは最後のお楽しみに取っておくとして、立ち話もなんだから、まずは上がりなよ。」
お楽しみってッ。やっぱり玲衣亜も大概だわ。
「へいへい。」
渋々といった様子の小夜さん。
「上がるときはお邪魔しますでしょ?」
玲衣亜が口を尖らせる。
「おおッ? なにげにもう夜逃げした体の扱いッ? もう他人なの?」
大袈裟に驚いてみせる小夜さん。
「ふふ~ん」
なんで玲衣亜さん、得意気なんですかね?
「ま、どうぞ。」
玲衣亜が椅子を引いて、小夜さんに席を勧める。
僕は和らいだ雰囲気に安堵しながら、四人分の水を用意する。
小夜さんと僕が並び、対面に伊左美と玲衣亜という並び。
玲衣亜はグラスに口をつけると「冷た~い」と顔をしかめた。
「今日は寒いよぉ? 外で寝たら死んじゃうよぉ?」
しかめッ面のまま、自身の膝を両手で擦りながら変な声で煽る玲衣亜。
隣でこける伊左美。
「おい、まずは理由だろ? で、なんで夜逃げしようとしたん?」
「そう、それよッ。」
うん、いきなり恐怖を煽る系クロージングはないよね?
斜め下に視線を落とし、下唇を出す小夜さん。
「怒らないから、言ってみて。」
伊左美が優しく言い、それから煙草をテーブルの上に出して火を点ける。
小夜さんも鞄から煙草を取り出して火を点けた。
あれ、鞄の中に煙草入ってなかったんじゃ?
「なんか気に障るようなことしちゃったかな。」
伊左美が灰皿に灰を落としながら、小夜さんに語りかけるともなく言った。
あれ、小夜さんの煙草にはツッコまないんだ?
「そんなことはないさ。」
小夜さんがグラスに視線を落したまま答える。
目、合わせづらいんだろうね。
「ただ、ちょっと辛いことがあってね。」
辛いこと?
「辛いことって?」
伊左美が尋ねる。
「靖に寝込みを襲われたとか?」
「あり得るわけねーだろッ。」
玲衣亜は黙っててッ。
「いや……。」
小夜さん、言いづらそうで、新しい煙草に火を点ける。
「っていうか、煙草ぉッ?。」
伊左美が目を見開く。
「いまごろかいッ。」
僕、思わずツッコミを入れる。
「私は気づいてたよ。ただ、伊左美がいつ指摘すんのかなぁって思って、黙ってたの。」
変なアピールをする玲衣亜。
くっそ、こんなときまで、ホント陽気な奴らだわ。




