10-2(246) ミイラタケシ
なんか長くなりました(汗
サンタン通りに面したビルの一階に入居するタケシの会社。
僕が働いている【お菓子なベーカリー】から徒歩一〇分程度の距離にあるが、特に用がなかったから、年末以来、顔を出してはいない。
ペンキ塗装の剥がれかけたドアのノブを回して、あえて友達然として部屋内に入る。相手が覚えているかどうか定かでないが、僕とタケシはもう友達なのだ。
「おら、タケシ~、遊びに来たでぇ。」
ガチャッと開くドアの音を消すかのように、まるで子供のような言い方で来意を告げた。やや連邦側の言葉を意識して、親近感アップを図りつつ。
同時に視界に飛び込んできたのは多数の人の目、目、目……。
あるぇぇ?
予想外!!
てっきりタケシとアキちゃん、ケンちゃんの三人しかいないものと想像してたのに、ドアを開けてみてビックリ。たくさん人がいるじゃないか!?
ええ、これは天の声に騙された!?
「あ、すいません。お仕事中でしたよね。失礼しました~。」
照れ隠しの愛想笑いを浮かべながら、逃げ出そうとしたそのとき。
「ちょい……、待てや。」
息と共に吐き出されたような、掠れ声。人だかりの奥の方から、その声は聞こえた。
「靖、さん、じゃろ?」
人だかりが左右に割れ、中央に姿を現わしたのは体中に包帯を巻いたタケシだった。
「わ~お。」
目を丸くして、感嘆の声が漏れた。
「遊びに、来たんじゃろ?」
そう目を細めるタケシの目の周囲と唇は青く腫れ、喋るだけでも顔面に痛みが走るのか、その顔は汗でギトギトと光っていた。
「遊びに来たんだけど、遊べそうにないからいいですぅ。」
容体や怪我の理由について尋ねたりはしない。
こういうことに縁のある奴らってだけなんだから。
それよりもなによりも、関わり合いになる前に逃げなきゃと思った。
「まあ、待ちない。ユキコ、茶ぁ入れちゃれえや。」
タケシの取り巻き連中について、そこまで知っているわけじゃなかったが、ユキコと呼ばれた人物には見覚えがあった。さらに視線を移し、それぞれの顔を見ていると、タクヤの顔も発見して、僕は困惑させられた。少なくともここに集まっている十数名のうち、ユキコとタクヤはブロッコ国に帰ったはずだったからだ。
タケシとその取り巻きの雰囲気に気圧されて、僕は促されるまま、奥の事務室に通されてタケシの話を聞くことになった。
同席しているのはアキちゃん、ユキコ、タクヤの三人。
「三日前に、あっちへ戻っとったんに来てもろうたんよ。」
紅茶の入った陶器のティーカップを摘み上げながら、タケシが言った。
「あっちって、いまは戦争中じゃなかったっけ?」
タケシは頷くと、
「実はワシ、殺されそうになってのぉ……。」
と感慨深げに息を吐いた。
僕は黙っていた。たとえ僕がなにを言っても、冗談か煽っているか、小馬鹿にしているようにしか受け取られないだろうと予測したんだ。なにが問題って、言い方の問題? 判らない、もうそのへんのことがまるっきり判らない……。
とにかくこの怪我人を前にしてふざけたことを言うわけにはいかないと思ったんだ。
タケシは紅茶を一口啜ると、熱さが口内に沁みたのか、湯気を吐き出しながら顔を歪めた。
「うはぁ~……、マフィアっちゅうんがおるが?」
「おるおる。そこらへんにおるね。」
「あと、ダニーっちゅうんがおったじゃろ?」
「ああ、おったおった。いまどこにおるんか知らないけど。」
「覚えとる?」
「ああ、覚えてるよ。あのクソ生意気なクソ餓鬼でしょ?」
タケシが僕の目をジッと見据えながら、口元をニヤリと歪める。
今日のタケシにはこれまでにない凄みがあった。
満身創痍な身体と、苦痛により滲み出る汗とその光沢に、獲物を前にした肉食動物のようなギラついた瞳。
掠れた声に、口調こそ穏やかなものの、それでいて発言の一切に迷いがない、腹から響くような声、明確な語尾。
ああ、こういう奴が人を引っ張ってゆくんだろうな、と思った。
同時に、僕はタケシに引っ張られてるわけじゃないから、ここで怯んでなるものかと、無駄に目に力を入れて彼を睨み返す。
「ダニーはええ子じゃったよ。」
「そうそう、クソ生意気でクソええ子だった。」
「そんながの、マフィアに殺されたかもしれんのよ。」
「お、おお……。」
言葉に詰まった。別に殺されたって言葉に面喰ったわけじゃない。ただ単に返す言葉がなかっただけだ。
「短い付き合いじゃったが、それなりに情も移るけえのぉ……。仇、取っちゃろうかぁ思うて。」
来た! カチコミ!
「ストップ!」
タケシの考えが判らなくなりそうだったから、早めに待ったを掛けた。
「仇って、まだ犯人は特定できてないわけでしょ。じゃあ、仇討ちもなにもないじゃん。」
「ああ、やった相手は判っとんよ……。かもしれんっていうんは、ダニーが生きとんか、死んどるんか、そっちが判らんいうことよ。」
ということは、音信不通になったか、蒸発したか。でも、ここで腑に落ちない点が一つ。タケシの怪我だ。おそらく、ダニーを殺し損ねたマフィアが、タケシを拷問したのだろう。であれば、ダニーは無事に逃げているはずだ。
「判らないうちは、仇討ちなんてやめときな。僕としては、タケシたちにこっちで暴れられると困るわけよ。」
カチコミなんて派手な真似をされては、虎さんや葵ちゃんの前で切腹しなきゃならないからね。
そういった僕個人の事情もある程度はタケシたちにも伝えてある。
でも、だからこそ判らなくなる。なぜ、僕にこんなことをペラペラと喋るのか。僕がタケシたちの妨害工作をするという発想がないのだろうか?
「ゆうても、たぶん、ダニーは生きとらんで? あいつの部屋にマフィアの人間の死体が転がっとったゆうし、そのマフィアいうんが、エルメス中に根を張っとるようなんじゃけえ、よう逃げられやせんのじゃが。」
「それがどしたん? ダニーが殺されたのは半分、タケシらのせいだろ? それが気に入らないのならダニーの自業自得でもええわ。ま、いずれにせよ、お前らが派手に動くっていうんなら、そのときは僕が止めるけど。」
ダニーにはタケシから早く離れろと忠告していたんだ。だから、どんな不幸があろうとそれはタケシから離れなかった彼の自業自得。彼がタケシからなんらかの圧力を受けていて離れたくても離れられなかったというなら、少しは同情するけども……、だけど、タケシが仇討ちをしたいと言うほどの仲であるなら、ダニーに圧力が掛けられていたとも考え難いから、最早同情の余地すらない。
「靖さんも、案外、冷たいんじゃのぉ。」
「自分から危険作業に従事したんだから、なにが起こっても覚悟の上でしょ? 少なくとも、僕が知ってる範囲で考えると、そういう結論しか出てこないね。」
僕の知ってるダニーといえば、借金で首が回らなくなった生意気な口を利く青年。借金返済のためにハイリスクハイリターンの仕事に従事していて、その仕事の関係で死亡……、うむ、あるあるだ。
「まあええわ。別にこっちも靖さんに許可得よう思うて話したんじゃないけぇ。ただ、靖さんには少なくない恩があるけえのぉ、じゃけえ、ワシらがこれからこがなことするでっていうんを、伝えとこう思うただけじゃけぇ。なんも知らさずに勝手してからで? 靖さんの面子を潰したんじゃあ、こっちとしても冴えんけん。ま、気に入らんのんじゃったら邪魔しゃあええし、靖さんのええようにやってくれたらええよ。」
そんなあっさり邪魔していいと言われましてもぉ、どうやって邪魔しよう?
タケシたちの殺害以外の方法が思い浮かばないんですが。なにしろ相手は獣人で、転移の術のカードも潤沢に持ってそうだし。かといってタケシたち一〇数人を相手に全員やっつけるとか無理。それに一人二人やっつけただけで、僕の経歴に傷が付いちゃう。おほ、ムカついてきた。
「僕のいいようにやってくれって言われてもなぁ、そっちが僕の希望どおりに動いてくれるってんならともかく、そんなつもりはサラサラないんだろ?」
「あるわけないが。」
「ちょっと待ってよ? 煙草もらえるかい?」
慣れない煙草を吸いながら、どうしたものか考える。あ~、不味い。それが最初に出てきた感想……煙草も、この状況も。周囲を見回してみて、ほかの人たちはどう思っているのだろうと疑問が湧く。みんなタケシの案に賛成なのか? いや、そもそも、戦争はどうした? 準備だけでも期間を要しそうだし、なにしろ相手のあることだ。そう早々と決着するとも思えなかった。そうそう、このことは最初に尋ねたんだ。それをタケシに躱されただけ。
「ところで、もうあっちの戦争は終わったん? タクヤさんにユキコさんも戻って来てるようだけど。」
ふううう、と紫煙を吐きながら、タケシに視線を戻す。
「まだ終わらんようなわ。なにせ連邦は広いし、それに敵軍の数が多いわ。たぶん、靖さんが考えとるより長引く思うで。」
「どんな兵役を担ってんのか知らないけど、途中で抜けて来れるなんて、案外ブロッコ国側も余裕だね。」
「誰が余裕なんなら? 全然余裕なんかないんじゃが、こっちの方が一刻の猶予もないくらいにヤバいことになっとるけえ、無理言って戻って来てもらっただけよ。用が済みゃあ、すぐに戻ってもらうわい。」
「ふうん、向こうに行ったんだ?」
「靖さんから聞いてこんけえ、こっちから言うんじゃがの? ワシ、怪我しとろうが?」
うん、見れば判るよ。
でも、なにがあったか尋ねると心配してるみたいじゃん? もちろん心配してもいいんだけど、獣人を付け上がらせるわけにはいかない。どっちが上かを知らしめる意味で、僕はタケシの怪我に興味がない振りをしていた。
「うん、まるでミイラみたい。」
「ほおじゃろ? これのぉ、ダニーをやったマフィアにやられたんじゃがの。」
「どうせダニーくんが逃亡したから、居場所を吐けって拷問されたんでしょ?」
そんなのすぐに判る話だ。
やられる前に自分がそんな目に遭うであろう、と予見するのは難しいかもしれないが。
ゆっくり、だが、何度も頷くタケシ。
「で、途中じゃったんじゃが、ええ加減腹立ったけぇ、誰もおらんなった隙にカードを使って向こうに行ったんよ。」
仲間を連れて戻ってきたのは、単なる復讐や仇討ちじゃなく、おそらくここまで築き上げた会社とか商売、拠点を守るため。なぜ? 大切な戦争を放り出してまで会社を守る必要があるのか?
すぐに武器の補給という考えが浮かんだが、タケシに問い質してもシラを切られるだけだろう。それに、こっちの武器を使えば聖・ラルリーグが黙ってはいまい。
「で、拷問から脱出してみせたタケシも狙われるだろうから、この拠点を守るためにもダニーの仇討ちのためにも、マフィアを潰す必要がある、と。」
「そういうことよ。」
「ふん、マフィアに喧嘩を売ったのが間違いだったね。いや、タケシが売ったとは言わないよ? ただ、ダニーくんが爆弾だったってだけでしょ? 資本家が奴隷に刺される。よくある構図だ。……ふつうの人間なら、事ここに至ってマフィアと喧嘩してまで会社を維持しようとはしない。それに拷問まで受けるって余程だよ。もうここは諦めな。故郷に帰る支度なら手伝ってやる。」
「やるのは一人でええんよ。」
ん? 一人でいい?
「なにもマフィア全部を相手にして喧嘩しよう言うんじゃないんよ。一人でええんじゃ。二コラっちゅう奴なんじゃが、こいつが悪党でのぉ。そいつは組織の二等目に偉い奴なんじゃが、そいつがボスを殺そうって計画しとってのぉ。ダニーはボスの暗殺の話をそいつから持ち掛けられて、厭じゃ言うて断ったら、殺されたんよ。」
マフィアと関わったのが運の尽き、タケシと関わったのが運の尽き。
「いま、そこのボスは隣のケルン市におるんじゃが、昨日、タクヤらに行ってもろうたんよ。」
タクヤの方を見ると、彼はタケシの代わりにと話し始めた。
どうやらボスからすでに二コラ殺害の許可を正式に得ているらしい。だから、これからタケシたちがやろうとしているのはマフィア全体との喧嘩ではなく、組織の裏切り者一人を粛正するだけ、という話らしい。裏切り者の粛正はボスの方でも人を手配するようだが、彼はいまケルン市から離れることもできない状態。だから、渡りに船とばかりにタクヤたちにその仕事を依頼した、と。そして、タケシたちにとっても裏切り者の粛清を急ぐ理由があったから、その依頼を受けた。
つまり、ただの請け負い業務。
「ワシらはの、靖さんの面子もあるけぇ、自分らで悪いことを企んだりは絶対せんのじゃけえ。やるとしてもで? 誰かから発注がきた分だけやるような感じよ。」
だから見逃せ、口出しも手出しもするな……か?
「じゃけえ、ワシら悪くないし、靖さんにもそがに迷惑掛かるまあが?」
「ま、こっちの人らの意志とか企みの範囲内で動くって点はね、悪くないと思う。」
自分でも不思議なくらい、正義感の欠片もない言葉がポンポン出てくる。って、僕、最初から正義感なんて持ち合わせてなかったけ? 正義を口にしたことって一度でもあった?
「でも、人を殺すのはよくないと思いますよ?」
はい、いま言ったぁ!
一正義獲得しました!
あ、タケシもタクヤもアキちゃんもユキコもみんなで目を丸くして口を半分開けてる。
「嘘、嘘、ときには人をやらねばならないときもあるよ。ただ、僕、ほら? 平和主義者だから?」
ぷふ、とみんなが吹き出す。
おい、お前らふざけんなよ? いまから暴力賛成派に回るよ!?
「似非平和主義者がなん言ようん? 本物の平和主義者なら戦から目ぇ背けるもんで?」
はい、だからいつも戦になりそうな所からは避難しよう避難しようとしてるんですが……。
「まあ、ええわ。じゃあ、ユキコ、そろそろ例のモン出せや。」
「は~い。」
鈴の音のような高音を響かせるユキコの朗らかな声。
「ジャジャ~ン。そんな平和主義者の靖さんのためにぃ、今日は特別に選べる三タイプをご用意致しました!」
机の上に唐突に現われたフリップ。上の方にタイトルであろう【二コラ殺害における3つの方法】の文字があり、左端、上から下にかけて ①、②、③ の丸付き数字が並んでいる。
え? なにこれ? なんだかすっごくウキウキする。このヘンテコなノリ大好き!
「では一番から見ていきましょう! ペロリンチョ! はい、出ました。【傍観】ですね~。こちらは靖さんの手を一切煩わせることなく、片が付いてしまうという、靖さんゴロゴロプランになっております。ですが、私たちがやるので標的のほか、その取り巻きともドンパチしなくてはならず、目立つこと間違いなし! それにそれに、仮に私たちの誰かが死んでしまった場合、私たちがこちらの世界の人間ではないことが露見してしまう可能性があります!」
あ、安心してゴロゴロしてられないんですが……。
「続いて二番! こちらは【妨害】。つまり、私たちの二コラ殺害を靖さんが邪魔する形になります。私たちとしては靖さんと争うつもりは微塵もありませんので、即時、二コラの殺害に向かいます。数人は靖さんにやられてしまうかもしれません。ですが、その屍を乗り越えて、私たちは仕事を全うします。このプランですと、マフィアの拠点とこのお店の両方が戦いの舞台となるため、どう転んでもとても派手な結末を迎えることになります!」
やべえ、ウゼえ、ウゼえ……。
「続いて、最後、三番!【靖】! 出ました! 本日の当たり目、靖さんです! こちらは靖さん本人が単独マフィアの拠点に乗り込み、二コラをやっつけるプランになっております。靖さんなら相手にやられる心配はありませんし、関係のない人を巻き込む恐れもありません! つまり! 一番静かで地味なプラン、というわけです。ちなみに、こちらを選ばれた場合は、ボスから受け取る報酬を全額、靖さんにお渡しします! なので、ある意味、靖さんにとって一番お得なプランとなっております!」
「あ、それはお得だわ~。いままでシカトくれてたお金の神様が微笑んでるわ~。……って、なんじゃい、そりゃあ!?」
一瞬、みんなが僕の表情を窺うように、沈黙する。いや、僕が落ち着くのを待っているだけかもしれない。
「楽しい演出、ありがとうございました。」
ペコリと頭を下げる。
ふう、とタケシが深く息を吐く。
「ワシらもの、いろいろ考えたんよ。靖さんがワシらが派手に動くんを嫌ろうとるんは判っとるけえのぉ。ほいで、多少文句言われるん覚悟で思い付いたんが、三番目の案なんじゃが。」
ユキコの手元のフリップに目を這わせながら、頬杖付いて考える。唸る。指先でトントンと机を叩く。唸る。
これまでの連邦の不手際の数々を思い出す。虎さんが連邦は馬鹿か? と呆れていたのを思い出す。こいつらに常識は通じない。このふざけた三パターンのいずれかで、二コラ殺害を実行するのは間違いない。となると、タケシの言うように、三番目しか選択肢はないようにも思える。
ひどく癪に障る。
自分たちの存在が露見するということさえ、こいつらにとっては僕に対する一つの切り札になっているという点が。
一方で、満身創痍になりながらも、タケシが僕に配慮してくれているのが、少しくすぐったい。
「僕はいま……、拳銃と、切れ味抜群のナイフを持ってる。」
ゆっくりと、相手に確実に一言一句が伝わるように、相手の表情の変化を見逃さないように、ゆっくりと言葉にする。
「あと、バール、タガネ、ハンマーも持ってる。」
タケシは表情を変えない。アキちゃんは僕を凝視して、少しヒヤヒヤしている感じ。タクヤとユキコは僕を威嚇するように鋭い視線を向けている。
「そして、転移の術のカードも、持ってる。」
タケシがやや顎を上げて目を閉じた。
「それで?」
「いやなに、これから向こうに転移して、ブロッコ国の王さんの首を持ってくるっていう選択肢もあるのかなぁって……。選べる三タイプじゃなく、選べる四タイプっていう。」
「靖さん、そりゃあ、別の話じゃろうが。」
タクヤがグルルと牙を見せて唸る。
「タクヤッ。」
タケシがタクヤを威圧する。
「いまのは靖さんの冗談じゃけえ、そうムキになんなや。のぉ? 靖さん。自分でレール敷いてその上に載せた神輿をで? 自分で壊すような真似せんわいのぉ?」
「うん、いまのはただの冗談さ。ただね、今回はタケシも僕のことをすご~く考えて動き方を考えてくれたってのが伝わってきたからいいんだけど……、こんなことが二度も三度もあっては困るわけ。だから、僕にもそれくらいの覚悟はあるっていうことを肝に銘じていてほしかっただけ。」
「判っとるよ。」
そう、タケシは判ってる。僕の立場も、自分の立場も。でも、不測の事態が起きたとき、優先順位の頭に“ 僕の立場 ”が来ることはないってだけ。難しいね。
そろそろ出ようと思い、椅子を引いた。
「一晩、考えさせてくれ。おそらく、三番目のプランを選ぶと思うけど。あと、今日はどこか、マフィアにバレてない場所にでも泊まってね。僕が金を出すわけじゃなくて、悪いけど。」
そう言いながら、立ち上がる。
「金のことは構わんよ。じゃあ、また明日、朝の六時にここに来てくれや。」
朝6時……、ちょっと早いな。
「判った。でも、一人で寝過ごすといけないから、アキちゃんを借りていっていい?」
「ワリャそがなんワシに言うなや。アキに聞かんにゃあ。」
あ、一晩一緒に過ごすことになるから、そうだね。借りるって言い方はないわ。
アキちゃんと目が合う。
「アキちゃん、来て。」
タケシがいいなら、彼女にわざわざ確認する必要はなかった。
彼女が傍に来たところで、短く挨拶して、事務室をあとにする。その後ろからタケシたちも付いてくる。会社の出入り口でまた挨拶して、サンタン通りに出た。
「初めてだね。靖さんから誘ってくれたの。」
平坦な彼女の声。
僕は彼女を直視できずに、
「ま、目覚まし代わりだけど。」
と、嘘を吐いた。
「いいよ。」
と彼女。
「ケンちゃんがいるから、まずアキちゃんとこに行こうか。」
傾いた日に二つの並んだ影が伸びる。
少し手を伸ばすと、僕の影が彼女の影と重なった。
影だけ見ると、仲良しみたい……。




