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9-27(235) ケルンに戻った

 ガタン、ガタンと汽車が揺れていた。


 4人掛けのボックスシートに商会の仲間と共にゆく愉快な車中……のはずだったが、オレは窓下の額縁に頬杖付いて、ずっと外を眺めていた。


 ケルン市からポポロ市へ辿ってきた鉄路を、いまは逆走している。


 一年前に弟や友達に見送られてケルン市を飛び出した当時のことを思い出しながら、カレンのことも考えていた。彼女といて楽しかった日々、喧嘩した夜、笑わせてくれた行動、厭な奴をやっつける痛快なやり口……そうしたことを思い出してみると、本当に彼女は特別な女だったと改めて思わされた。


 どこで失敗したかだとか、選択を誤ったかだとか、あのときああしていればだとか、そういった後悔は一切なかった。なにしろ笑い合っているとき、抱き合っているとき、どんなときだってオレと彼女はすぐに喧嘩できたんだから。


 幅の広い河川、山間に架かる茶色い橋梁、侘しい駅舎にホーム。どんな山間部にも誰かが暮らしていて、一つひとつの駅舎の向こうにオレの知らない生活が広がっているんだろう。


 正直、オレはケルン市へ戻るのが厭だった。


 ケルン市で死体になるとか、悪夢でしかない。


 故郷に錦を飾るならまだしも、借金を抱えた挙句にマフィアに奉公しているだなんて、外聞が悪いったらありゃしない。


 服装は各個お好みのモノを着ているから、一見してオレたちがマフィアだと露見することはないだろうが、死体になったらどうなるんだ? 身元調査されれば、地元民のオレなんてたちまち正体がバレちまうぞ? それとも、いつかの喫茶店前の通りに出したオレの糞よろしく、日が昇ったら、ほかの誰かの知らぬ間にどこかに葬り去ってくれるんだろうか。


 どこかへ出掛けるのに、ここまで不安を覚えるのは初めてだった。


 ガタン、ガタンと汽車が揺れる。


 オレをケルン市へと運んでゆく。厭でもケルン市が近づいてくる。


 いまのオレにとって、故郷はとても面倒な場所だった。




 ケルン市駅に降り立つと、厭でも緊張感が高まった。ホーム上の端から端へ視線を這わせる。スーツを着た事務員、パイプを咥えた白髪の男、ハンチング帽を被った青年……不審な点は一切ないのに、どいつもこいつも怪しく見えた。といっても、日中はなにもなく、ありがたいことに、知り合いとも遭遇することはなかった。

 

 そして、日が落ちた。


 オレたちもマーレライを始めとする上の連中も宿に引っ込んで、もう一歩も外に出ない構え。リヴィエ一家と会うのは日中に限定していたんだ。夜道は危ないからな。賢明な判断だと思うよ。




 翌日、ケルン市のリヴィエ一家の大将が潜伏している小料理屋に足を運び、話し合いの席が設けられた。商会からはマーレライと商会で三等目に偉いマルコ、そしてボディガードの面々が出席。リヴィエの方は大将を筆頭に数人いた。


 もちろん話題はマロンを如何に叩き潰すかってことになるわけだが、まず始めにマーレライがリヴィエの大将にこれまでの経緯と現況の説明を求めた。


 ま、要約するとリヴィエとマロンは現在進行形で争っていて、これまでにも多くの負傷者と死者をお互いに出している。警察からの警告もあり、ここ一ヶ月間ほど派手な撃ち合いは避けているところ。ケルン市は無法地帯ってわけじゃないんだ。


 なのに、なぜかリヴィエ側の兵隊に死者が続出しているというのだ。マロン側の人間の手によって? いや、どうやらそのすべてが事故死であるらしい。階段から転げ落ちたり、河に転落したり、馬に踏んづけられたり……俄かには信じ難いが、ずっとそうした事故が相次いでいるのだとか。一度、誰か一人が転んで死んだだけってんなら不思議はないが、縦続けとなるとそれは不慮の事故ではなく事件になる。


 謎の連続事故事件のせいで、ケルン市のリヴィエ一家の兵力は着実に削られ、士気も低下、中には心を病む者まで出る始末。


 オレはリヴィエが嫌いだったから、さっさと潰れろくらいに思って話を聞いてたんだがな。


 その後もマロンを如何に叩き潰すか、とか、協力に対する見返りなど、いくつか話し合われたんだが、マーレライは回答を後日に延ばして、まだ日が高いうちに小料理屋をあとにした。



 その場で明言はしなかったが、マーレライはケルン市とは関わらない方がいいかもなと、マルコに話していた。マーレライはリヴィエの大将の言葉を完全に信じていたわけじゃなかった。理屈に合わない話は彼に大将への不信感を抱かせる結果になったようだ。


 マーレライはリヴィエの大将によるフロア市、ポポロ市乗っ取り計画まで妄想していた。所詮、リヴィエはリヴィエであり、マーレライはマーレライであり、マロンはマロン。どちらかといえば、リヴィエとマーレライの関係は、リヴィエとマロンに近かった。ただ、一方はリヴィエの傘下に入り、一方はリヴィエと闘って敗れたというだけ。

 仕事をする地域が違うのだから、オレたちがケルン市で無理をする必要はなかった。


 小料理屋からの帰り道。


 次第に日に影が差してきた。


 オレたちボディガードの面々は不自然でない程度に距離を置き、マーレライとマルコを囲んで歩いていた。とはいえ、今日はマロン一家もいまは大人しくしているという情報を得られたから、往来を歩くのも昨日よりは気楽だった。それに、なにごともなくフロア市に戻れる公算が高くなって、少なからず胸も弾んでいた。


“名無し”が口笛を吹いていた。


 オレはそのか細い音色に耳を傾けながら、キラキラ光る河面を眺めていた。この河の畔にはいろいろな思い出があった。


“酒樽”はいつも眉間に皺を寄せている奴だったが、今日はほのぼのとした表情で往来を眺めていた。


 みんなの警戒心も自然と薄れているよう。


 そんなときだった。


 ヒュルルッ。


 と、なにかがオレの目と鼻の先の空を切り、微風が頬を撫でた。


 油汗が滲んでくるのが判った。


 カラン、カチャ……。


 足元で金属的な音がした。


 足元を見ると、そこには見覚えのある曲刀が転がっていた。


 ジークさん!?


 上方を確認したかったが、オレはもう曲刀から目を離せなくなっていた。いまはただの曲刀のように地面に転がっているが、その実態は変幻自在に動く仙八宝の一つ、跳刀だ。上を睨むと同時に曲刀が飛んできて、オレの腹を斬り刻んでゆくような気がした。


 意識を曲刀に集中しながら、二、三歩後退する。


「ダニー? どうした?」


“名無し”が渋い声で尋ねてきた。


「刀が降ってきた。」


 オレはそう言って、転がった曲刀を示した。


「ふん、やはりケルンっておっかねえとこだったなぁ。」


“名無し”が愉快気に言った。


「マロンか?」


“酒樽”が尋ねるが、オレだって知らない。


「この刀は上から降ってきたんだ。誰か、上を見てくれ。ビルの屋上とか、バルコニーとかに誰かいないか?」


「あ?」


“名無し”の訝しむような声は、きっとオレが曲刀から目を離さないのを怪しんだんだろうと思う。上を見たいならてめえも見ろよ、っていう。


「おお、逆光で見づらいが、ビルの屋上に誰か立ってるな。二人いるぞ。」


“名無し”が言い終えた直後、曲刀が地面上で一回転したかと思うと、今度はすごい勢いで上空へ舞い上がっていった。曲刀の飛んだ方へ目を向けると、太陽の照り付けが酷く、思わず顔を背け、それから手を翳して改めて上方に視線を向けた。“名無し”が言ったように、ビルの屋上に二人の影。まもなく、屋上の二人はオレたちの視界から姿を消した。


 ジークさんと……、マーカスさん!?


 真偽は定かでなかったが、オレは曲刀の軌道から二人にオレを攻撃する意志がないと判断して、


「屋上の二人を追います。」


 とマーレライに告げた。


「おう、慎重に、無理はするな。」


 彼の返事を受け、オレは脱兎の如く駆け出した。

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