9-28(236) 正体判明
目標地点であるビルの屋上までは壁を蹴ったり隣接する建屋を利用して素早く駆け上がった。オレが屋上に上がったとき、二人はまだ屋上にいた。正確には、オレが来るのを待っていた、といったところだろうか。なにしろ二人の恰好ときたら、鍔の深い帽子にサングラス、スカーフで顔を覆った出で立ちで、それはスティーブの誘拐事件のときにも見たことがあり、そんな怪しい奴の心当りといえば、やはりあの二人しかいなかった。
「人違いでなければいいんですけどッ。ダニーですッ。バタピー工場のダニーッ。判りますよねッ?」
念のために大声で確認してみた。まだ相手が何者か判らないうちは、迂闊に近寄らないに越したことはない。
「武器を捨てろッ。こっちはもう武器を手放してるッ。」
威圧的な声を出すと共に、一人が両手を広げてみせる。
見れば、確かにオレの足元に曲刀が転がっていた。チッ、なにが手放してるだ。どちらかといえば、オレの鼻先に刀を突き付けてるような配置じゃないか。これなら、まだ手に持ってくれてた方が戦い易いぜ。
相手がジークさんでない可能性も視野に入れつつ、オレは懐に忍ばせていた拳銃を抓んで取り出した。これを放り投げたら、拳だけが頼りだ。
「早く銃を捨てろッ。」
オレを殺すつもりなら、屋上に辿り着いた瞬間にやってるか……。オレが拳銃を放ると、二人がオレの方にゆっくりと歩を進めてきた。
「ヘイッ、オレが判らないかッ?」
二人に向かって再び叫んだ。二人と足元の跳刀の両方に注意を払いながら、後ずさりした。無駄死にだけは御免だ。
「動くなッ。次、動いたら怪我するぜ?」
オレが数歩後退したところへ、男が警告を発した。跳刀を見て、ジークさんの持ち物だと早合点したのが間違いだったか。
男はオレに接近すると、サングラスとスカーフを外しながら言った。
「な~んてな。」
正体を見て、唖然とした。
「いままでの全部演技な。」
そう言って笑みを浮かべるジークさん。
「あああああッ、クッソ遅えっスよ! マジで!」
オレが絶叫すると、ジークさん大笑い。オレを欺けて相当ご満悦なご様子。こういうのを洒落になっていないって言うんだろうな。
それからオレたちはビルの屋上から場所を移した。今度は商会の奴らに見つからないかヒヤヒヤしながら、ジークさんの案内でケルンの街中にあるアパートの一室に入った。
「ここは?」
尋ねると、ケビンさんの家だという。
「ケビンさん?」
その名前に驚いて、まだ正体を隠している男の方を見た。男はアパートに着いたからか、すでにサングラスと帽子を取っていて、それからスカーフを外した。あ、やっぱケビンさんだ。
「ああ、去年の九月からこっちにいるんだ。」
「無事に帰って来られたんスね。本当によかったです。」
「おう、ダニーも無事でなによりだ。」
「おかげさまで、いまはピンピンしてますわ。」
「とはいえ、結局、生きてんのはオレとダニー、ジークにマーカスの四人だけだな。」
ケビンさんが自嘲気味に言った。オレは返す言葉もなく、ただ「うん」と言って頷いた。病床にいた当時は、自分の分も含めてだったのかもしれないものの、復讐心に駆られたものだった。それが動けるようになっていままで、オレは一体なにをしてきたっていうんだ? いまなにをしてんだ? そういうことを考えると、殺された人たちに対して申し訳なくなっちまうんだ。
ま、三人集まったからといって、そういう話にはならなかった。
オレの仕事について、二人は根掘り葉掘り聞いてきた。
どちらかといえば、いま一番触れてほしくない話題だった。世間体と家族に対する体面があったから、誤魔化し誤魔化し答えてたのね。たいした仕事じゃありませんだとか、人の命を救う仕事です、とかって。するとどうでしょう。
「リヴィエ一家と繋がりのある仕事をしてるんじゃないのか?」
ジークさんがなんの脈絡もなくブッ込んできやがった。オレの与えたヒントからなぜマフィアの名前が出てくるのか、これが判らない。
「え? なぜリヴィエ一家が出てくんですか? あ、もしかしてリヴィエくんも人の命を救ってるんすか?」
残念ながらカマ掛けに対してはカレンに鍛えられたから、そう易々とは引っ掛からないのだ。
「いや、実は最近、余所のリヴィエの奴らがケルン市に入ってきたっていう噂があってな。」
「ああ、リヴィエ一家ってエルメス中にいるらしいっスもんね。って、ケルン市のリヴィエくんとマロンちゃんの喧嘩はどうなってるんですか?」
「いっときは派手にやり合ってたが、いまじゃ警察も動き始めたから膠着状態だな。優勢なのはマロンちゃんの方だったが、リヴィエくんが援軍を呼んだなら、この先もしばらく抗争が続くことになるかもな。」
援軍というのは十中八九マーレライ商会のことだろうが、なぜ噂に? そんなことを噂するほど、この街の人らってマフィアの抗争に興味津々だったっけ?
話が進むに連れ、驚くべき事実が発覚した。
ケビンさんがマロン一家で仕事をしてるっていうんだ。で、ジークさんはときどきそのお手伝いをしてるっていう。アホだと思った。揃いも揃ってアホばっかりだ。オレがケビンさんに幾ら借金したのかと尋ねると、逆にそう言うお前は幾ら借金作ったんだ? と聞かれたもんで、
「オレは一〇〇クランだよ。」
と告げると、
「なるほど、一〇〇クラン返すのにリヴィエ一家の仕事を手伝ってるわけか。」
とジークさん。油断したッ。同じ穴の狢だと思って、完全に油断してたッ。
「おいおい、オレらに嘘を吐く必要も恰好付ける必要もねえよ。オレらはお前らがリヴィエの馴染みの小料理屋に入るとこから出るとこまで目撃してんだ。それに、道中のお前らの周囲への警戒の仕方、偉い奴を守ってるっていうのが一目瞭然だったぜ。」
なんてこった。帰り道はほとんど気を抜いてたってのに、それでも判るもんなのか。
「そん中にダニーがいるってのに気付いたときは、ちょっとビビったよ。といっても、事情を聞くには丁度いいかとも思ってな。」
「それで跳刀をチラつかせてみせたわけか。」
「ああ、追ってくるなら間違いなくダニーだと思ったし、刀を見たときの反応を見ればそいつが本当にダニーかどうかも判るしな。」
「なるほどね。っていうか、跳刀をあんなに大勢の前で披露してみせて大丈夫なのか? 最後に空へ飛んでくとこなんて、結構目立ったと思うけど。」
「なに、心配いらねえさ。刀が空を飛ぶだと? そんな非常識なこと、誰も思い付きゃあしねえよ。」
「いや、実際見てるからね?」
「空へ浮き上がるところを見ていても、ふつうの奴はダニーのように刀が空を飛んだとは思わない。ふつうなら、こう思う。一体どんな仕掛けで刀を飛ばしたんだ?ってな。たぶん、釣り糸でも刀の柄に引っ掛けてたんだろう、とか……そういう、自分の理解の範囲内で、ありそうな理由を探すもんだ。」
「そっか、なるほどな。うん、そんなもんかもしれない。」
オレがジークさんの考えに感心してると、
「釣り糸か、はは、ダニーは跳刀っていう餌にまんまと釣られたお魚くんなわけだな。」
と、愉快気に笑うケビンさん。
つ、釣られたとか……、軽くへこむからやめて。捻くれ者のオレとしては、意図せず相手の思惑どおりに動かされたっていうのが、気に喰わなかったりするんだからさ。




