第29話 招かれざる客がいらっしゃいましたよッ
警察署で時間がずいぶん経ったように感じてたけど、建屋を出てもまだ日は高く、街中には昼過ぎの気だるい雰囲気が漂っている。
仕事に戻るべく、僕たちは肩を並べてお菓子屋をめざす。
「なんで小夜さんがこの世界にいるんだろう?」
あの日、小夜さんは虎さんたちと一緒に帰ったはずなのに。
「タイミングとしてはちょっと早い気もするけど、まあ、早々と好奇心に負けたってところじゃないか?」
と伊左美。
ああ、そういえば小夜さんもカードを持ってたんだっけ。
「彼女の出現が吉と出るか凶と出るか判らないけど、さっきのは痛快だったッ。」
玲衣亜が声を弾ませる。
「ルーシーさんも最初は見てられなかったけど、最後は格好よかったしね。」
「あれも嘘じゃないんだよな。すごいわぁ。」
「ま、今度の事件についてはルーシーにとっても色々あってのことなんだろうから、私たちがとやかく言うことはないんだけどさッ。ただ、私たちを犯人に仕立てようとしたのには正直腹が立ったわぁ。」
「小夜さんがいたからよかったものの、下手すりゃオレら、あのまま警察署に拘留されてたからな。」
「そうだね。」
「ああでも、職場でルーシー先生のみんなに対する評価を聞けなかったのは残念だったかな。」
「玲衣亜の性格も大概だよな。」
「どうせなら玲衣亜も自分の評価を聞いてみればよかったのに。」
「え、答えが判っているのに聞く必要なんてないじゃない? かわいくてごめんね~。」
いまの玲衣亜はとにかくご機嫌だ。
しばらくルーシーさんの人間性と一般的な人間性の比較論などを駄弁りながら、ルーシーさんの悪口を言ってみたり同情してみたり、称賛してみたりと、玲衣亜の整合性のないかのような話を僕と伊左美は半ば面白く、半ば呆れて聞いていた。
そのくせお菓子屋に戻ると、玲衣亜ときたら沈鬱な面持ちを拵えてから支配人にルーシーが真犯人だったことを伝えるのだから、僕と伊左美はルーシーさんばかりでなく女というのは怖いと思うに至る。
支配人は僕たちに気を遣ったのか早退を勧めてくれたので、遠慮せずに申し出を受け入れ、僕たちは帰り道に居酒屋へ立ち寄ることにした。
事件解決の祝杯を上げようってことね。
本来なら関わりのない事件だったけど、ルーシーさんの暗躍のせいで僕たちの周りにも警官が張り着いてたしね。そんな事件が解決したのは喜ばしいことですよ。
ああ、昼から飲むお酒も非日常を味わえていいわぁ。
伊左美なんか「ふだん、働いてんのはこの一杯のささやかな幸せのためだよな」とまで言っている。だいぶテンション上がってるんだろうね。
職場のこと、パーチーのこと、事件のことなど話題は尽きない。
入店時は閑散としていた店内も、午後五時が近づくにつれて労働者連中が増えて賑わいをみせる。煙草の煙が室内を漂い、遠くの方では口論の声、笑い声。夕暮れの色も濃くなると、流しのギター弾きなど現われ、さらに店内は活気づく。
どこかふわふわした心持ちで、僕たちはしばらく無口になって、まるで舞台でも観るかのように居酒屋の騒々しい一幕を眺めていた。そうこうするうちにこの場を離れ難い気持ちが湧いてきて、僕が二人に帰宅を促したのは午後八時になったころだった。
久しぶりにたらふくお酒を飲んで、帰宅するなりベッドに身を投げる。隣のベッドに座っている伊左美がなにやら喋ってるけど、もう横になった僕の耳には意味のある言葉として届かない。寝返りを何度か打ち、僕はあっさりと寝入ってしまった。
目を覚ましたのは午前六時。まだ少し重い瞼をこすり、あんまり寒いんで昨日から着ている服を着替えもせずに部屋を出る。まだ薄暗いリビングルーム。玲衣亜もまだ起きていないようだ。僕は窓から朝一番の街の様子を眺めてみる。
下を覗くと、アパート下の通りを婆さんが箒を持って掃除している。その脇には野良らしい犬が突っ立っている。廂の上からは小鳥の囀り。目を上げれば視界の中央に教会の尖塔が聳え、その隣の屠殺場の前には荷馬車から豚が続々と降ろされていくのが見える。まだ薄暗い街にはポツポツと街灯の燈が揺れて、陽が街に射すのを待っている。教会から先は霞がかって見とおせないが、さらに遠く、霞の上には小高い丘の稜線があり、そこに赤や茶、白色の煉瓦造りの家々が並び、その間に間にはすでに陽を受けた広葉樹の深い緑が輝いている。
もう少しでここにも朝が来るな。
僕は目を細めて、陽が丘を侵食していく様子を眺めていた。
ふああっ。
欠伸をして、背筋を伸ばして窓を閉める。
水でも汲みに行きますか。
ふうう、寒い、寒いと呟きつつ玄関へ向かう。
ガチャ。
「ああああーッ。」
「きゃあぁーッ。」
バタンッ。
ええ? 小夜さんッ? いや、見間違いかな?
恐る恐る、再びドアを開けると、やっぱり小夜さんッ。
「ひいいーッ。」
反射的にドアノブを引くッ。
「痛いッ。」
が、なにかにつっかえたように、完全には閉まらないッ。
少し開いたドアの先には、小夜さんの顔ッ。
眉間に皺を寄せて目を潤ませ、口元に笑みを浮かべて「痛い~」と訴えている。
あッ、ドアに小夜さんの爪先が挟まれているッ。
額から垂れる冷や汗。
あわわ、こ、殺されるッ?
「すいませんッ、すいませんッ。」
謝りながら、ドアを開ける。
そこへ、部屋の方からドタドタと忙しない足音を響かせて玲衣亜がやってきた。
テーブルの上にコーヒーが三杯、湯気を立てている。
先程のドッキリのおかげで、僕はすっかり目が覚めてしまった。
玲衣亜はまだ寝呆けている感じ。小夜さんは疲労の色を滲ませて、少し苛々しているよう。
「ちょっと煙草をくれない?」
玲衣亜が煙草とマッチを小夜さんに差し出す。
小夜さんは礼を言って煙草を受け取ると、「なにこれ?」としげしげと煙草を見てから火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出した。
煙を吐く小夜さんはしばらく目を閉じていた。
それからまた煙草を咥え、また煙を吐く。
「なんなん、煙草は持ってこなかったの?」
玲衣亜が尋ねる。
「持ってきたさッ。荷車一杯の荷物を持ってきたってのに、異世界に着くなり昨日の奴らに連行されて、荷車も奴らに持ってかれちまったってわけよッ。あいつらホントに何者なわけ?」
小夜さん、怒っていらっしゃる。
「ああ、昨日のあれは警察っていって、この街の治安を守るのが仕事の人たちよ。」
「私がいつこの街の治安を乱したんだよ? 転移して突然だよ? 治安を乱す気があったとしても、あのタイミングじゃ到底乱せないね。」
そりゃそうですよね。
「間が悪かったんですよ。」
「間がぁ?」
小夜さんはそう言うとまた煙草を吸い、僕に向けて盛大に煙を吐いた。
煙を受けて、僕は肩を竦める。
ちょ、やっぱ小夜さんの僕の扱いって酷いよね?
「聞きたいことがたくさんあるんだけど、そうだな、まずは昨日の状況を解説してもらえないかな?」
そう請われた玲衣亜が僕の方を見る。
ん? まさか僕に話させようとしてる?
僕は小さく首を振り、玲衣亜に説明を任せるという身振りをする。
玲衣亜は下唇を出して拗ねたような表情を見せると、「ちょっと待って。今朝は気分が悪くって。せっかくのお休みだし、もうちょっと寝ていたいんだけど」と小夜さんに断りを入れた。
テーブルに肘を付いて、こめかみを押さえる玲衣亜。
うん、昨日は飲み過ぎたからね。
「昨日は飲み過ぎよ。僕もまだ少しお酒が残ってるからね。」
玲衣亜に調子を合わせてみるものの、反応が怖くて小夜さんの方を見られない。
だけど、小夜さんは意外にも玲衣亜の申し出を快諾した。聞けば、小夜さん自身、昨晩はほとんど寝ていないとのこと。それで、いつのまにか僕のベッドで一眠りするという話になっていた。
え、なんで?
腑に落ちないものの、小夜さんの顔のやつれ具合を見てしまっては了承せざるを得ず、気持ちを切り替えて水を汲みに出る。
アパート近くの広場の井戸で水を汲んで部屋に戻ると、小夜さんと玲衣亜はまだ話を続けていた。
「で、結局荷物はどうするの?」
「取り返したいんだけど、どうにも勝手が判らなくてどうしたものか判断がつかないんだよね。」
二人は僕が戻ってきたことを意に介さず話に没頭してるみたい。
僕は二人のために水をコップに移し、テーブルに置く。
「ありがと。」
と玲衣亜。
「悪いね。」
と小夜さん。
自分の分も用意して席に着く。
小夜さんは水を一気に飲み干すと手で口を拭い、「それじゃ、続きは一眠りしてからってことで」と言って席を立った。
「私のベッドはどっち?」
「そっち」と玲衣亜が指差し、小夜さんが指示された部屋へ入る。
そこで小夜さんの「うおッ」という驚きの声がリビングまで聞こえたが、すぐにドアが閉められて、リビングは再び朝の静けさに包まれた。
「じゃあ、私ももう一眠りするね。」
玲衣亜も自室へ消える。
まだ時刻は七時前。
僕はカーテンを引き直し、薄暗くなったリビングルームの床に横たわってみる。
仰向けでいると、枕がないので後頭部が床にぶつかり不愉快だ。小夜さんへの遠慮もあったけど、僕は自室に入って、子供のように大人しく眠る小夜さんを横目に自分の衣服を持ち出すと、その衣服を掛け布団と枕代わりにしてリビングルームの床に横になった。
うん、やっぱ寝心地悪いわ。




