10-20(264) 逃げた
足音を立てないように若干気を遣いながら丘を駆け上り、塀の傍まで到達。丘の上から見下ろせば宮廷の廊下に松明の明かり、さらに視線を上げて市庁舎の方を見ればおそらく衛兵がいるのであろう辺りにほんのりと明るくなっている。再び塀の方を見れば塀の先も周囲も真っ暗だ。
絶対こっちが正しいわ!
暗さ加減を見て僕の選択が間違っていないと再確認する。
ただの人であれば越えるのも容易でない塀もいまの僕ならひとっ飛び。僕に続きアキちゃんもピョンと軽く塀を乗り越える。
ついに許可なく宮廷の外に出た。しかも夜!
できるだけ気配を消して竹藪を下る。藪を抜けた先には、見慣れているはずなのに夜だからか知らない街の一画のように感じるブロッコ市街の風景が広がった。
月下に建屋の黒い影、道ばかりが微かに青く照らされている。
そこへヌラリと動く人影が一つ。
誰だ!?
建屋の影から現われ、人影の顔が月に照らされ露わになる。
狐々乃ちゃん!
なんでお前昨日といい今日といい、タイミング良くそうポンポン待ち伏せることができんだよ!?
「分かれて逃げる?」
横合いから冷静なアキちゃんが小声で言う。
「いや、逃げない。」
僕たちは悪いことをしてるわけじゃないんだ。ブロッコ国側の都合で宮廷っていう鳥籠に閉じ込められてるだけ。
「じゃ、やっつけるの?」
アキちゃんの口調は僕を咎めていうるようだった。
「いや、まあ、喧嘩になるなら、しょうがないね。」
「敵は一人とはかぎらないよ?」
「ああ、そっか。」
狐々乃ちゃんが一人じゃないなら、面倒だなと思いつつ歩を進めると狐々乃ちゃんも僕たちの行く手を遮るように歩を進める。衝突不可避。もうどうしたらいいか判らないんだけど。
「靖さん……。」
斜に構えた狐々乃ちゃんが僕たちを睨む。
「夜も働いてんだ? ちゃんと寝ないと身体に障るよ。」
とりあえず様子見。不穏な雰囲気が漏れてきたら一目散だ。
「ここで逃げたら、ブロッコ国宮廷も敵に回すことになりますよ?」
「そうなん?」
僕の心配の言葉は無視か。ブロッコ国宮廷なんて、元々味方であるとも思っていないんだけど、敵ってわけでもなかったし、それが敵になるってのは面倒だな。
「聖・ラルリーグも敵に回して、そのうえブロッコ国まで。逃げるアテもなさそうだけど。」
四方八方敵だらけみたいな言い方しないでほしいんだけど。アキちゃんが無駄に怯えちゃうじゃないか!
「聖・ラルリーグは百歩譲って敵でもいいけど、ブロッコ国の宮廷に敵呼ばわりされる筋合いはないんじゃない?」
「じゃあ、アキさんはこの国の人ですから、彼女は置いてってください。靖さん一人でお出掛けするならそれは靖さんの勝手の範疇で通るかもしれませんから。でも、アキさんまで連れていくなら、宮廷としてはアキさん誘拐犯と見なさざるを得ないでしょう。」
「そうか判ったよ。みんな敵だわ。」
アキちゃんの前でなんてことを言わせるんだ! 下手したらアキちゃん呆れてここに居残っちゃうんじゃない? そんな不安が脳裏を掠めたから、アキちゃんの方を振り返った。でもアキちゃん、ん?って感じの顔したから、特にいまの僕と狐々乃ちゃんの会話を気にしていないんだと判った。それはそれで僕の方がアキちゃんに呆れちゃうけど。
ふ、と思わず口元が綻んだ。
いまので怖気づかないなら、この先もきっと大丈夫って思ったんだ。
「それじゃ、僕たち近々お菓子屋を始めるんで、ここでいつまでも遊んでるわけにもいかないんだ。判る? お菓子屋。僕らお菓子屋するんだ。」
行こう、とアキちゃんに手を差し出すと、柔らかく握り返される。
その手を引いて狐々乃ちゃんの横を通り過ぎた。
「靖さん!」
見逃してくれた? とか思いつつ内心ヒヤヒヤしながら歩いてたから、背後から呼び止められて超ビクってなった。咄嗟にアキちゃんの身体を引き寄せ、彼女を庇うように狐々乃ちゃんの方へ向き直ると、
「これを返しておきます!」
と、彼女が懐から取り出して投げて寄越したのは僕が江精明に没収されていた拳銃だった。正直、意味が判らなくて困惑したけど、そんな僕の疑問に答えることもなく、狐々乃ちゃんはくるりと踵を返して宮廷正門の方へと歩いていった。
「と、とにかく行こう。走ろう。」
拳銃を返してくれた意味を考えてる時間が惜しかったから、僕たちはとにかくその場から離れることを優先した。
市街地から離れて田畑が広がる地域に出て、一度休憩を取った。
アキちゃんに大丈夫かと尋ねると、平気な顔で大丈夫って言われた。靖さんのペースで走ってくれってさ。なんか当然かもしれないけど僕の方が非力なようでちょっとショック。不意に“ 動けるゴリラ ”といういつだったか伊左美が言ってた言葉を思い出し、目の前にいるアキちゃんを見詰めてしまった。どうしたの? という彼女の言葉に我に返り、改めて思う。
動けるゴリラって表現は適切じゃないな。ゴリラみたいな怪力を持った美人さんって感じじゃない? とか。いやいや、ゴリラって言葉を入れてる時点で不適切なんだよなぁ。っていうかそもそも伊左美が失礼な奴なんだから。
そう思ってると僕の顔がややニヤけてたらしく、
「なに人の顔見てニヤニヤしてるの?」
とアキちゃん少々お怒りのご様子。
「ごめん、ちょっと昔のことを思い出してね。」
「どんな面白いこと思い出したの?」
「うん、それは伊左美の名誉のためにも言えないんだなぁこれが。」
伊左美の名誉だけじゃなく、身の安全のためにもね。言えば、伊左美がアキちゃんにドツキ回されるかもしれないからさ。
「じゃ、そろそろ行きますか?」
まだブロッコ国領内だ。
幸い追手の気配はないけれど、油断はできないからね。早く国境を越えないと。




