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10-23(267) 希望

 翌朝、ちょっと遅い時間に起床するともうお屋敷に虎さんと爺さんの姿はなく、代わりに伊左美と玲衣亜、それに葵ちゃんがいた。


「いま私らコマツナとの国境にあるトール城に入っててさ、別に私らのお目付け役ってわけじゃないんだけど、黄泉さんの弟子の女が一緒にいるのね。だからおいそれと全員でトール城を抜け出してくるわけにはいかないんだ。」


 玲衣亜の話によれば、トール城でコマツナ連邦の動きを牽制する任務は特に激務というわけではないらしいが行動を共にしている黄泉さんのお弟子さんのほかトール城に籍を置く仙道や兵士達との絡みもあるからそう簡単には聖・ラルリーグには戻ってこれないらしい。誰の口からどんなきっかけでサボりが露呈するか判らないからだ。下手な嘘も言い訳も一切使わないのが吉。いまの伊左美と玲衣亜はパンを販売するという無茶をしているわけだから、これまで以上に慎重になる必要があると考えているらしい。で、今日はなんか暇を貰ってるんだってさ。


「私はいつも暇なんですけどね。」


 葵ちゃんは虎さんの世話係で付いてってるっていう設定になっているらしく、大抵のんびり過ごしているみたい。


 それから僕達は軽い朝食を摂った。


 伊左美、玲衣亜、葵ちゃんの三人ともアキちゃんに対してふつうに接していた。




 そして、食後にお茶を飲むことになった。


 伊左美と玲衣亜は限られた時間しかないにもかかわらず、だ。


 アキちゃんという新顔が加わるから、互いの距離を縮めようという意図なのかもしれない。


 エルメスのこと、お菓子のこと、仲間の獣人達がの話とか、再会したばかりだったからっていうのもあるだろうけど、話題に困るようなことはなかった。


「そういえばケンちゃんは一緒じゃないん?」


 会話の中で極自然に伊左美がアキちゃんに尋ねた。


「うん、ケンはまだ幼いからエルメスに置いてきたんだ。元々私は戦に出るつもりで戻ってきたし。」


 そうそう、いまも戦に出たい気持ちに変わりないことを伊左美達にはどこかのタイミングで伝えないといけないね。


「ケンちゃんってあの噂のアキの弟さん!?」


 なんか葵ちゃんが超喰い付いてきたんだけど。っていうかケンちゃんがいつ噂の弟になったんだよ。


「うん。噂にはなってないけど。」


 とりあえず短く答えてみた。


「戦に出たらアキ死ぬかもしれないのに? なかなか素晴らしい郷土愛じゃない、ねえ? ボス。」


 葵ちゃんがなんか腹立たし気に僕に共感を求めてきたぞ?

 しかも呼び方がボスだし。


「そ、そうね。アキちゃん達もいつまでもエルメスで暮らすわけじゃないし、こっちで暮らす場所は守っておかないとね。」


「あらあらそうでしたか。なんか人のためにがんばってみても色々不確定要素があり過ぎてなかなか上手い具合にはいかないもんですねぇ。」


 ああ、葵ちゃんにはアキちゃんを攫った理由を話してたから、それで怒ってんだね。こないだはダニーが生きるの辛いみたいなことしれっと言ってたし。


「ご、ごめんなさい。」


「だからアキちゃんが謝らなくていいからね?」


 アキちゃんがいつもの癖でみたいなノリで謝ったからやんわりと注意した。


「そうだよ。別にアキが謝ることじゃないし。ただ色々あるってのが問題だって言っただけだから。それに私も父をないがしろにしてるとこあるし、家族だからっていつもいつも一番に考えていられるわけじゃないってのは私も判ってるんだ。」


 葵ちゃんは誰かに怒ってるってわけじゃなかった。強いて言えばこの世の中に怒ってるって感じ? こっちの世界に対しても、あっちの世界に対しても。


「靖さん、いま私の胸見ましたよね?」


 !?


 さっき葵ちゃんが言った父から乳を連想して視線が動いてしまったのを敏感に察知したのかこいつなかなかやるじゃないかっていうかそこに気付くってことはお前自身父から乳を連想したんだろぉ? と思わないでもないんだけど。


「あ? 葵ちゃんの胸とか見るわけないじゃん、ねえ?」


 アキちゃんの胸の方が大きいし。


「靖さん、いま私の胸見ましたよね?」


 な!? アキちゃんまでそんなことを言うんだ?


「靖、いま私の……」


「うっせえ! 誰が伊左美の胸なんか見るかよ!」


 玲衣亜が言うならまだしもなんで伊左美なんだよ?


「まだなにも言ってないのに。ってかオレのには興味ないってはっきり言ったってことは裏返せば葵ちゃんとアキの胸はやっぱ見てたってことだよな?」


 こいつがまた余計なことを……。


「馬ッ鹿、僕はもう何年も前に悟りを開いてんだからもう女の胸なんかに興味ねえんだよ。胸なんか所詮ただのおっぱいじゃねえか。」


「うわ! 女の胸に興味ないってことはやっぱり伊左美の胸に興味があるんだね?」


「玲衣亜も無駄に人の言葉の裏を読もうとしてんじゃねえし。」


「はいはい、靖がムッツリだって判ったところでケンちゃんの話に戻るけど、アキはケンちゃんと一緒にいた方がいいよね?」


 おい、人にダメージだけ与えておいて平然と元の話に戻るってなにこれ?


「それはそうなんだけど、現状まだ向こうの方が安全だから、とりあえずしばらくはこのままでいいかなって。」


「ふ~ん。タケシさん、だっけ?」


 玲衣亜がタケシの名前を出したから


「そ、タケシとタクヤ、それにケンちゃんの三人がいまエルメスにいる。あいつら会社を経営してるってんで、いまそれを潰すのがもったいないんだってさ。」


と、僕は慌てて答えた。


「ふむ……。」


 唸る伊左美。




 結局その場ではケンちゃんをどうするとかタケシ達をどうするって話にまでは至らなくて内心胸を撫で下ろした。


 虎さん達を取るか、アキちゃんを取るか……、タケシ達のことを考えると決まってタケシ達に対して僕がどう対応するかってことが僕への踏み絵じゃないかと思わずにはいられなかった。


 でも僕はこの数日間で決心してた。

 タケシ達にはこっちに戻ってきてもらおうって。


 なのに僕はこの問題をアキちゃんにはついに話すことはなかった。


 タケシ達を取るか、僕を取るか……、じゃあ、アキちゃんにこの問題を突き付けたとき、それは僕がアキちゃんに踏み絵を迫るようなものじゃないかと思った。


 その先のことは思考停止しちゃっていままで考えられなかった。


 そしていま改めて考えてみようとしてもダメだったから、出たとこ勝負だな、と思った。




 お茶の後はパンを販売させてもらっている饅頭屋に挨拶に行き、それからも慌ただしく小麦農家、酪農家などなど関係各所へと挨拶して回った。


 一人ひとりと言葉を交わすうちに夢物語が現実になろうとしているのが肌で感じ取れた。


 希望に溢れた表情に声。


 みんなが虎さん達がやろうとしていることに期待しているのが判った。


 このワクワク感は初めてエルメスを訪れたときと似たような感覚だった。


 しかもあの頃は夢ばかりがあって将来の見通しってのがなかったけれど、いまはなんとなく将来を見据えることもできてる。


 なんか急に目の前の景色が開けたような気分。




 お昼過ぎ、挨拶回りを終えた僕達は葵ちゃんの爺さんの家に立ち寄ることになった。


 爺さんの家に行くよって話のあと、伊左美に呼ばれた。


「これからエルメスの獣人のところに行くんだけど、アキは大丈夫?」


 どんな話をされるのかと思ったら、まさに青天の霹靂だった。


 今日の今日でタケシ達のところへ行くって、たぶんタケシ達をやっつけに行くってことなんだろうけど……アキちゃんは大丈夫かって?


 そんなん、タケシじゃないけどアキちゃん本人に聞いてもらわないと僕だって知らないよ。

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