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10-7(251) 送別会

 狭い室内に獣人たちが犇めいてくつろいでいる姿をドアの傍に立って見ていると、まあ一見聖・ラルリーグ側のふつうの人と変わらないような感じ。だけど頭に巻かれたバンダナを一枚剥ぎ取ればそこには獣耳が現われてくるわけで。


 送別会が始まると僕はタケシやタクヤ、アキ、ナツミ、ユキコといったタケシのお店に常駐していた連中の輪の中で過ごした。互いに酌をして適度に酒を飲みながらニコラ暗殺の武勇伝を聞かせたり、ブロッコ国の現状を聞いたりした。


 どうやらブロッコ国は数日前に連邦からの独立を宣言して国内から連邦軍を追い払ったらしい。連邦軍が大人しくブロッコ国内から手を引いたのは聖・ラルリーグがブロッコ国の独立を認めたからだった。


 聖・ラルリーグは原則として連邦の内政に干渉しないのだが、独立に関してはブロッコ国に求められたことにより超法規的措置として連邦との間の仲介に入った。そして現在、ブロッコ国には聖・ラルリーグの軍隊が駐留している。ここで連邦がブロッコ国の独立を認めず連邦軍を同国から引き上げなければ、連邦軍は間違いなく聖・ラルリーグを後ろ盾にしたブロッコ国と連邦との対立の火種となる。なにかの拍子に引火暴発すれば待ってましたとばかりにブロッコ国は開戦に踏み切るだろうと予想されたため、連邦もブロッコ国の独立を認めざるを得なかったのだ、というのがタクヤたちの見解だった。


 概ね予想どおりに事が動いているようだね。


 連邦軍が諍いを起こすこともなく撤退してくれたのはよかったけど、問題はこれからだ。僕の描いていた図どおりなら、ブロッコ国から聖・ラルリーグ軍が撤退したところで連邦がブロッコ国攻略に動き始めるはず。そのときに聖・ラルリーグ軍とともに連邦を叩き潰すという算段。ブロッコ国再興を謳いながら同国に辛酸を舐めさせ続けた連邦に対する怒りと憎しみは聖・ラルリーグに対するそれよりも凄まじい。同じ獣人である仲間だったという思いが怒りに拍車を掛けていた。


 僕としてはアキちゃんの幸せのためにも彼女の故郷に平穏な暮らしを取り戻したかったから、聖・ラルリーグとの交渉をタケシたちに提案したわけ。その案がタケシ立ちに受け入れられたから、ブロッコ国の元王家に幾度となく足を運んで、ようやくブロッコ国と聖・ラルリーグの交渉が実現したのだ。


 いま振り返ってみれば、アキちゃんを奪取したときから両国の交渉が実を結ぶまでの僕は相当がんばったものだと思う。自分の想定したとおりに物事が進んでゆくのも少なからず愉快だった。そして無責任であることを自覚していた。ブロッコ国と聖・ラルリーグ間で同盟が結ばれた時点で、そう遠くない将来にアキちゃんの故郷に平穏が訪れるものだと安心してたんだ。まさか彼女が戦争に参加するとは夢にも思わずに。はっきり言って、この案を思い付いた当時はタケシやタクヤがどうなろうと構わなかったしね。


 駒も舞台もストーリーも揃っている。あとは駒を動かすだけっていう感じだったから。いろいろと酷い図だよ。元々みんながみんな幸せになれる図ではなかった。だからいつかダニーにも話してやったっけかな? 悪魔に承認を貰った設計図だって。確かにこれは聖・ラルリーグにお菓子屋を出して成功を収めるよりも断然楽な仕事だったよ。なのに、もう多くの犠牲が出ることが織り込み済みだってのに、まだ悪魔はアキちゃんを危険に晒せと設計図の変更を要求してきやがる!


 僕はタクヤたちに聖・ラルリーグの仙道と会見したかを尋ねた。

 異世界からの帰還者への聖・ラルリーグ側の対応が気になったんだ。こんなこと本来なら知らんぷりでよかった話だったんだけど、状況が変わってきたからね。


「ああ、聖・ラルリーグの仙道らとも会わされたよ。優男っぽいなんちゃらゆう仙道が偉そうでムカついたけど、まあなんもなかったで。」


 なんとも簡単な報告だったが、なにもなしとは本当だろうか?


「まったくお咎めなし?」


「ああ、お咎めらしいもんはないわ。その代わりいろいろ聴かれたけどのぉ。情報はもう粗方漏れとったし全部正直に言うたらそれで終わったわ。つってももう異世界へ出入りするなとは釘刺されたし、余分なカードは全部取られたしでまあいろいろムカついたけどの。」


「タケシとアキちゃん、ケンちゃんがいないことについては口裏を合わせた?」


「ああ、全員で口裏を合わせた。戻ったんはわしらで全部で異世界に残っとる者はもうおらんっちゅうことになっとる。」


「そっか、あと聖・ラルリーグ側の人らの中に凄く綺麗な女の人いなかった?」


 念のため、小夜さんの存在についても尋ねてみる。洗いざらい正直に話したのかそれとも隠しておいて差し支えのない内容については秘匿しているのか。


「あ? 綺麗な女? 凄え綺麗っちゅうんはおらんかったようなけどそのへんは人それぞれじゃけえなんとも言えんわ。」


 尋ねてみてから、その質問に意味がないことに思い至った。小夜さんが関与しているなら自分の情報を他に漏らさないように術を掛けるだろうから。


「アキちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど。」


「うん?」


 すでにいつもと同じ優しい雰囲気に戻った彼女が僕の方を見る。


「僕をぶってみてくれない?」


 僕の申し出に驚く彼女。当初、彼女は理由がないからと断ったが、僕が頼み込むと渋々了承してくれて僕の前までノシノシと膝立ちでやってきてくれた。


「じゃあ、ゆっくりぶつよ?」


 まだ腑に落ちないといった様子で彼女が僕に確認する。


「いや、割かし本気でいいよ。僕もちゃんと仙八宝使うし、たぶんダメージ喰らわないから。」


「そういうことなら。」


 彼女が腕を振り上げるが、そこから先は腕が震えているばかりで一向に僕の頬を打つ気配はない。これは彼女の意志とは関係なく、打とうにも打てないんだ。歯を喰い縛って腕を動かそうと唸っている彼女に、僕はもういいよと告げた。


「やっぱり術がまだ生きてるみたいだね。」


 彼女は目を見開いて硬直している。


「判ってると思うけど、アキちゃんは聖・ラルリーグの人に手を出せないからね。連邦とは喧嘩しても聖・ラルリーグとやり合ったらダメだよ。」


 彼女に念押ししたあと、周りの連中にも彼女が掛けられている術のことを説明して、彼女に配慮するようにお願いした。


「あと、これも……前に一度言ったことあると思うんだけどさ。アキちゃんは術で自白を強要されただけだから、絶対に仲間を裏切ったわけじゃないから、あまり自分を責めたらダメだよ。」


「ええ。」


 僕の言葉に彼女は困ったような笑みを浮かべた。


「ありゃ、なんじゃい靖さん止めんのんかいの?」


 横合いからタケシが口を出す。


「うん、止めない。っていうか止めれんわぁ。」


 タケシの方を見てそう言った。アキちゃんの方は見れなかった。


「ほうか、ま、ほうよの。」


 ふうと大きく息を吐いたあとニヤリと口の端を上げるタケシ。


「靖さん、ありがとうございます。」


 傍でアキちゃんの震え声が聴こえた。


「私がいまこうしていられるのは靖さんのおかげです。本当にありがとうございました。」


 彼女が頭を下げていた。


「いいよ、好きでやったことだしね。」


 顔を上げた彼女の表情が凛々しくて間近で見て改めて可愛いとか思っちゃうけど僕と彼女は関係ないのだと自分に言い聞かせて未練を断つ。


 彼女は獣人、彼女の耳は猫の耳!


「靖さん、私にも最後に一つだけ言わせてください。」


 彼女の手が伸びて僕の右手を取る。力強く握られると迂闊にも胸が高鳴るのが判った。な、なんだし?


「靖さんは一人じゃありませんから。私のために聖・ラルリーグの友人の方々を裏切るようなことになってしまって、寂しい思いをしておられるでしょうけれど、決して靖さんは一人じゃありません。前も言いましたが、なにかあればタケシさんを頼ってください。私が傍にいられないのが残念ですが……。これ、あげます。」


 裏切るという直接的な言葉が出てきたのはおそらく脱獄した日の朝に遭遇した葵ちゃんの剣幕から察したのだろう。それとも葵ちゃんとの会話が聴こえていた? 獣人の聴力を侮っていたか。いやいや、そこじゃないそうじゃない。一人じゃない……か。良い言葉だね。特にいまの僕には沁みる言葉だわ。彼女が手渡してきたのはいままで頭に巻いていたバンダナだった。赤字に白黒で幾何学模様が描かれている柄で彼女がしょっちゅう巻いてたヤツだ。


「貰ってもいいの?」


「ぜひ、受け取ってください。そのバンダナを私だと思って大切にしてくださいね。」


 彼女の柔らかな微笑みが超眩しい。そして艶々した黒髪からはピョコンと猫耳が跳ねていて、それが猫耳カチューシャを着けた玲衣亜とドヤ顔のセットを思い出させた。


「それアキのお気に入りのヤツじゃろうが? 靖さん、マジで大切にしちゃれえよ。」


 タケシもなんだか嬉しそう。ひょっとするとアキちゃんのいまの姿に感動しているのかもしれないね。


「ありがとう。彼女ができるまで大切にするね。」


 なのに僕ときたら! これは病気だな。


「くっ、こんなときにもそんなこと言うなんて……。」


 さすがにこれにはアキちゃんも頬を膨らませている。


「あ、それ僕の台詞。」


「自分で言っといて!?」


「うん。」


 だって僕もそう思ったんだもん。


 僕らしいっちゃらしいってんでアキちゃんが笑う。タケシは呆れている。背後から僕のお尻を小突くように蹴ってきたのはタクヤとナツミだった。でも当のアキちゃんがしんみりしなくて済むわと清々したようだったから場は和んだ。


 そのまま送別会は続き、夜も更けて、迂闊にも僕はそのまま寝入ってしまった。もっとみんなに僕がお酒に弱いことを周知しておけばよかったと思ったときにはもう遅かったんだ。


 周りが騒がしくなってきたと思ったら、朝だった。


 みんな服を着替えて出立の準備を整えているようだった。対して僕は泊まるつもりもなかったからなにも準備していなかった。う、久しぶりに頭痛いかも。スッと差し出されるグラス。アキちゃんが水を持ってきてくれたんだ。


「ありがと。おはよ。」


「おはよう。気分はどう? 大丈夫?」


「大丈夫。」


「なんかそう言われるとあまり大丈夫じゃなさそうにゃ。」


 あの~、僕もそこまで天の邪鬼じゃないんですが。


「私たちもうそろそろ向こうへ戻るね。」


「うん。」


 出立間際の挨拶はあっさりしたものだった。


 水を一息で飲み干して起き上がり、みんなが出立するのを見送るために移動した。


 タケシとタクヤがみんなの輪から少し外れて立っている。タケシの前にケンちゃんがいてその両肩にタケシが手を載せている。


「じゃあ、申し訳ないけどケンのこと、よろしくお願いします。ケン、タケシさんとタクヤさんの言うことよく聞くんだよ。」


 ケンちゃんと同じ目線になるように屈んでそう伝えるアキちゃん。


「アキちゃん戻ってくるのはいつ?」


「うん、まだ判らないにゃ。きっとそんなに早くは戻れないけど、また戻ってくるからちゃんとイイ子してるんだよ?」


「うん。判った。大丈夫。」


「よし、偉いぞ。」


 アキちゃんはケンちゃんの頭を撫でると、スッと立って僕の方に会釈した。僕は会釈を返す気にも陽気に手を振る気にもなれなかった。頭も痛かったし、僕は難しい顔をしてたと思う。


 これでお別れだ。


 結局、僕の描いた図の中の主人公の運命はあやふやになってしまった。故郷が平穏を取り戻したとき、果たして主人公は生きているのか死んでいるのか。


 正直、彼女とここで離れてしまうのは結構寂しいしかなりショックだ。


 タケシとタクヤとも離れた位置で、僕はみんなが転移する様子を見守っていた。といっても、狭い部屋なのですぐ近くにナツミとユキコがいた。彼女たちと目が合ったから思わず僕の方から会釈してみたけれど、今度は彼女たちの方が難しい顔をしていた。


「みんな準備はええッ? ちゃんとみんな誰かとくっついとる?」


 最後に確認の声が上がった。転移の術は使用者および使用者に触れている者に触れていなければ効果が反映されないから、その点に配慮しているんだろう。


「いいよー!」

「オッケー!」


 そこかしこから声がした。


「そしたら行くよ~?」


 いよいよか。


 そのとき、ナツミの手が僕の方に伸びてきて、僕の身体に触れる直前で止まった。


 ん?


 視線を上げるとナツミが僕に対して微笑んだから、気が付くと僕はフラフラと誘われるように彼女の手に手を伸ばしていた。

 

「転移解除!」


 あ。


 声がしたと思うと、目の前の景色が変わった。

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