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10-3(247) ケンちゃん

 アキちゃんの暮らすアパートの中庭。


 木々が茂り、申し訳程度の花壇には赤や黄の花が申し訳程度に咲いていた。中庭からアパートの方を見上げれば、壁一面に蔦が這っていて、窓辺には植木鉢や酒瓶、ランプなど様々な物が鎮座して、さらに上を見ればバニラ色の空が四角く切り取られている。


 そんな中庭に子供たちの嬌声が響き渡っている。


 楽しそうに追っかけっこをしている子供たちの足元にケンちゃんはいた。


 いま、ケンちゃんは木々の隙間に顔を突っ込んで、お尻だけが見えている状態。


 なにやってんのかな?


 僕はケンちゃんのお尻に手を伸ばして、お尻をくすぐった。


「きゃッ。」


 驚きのあまり飛び上がったケンちゃんに挨拶するが、ケンちゃん、僕の挨拶なんて無視して喚きながら僕にフニャフニャなパンチを見舞ってくる。パンチを捌きつつ、僕がケンちゃんのおなかの肉を揉みもみすると、ケンちゃん笑いながら尻餅付いてギブアップ。


「なにやってんの?」


 背後からアキちゃんの圧のある声が落ちてくる。


「そうそう、ケンちゃん、なにしてたの?」


 彼女の言葉をわざと曲解して、僕はケンちゃんに同じことを尋ねる。僕が怒られたわけじゃないんだから。


「虫捕りしてたの。」


 そう言いながら、ケンちゃんはブリキの箱を取り出すと蓋を開けて見せてくれた。


 中にはよく判らない虫が四匹、銀色の小さな部屋で蠢いている。


「うお、気持ち悪いね~?」


 ケンちゃんはどこまで言葉の意味を理解しているんだろう……。一瞬、そんなことを思いながらも、本心を曝け出す。だって、気持ち悪いんだもん。


「見てみて~。」


 ケンちゃんがやや大きめの昆虫を摘み上げた。

 やはりあまり言葉の意味が分かっていないようだ。

 お兄ちゃん、気持ち悪いって言ったよね?


 長い触角を垂らした小さな頭、歪な縞々模様、鋸の刃のような六本の足が空中を掻き、なにが収まっているのか判らない腹は悶え苦しんでいるかのように前後している。


 見たくもないのに、バッチリと視界に収まってしまったのは、ケンちゃんが僕の眼前にその虫を突き付けてきたせいだ。


 気味悪い虫の背後には、ブフフ~と噛み締めた笑いを零すケンちゃんの残酷かつとても嬉しそうな笑顔。


 咄嗟に虫から目を逸らして仰け反ると、そのままバランスを崩して尻餅を付いたが、間髪入れずに起き上がってその場から逃げ出す。


 背後からキャッキャッと悪魔の笑い声が追い掛けてくる。


 これが中庭での追かけっこの真相!?


「こら! ケン! いい加減にしなよ?」


 さらに背後からアキちゃんの怒声が鳴り響く。


 お冠のアキちゃんと合流するケンちゃんと僕。


ケンちゃんは息を弾ませながら、僕の足にしがみついてくる。


 ニコニコ笑って本当に楽しそう……。


 おい、お前、怒られてんだからもっとしょんぼりしろよ。




 ケンちゃんを拾い、アキちゃんの部屋に入る。ずっと近くに住んでいるのに、ここに足を踏み入れるのは初めてだった。


 僕のアパートとは違い、ケンちゃん用のベッドもあるし、衣服も多いしで、片付いているのか散らかっているのか分からない。


 アキちゃんが料理を始めた。


 僕の部屋で食べるか尋ねてみたのだけど、僕の部屋だと料理ができないからというので却下された。外でなにか買って帰れば問題ないとも言ってみたが、彼女はもうここで料理するよと決めちゃって、テキパキと動き始めたんだ。


 僕は勧められた椅子に座り、出されたお茶を飲みながら彼女の料理する姿を眺めていた。


 ベーコンが焼かれて煙が上がり、良い匂いが漂ってくる。


 胸に喜びが込み上げてくる。


 誰かが僕のために料理してくれているのを待つという感覚が懐かしかった。


 玲衣亜と伊左美のことを思い出す。


 あの二人とかつてはこんなにも近い位置で過ごしていたんだというのが、いまさらながら分かった。


 それが遠く遠くに離れてしまった。


 ここはエルメスで、向こうにとっては異世界。


 そして僕はあの二人を裏切った。


 想像していなかった終わり方。


 いま、僕のために料理してくれている女のために。


 ふと、彼女の後ろに立って、悪戯したい衝動に襲われた。


 襲われたから部屋の片付けをしているケンちゃんに目を移す。


 まだ幼いケンちゃんの姿を見ると、衝動はスッと消える。


 ケンちゃんにとって、姉と僕の関係はきっとただの友達だから。


 それに僕もそうありたいと思っているし。


「ケン。」


 料理ができると彼女がケンちゃんを呼び、お膳の支度が始められた。


 僕が動こうとすると、いいから座っててと彼女が止める。


 お客様扱いなんだろうけど、玲衣亜や伊左美と暮らしていたときはお手伝いするのが当たり前だったから、なんだか変な感じ。


 食事中、あまり会話はなかった。

 なるべく早くこの部屋を出た方がいいという話をあらかじめしていたから、三人で黙々とご飯を腹の中に入れた。


「もういい?」


 空になった食器を見て、彼女が確認する。


「うん、ごちそうさまでした。」




 それから僕のアパートに三人で移動した。


 落ち着いたところでアキちゃんに問い質す。


 タケシがなぜタクヤたちを呼び戻してまで会社を守ろうとするのか?


 向こうでの戦争の勝利よりも価値があるのか?


 彼女は知らないと答えた。


 もしかするとタクヤたち戻ってきた組は戻るときに会社を守る理由を聞いているかもしれないが、私は知らない。タケシは特別だから、私たちと違って知恵が回るんだ、と続けた。


 しらばっくれてるだけなのかもしれなかったけど、いまは彼女の言葉を素直に信じることにした。


 彼女を疑うことなんてできない。


 いまの僕には彼女しかいなくなってるんだから。


 かといって手を伸ばそうとは思わないけど。


「タケシも酷いね。一緒にこっちに残ってるってのに、そんなことも教えてくれないなんて。」


 彼女のこっちでの立場が気になった。


 まさかタケシの目論みのうち、ほかの連中は知っていて彼女だけが知らないことがあるということは、仲間外れにされてるんじゃないか?


「ううん、タケシさんは優しいよ。ケンにも良くしてくれるし。」


 うん、そっちの方がタケシのイメージに合う。


「あと、タケシさんは靖さんにも優しいでしょ?」


「え? タケシが僕に優しい? どゆこと?」


「タケシさんは多分、靖さんにもっと自分を頼ってほしいと思ってるにゃ。借りがあるからね。借りを返せないことを歯痒く思ってるんだよ。」


「でも結構なお金も貰ったし、それに、なにもしてほしいことがないもん。むしろ頼むからなにもすんなよとは思うけど。」


「それ、靖さんのその気持ちが、タケシさんにとっては寂しいし、情けないんだ。」


「むむ、ま、今回のカチコミについて事前に教えてくれたことと、いろいろやり方を考えててくれてたことにはとても感謝してるよ。」


「もう選べる三タイプは決めたの?」


「うん、一人で行くわ。でもニコラってヤツが僕には分からないから、そこが問題だな。」


「……む、いざとなれば誰かを締め上げて口を割らせるくらいできるんじゃない?」


「どうだろ? ま、明日タケシに確認して、それから考えるわ。」


 なんとなく話が一段落したから、先に寝かし付けたケンちゃんに目をやった。


 ケンちゃんが楽しく暮らしてるようで良かったと思う。

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