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10-1(245) 食事のお誘い

 薄暗い電灯の下、一人の影のある男がナイフを研いでいる。

 シュー、シューとナイフが砥石の上を滑る。まもなく男は自分の親指の爪にナイフを押し当て、少しナイフを引いて、爪に入った切れ目を見ると、満足げにナイフをテーブルの上に置いた。


 と思ったら、また次のナイフを拾い上げ、砥石に刃を載せる。


 お? こちらの気配に気付いたのか、男が顔を上げてこちらを見るが、すぐに視線を砥石に戻した。ん? またこっち向いた。いわゆる二度見……どうやら彼もこちらの存在を認識したらしい。


 怒る? また怒るかな?


 ん? 彼ったら口の端を吊り上げて、ニっと笑いながら、またナイフを研ぎ始めましたよ。あ、またこっち見た。相変わらず、笑みを浮かべていらっしゃる。


 余裕? もしかしてもう慌てたりしないの?


 彼ったら逆手にした右手の中指をクイックイッと動かして、まるでこっちに来いと手招きしているよう。


 では、ズームアップしてみましょう!


 はい、証明写真のように胸から上が丁度イイ具合に画角に収まりました。


「なにも言う必要はない。運命を受け入れよう。風の向くまま気の向くまま、この靖、どのようにでも転んでやるぞ。」


 おや? なかなか物分かりが良くなったのかな?


 手に持っていたナイフをテーブルに置いて、姿勢を正す靖。


「どうも、みなさん。お久し振りです。靖です。ご存知のとおり、お菓子職人しておりまして、いまはポポロ市ローン町の【お菓子なベーカリー】で働いています。趣味は日曜大工ですね。この部屋の家具はほとんど自作なんですよ。で、実はいま、【お菓子なベーカリー】の店員の中に気になってる女の子がいまして。今回は、その女の子と僕とのラブロマンスをお届けしましょう。え? 聖・ラルリーグ? アキちゃん? ああ、そういうのはもう僕には関係ないから。では、早速。」




 はい、やってきました。ここが【お菓子なベーカリー】です。では、中に入ってみましょう。お、いました、いました。あの棚の前で焼きたてのパンを籠に移し換えてるのが僕の意中の女の子、名前をエミリーっていうんだ。焦げ茶系の髪を後ろで結って、前髪は三角巾で隠してんの。形の良い額に薄らと浮かぶ汗、その汗の小さな一粒一粒さえ、彼女にかかれば美しく輝いて見える。大人しい感じの子で、仕草も声色も可憐なんだ。彼女はイイ子、間違いない。

 いままで僕の周りにいた女どもとは、人種がもう違うわけよ。


 というわけで、彼女をまずは食事にでも誘いましょう。


「エミリーちゃん、ちょっといい?」


「あ、靖さん。なんですか?」


「今度さ、一緒に食事に行かない?」


「え? まあ?」


 ほほ、片手を頬に当てて、これは照れてますな。


「じゃあ、靖さん。口を開けてもらえますか?」


「え? んあ。」


「えい!」


 口になにか突っ込まれた!? こ、これは、1/2サイズにカットしたフランスパンじゃないか! こんな太いの突っ込まれたら、窒息して死んじゃう。


「もごご……。」


 見れば、彼女も1/2フランスパンを千切って自分の口の中に放り込んで、僕に見せつけるように噛み締めている。


「はい、これで一緒に食事したわよね? なにかある?」


「もごご……。」


 彼女、千切った残りの1/2フランスパンをバンッと床に叩きつけると、僕をすっごい睨みつけながら去っていった。


「もごご……、ス~、ゴックン。」


 はあ、はあ……。エミリーちゃんは大人しい子だと思ってたのに、そんなことなかった。


「はい! 終わり! 終了! 解散! お疲れっした!」




 大股気味に素早く歩き、店をあとにする靖。


 追跡しなきゃ。彼が失恋を苦にして毒を煽らないともかぎらない。


 あ、彼が手の平をかざしてきた。なにかの術でも放つのかな? ふ、愚かなり、靖。


「ちょ、やめてもらえます? もういい加減にしてください。ちょっと、もう撮らないでくださいよ!」


 ププ、術とかじゃなかった。


 っていうか、靖の野郎、なにが運命を受け入れよう、だよ!? 結局、いつもどおりじゃないか!


 バタン!


 乱暴に閉められるアパートのドア。


 部屋内から、「なんでやぁ~!」という泣きごとが聴こえてくる。


 ププ、慰めなきゃ。




 ベッドの傍らに泣き崩れている靖。


 靖、靖……。


「なんだよ?」


 今回の結果はしようがなかったよ。キミの言葉からは誠意が感じられなかったからね。


「食事に誘うたった一言に誠意もクソもないだろぉ?」


 あと、これはキミにとって朗報であり、悲報でもあるんだが……。


「なんよぉ? 早く言えし。」


 彼女には振られて良かったんだよ。なにしろ彼女は大人しい子じゃなかったんだから。


「それもそうね。」


 あと、キミは女性に幻想を抱いている。大人しい女の子という生き物はこの世に存在しない。


「そんな気はしてた。」


 もちろん、大人しい女の子を探すのを諦めろとは言わない。男女の力関係は相対的で、一方が出れば一方が引っ込むものだから……、ただ、それが両方出ると、男女関係自体が終わるんだけもね。


「はあ。」


 だからキミはいまより強くならなければならない。いまはヘナチョコ系男子だから、どんな女の子にも負けちゃうよ。もっと強くならなきゃ。んでね、強くなるにはタケシのところに行くのがいいと思うんだ。


「なんで?」


 それは行ってのお楽しみさ。


「まあ、行かざるを得ないんだろうけど。」


 そうそう、人間、素直が一番だよ。ププッ。

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