一章 第26話 いままでの会話は無効ですッ
壁掛け時計の針がチッチッと動く音が厭に大きく聞こえる。
警部はどう話を展開させようかと、しばらく黙ったままだ。
最前と同じように、また顎髭をもて遊んでいる。
大方、その顎髭の中に素晴らしい閃きが詰まっていて、引っ張れば出てくるって仕掛けなんだろうさッ。
「押し問答をしていても仕方ないので、単刀直入に申しましょうッ。」
警部がいままでの流れをぶった切るように、強い口調で言った。
「ルーシーさんッ。」
「はいッ。」
警部が怯えるルーシーさんに目配せする。
一方のルーシーさんは不安気な表情を固めたまま、目配せに対してはうんともすんとも反応しない。
「実はルーシーさんが、あなた方があの女性と同じようにですね、街中に突然現れる瞬間を目撃しているのです。」
あらら、言っちゃった。
ルーシーさん、目配せにはなんにも応じてないのに。
いや、部屋に入ってすぐの会話で判ってたから、いまさらだけどね。
「突然現われる?」
玲衣亜がさも不可解な言葉を聞いたとでもいうように、警部に尋ねる。
「ええ、最前も話したように、なにもないところにパッと……。」
「いやいやいやいやッ、ちょっと待ってくださいよッ? ご自分がいまなにを言っているのか、きちんと理解したうえでお話されてるんですかッ???」
そう言いながら玲衣亜が自分のコメカミを人差し指でぐりぐり押す。
もうッ、玲衣亜面白いわぁ。
すごいわぁ、憧れるわぁ。
「なにもないところに現われるですってッ? 意味が判らないんですけどッ。」
「ええ、大丈夫ですよ。私にも判りませんから。」
警部が苦笑する。
自分の発言の滑稽さに加え、玲衣亜の言い回しが面白かったんだろうね。
玲衣亜本人は真剣そのものなんだろうけど。
「はあッ? ますます意味が判んないんですけどッ。」
おお、ついに玲衣亜様が激昂なさった。
警部はお手上げだってな感じで肩を竦め、腕を広げてみせる。
「私も最初、ルーシーさんからその話を聞いたときは、なに言ってんだって思いましたよ。訳が判らないってね。ただ、繰り返しになりますが、うちの二人の人間も同じ現象をまのあたりにしたというんで、なんとも不思議なことですが、まあ、それも事実であることに間違いはないのだろうと、そう思うことにしたんです。」
しちゃいましたか。
「どう思おうと勝手ですが、そしたらルーシーと一緒に警察署員みんなで精神病院へ行きなよッ。ほらッ、どこだったか忘れちゃったけど、あるじゃないですかッ。」
うう、玲衣亜が止まらない。
「あまり言葉が過ぎると侮辱罪で起訴しますよ?」
脇に引っ込んでいた警官がしゃしゃり出てくる。
「あらあら、そうきますぅ? ま、なにかにこじつけて人を犯罪者に仕立て上げるのがお仕事なんでしょうから? どうでもいいですけど?」
玲衣亜が挑発に乗っている。
うん、玲衣亜ってノリがいいんだよね。
って、そんなことに感心している場合じゃないッ。
僕は玲衣亜によびかけ、ひとまず落ち着いてもらい、それから警部に尋ねる。
「あの、すいません。話を戻したいんですが、すっごい戻しますよ?」
「どうぞ。」
「そもそもこれはなんの捜査なんでしょうか? 僕たちはてっきり『牡牛の午睡』のオーナーの殺害事件の関連だと思って、これまで聴取を受けていたつもりなんですが。」
とはいうものの、すでに僕たちの素生調査に切り替わっているかもしれないしね。
一応、確認しないと。
「ええ、ミッシェルさん殺害事件の捜査であってます。」
ああ、オーナーイコールミッシェルさんか。
「では、すいませんが僕たちが疑われるに至った経緯を説明していただけますか? でないと、そっちばかり要領を得たように話を進められても、僕たちにはちんぷんかんぷんなので、その、話も噛み合いませんし。」
「そうッスよ」と伊左美が野次を飛ばす。
「あら、それなら私が解説してあげましょうか?」と玲衣亜が隣でなんか言ってる。
うん、玲衣亜は無視でいいですかね?
「まず、あの晩……」
「って、マジで玲衣亜が解説するんかいッ?」
玲衣亜がなんか語り出したので、思わずツッコム。
「まあ、聞きなさいよ。靖くん。」
ああ、この感じは言いたくてしようがないんだろうな。
もう、とりあえず言うだけ言いなよ。
フォローは伊左美がするでしょ?
「まず、オーナーが何者かに殺害された晩、警察は現場を見ても犯人像を掴むことができず、会場にいる全員を容疑者に仕立て上げ、長々と待機させた挙句、全員から聴取するという暴挙に出ました。」
言ってることは間違いじゃないんだろうけど、言葉の各所に棘が含まれてんだよね。
「殺害から一ヶ月、捜査はするものの状況はまったく変わらない。なぜか? それはッ、警察は捜査している振りをしてさぼっていたッ。もしくは、無能だかのいずれかなんですけど。」
なるほど、これが言いたかったのね。
「ふつうならこのままズルズルと引っ張って迷宮入りで手を打ちましょうと会議で決が採られるのでしょうが?、オーナーも一角の人物だし?、パーチーの最中での犯行、しかも全員に聴取しているとあって、揉み消すにはあまりにも多くの人に知れ渡っており、さらに関心も寄せられています。私が貴重な時間を割いて話をしてあげたあの事件はまだ解決しないのかッてな具合ですよ。」
警部もとりあえず黙って聴いている。
止めるとまた騒ぎ出すと思っているのかな?
「となると、警察としてはでっち上げてでも犯人を逮捕したと発表しないと体裁が悪い。これはルーシーも言っていたけど、税金泥棒の誹りを免れ得ません。」
警部がルーシーさんの方を見る。
ルーシーさん俯く。
「でぇッ、でっち上げのための犯人候補になったのが私たちってわけ。どこの馬の骨とも判らない妙ちくりんな奴らだから?、人物像をどんなに脚色してみたところで誰も疑わない。こんなに都合のいい奴らなんて滅多にいるもんじゃないッ、ってね。晴れて私たちを逮捕しちゃえば万事解決ッ。とまあ、これが今回の事件の落とし所でしょ?」
警部が大きく息を吐きながら唸る。
「でも、魔女にまでご出演いただくなんて、まずはこの脚本を作った人を詐欺罪で逮捕した方がよろしいんじゃないかしら?」と玲衣亜が締め括った。
「参りましたね、これは。」
そう言って苦笑いするケイブ。
いや、参ってるのはこちらなんですけど?
その警部の反応に玲衣亜は溜め息を一つ漏らす。
「ま、玲衣亜さんの言うことも判らないでもないですが、とにかく、あなた方にはもう少しいろいろと尋ねたいことがありますので、しばらくこちらで拘留させていただきますよ。」
ええッ? なにそれ?
「出たッ、とにかくッ。」
玲衣亜が悲鳴を上げる。
「なにがなんでも、か。」
伊左美が呟く。
「まあ、まだ彼女たちが犯人と決まったわけではないのに、それはやり過ぎじゃありませんか?」
ルーシーさんが警部に哀願するように言う。
「あら、気が合うじゃない?」
もう、いまの玲衣亜は見境なく喧嘩を売っていくね。
煽り虫の本気は怖いわぁ。




