一章 第28話 嘘吐いちゃうこともあるでしょ?
「一体なにをやっているんですか。」
入室してきた二人に、警部が咎めるように言った。
「いえ、ただ、嘘や隠し事はいけませんよと,この姉さんに説教していただけですわ。まあ、それでこの姉さんも判ってくれたみたいですけど。」
小夜さんが嘘っぽい話をしている。
人の振り見て我が振り直せばいいのに。
「本当ですか?」
警部がルーシーさんに尋ねる。
「そんなの、出鱈目ですッ。」
うん、知ってます。
警部が難しい表情を二人に向けている。
すると、小夜さんがふんと鼻で笑った。
「ま、いまのはちょっと嘘も混じってましたが、この姉さんが二度と嘘を吐かないっていうのだけは本当ですよ。」
「一体、どういうことです?」
「そのままの意味です。試しになにか聞いてみましょうか?」
なるほど、どさくさに紛れて術を使ってますな、これは。
「ええっと、今日の天気はどうでしたっけ?」
小夜さんがルーシーさんに問いかけた。
「晴れですよ。」
ルーシーさんが答える。
「いまの気分はいいですか? 悪いですか?」
「ええッ、おかげさまで最悪ですね。早く帰らせていただきたいんですが。」
「もう少しお待ちになってくださいね。では、こちらの警部さんのことはどう思っていますか?」
なんだ? その質問。
「いま、そんなことを言う必要あるんですか?」
ルーシーさんも質問の意図を測りかねてるからか、警戒を露わにしている。
「あれ? 答えにくいですか? 天気、気分の質問には答えてくだすったのに。」
唇を固く結び、眉間に皺を寄せるルーシーさん。
「まあまあ、出鱈目でもなんでもいいんです。とにかく答えてみてください。」
みんなの視線を気にしてか、ルーシーさんがついに回答を始める。
「警部さんはッッッ。」
突然、言葉が途切れた。
呼吸困難に陥ったように口をパクパクさせるルーシーさん。
喉の調子を疑うような感じで自分の喉に手を当てて、それから顔を真っ青にしてみんなを見回した。
「声が、出ない?」
「声は出てるよ。」
小夜さんが答える。
「ん? どうかされました? さあ、警部さんのことをどう思っているか言ってごらんなさい。」
ルーシーさんが唾を飲み込む。
「え?」
小夜さんがよく聞こえないという身振りでルーシーさんの方に耳を傾ける。
「まだ喋る気にならないかい?」
微笑む小夜さんに対し慄くルーシーさん。
小夜さんはそのままルーシーさんの耳元でなにごとかを囁くと、ようやくルーシーさんが再び話し始めた。
「け、ごほん、警部さんは、厭な感じのする人です。」
「ほらッ、ちゃんと言えたッ。」
気まずそうに視線を泳がせるルーシーさんに対し、満足そうに頷く小夜さん。
「それだけで終わり? もっと言いたいことはないのかい?」
術で嘘を吐けなくしてんのかな?
おお、怖い。
ルーシーさんは小夜さんを見て、厭々と首を横に振る。
それを見て高笑いする小夜さん。
ちょッ、すっごい勝ち誇ってるけど、肝心の隠し事の件にまだ触れてないからねッ。
警部たちは二人のやりとりをまのあたりにして呆然としていた。
僕たちはルーシーさんになにが起こったのか、大体察しがついているからそこまで驚きやしないけどね。憐れなルーシーさんは、もう二度と嘘を吐くことができなくなったわけか。多少は同情するけども、仕方ないよね。これも運命の悪戯って奴さッ。
「とまあ、いまのでお判りいただけたと思いますが、この姉さんはもう嘘を吐かないそうです。みなさんも、試しになんでも好きなことを尋ねてみたらいかがです?」
その言葉を受け、愕然とするルーシーさん。
僕は一歩踏み出し、そんなルーシーさんの前に立つ。
「ルーシーさん。」
本題を切り出していいよね?
「ちょっと聞いてもいい?」
完全に怯えきった表情。くぅ、正視に耐えられませんわ。
「僕のことはどう思ってる?」
はい、ヘタレですいません。僕の質問がトドメになるかと思うと、聞けませんでしたッ。
小夜さんが肩透かしを喰らったようにややこけた。
ご、ごめんなさい。
「べ、別に、なんとも思っていませんッ。」
な、なんとも? そこまではっきり言わなくってもいいのにッ。
「無関心ってやつだな。」
伊左美もッ、余計な解説はいらないからッ。
「ルーシーさん、オレの評価は?」
おいぃ、僕のは逃げちゃった結果だけど、伊左美のは完全に興味本位だろ?
「おいおい、お前らなぁ。」
小夜さんが呆れたように言う。
「伊左美さんは、ゆ、ユーモアはあるようですが、なんとなく感覚がずれているというか、面白くないというか、笑えないというか。」
「そ、そうね。大体合っていると思いますよ?」
伊左美が引きつった笑みを浮かべながら引っ込む。
ざまあみろってんだ。
「じゃ、今度は私の番ね。」
玲衣亜がルーシーさんと相対する。
さっきまでわずかに弛緩していた空気がまた緊張する。
玲衣亜、ここでまさか伊左美に続いたりしないよね?
「あなたがオーナーを殺したんですか?」
ええッ?
会議室の空気が凍りついた。
「い……。」
ルーシーさんの額に大粒の汗が滲む。
「黙秘ですか?」
ルーシーさんが首を振る。
「黙秘は肯定と受け取りますよ。なお、身振り手振りでの回答は受け付けておりませんので、あしからず。」
玲衣亜が淡々と説明する。
「もう一度聞きます。あなたがオーナーを殺したんですか?」
沈黙を守るルーシーさん。
「殺したんですね? では、どうやって殺したんですか?」
ルーシーさんは答えない。
「首を絞めて殺したんですか?」
「いえ。」
「違いますか。では、拳骨で殺したんですかね?」
「いえ。」
「ナイフで突き刺したんですか?」
「いえ。」
「ウイスキーのガラス瓶で殴ったんでしょう?」
「い……。」
不意の警部の言葉に、ルーシーさんが言葉を詰まらせる。
そして、再び陸揚げされた魚のように口をパクパクさせる。
「ルーシーさん。」
警部のよびかけには、憐れみの情がたっぷりと込められていた。
「これから調書を取ります。黙秘は肯定として記録させていただきます。よろしいですね?」
もう、警部の質問にさえ答えられないルーシーさん。
「なにか、言ってみてはいかがですか?」
警部が促すと、ルーシーさんは決死の表情で口を開いた。
「お前、なにしやがったッ?」
小夜さんに対し、ルーシーさんが声を荒げる。
ひゃあ、こんなルーシーさん見るの初めてッ。
「なにって、説教をして差し上げただけじゃありませんか。」
余裕の笑みを口の端に浮かべる小夜さん。
「ふざけんなよッ。」
ルーシーさんが小夜さんに掴みかかろうとする。
そこへ警官が割って入り、ルーシーさんを羽交い締めにして取り押さえる。
小夜さんはなおも涼しげな笑みを浮かべてルーシーさんに囁いた。
嘘を吐けなくなったあんたが、これからの人生、一体どれだけ楽しくお喋りできるのか見物だわ。
「このクソ女ッ。」
「ええ、そうよ。クソですよ。」
「ルーシーさんッ。」
警部が二人の間に入り、ルーシーさんを落ち着かせたところで小夜さんに尋ねる。
「私もそれが聞きたい。一体、あなたはこの女性になにをしたんですか?」
小夜さんが小さく溜め息を吐いてみせる。
「だから、説教をしてやっただけです。」
「しかし、どう見てもいままでの過ちを反省して、とか心を入れ換えて、というふうには見えない。見たままをいえば、強制的に嘘を吐けなくさせられた、というように見えるのですが。」
警部の反論に、小夜さんは腕組みする。
「会議室にいたときまで、この女性はふつうでした。おかしくなったのは廊下から戻ってきてからです。しかも、廊下では言い争うのがこの部屋まで聞こえていて、とても、この女性があなたの言葉を受け入れたとは思えない。」
「ですが私は、話す以外、なにもしていません。手も出していないし、脅迫めいたこともしていない。」
なに喰わぬ顔で答える小夜さん。
「ルーシーさん。」
警部がルーシーさんに水を向けると、ルーシーさんは自重気味に笑った。
「その女は魔女で間違いありませんね。警部さん、彼女が言うように、私はいま、どういうわけか知りませんが、嘘が吐けないようです。嘘を吐こうとすると、途端に首を締め付けられるような、過呼吸に陥るような、そんな感覚に襲われて声が出なくなるんです。」
その言葉に驚いたのは、警部よりも小夜さんの方だったように見えた。
「ただ、廊下でなにかされたか、ということになると、まったく覚えがないんです。本当に、ただ言い合いをしていただけなんですから。」
最後の一言には悔しさが滲んでいる。
「それは本当のこと、ということでよろしいんですね。」
警部がルーシーさんにではなく、小夜さんに確認する。
「まあ、よく判りませんが、姉さんはいま、嘘を吐かないみたいですからね。」
小夜さんが頭を掻きながら答える。
あれ、いまさら他人事にすり替えようとしてる?
「あ、でも、魔女ってのは間違いだと思いますよ? だって、私自身、魔女がなんなのか知らないんですから。そうね、姉さんが勝手に私のことを魔女ってもんだと信じ込んでしまってるんでしょうね。それなら、たとえ間違っていたとしても嘘にはならないんでしょう。同じように、姉さんは私になにかをされた、と思い込んでいるようですが、私は説教以外、ホントになにもしてませんから。」
警部の顔には冷や汗が張り着いている。
「あんた、自分の言っていることが判っているのかい?」
今度は小夜さんがルーシーさんに尋ねる。
「え?」
ルーシーさんが顔をしかめる。
「嘘を吐けないって認めるってことは、自分が犯人だと認めるようなものなんだけど?」
「まあ、そうね。でも、さっき気づいたんです。危うく私もあの男と同じ過ちを犯すところだったって。自分がやったことですもの。その責任から逃げるわけにはいかないでしょう? それにもう、認めるも認めないもないですし。」
ルーシーさんの返事はあっさりしたものだった。
あの男ってのは、オーナーのことだったりするのかな?
「ちょっと待ってッ。一つ聞いておきたいんだけど。」
玲衣亜が二人の間に割って入る。
「ルーシー、私たちをオーナー殺害事件の犯人に仕立て上げようとしたよね?」
「ええ、ごめんなさい。最初は、そんなつもりはなかったんだけどね。気がついたら、そういうシナリオになっていたの。でも、いまは悪かったと思ってる。本当にごめんなさい。」
「ふん、一応、確認しておきたかっただけ。別にいいよ。もう、疑いは晴れたわけだし……。警部さんッ。真犯人も見つかったことですし、これで私たちはお役御免ってことで、帰らせてもらいます。」
「あ、ちょっと……。」
「そうですね。みなさんが魔女だっていうのも、考えてみたらおかしな話だったかもしれませんね。」
警部がなにか言いかけたところへ、ルーシーさんが口を挟む。
唖然としてルーシーさんを見る警部。
「すいません、警部さん。私の方からけしかけておいてなんですが、彼女たちが魔女だというのは撤回します。」
「しかし、現に嘘が吐けなくなるという、ふつうでは考えられない症状に見舞われているじゃないですか。それはどう説明するんですか?」
「さあ、判りませんねえ。でも、それがその女性の仕業であるとも言い切れないのも事実。」
ルーシーさんが小夜さんの方に目を向ける。
小夜さんは白々しい目でルーシーさんを見ている。
「それに私、元々嘘なんてそんなに吐かない方ですから。そう、生きていくのに嘘なんて必要ありませんね。だから、私は彼女を罪に問おうとは思いませんッ。」
「はッ、どうりでッ。嘘を吐いてるってのが判り易かったわけだッ。」
小夜さんがニヤッと笑った。
「だから、この会議室で起こったことについては、被害者も加害者も存在しない、ということで。」
小夜さんは踵を返し、机の上に置いていたのであろう鞄を取ると、またルーシーさんの前に戻ってきた。
「あんたすげえよ。ホント、参ったよ。」
ルーシーさんにそう言うと、小夜さんは警官のことなど眼中にないといったふうに、自然に退室していった。
呆然と小夜さんを見送る警部たち。
「あ、では私たちもこれで失礼します~。」
小夜さんに続けと、僕も低姿勢で挨拶しながら、そそくさと聴取室をあとにする。現場に残っていると、決まってくだらない用事でよびとめられるんだから。僕のあとに伊左美と玲衣亜も続いてきた。
部屋を出たところで、玲衣亜が半開きのドアから室内側に顔を入れて言う。
「警部さんッ。今回、こちらの言い分にまったく耳が傾けられることなく、そちらの一方的な主張によって濡れ衣を着せられそうになったことについては、とても不愉快に感じています。できれば、みなさんとは今後、あまり関わり合いになりたくありませんので、私たちが本当に罪を犯したのなら話は別ですが、ただのあなた方の気まぐれでこちらに接触してくるのはやめてくださいますよね? 本当に気分が悪くなってしまいますので、よろしくお願いします。」
捨て台詞を吐いて、僕たちは警察署をあとにした。




