9-33(241) 秘密のお金
人混みに紛れて汽車に乗り、汽車が動き出したところでようやく終わったんだという気がした。
年明けから春まで、たった数ヶ月間の護衛の仕事だったが、今日、確かにオレは撃たれた。
胴と背に仕込んでおいた鉄板を“名無し”と“酒樽”に披露して、撃たれた事実をこれみよがしにアピールしてみせた。同じボックスシートに座っているマーレライにも話を聞いてもらうためだ。
それから、マーレライに先だって話題に上がっていた特別報奨をくれと頼んだ。
なにしろオレは一度死んだも同然なんだからな。
彼はオレたち三人にそれぞれ五〇クランを出すと言った。撃たれた代金にしては安いと思ったが、これまでの平穏な日々にも賃金は支払われていたし、ケルン市で彼はまだなにも得ていない。それらのことを考慮すると、文句も言えなかった。
金額の多寡はともかく、報奨金を出すという言質が取れたところで、オレは彼に辞意を表明した。
あまりいい顔はされなかったし、本来ならタケシを通すのが筋だと言われればそれもそうだと思ったが、オレはもう死んだんだよと繰り返すと、渋々ながらだったがマーレライも了承せざるを得なかったようだ。
フロア市に着いたのは夜。
フール駅からマーレライ商会の事務所に移動して、金を受け取った。
「じゃあ、いままでお世話になりました。向こうで殺されないように、お気を付けください。」
オレはマーレライにそう言ってやった。
「じゃあ、お二人も、気を付けて。無駄に死なんでください。」
傍らにいた“名無し”と“酒樽”にも別れを告げた。
「は、死ぬのも仕事の内さ。」
“名無し”がニッと笑う。
「“超人”も、元気でな。」
“酒樽”も笑みを浮かべた。
オレは二人に会釈して、そのまま商会のビルをあとにした。
建屋から出ると、黒い海が目の前に横たわっていた。
潮の香りと波の音。黒々とした海の上には満天の星空が広がっている。
もうテスノア町に来ることもないだろうな。
これまで商会の奴らとつるんで遊んだ町。それなりに思い出もあったが、いざ商会の肩書を下ろしてしまうと、もうオレとは無縁の町のように思えた。
海上に突き出した防波堤の上に築かれた灯台は今夜も煌々と光り、船乗りたちに帰る場所を示している。
オレは灯台を背にして、フール町へと歩を進めた。
タケシが新しく借りてくれたアパートの二〇三号室に着くと、まもなく、玄関ドアをノックする音が鳴った。
知り合いでこのアパートを知っているのはタケシと、手紙を出した両親くらいのものだったが、もう午後八時を回っていたので、なにかの営業かなと思った。
ドアを開けてみると、商会で二等目に偉い男であるニコラが立っていた。ケルン市に出発する前に、オレを盾としてではなく剣として使え、と彼がマーレライに進言していたのを覚えている。
もうマーレライの護衛は辞めたんだがな……、そう思いながらも、とりあえず彼を部屋へ通した。
「マーレライさんの護衛、辞めたんだってな?」
「ああ、そうだよ。耳が早いね。」
相手が商会の二等目でも、オレが畏まる必要はなかった。厳密に言えば、ボディガードは商会の所属ではなく、マーレライ直属だったから。
そして、ニコラはなにを話しに来たのかと思ったら、オレにマーレライを暗殺してくれと言うんだな。一瞬、我が耳を疑った。ニコラの真意は計りかねるが、彼はマーレライという人間の悪評を滔々と語り、オレへの報酬について様々に言葉を飾ったよ。
悪党めと思ったが、標的も悪党だったから、そのへんはどうでもよくなった。ただ、オレは銃が下手だったし、“名無し”と“酒樽”がいることを考えると、いくら報酬額を積まれようとも無理だと答えるほかなかった。
それに、個人的にはマーレライに恨みはないし、“名無し”と“酒樽”にはもっとなかった。
ただ、商会の内部で分裂が起きているのが気になった。
ニコラは商会のトップに立とうと画策している。そして、ケルン市でのゴタゴタ。マーレライがケルン市に縛られているいまが、ニコラにとっては好機なのかもしれない。
「オレが手を出さなくっても、マーレライならケルンで警察に捕まるか死ぬかしそうだけどな?」
慰めにそう言ってやったが、ニコラとしては確実にマーレライを消したいらしいんだな。
「なにも一人でやれと言うんじゃない、必要であれば、こちらからも最低限の人員は出す。」
と、彼も必死なもんさ。
そんな彼にオレはやる気のなさをアピールした。
それからの彼は、オレの“ やらない理由 ”を潰すのに四苦八苦しているという感じだった。
まったく、それなら標的をオレとは関係のない奴にしてくれないきゃ困るってもんだぜ。
オレはもうとにかく彼の申し出を断ってしまってから、
「この話は聞かなかったことにしますから、いいですか?」
と告げた。
商会の内部分裂、派閥争いはどうでもよかったんだが、商会はタケシの取引先でもあったし、もしも頭が変わる可能性があるなら、ニコラにも丁寧な対応をしておく必要があった。
その言葉にオレの意志が変わらないとようやく判断したのか、ニコラはオレを誘うのを諦めて帰っていった。
やれやれ、マフィアと関わり合いになると碌なことがねえやな。
バタンと玄関ドアが閉まると、オレはグラスの中に残った酒を煽り、懐にしまってある秘密の五〇クランに手を触れれば、その札の厚みに自然と頬が緩む。
終わった、終わった……、プップップッ。大抵のことはもうスッキリしたんだ。
なんのしがらみもなく、残ったのは秘密の五〇クランだけ。
ふふ、今晩からオレも小金持ちだ。




