10-5(249) たじたじ
ニコラの指輪をポケットに突っ込んで、僕のアパートに戻ると部屋にはアキちゃんとケンちゃんがいた。ただいまと言うと、おかえりと返ってくる。
「案外早かったにゃ。どうだった?」
とアキちゃん椅子から立ち上がって僕の後ろに回り、上着を受け取ってくれた。
「うん、ニコラが事務所にいてくれたから助かったよ。もし出掛けてたらもっと時間掛かったと思う。運が良かったよ。」
「ありがとう。なにより靖さんが無事で良かったわ。」
上着をハンガーに通してクローゼットに仕舞うと、彼女はコーヒーを淹れ始めた。彼女がカップをテーブルに置き、椅子に座ったところでコーヒーを一口啜る。香ばしい匂いに喉を通る熱に目が覚める思い。ふう、ようやく人心地着いた感じ。
彼女にニコラから奪った指輪を差し出した。タケシさんに渡しておくと彼女。そうしてしばらく今日のことやタケシの容体、ダニーのことなどを話題にいろいろ話した。しばらくすると彼女はケンちゃんを連れて帰ると言った。
「途中でタケシさんのところに寄るからそのときに指輪を渡しておくにゃ。」
片手でケンちゃんの手を引く彼女。
「ああ、頼むわ。」
「あ、靖さんも来る? また明日みんな向こうに戻るから、今日送別会をするんだけど。」
送別会と聞いて、タクヤとユキコの顔が頭に浮かんだ。むむ、う~ん、別にいいかな。昨年末の忘年会でも僕ったら半分仲間外れみたいだったしね。
「ありがとう。でもええわ。余所者がいない方が話も弾むと思うし。」
出不精ってわけでもないんだけど、ブロッコ国の獣人たちの中に聖・ラルリーグの人間が一人交ざるってのはどうも気が引ける。
「そう。それじゃ、これでお別れだにゃ。」
ん? なんかアキちゃんが変なこと言ってる。
「お別れ? 今日バイバイするってことじゃなくて?」
「私、明日の朝にはみんなとブロッコ国に戻るんだ。」
「はあ!?」
信じられない。なにがどうなってそういうことになったんだ?
「だからもう靖さんにももう会えないかもしれないにゃ。」
「意味が判らないんだけど!!」
以前、タケシはアキちゃんは面が割れてるから向こうには戻せないって言ってたじゃないか。
「靖さん、改めてだけど、いままで本当にありがとうございました。靖さんにも、玲衣亜さん、伊左美さんにも悪いことをしたと思っています。そのことはずっと胸の内に引っ掛かっていたんです。でもなのに靖さんはそんな私に優しくしてくれて、なにをしてもこの恩は返し切ることはできないのだけれど、私にできることなんてなにもありませんから、せめて靖さんが私たちに示してくれた道であるブロッコ国再興のためにこの身を捧げようと思います。」
おお、急に他人行儀というかご丁寧にどうもというか……。
「待って待って、ちょっと待ってよ?」
「はい?」
「やっぱ僕も一緒に行く!」
事態の推移がよく判らないから、タケシと話さなきゃね。
タケシのお店に行く途中もアキちゃんはずっと涼しい顔をしていて向こうに戻ることになんの抵抗もない様子。ケンちゃんはタケシに預けてゆくらしい。そのことをすでに聞いているのかケンちゃんはちょっと元気がない感じ。でも、いま国に戻るってことは戦争に参加するってことだから、ケンちゃんを連れて帰るわけにはいかないもんね。
彼女に案内されたのはタケシのお店じゃなく、タケシの療養のために新たに借りたアパートの部屋だった。トントンと彼女がドアをノックすると部屋の方から
「どちら様?」
の声。
「私にゃ。アキにゃ。」
と彼女が答えるとドアが解錠される。合言葉みたいなものなのかもしれない。
手狭な部屋の中には獣人たちみんなが詰めてるもんだから、ゆっくり腰を落ち着ける場所もないって感じ。僕がタケシの部屋に顔を出すと、タケシはまるで僕が来るのが判っていたようなことを言ったから僕も挨拶を省いてアキちゃんが向こうに戻る件についてその理由を尋ねた。
理由は思ったより単純だった。タケシが動けないから代わりが必要になるわけだが、アキちゃんだと女だからといって舐められないともかぎらない。そこでタクヤをタケシの代役にして、入れ替わりでアキちゃんに向こうに戻ってもらうということらしい。面が割れているかもしれないという懸念に対しては、戦争の前線では誰も気にしないから大丈夫だいうとタクヤたちの話を聞いて問題なしと判断したとのこと。
それこそこの話に関してはなおさら僕が口出すことでもないから、とても反論し難かったのだけど、しないわけにもいかないから論理的に考えておかしい点が多々あることも考慮しつつも恥ずかしさを厚い面の皮の裏に隠しながら言ったわけ。
「アキちゃんが死んだら意味ないんだけど!」
僕の言葉に驚いた獣人たちの視線が突き刺さる。“ はあ? こいつなん言ようん?”ていう彼らの心の声が聴こえてくるようだ。向こうに戻ればアキちゃんも一兵士に過ぎなければ、彼女の生死が戦争の勝敗を分かつことはない。なのに、アキちゃんが死んだら意味がないとはどういうことだ? ってなるよね? ね? はは~ん、こいつさてはアキちゃんのことが好きなんだな? っていう。僕、顔真っ赤になってないかな。
「アキちゃんを向こうに戻すってのだけはさすがの僕も承服できないから、なにかほかにやりようがないか考えてもらえないかな?」
ほかの連中がみんな呆気に取られているってのに、タケシだけは満足そうな笑みを浮かべて僕を見ている。
「靖さん? なに言ってるの?」
意外にも僕の言葉に最初に反応したのはアキちゃんで、しかもその反応は僕の言葉の意味がまったく理解できないという類のモノだったから、逆に僕の方が面喰らってしまった。
アキちゃんこそなにを言ってるんだ?
彼女は僕のことを鋭い視線で睨んでいて、僕のアパートの玄関前で見せてくれた優し気な雰囲気は跡形もなくなっている。
「私が向こうに戻ることについて、なんで靖さんが口出しするの?」
彼女が僕を問い詰める。
彼女の気迫に圧されてしまって、喉になにかがつっかえたようになにも言えなくなりそうになる。ブロッコ国再興までの道筋を思い付いたのも実行したのもすべてアキちゃんのため、ケンちゃんのため、アキちゃんに幸せになってほしくてやったこと、アキちゃんのことが好きなんだ死にに戻るなんてやめてくれよ……いろいろな言葉が頭の中で入れ替わり立ち替わり浮かんでは消え消えては浮かぶ。どの言葉を口にすべきか迷ってるんだ。迷って迷って答えが見つからなくて、結局、なにも口には出せなかった。
「アキ、この件に関してはワシと靖さんでちょい話しとくけえ、一旦引けえや。」
出過ぎた身内を引っ込めるのはいつもタケシだ。
「え? 私の問題なのになんで靖さんとタケシさんで話すの? 当事者は蚊帳の外?」
宥めようとするタケシに仲間が口応えする姿を見たのは初めてだった。しかもそれがタクヤでもナツミでもユキコでもなくアキちゃんだとは。
「アキィ! ワシは靖さんがさっき言った言葉に対して靖さんと話する言うただけで、別にアキがあっちに戻る戻らんの話するとは言うとらんので?」
「そう、判ったにゃ。」
「ほいで悪いんじゃがお前ら一遍この部屋から出てほかの部屋へ行ってくれや。ワシと靖さん、サシで話するけえ。ちょい狭いかもしらんが、長うても一〇分くらいのもんじゃけえ頼むわ。」
タケシがそう言うとその場にいた獣人たちは重そうな腰を上げてゾロゾロと部屋から出てゆく。一様に僕の方を怪訝な目で見ながら。僕はすいませんと会釈しながら彼らが出てゆくのを見送っていた。そんな中、なぜかタクヤ、ナツミ、ユキコの三人だけは口元を緩め、生温かい眼差しを僕に投げ掛けていた。アキちゃんに至ってはタケシと話し始めてからというもの僕とは一度も目を合わせていない。
最後の一人が部屋を出てゆくと、
「おう、ドア閉めて行けえや。」
とタケシが怒声を上げる。
「あ、こりゃどうも気が付きませんで。」
との声に続きドアが閉まった。
みんなが出てゆき、ミイラタケシだけが部屋の奥の板の間に座っている。怒られるかも、という恐怖感を味わうのは久しぶりのことだった。
「フッ。」
そのとき、なぜかタケシが鼻で笑った。
「これまでいっつもこっちが靖さんに説教されようったけえのお、その仕返しじゃなあが今日はワシが靖さんに説教しちゃるけえ。まあ、座りないや。」
ああ、やっぱりね。
「すいません。」
とりあえずペコリと頭を下げて、初めてタケシに謝ることに。それからタケシと相対して固い板の間に腰を下ろした。




