一章 第32話 暇潰ししよッ
早くも迷子ですわ。
話がどこへ向かっているのか……。
僕たちは今日、アイデンティティを獲得しに行く。
いままで、僕たちは何者なのって話になると、お菓子屋の従業員です、としか言えなかったからね。
しろくま京だって?
なにそれ? 知らないな。そんなふざけた名前の街なんてあるもんか。
僕たちの出身地はなんとかって国だし。
昨今は工業化や市街地の大改造計画推進に伴って他国からの移住者も増えているみたいで、移民管理局の審査も案外甘いんだってさ。特になんとかって国からの移民が多いから、その国の大使館で申請すればなんとかなるだろうという話だ。
これ、支配人の入れ知恵なんだけど、「もしキミらがどこかの国の諜報員だなどと後日、明らかになった場合は大人しく殺されてくれよ」と念を押されちゃった。
ま、半分冗談なんだろうけど。
この国も暢気に成り立ってるわけじゃないんだね。世界情勢のことなんかは判らないけど、伊左美なら結構本を読んでるみたいだから、なにか知ってるかもしれない。
促されるまま僕たちは某国の大使館に行き、適当な理由をでっちあげて旅券を発行してもらい、それから移民管理局で労働者用の滞在証書を受け取った。局員にいろいろ聞かれたりしたけど、予習の甲斐もあって事なきを得た。
これでもう警察も怖くないね。
許可を貰って、ふつうの人としてこの国にいるんだから。
一安心したところで、小夜さんの暇潰しアイテムを買いに行きますか。
小夜さん、一日中部屋にいて日に日に精気が失せていってるようだからね。
なんとかしないとッ。
「ただいま~。」
ドアを開けて三人でリビングに入ると、ストーブの前で、赤々と燃える石炭をじっと見つめている小夜さんがいた。
「おかえり~」と覇気のない声。
視線は石炭に注がれたままだ。
どうやら退屈メーターが限界を振り切ってるみたい。
早くなんとかしないとッ。
「今日はみんなから小夜さんにプレゼントがあるんだ。」
黒眼だけを動かして僕の方を見る小夜さん。
そしてまた視線を石炭に戻すと「プレゼントって?」と呟いた。
なに? この圧倒的な興味ないんですけどって感じッ。
小夜さんにとっては、わずか三日間の退屈も相当なダメージになったらしい。
「ほら、これ、小説。ここ数百年間で人気があったって奴を五冊。ま、読んでみてよ。」
小夜さん、僕の方には一瞥もくれずにこくんと頷いた。
「オレぁギターね。楽器弾けるってのは素晴らしいことだからねッ。」
小夜さん、虚ろな視線を伊左美の手にあるギターに向ける。
「私はトランプね。一人のときは手品の練習もできるし、みんなで遊べるし、よくない?」
小夜さん、玲衣亜を一瞥すると膝に肘をついて袖に顔を埋めた。
袖の中から「ありがと」と掠れそうな声が聞こえた。
一応、嬉しいのか感謝はしてる、のかな?
ま、実際に暇潰しになるかどうかは手をつけてみないとなんとも言えないからね。
「ちょっと、お夕飯済ませたらギター弾いてみよっかッ?」
玲衣亜は暇潰しアイテムを使いたくてウズウズしてるみたい。
「おお、早く飯にしようぜッ。」
伊左美もテンション高め。
「小夜さんも、ご飯にするから手伝ってッ。」
僕は小夜さんに声を掛けてから、買い物袋から食材を取り出しにかかる。
ストーブの上に鍋を乗せてスープを作る。
パンやソーセージを食卓に載せる。
黒すぐり酒とグラスを用意する。
まもなく、温かな食卓が完成した。
夕食後、空いた皿を片づけて、お酒を飲みながらみんなで伊左美のギター挑戦の様子を見守る。
ボロン、ボロン、プーン。
ポン、ポン、ポンッ、プッ。ペーン。
うは、下手くそという次元の遥か下ッ。
いやいや、最初だから当たり前だよねッ。
でも、ギターがあることに感謝する日はしばらく先になりそう。
思いどおりに奏でられないうちは、楽器なんて騒音でしかないんだから。
「ま、練習するさッ。」
伊左美が早々と交代を宣言。
今度は玲衣亜がギターを抱える。
で、買ってきた楽譜と弦を交互に睨みながら、覚束ない指使いで弾いてみようとするも弾けやしないよね。伊左美と同じように、奇妙な音を奏でるばかり。
ああ、これはギターが泣いてんだわ。
ときどき、嗚咽を漏らしながら、自身が狂っていくことに恐怖するように。
狂わせてんのは伊左美と玲衣亜だけどね。
弾いてる当人はとっても必死そうなんだけども。
しばらくして小夜さんにギターが渡る。
小夜さん、ギターを抱えてわずかに弦を弾いた。
ポロロン、ポロン。
「ところで、このギターってもう調律はしてあるのかい?」
おっと、飛び出たッ。専門用語ッ。
「買うときに店の人がやってくれたから、たぶん大丈夫だと思うよ。」
伊左美が答えると、小夜さん、適当ながらも和音を奏で始めた。
この感じッ。
伊左美のそれとは全然違うッ。
なんかいろんな弦の押さえ方を試してるって感じ。
適当にリズムつけたりしながら。
いいんじゃない?
小夜さん、上手いんじゃない?
「小夜ってギター弾けるの?」
玲衣亜も小夜さんの技量に驚いてるみたい。
「ん、弾けないよ。」
ギターを鳴らしながら、答える小夜さん。
「その割にはなんか手慣れた感じだね。」
「まあ、向こうでも楽器は少しやってたからね。」
「楽器って?」
「琵琶。」
「あら、意外と芸達者なんだ?」
「うん、一応、年季だけは人一倍はあると自負してる。」
そりゃ、一般ピーポーじゃないもんねッ。
五〇〇年間、琵琶やってたって言われても驚かないよッ。
で、さすがというべきか、小夜さん、しばらくするとギターを結構弾けるようになったんだよ。楽譜を見ながら弦を弾く。玲衣亜がその隣で小夜さんの奏でる流行り唄を微かに歌っていると、小夜さんもリズムをその歌に合わせて刻み始めた。次々と楽譜のページを繰っては、今度はこれと玲衣亜が小夜さんにリクエストして、小夜さんがそれに応じる。伊左美も歌いだし、僕もテーブルの端を指で叩いてリズムを取る。
やれやれ、今夜は賑やかだ。
でも、こういうのってなんかいいよね。
いいんじゃない?
小夜さんの口元、笑っているみたいだし。
楽しそうでなによりッ。
ドンッ、ドンッ。
五、六曲目を歌っているところに、玄関ドアを叩く音。
小夜さんが演奏の手を止める。
伊左美と玲衣亜が警戒の目をドアの方へ向ける。
「小夜は隠れていて。」
玲衣亜がそう告げて、ドアの方へ向かった。
警官が聴き込みに来たのかもしれない。
伊左美が玲衣亜のあとを追って玄関へ向かう。
僕は小夜さんを促して、ベッドの下に隠れているようにお願いした。
玄関から玲衣亜の「あら、こんばんはー」という朗らかな余所行きの声が響いてくる。
僕は真っ暗な自室から、玄関の様子に耳を澄ませる。
次の瞬間、雷が落ちた。
「玲衣亜さんッ、伊左美さんッ。いま何時だと思ってるのッ? もう夜中なんだから、少しは考えなさいな。あんたらの馬鹿騒ぎ、五階まで筒抜けなんだよッ?」
なんだ、大家さんか。
仕切りに謝り倒す伊左美と玲衣亜には悪いけど、僕は胸を撫で下ろしていた。
「小夜さん、もう出てきていいよ。」
小夜さんがベッド下から這い出てくる。
出てきた小夜さんは爪先から頭まですっかり埃だらけ。
あらあら、雑巾代わりになったみたいね。
その姿をみた伊左美と玲衣亜がケラケラ笑ったのはいうまでもない。
こ、ここで身体洗いますかッ?
って言えないよね。
そんなん言うのは、もう少し親しくなったうえで、さらにギャグ路線へ突っ走ったあとだよ。
結局、小夜さんは玲衣亜の部屋へ連行されていってしまった。
まあ、いつかチャンスも巡ってくるさ。




