10-26(270) 嘘
トール城の見てくれはあまりパっとしないものだった。城壁は石煉瓦というか大きな石が無造作に積み上げられただけのもの、城郭も二階建てで背が低くとてもじゃないが国境を守備するにはお粗末な造りに思えた。精々が国内に設けられた関所ってところか。
連邦4ヶ国が連邦制になる以前には軍事施設としての役割を果たしていたのかもしれないが、いまとなってはブロッコ王国時代の遺物という趣さえある。
トール城の周りには兵舎、厩があるほかに人家らしきものがまったくない。同じ国境でも他国との物流の玄関口として賑わうテイルラント市とは異なるようだ。
三〇〇年前から変わらない風景と言われても納得できるような辺境の地。
しろくま京出身の僕としてはここは緑が多過ぎて過呼吸になりそう。開けた草原にポツポツと頭を出す石灰岩。こんなところでみんなどうやって生きてるのか不思議なくらいだ。
城の前、城壁の上でフラフラ歩いている男を指して、
「あの城壁の上にいるのも獣人だし、城門の前にいるのも獣人。もう周りはみんな獣人なんだ。んで、基本的に獣人と聖・ラルリーグは敵同士だから獣人と話したりするときは気を抜くなよ。不用意なことを言えばすぐに喧嘩になるから。そしたら出禁だからな。」
伊左美が辺りにいる獣人を示しながらそんなことを言った。
「そしたらみんなで喧嘩して敢えて出禁になるってものいいんじゃない? そしたらこんな辺鄙なとこからもおサラバできるし、パン屋にも専念できるじゃん。じゃん? じゃじゃじゃじゃ~ん。」
そう割かしマジで言ってみたんだけど、当然その案は却下された。ていうか、お手伝いさんは出禁になるだろうけど虎さんは出禁になることはないだろうってさ。そりゃそうだわ。
トール城はみすぼらしいものだったが、傍にある兵舎やお屋敷は定期的に建て替えが行なわれてきたのか、聖・ラルリーグで見られる家屋と変わらないものだった。
その中でも特に大きなお屋敷に虎さん達は住まわせてもらっていて、お手伝いさんである僕達もそこに寝泊まりしていいみたい。
僕達はお手伝いさんとして来ているものの、お屋敷にはすでに使用人が多数いて、使用人用の母屋や厩などの設備も充実していて、はっきり言って僕達の出る幕はなさそう。おマツさん達世話焼きご近所さんを擁する虎さん屋敷もこれには敵わないな。
僕達があてがわれているのはお屋敷の一番近くにある兵舎の二階だった。
一階には虎さんと一緒にやってきた兄弟弟子の女性とそのお供達が起居している。
夜、質素ながらも一汁一菜揃った夕食を済ませたあと、質素ながらもアキちゃんの歓迎会兼僕の復職祝いをしようということでお酒を飲むことになった。
久し振りの超楽しいお酒。
みんなと交わす言葉の一つひとつが嬉しくて幸せ。
今日とは違う明日が来る予感って好き。
思い返せばちょっと前まで虎さんともう一度会うのが怖かった。伊左美と玲衣亜にもう一度受け入れてもらえるとは思っていなかった。
本当に伊左美と玲衣亜は僕には僕には過ぎた友人だと思う。
アキちゃんもこの雰囲気に馴染んでくれればいいと思うけど、いまはみんなと笑顔を浮かべて飲んでるけれど、胸の内でも笑ってるのかが心配なんだよね。
飲みながら、アキちゃんの恰好が話題に上がった。
猫耳を出すべきか隠すべきか。
ブロッコ国領内だから獣人がいても問題はないのだけれど、虎さんのお手伝いさんで来てるのにその人が獣人だと問題ではないか、とか。結局アキちゃんにはバンダナ着けてもらって、なぜだか僕までバンダナを着けることに決まった。カップルでバンダナ巻いてりゃ自然だろ?ってさ。このへんはちょっと冷やかされてる感じもするけど、まあええわ。
歓迎会兼お祝いも終わってお手伝い三人衆と伊左美、玲衣亜も一緒にお片づけして、それぞれの部屋に戻ったんだ。
みんなは個室があるのに僕とアキちゃんは同室。
みんな変に気を回してくれてるのかもしれなかった。僕とアキちゃんはまだそういう間柄ではないんだけども。
部屋に入って二人きりになると、アキちゃんが息を詰まらせてシクシク泣き始めた。なんで? と思ってたら、彼女ったら涙を流しながら僕にありがとうって言ったり、ごめんなさいって言ったりするんだ。
なんのことを言ってるのか大体判ったから、「なにも気にしなくていいよ」と微笑んでみせると、彼女が不意に僕の方に突っかかってきて僕の首筋の辺りに顔を寄せたから僕はなんとなく彼女の背に腕を回したんだけど、背に回した腕で抱き締めることなんてできなくて、ただ弱っている人を介抱するときのようにその手は背を軽く撫でるだけだった。
僕も彼女のことを好きだし、彼女も僕のことを好いてくれてるのは判ってんだけど、まだ彼女は僕のじゃない。
「聖・ラルリーグに出奔したと思ったのに、もうコマツナ連邦との国境とか。虎さん達ってなかなか凄いでしょ?」
彼女の背をポンポンと叩きながら言った。
「ナツミやユキコさん達と合流できるかは判んないけど、ここにいればいつだって戦場に行けるよ?」
背中を撫でるのに飽きた手が今度はアキちゃんの髪の方に伸びた。彼女は相変わらず僕の首筋に顔を埋めて、シクシクと泣いている。
「ナツミやユキコさんが戦場でアキちゃんと一緒にいられなくても、僕だけはずっと一緒にいるから。その日がパンの販売日だとしても構わない。当日欠勤上等だわ。」
「嘘ウソ、ちゃんと虎さん達に事前に断っておかなきゃね。いつ言う?」
彼女の手が僕の胸の辺りから背中へと回った。でも強くは抱き締められなくて、爪だけが僕の背に突き立てられた。彼女の吐息が熱い。
「靖さんって最高にお人好しだなって思った? 思ってない? ふん、いいよ。でも僕は思うわ。僕ってなんて人が好いんだろうって。僕が女だったら僕に惚れるか後ろ指差して大笑いするかくらいあるわ。」
ここまでアキちゃんからなんの返事もなし。
やや背中に回された爪がより深く喰い込むのを感じた。
「遠い未来の話なんてしないから。これからその日まで、連邦との戦にだけ焦点を当ててよっか? 僕のこととかパンのことはしばらく忘れてなよ。じゃないとアキちゃん、近いうちに身体から水分がなくなっておばあちゃんになっちゃうぜ。」
彼女の髪を梳いてた手が今度は彼女の頭を撫でる。
「参ったね。一人でずっと話し続けるってのは初体験だからそんなに上手くないんだ。」
あるいはいまの彼女にはどんな気の利いた言葉もいらなかったのかもしれないけど。
「ねえ、うんとかすんとか言ってみて。」
ずっと言葉もなくこうしてると間違いを起こしちゃいそうだったから、そう言ってみたんだ。すると彼女、
「……うんとかすんとか。」
って!
天啓が下った気がした。
「ごうかぁく!」
僕は彼女の身体を離してそう告げると、彼女の右手を取ってガッチリと握手した。
「やっぱ僕アキちゃんのことが大好きだ。ホント、もう最高だよ。」
なんかもうそんな気がしたわけ。
気が付くとさっきまでためらってたのにもう彼女を抱き締めてた。
翌朝、虎さん達は出掛けてしまい、僕達お手伝いさんは葵ちゃんを筆頭にお部屋の掃除や洗濯に精を出してたのね。葵ちゃん曰く、三人に増えたにもかかわらずみんなでサボってたら外聞が悪いというか存在意義を疑われかねないって。
そりゃそうだよね。葵ちゃん一人のときもサボりが結構噂されていたみたいだし。それが三人ともなればなおさらだ。特に一階に住んでいる虎さんの兄弟弟子の存在が鬱陶しいらしい。折戸って人が葵ちゃんのサボりに目を光らせていて、ガミガミ言ってくることもあるのだとか。
「私は別になに言われたって別にいいんですけど、靖とアキまで文句言われてるのを見るのはムカつきそうだからね。」
ドヤ顔でそう言う葵ちゃん。ふつうなら頼もしく感じられる一言なんだろうけど、いまの彼女は絶賛先輩風を吹かせている最中だから、やれやれとしか思えない。お手伝いさんの仕事中限定らしいのだけど、僕のこと呼び捨てにしてるし。
「昨晩はお楽しみでしたか?」
そしてアキちゃんが外で洗濯物を干していたとき、部屋内に僕と葵ちゃんだけになったと思ったら葵ちゃん、下世話なことを尋ねてきた。
「うん、楽しかったよ。」
真面目に答えるのも馬鹿らしいからどうとでも解釈できそうに短くそう答えた。
「そんな怒んないでくださいよ。久し振りにこうして一緒になれて、じゃれてるだけなんですから。」
急に雰囲気を変えて寂し気に視線を逸らす葵ちゃん。
以前と変わらず、僕にはこの子のことがよく判らないっス。
「じゃれるのはいいけど挑発みたいなこととか煽ったりとかはやめてね。じゃれるのはいいよほらおいでおいで~。」
僕もなんだかんだ負けず嫌いみたいだわ煽られたら煽り返しちゃう。
「靖さん……。」
お? 急なさん付けに僕の中の警鐘が鳴り響く。こいつはいまから碌でもないことを言うぞ警戒しろって。
「真面目な話していいですか?」
ひぃ、来た!
「ダメ。」
「靖さんとアキって結局どうしたいんですか?」
だからお前僕まだ話していいって言ってないよね?
しかもちょっと答え難い質問だし。
それでも嫌な感じのしない純粋な眼差しを僕に向ける葵ちゃん。この虎さん達大好き人間になんて話したらいいのやら。




