10-19(263)脱出
夜の宮廷外周の様子を探ってみようと思い、ランプを片手に部屋を出た。
月夜に照らされた庭園を抜けると早速宮廷と市庁舎を隔てる門扉に突き当る。押しても引いても開きやしない。夜は宮廷から出られないようになっているのかな? ま、というのは僕の事情であり、正しくは夜間に宮廷に入って来られないようにしているのだろう。閉ざされた扉越しに耳を澄ませてみる。宮廷と市庁舎を隔てる塀の周辺に人の気配はない。
かといって塀を越えたのちにその姿を見咎められでもしたら、たちまち僕も不審人物扱いされてしまう。実際に逃亡を図るのに先立って警戒されてもやりにくいから、今日のところは迂闊に夜間の宮廷周辺の調査はできないということが判っただけでよしとした。
あと2日。
翌日、日中は宮廷内部と外部からそれぞれ逃亡経路はないか探ってみた。
宮廷と市庁舎はひと続きの高い塀でぐるりと囲まれており、宮廷への出入りには市庁舎の敷地を通る必要がある。塀からの出入り口は一箇所、市庁舎の正門のみ。
もしかすると緊急避難用の秘密の抜け道があるかもしれなかったが、存在が不明では利用もできない。
誰かにそれとなく聞くことも憚れるしね。なにしろほんの僅かでも警戒されたくないのだから。それでなくとも狐々乃ちゃんを監視に付けられてるって時点でもう警戒されてんだから。ホント、虎さんの考察に接するまで僕はどこまで暢気だったんだろって我ながら情けなくなるよ。
正門に向かって左手の方に衛兵たちの詰所があった。
正門から飛び出すのは避けるべきだな。
それでは、と市庁舎とは反対方向に目を向ければ、そちらは小高い丘になっていて丘の頂上から左右に塀が渡されてるという形で、塀の向こうには鬱蒼とした竹藪が見える。正門と比べれば脱出しやすいスポットである気もするが、ではこの丘の警備状況がどうなっているのかといえば……。
丘の麓から宮廷までの距離は想像以上に長いようだ。麓には民家が数軒あり、その脇道を抜けて竹藪になり、道なき道を進むと塀に突き当たるのだろう。ただ麓から眺めたのでは塀どころか竹藪の先がどうなっているのかさえ判らないといった具合。
僕が知りたいのは塀の外周に警備がいるのかどうかという点なのに、相変わらず狐々乃ちゃんが貼り付いているからあまり不審な動きも見せられない。
尤もらしい理由があれば……。
僕は暇潰しに竹で籠を編むからと狐々乃ちゃんに申し出て、堂々と宮廷裏に広がる竹藪に入った。
「靖さん、どこまで行くつもりなんですか?」
竹藪の奥へ分け入ってゆく僕に狐々乃ちゃんが尋ねるが、あまり非難めいた口調ではなかった。
「うん、一等良い竹がどれか、一度この竹藪の中を散策しようと思ってね。」
視線を藪の斜面に走らせる。
人が頻繁に行き来しているような足跡はない。
ここしかないか……。
しばらくして宮廷の塀に行く手を阻まれる。竹藪から見る塀は宮廷側から見るそれとはだいぶ印象が異なった。塀に沿うように見回しても警備の手はないようだった。獣人の身体能力ならばこんな塀、すぐに越えられそうなものだが。
「これってもしかして宮廷の塀?」
わざとらしく尋ねてみる。
「そうです。」
簡潔な返事。
「へ~。」
ここで警備をしなくていい理由を考えてみる。宮廷にはブロッコ国に長年仕えてきたっていう江精明がいるんだ。宮廷の安全について彼がないがしろにするとは思えなかった。かといって、こんな塀ごときで宮廷の安全が担保されているはずがない。
虎さんが以前、黄泉さんは陣を敷くと言っていたことがあった。陣の中に入ればたちまち落命すると。
江精明がこの竹藪に陣を敷いている可能性は?
いま僕が無事なのは狐々乃ちゃん同伴だからでは?
ダメなのかこれで良いのか……、虎さんの考察を聞いてからというもの、どうやら僕は疑心暗鬼になってるようだ。
「清明さんの仙八宝ってどんなアレなんっスか?」
あくまで暢気な馬鹿を装い……って、装わなくても馬鹿は馬鹿なのかもしれないけれど、江精明に単刀直入に尋ねてみた。
すると江精明ったらなにを思ったか本当に仙八宝を抜いてくれたのね。
ブウンって伊左美の光一文字の色違いみたいなのが出てきたわけ。
「剣ッスか?」
「ああ、これがワシの仙八宝じゃけえ。ま、よく切れるただの剣じゃ思うてくれたらええわ。」
「意外とあっさりと教えてくれるんですね。いや聞いといてこんなん言うのもおかしいけど、まさか教えてもらえるとは思わんかったッスわ。」
僕が驚いてみせると、
「靖さんの仙八宝がどんなんかをこっちは教えてもらっとったけえ、これでおあいこよ。」
と江精明が笑みを見せる。
「その剣には僕の仙八宝も効かんかもしれませんね。」
「ふん、どっちにしろ靖さんを斬るような用はないわ。」
初対面のときとは打って変わって、江精明は僕に対する警戒心ってヤツを微塵も感じさせなくなったと思う。こうして相対してる分には江精明も良い人に思えてさ、彼の言う保護って言葉も掛け値なしに受け取っていいんじゃないかって気になるけれど。
騙しているのは江精明の方なのか、僕の方なのか。とはいえ、彼とはここ数日間の付き合いだし、僕にはやりたいことがあるし、なにしろ保護される謂れがないからね。
とにかくこれで脱出経路は決まったかな。
3日目、脱出の日。
狐々乃ちゃんがどれほど優秀か試す意味で、いつもは必ず外出するときに彼女に声を掛けてから一緒に出掛けるのだけど、今日は声を掛けずに一人で門前へと進む。
日中であれば庁舎から出てくる人たちもいて、僕が門から堂々と出ても衛兵は気づかない。
門を抜けて通りへ出ても誰かが追いかけてくる気配もない。
ビュウッと風が吹き、パタパタと衣服の裾がはためき、舞い上がる砂埃に目を細める。少し歩んだところで門の方を振り返ってみる。
むむ、本気で警戒してるってわけじゃないのかな?
ま、そうだよね。本気であればあんな餓鬼を監視に付けるはずがないんだから。
そしてまた通りの方へ目を移せば、なんと僕の行く手を遮るように狐々乃ちゃんが道の真ん中に立っているじゃないか。
いつの間に? どういう経路を辿って?
僕はしまった忘れてたいっけねというように後ろ頭を掻きながら彼女に近づく。
「ごめん、声掛けるの忘れてたよ。」
彼女の表情はいつもどおり無愛想だ。
「別に構いません。煙に巻こうがなにしようが私は靖さんを見張り続けるだけですから。」
初めて彼女の無愛想な表情に怖気がした。
「それって外出中に限った話だよね?」
「そうですよ。宮廷内での行動まで監視するようには言われてませんから。」
ホントかよ……と思う。
判らないことだらけでいい加減腹が立ってくる。仙道ってのは不可解なやり口を隠し持ってんだから、なにをどう予見して動けばいいのやら。でもそれはこちら側のやり口にも同じことが言えるわけで。転移の術の存在が露見していないからこそ、チーム靖はまだお縄にならずに済んでるんだから。
「でも、声も掛けずに外に出ちゃったこと、怒ってる?」
なにもできなければ、今晩、聖・ラルリーグ領内に到達できなければ僕とアキちゃんは召喚されることになるんだろうけれど、狐々乃ちゃんの仙八宝の正体が判らない以上、召喚されてしまうのはマズイな。僕たちが突然消えたって話になると、元々異世界へ出入りしていた連中と僕の関連付けが行なわれてしまうかもしれないもんね。
「別に、気にしませんよ。そんなこと。」
少しは気にしろっての。
ここに至って逃げ道があるのかどうか怪しくなってきたが、願わくば餓鬼は餓鬼らしく早めに寝てくれることを祈るしかないか。
そして深夜2時、中庭でアキちゃんと合流した。
逃げる算段は昨日までに済ませてあった。逃亡経路に変更はない。宮廷を出たらまっすぐ聖・ラルリーグ領内で僕たちを手引きしてくれる手筈になっているはぐれの仙道が待っている地点をめざすだけ。
「行こうか。」
声を抑えてアキちゃんに言う。
「ええ。」
アキちゃんが頷く。
そうして僕たちは宮廷の裏手に黒々と聳える丘をめざして駆け出した。




