9-32(240) 撃たれた
“名無し”は状況の変化にまったく動揺していなかった。
「周りが騒ごうとなにしようと、オレたちの仕事は変わらないからな。」
ケロッとそう言ってのける彼に、とはいえこの状況でまだケルンの街を徘徊しようとしているマーレライは馬鹿だぜ? と愚痴ると、
「その馬鹿のお守りがオレたちの仕事じゃないか。」
と、彼はオレの正気を疑うかのような目でオレのことを見るんだ。見開かれた白目の中の青い瞳に、オレの臆病を見透かされているような気がして、オレはその瞳から目を逸らせなくなった。
彼は俯いて、ふう、と彼が大きく息を漏らすと、またオレを見て、
「なあ、マーレライと約束したんじゃないのか? 盾になるってよぉ。」
と低い声で尋ねてきた。
約束?
一瞬、なんのことかと迷っていると、
「ふん、いくら貰うから盾になりますっていう約束を、マーレライとしたんだろ? “超人”。」
おお、そうだ。金を貰ってるんだ。マーレライのボディガードという割り切った立場だったからこそ、誰にも手伝い以上の仕事をしろと命じられたことはないし、手伝いにしたって、いつもお願いされる形だったじゃないか。
それに、ここで愚痴ってたら、カレンに大笑いされちまう。彼女とはしょっちゅう喧嘩してたが、大喧嘩したのはこの仕事のせいだった。
だったら、オレがこの仕事にケチを付けるわけにはいかないな。
お昼を挟み、それからマーレライはリヴィエ一家の大将を訪ねることにした。今度はマルコに加え、ほか数人の構成員も付いてきた。
よく晴れた青空の下、往路は特になにもなく、リヴィエ一家の拠点に辿り着いた。
マーレライは現在のケルン市の状況について大将と話したのち、ケルン市に自分たちが留まっているとマロンを徒に刺激することになるし、実際、警察の目が光っている現状では身動きも取れないから、状況が落ち着くまで一旦、フロア市に戻ろうと考えているのだが……と本題を切り出した。
リヴィエの大将、少し唸って考え、隣の仲間に耳打ちしたりしながら、回答をやたらもったいつけたあと、ウイスキーを一口飲んでから、話し始めた。
「マーレライさんがケルン市に留まってもすることがない、というのは分かりますがね。いま、ここから離れるのは少々マズイ点もあると思いますよ。と、言いますのがね、我々の考えとしては、ウチもマロンも警察官をやってはいないと、こう結論が出ているんですな。なにせ我々は警察とは浅からぬ繋がりを持っていて、相互に利益のある関係を築いていたので、それはマロンも同じでして。つまり、我々には警察官を殺し、警察とのいままでの関係をお釈迦にするような真似をする理由がないんですわ。それが現実として、いま、我々は警察に睨まれていて、すでに少なくない人数がやられています。ああ、そういえばマーレライさんのところも、何人か犠牲になっているようですが……。」
大将の話は長かった。要は、いまケルン市を離れれば場を荒らすだけ荒らして逃げた、と解釈されかねない。そうなれば、リヴィエ一家としてマーレライ商会になんらかの制裁を加えなければならなくなる、と、こう脅してきたわけだ。
マーレライも大変だな、と思った。
話し合いはマーレライが本日の夕方の汽車でフロア市に戻り、業務連絡などを済ませたのち、明日の夕方の汽車でまたケルン市に戻ってくるということで決着した。
二時間近くにおよんだ話し合いから解放されて外に出たが、オレたちは周囲を警戒しなければならなかったから、解放感なんてまったくなかった。
まだ日は高い。
マーレライはリヴィエの大将の脅迫が腹に据えかねたのか、商会が出て行けば分が悪いのはリヴィエの方だから、頭数を減らされるのが怖いんだとかなんとかマルコにぼやいていた。
太陽が白く輝いて、建物は日に焼けそうなほど照らされ、街に黒い影を落としていた。
母子と擦れ違う。ピーチクパーチク騒がしい若者たちと擦れ違う。荷車を引く左官屋と擦れ違う。スーツを着た会社員、日に焼けた鳶連中、買い物籠を提げた女、いろんな連中と擦れ違った。女はどうでもよかった。男はどんな恰好をしていようと、服装がそいつに馴染んでいなければ怪しく見えた。
「ああ?」
人通りもまばらな河沿いの通りを歩いているとき、マーレライの後ろを歩いていた“金髪”が珍妙な声を発した。
パアン!
続けて銃声が鳴り響いた。
パアン!
二発目の銃声が鳴ると、オレの胸の辺りに衝撃が走り、バランスを崩したオレはそのまま倒れてしまった。なにが起こったのか分からなかった。
ダンッ、ダンッ、ダンッ。
直後、続け様に三発の銃声が轟く。見上げた青空に、銃声が吸い込まれてゆくようだった。すでに銃弾に倒れたオレには関係のない、乾いた音。半分、夢見心地だった。
時間がいつもより緩やかに流れているようだった。
「大丈夫か!? ダニー!」
怒鳴り声とともに頬を叩かれ、正気に戻ると、目の前に“名無し”がいた。
「ああ、オレは大丈夫だよ。」
「おい! “金髪”! トム! トム!」
“名無し”に応える脇で、“酒樽”の大声が響く。見れば、“金髪”が倒れていて、衣服が赤く染まっていた。そして、彼の身体の脇には血溜まりができていた。
ああ……。
「金ぱッつぁん!」
片膝を付いた“酒樽”の背後から、倒れている“金髪”を呼んだが、その声に振り向いた“酒樽”が首を横に振った。“名無し”は眉間に皺を寄せて、歯を喰いしばっていて、とても痛々しい表情で“金髪”を見ていた。同様に、マーレライも沈鬱な面持ちを浮かべていた。
「行くぞ。」
“名無し”が言った。オレは“金髪”と“名無し”を交互に見ながら、さらに二人の男が倒れているのに気付いた。
三人の身体を置き去りにして、オレたちは帰路に着いた。
なにも声にできなかった。
オレは胴と背に鉄板を仕込んでいたから助かった。だが、誰もオレの無傷の理由を尋ねることもなかった。そんなことよりも“金髪”の死の方が大事であり、マーレライを無事にフロア市へ送り届けることはもっと重要だった。
銃声と死体に驚いた市民が騒いでいた。
オレたちへ視線が注がれた。
だが、誰もオレたちに手を出したり道を塞いだりはしなかった。
こんなに注目を浴びて、どうなるんだろうと思わないでもなかったが、オレはマーレライとフロア市に戻ったら、そのときにボディガードをやめようと決意したから、ここでのいざこざはほかの連中に引き継げばいいさ、と思うことにした。




